第13話 ⑬
それぞれのテーブルの客が、帰り支度をはじめた。
順一も紳士が立ち上がったのを期に、ゆっくりと椅子を引き、立ち上がった。
立ち上がったまま、まだ会話の続いているテーブルもあるし、ゆっくりと出口の方に向かっている客もいる。
マリと紳士と聡美は、食事をしていたテーブルの横にたって談笑している。
順一は邪魔をしないように、そっと出口に向かった。
『やっと、この部屋に入って来る前の世界に戻る』
部屋を出たところに案内係が立っていた。
順一を見ると近づいてきて、
「お気に召しましたか」と聞いた。
順一は、「有り難うございました」と言ってから、食事代はどこで払うのかを聞いた。
案内係は楽しそうに笑うと、順一から一五〇円を受け取り、領収書を持ってくると言って、部屋に入っていった。
しばらくすると、立派な領収書を台にのせて戻ってきた。
順一はそれを丁寧にたたんでから、胸のポケットにしまった。
案内係は順一をエレベータのところまで案内し、エレベータの扉が閉まるとき深々と一礼した。
エレベータには、他の客は誰も乗り込んではこなかった。
夢から覚めていく。
秋の夕暮れのような、透明な静けさが、順一を包み込む。
一階の待合室には客もバーテンも居なかった。
まるで先ほどまでとは、何もかも正反対の世界のように、淡い光の中で静まりかえっていた。
待合室から廊下に出ると、薄暗い扉の前に門番が一人だけ影絵のように立っていた。
順一が近づくと、軽く頭を下げ笑顔をつくり、しかし何も語らずに扉を開けた。
順一も軽く頭を下げるとそのまま外に出た。
扉が重く閉まる音がした。
後ろを振り返ると、扉は堅く閉ざされていた。
目の前の青山通りは、いつもの通りに人が歩き、車が走っていた。
もう一度後ろを振り向き、レストランを見た。
その豪華な作りは、特別な人しか入れない威厳をもっていた。
閉ざされた扉から人が出てくる気配は、全くなかった。
『夢だったんだ』
そう考えるの一番自然だ。
きっと疲れて、あの扉に上がる階段で寝てしまったのだ。
何時なんだろう。ご飯をたかなければ一太が腹すかしてるかもしれない。それに米がないから、一度アパートに戻って、金を持って米を買いに行かなければいけない。
レストランの両側に警備員がいて、順一を見ている。順一は慌ててレストランの前から去った。
表参道の地下鉄の階段を下りると、切符を買い、銀座線のホームに向かった。
地下鉄は今、出たところだった。
若い男が二人並んでいる。その後ろに立って、次の地下鉄を待った。
前の男が順一を見ると、横の男に話しかけ、別の場所に移った。
ひげくらい剃っておけばよかったと、その時始めて気が付いた。
早く、一太とヤスベイのいるアパートに戻りたいと思った。
突然腕をつかまれた。順一は先ほどの警備員が追い掛けてきたと思った。
なぜレストランを見ていたのか。
レストランの前で寝ているふりをして、何か危険なものを仕掛けていたのかもしれないと思ったのだろう。
事件があったら、警備員の重大な責任になる。ここはつかまえて尋問しておくことが必要だと考えたのだ。
順一はゆっくりと、つかんでいる人の方を見た。恐ろしい顔で順一を睨んでいた。
それはすぐに言葉に翻訳できた。
『本当になぐるわよ!おじさま』
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