相模原の事件の事を発達障害者が考えてみた。

アキノリ@pokkey11.1

一話完結です。

発達障害。昔からこの言葉はあったのかも知れないが、いつから存在していたのかそれは定かでは無い。

というか、定かに絶対にできないだろう。何故ならこの言葉はこの星に生命が誕生したバクテリアの時代からあったのかも知れないから。

バクテリアもきちんとした生き物だ。つまり、障害が無いとは言えないだろう。

そんな発達障害とは、

産まれてくる前の赤ん坊の時に脳に何らかの刺激が加わってしまって、

または染色体の異常によって、

または交通事故によって、

または仕事の過負荷によって

発生するものを指す。


今から文章を書く田中三郎。つまり私は小説家では無い。

そして常人でも無い。

そして文章も上手くは無い。

そして発想もあまり上手くは無い。

私はアスペルガーなど色々な定かでは無い発達障害を持っている。その為についこの前、起こった相模原の事件に対し本当に強い衝撃を覚えた。

私が何故、強い衝撃を覚えたのかと言うと、


私が犯人と同じ様な事をしていた、もしくは考えていたかも知れないという点。


私が被害者になっていたかも知れないという点。


.....まだまだ私が〜という部分には続きがあるかも知れないが、今の所は思い出す事ができない。


高校時代。いや、中学3年生ぐらいには既におかしな点は存在したが、一人暮らしに失敗した、大学にも失敗した、高校時代にあまり良く無い経験をした。

などの影響で2年前の2014年。おかしな点が大幅に目立ってきた。

相模原の事件の容疑者の様な、暴言、暴力などを障害者施設とかとは場所は違うが大学、自宅などでする様になり。

大学を大学側から強制的に辞めさせられ私は大学病院の精神科の開放病棟に入院した。

9月の下旬から入院を行い、2014年の12月下旬に退院。


入院中の診断の結果、私はアスペルガーに近いと言われ、薬を、行動療法を、と入院中に色々調節してもらった。

若干ショックだったのは私のIQが70ギリギリだという点について。過去に診断してもらった時は100以上あったらしいが。

今度の診察ではそうなった。だが、この辺りは今の現状にあまり問題では無い。



そんな私は3ヶ月近くの薬剤治療と調節、入院や行動療法などにより、暴力も暴言も一応に収まった。だが、私は今でも


強迫観念(頭の中に強い嫌な思考が浮かぶ)

疲れやすい

膀胱が弱く、尿が漏れる

強迫神経症


などがあり、障害者手帳3級を持ち、障害年金も申請をした。2016年8月4日現在も残念ながら治っていない。


私の障害はそこまで重たくはないが、障害者施設に入る可能性は否定できない。


そして、2014年の入院する前は相模原の様な事件を起こした可能性も否定はできない。


つまり、相模原の事件はまるで他人事では無いと強く感じた。言わば、相模原の事件の容疑者は自分自身にも感じる。


相模原の事件には強い憤りを覚えると同時に、色んな事を恐怖に感じた。そして相模原の事件の容疑者を可哀想だとも思った。

何故なら、相模原の事件の容疑者の周りには人が居なかったと思うのだ。私の様に誰かが手を差し伸べればきっとあの様な事件を起こす思想には至らなかったと思う。


私自身が恐怖に感じた点は先ほどに記したと思う。私は相模原の容疑者ではないので、私には相模原の容疑者の気持ちの全ては分からない。

さっきから警察でもない奴が、素人が何を言ってやがる。と思われるかも知れないが。


だが、何をどう言おうが事件を起こした事は事実。19人もの尊い命を奪った相模原の容疑者には強く反省をしてもらいたい。



相模原の事件の様に衝撃を受けた事件はこれまで私にとっては無い。今でも私は相模原の事件の情報について集めている。

もしかしたら普通の人にとっては薄まりつつある事件かも知れないが、私はおそらく、死ぬまでこの事件の事を忘れる事は無いだろう。


相模原の事件の容疑者が何故、犯行に及んでしまったのかは自己流に書き記したと思うが、私は相模原の事件の容疑者の事をきちんと警察は真相解明してほしい。

と願っている。



相模原の事件の容疑者の考えの中には障害者がいなくなれば良かったと言う趣旨の供述がある。

同じ考えを持っていた奴がいる。大学の教授なんていなくなれば良いと願っていた。その為に計画まで立てた事があった。


何故、世界はこんなに皮肉なのか。何故、私だけが救われてしまったのか。相模原の事件の容疑者と私と.....何の差があったのだろうか。


相模原の事件の容疑者には何故、救いの手がのばされなかったのか。

その為に私は今、猛烈に思っている。臨床心理士を目指してやる。という事を昔よりも遥かに強く。


二度と、相模原の事件の容疑者の様な被害の人を出さない様にする為に。だ。



ここまではこう考えてみたが、最後は相模原の事件の容疑者に関する事では無く、今、これを読んでいる皆さんの事に関して。


少しでも、皆さんに発達障害を知ってもらいたい。そう思う。



発達障害者は生きていても虚しい。と聞いた事がある。それは根本から間違っている。発達障害者は生きる事が楽しいのだ。決して、そんな事は無い。


発達障害者は得をしている。と聞いた事がある。これも間違っている。逆に聞いてみるが、得とは何を得しているのか具体的に述べてほしい。障害者は得も何もしていない。常人の様に給料が多く貰える訳でも無い。


発達障害者は決して、常人よりも得をしてはいないし、生きていても虚しい訳では無い。それを今読んでいる皆さんに分かってほしい。

発達障害者は発達障害者なりに今日を必死に生きている。

相模原の事件の容疑者の事を私は可哀想だとは言ったが、その考えには賛同できない。邪魔な部分が何一つとして無いのだ。


発達障害者には発達障害者なりの良い所が絶対にある。それを読者の皆さんには分かってほしい。



ここまでエッセイに付き合ってくれた事に感謝する。みなさん。ありがとう。







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