第8話 罰ゲーム

 ところが意外にも、この夜のカイは手の動きがよかった。アキもその様子を見て、「まあ、何でもいいから、とにかく書かせよう」と思って、見て見ぬふりを決め込み、好きにやらせておいた。すると、一時間もしないうちに、カイは部屋の灯りを消し、ベッドに入った。アキは、それに気づいていたけれど、彼も早く眠りたかったから、あえてそれを見逃した。

  翌朝、サラは目を覚ますと、カイを起こして問い質した。

「感想文は終わったの?」――カイの返事はない。


「ねぇ、終わったのかどうか聞いてるんだけど?」


「途中まで……」


「終わるまで寝ちゃダメだって言ったよね?」


「うん……」

 カイが赤い顔をしてうつむいていると、アキが割って入った。


「ちょっと書いたのを見せてごらん」


 カイは、昨晩書きなぐった原稿用紙をアキに差し出した。彼はカイの作品にざっと目を通すと、溜息をついた。やっぱり、放っておくんじゃなかった、という顔だった。

「今日は出かけないから、感想文の続きを書きな。何のためにここまで来たのか分からないよ、まったく」

 サラは吐き捨てるようにそう言うと、布団をかぶってふて寝の構えだ。

 アキは、自分が昨晩、カイの面倒を見るのをさぼった代償を払うこととなった。自業自得といえばそれまでかもしれないけれど、ちょっと気の毒だ。でも、こんな一日もたまにはいいんじゃないかな?ボクは皆と一緒に部屋で過ごせるのがうれしい。


「カイ、たくさん書いてあるけど、これは粗筋だよね?俺はその本を読んだことがないから、よく分からないけれど。……でも、カイが感じたことや経験したことは何も書かれていないよ」


「うん……」


 アキは、課題図書の文庫本を手に取ると、パラパラと頁をめくった。

 彼は文章を読むのが速い。これまでカイに勉強を教えている時もそうだった。そういう時のアキの顔は、目が三白眼のようになって少し怖い。きっと、仕事の時もこういうふうなのかな。


「もっと、他に書かなきゃいけない場面があるんじゃないの?」

 アキは、閉じた本をカイに返しながら言った。もちろんカイは黙っている。


「まあ、いいや。じゃあ、どんな話なのか教えて――」


 するとカイは、小説の内容をボソボソと話し始めた。何を言っているのか聴き取れない所もあったけれど、どうやら、主人公はとんだ跳ね返り娘で、好きな男の子の愛犬をいじめた憎らしい輩を、大きな落とし穴を掘ってそこに誘い込んで生き埋めにしてしまうという、殺人未遂事件が描かれているようだ。


「主人公は随分過激な娘なんだね」


「うん……」


「でもさ、何でそんな危険なことをしたんだろうね?」


「付き合ってる男の子の犬が海に放り込まれたから、その仕返しで……」


「それはさっき聞いたから分かってるけど、だからどうなの?」


「……」


 アキはカイを待ちながらも、何か別の言葉を探しているようだ。カイの方は何を質問されているのかさっぱり、……という顔だ。


「じゃあ、その相手の男の子も過激な奴なんだ?」


「ちがう。金持ちのお坊ちゃんみたいな……」


「ふうん。じゃあ、その主人公の娘には、どこかいい所もあるんじゃないの?お坊ちゃんがそんな怖い女の子とわざわざ付き合う?」


「……」


「じゃあ、この話の語り手は誰?主人公が自分のことを話しているの?」


「いや、親戚の女の子……」


「そうだよね。ここに書かれているのは、その親戚の娘の目を通して見た主人公だよね?」


「うん……」


「でも、それだけ?」


「うん……」


「じゃあ、主人公自身が自分を語る場面や彼女自身の言葉は出てこないの?」


「出てこない」


「ほんと?」


「うん」

 この時のカイは珍しく自信ありげだった。が、アキはこれを打ち砕く。


「最後までちゃんと読んだよね?どう終わってる?」


「……」


「思い出せなけりゃ、見てもいいよ」


 カイは、アキにそう言われて本を開いた。そして、最後の方の頁を音読し始めた。


「ねえカイ、今読んでいる所は何?」


「最後の段落……」


「それは分かってるけど、そうじゃなくて、そこはどんなことが書いてある?――手紙の内容なんじゃないの?」


「そう……」


「誰から誰への?」


「主人公の子から、親戚の子への……」


「そうだよね。じゃあ、それって、主人公の『生』の言葉なんじゃないの?」――


 こんな調子でアキとカイのやり取りは続いていった。アキはいつも、カイの勉強をみる時、すぐに答えを教えるようなことはしない。少しずつヒントを与えながら、カイに考えさせて、彼なりの結論にたどり着かせようとするのだ。アキは表面的にはあっさりしているようで、とても根気強い。ボクもアキの話を横で聴いていて、なるほど――と、頭の中がすっきりすることがある。ボクもカイと一緒に、ちゃっかりレクチャーを受けているようなものだ。


 カイは夕方まで、部屋に缶詰めでアキの指導を受けた。

 この日の昼食は、途中、サラがホテルの近くのコンビニエンスストアで買い出しをして来て、部屋で済ませた。当初のプランでは、カイのリクエストで、ジンギスカンという子羊の焼肉を食べに行くはずだった。カイとしては、その分、夕食にジンギスカンを、と密かに期待していたものの、今日ばかりは、かねてからサラが食べたがっていたスープ・カレーに譲ったようだ。――まあ、仕方ないね、カイ。


 そんなこんなで、三人とっては、それぞれ不満の残る旅行だったのかもしれない。でも、ボクにとっては大満足な三泊四日だった。(つづく)

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