第3話 近付いてくる者

中学生になった私は夏、なかなか寝付けない夜が続いた。なぜならいつも決まって同じ時間、深夜二時半になると外から物音がしだすのだ。

その頃の自身の部屋は一階にあり、壁際の窓があるところに布団を敷いて寝ていた。窓の外には鉄の格子があるが、上部に繋がっていないため、よじ登れば侵入できる。

父と喧嘩をして追い出された日もそうやって自身の部屋にこっそりと戻っていた。

田舎で車通りも少なく、小さな音も聞こえてしまう。

ある日の夜、物音で目が覚めた。

微かな息遣いと窓の近くを歩く音。足が小さな砂利を弾く。何度も私の部屋の近くを歩いては止まり、窓を見ているようだった。

その時は不審者か何かだと思い、恐怖で身体が動かず、部屋から出ることもできなかった。

翌日の夜、ふと目が覚め、時計に目をやると二時二十九分だ。そういえば昨日も同じような時間だったなと思う。

眠気で身体が動かない。目を再び閉じようとすると耳鳴りがはじまった。鳥肌のような、ざわざわとした感覚が身体を覆う。

時計の針が三十分を指すと同時にまた息が聞こえてきた。壁に背を向けて寝ている私の背後に何かがいる。

歩きまわり、止まり、見つめる。格子を触る音。鉄格子の塗装が剥げ、触った部分がパラパラと落ちる音。また歩き、止まる。二つの手で格子を触る。ハァハァという息遣いの間に何か、空気が抜けているようなプシュゥという音が挟まっている。もしかしたら人間ではないのかもしれない。

それは決まって一時間半、明け方の四時になると消えていく。一時間半我慢すれば、消える、少し目をつぶっていればよい。と耐える。

また翌夜。格子を触る音。両手で握る音。壁に何度も足をずらす音。

ガシ、ズザザ、ガシ、ガシ、ズザザザ

息遣いも荒く、近づいてきている。ブシュブシュとたくさんの空気が漏れていた。

人間ではないのなら入ってこれまい。だがなぜ日に日に近づいてくるのだろう。

朝、外の壁を見ると足がずれた跡が何本も入っていた。

翌夜、ついに格子の上に手が届く。身体を格子の上に乗せる衣類のずれる音。それは首を曲げ、窓から部屋の中を一時間ほど見ていた。目を開けると目が合ってしまうのでうっすらと気づかれないようにそれを見た。黒い人型の塊で口がだらんと、顎の外れた者のように開いている。呼吸をするたびにガラスが白くなり、口から何かの液体がだらだらと流れ落ちる。首を曲げたまま私を見つめ、それは笑った。

私が起きていると気づかれたらいけない、と強く思う。目を強くつむり、明け方を待った。

毎日少しずつ近づいてきていることに恐怖を覚え、母に相談をした。母は「博子ちゃん、今日は久しぶりにお母さんと一緒に寝よう。」と微笑む。

夜、また同じ時刻に目が覚める。操られているのか、恐怖で癖がついているのか。

母は隣に居なかった。

鍵は閉まっているのに、玄関が開く音がする。咄嗟に入ってきてしまった、と感じた。耳鳴りの後に金縛りが襲ってくる。眼球しか動かせない。

母の声がした。「博子ちゃん遊んであげられないの。ごめんなさい。」

ズルズルと身体の何かを引きずり、近くにやってくる。息遣いは寝ている私の周りをぐるぐると回った。そして顔をのぞきこみ、私の顔を見つめていた。昔嗅いだことのある臭いがする。ブシュゥブシュゥと口に息が当たる。そして大きく開いた口の両端を上げ笑い、何重も重なった低い声で言った。

「ほんとうだぁ。」

プツッと目の前からそれは消えた。金縛りも解け、空気が元に戻る。温い脂汗が頭皮を伝った。

母が戻ってきて布団に入ってきた。「怖かったなぁ。もう来んけん。」

私は安心し、ここ何日か分まとめて眠りについた。以降本当にそれが来ることはなかった。

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