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「さっきから言ってんだろ……! もういいって」

 ゴスロリちゃんの正面、ドア横の角地にすっぽり収まってこちらも大学生――普通に考えると彼氏かな、どうでもいいけれど。耳にたくさんのピアスをして、一部分だけ脱色した髪型はアシンメトリー。前髪、鬱陶しくないのかな。

 缶チューハイ片手にアイフォーンから伸ばしたイヤホンを再び耳に突っ込んで、位置的には一番遠い、対面の角地に収まっているわたしにまでシャカシャカ聞こえるくらいボリュームを上げた。

 その行為に呼応するように「もういいっでなにがっ!」とゴスロリちゃんが叫ぶと、心底面倒くさそうに眉をひそめてイヤホンを取る彼氏。「大きな声を出すなよ……人にみられてるぞ……」あんたもね。

 別れ話のもつれかしら、公衆の面前で痴話喧嘩を繰り広げる無邪気さは、今のわたしにはない。

 昔は……。

 いや、ない。

 ない……。

 ……まあ、ひとには消したい過去のひとつやふたつはあるものよね。ことさらに若さを羨むこともないけれど、こういうときに少しだけ自分の過去を回想してしまうのは、公衆の傍観者としてはめずらしいことではないのではないかと思う。


 それにしても……。彼氏(元かもしれないけどさ)なら、彼女(元と認めたくはないのかもしれないけどさ)にひとこと注意してもいいんじゃないの。


 そんな中、さめざめと泣き続けるゴスロリちゃんに、声を掛ける男性が。殊勝な人もいるものね。

「大丈夫ですか? 座りますか?」

 席を譲ろうと立ち上がったサラリーマンは、一部始終を見ていなかったのだろうか。ほうっておけばいいものをそういう余計なおせっかいが若者を堕落させるのだ。

「……すいません、大丈夫です」

 思いの外素直に謝辞を述べるとゴスロリちゃんはふらりと立ち上がって律儀に頭を垂れる。しかし、目の周りが真っ黒だ。なんというパンダ目! このなかに化粧品会社の営業マンはいらっしゃいませんか! ウォータープルーフを! にじまないロングキープマスカラを!


 それからしばらくは、再び座り込んでしまったゴスロリちゃんのすすり泣く声とシャカシャカ音だけが車内に鳴り響くだけだったのだけれど、わたしの降りる一つ前の駅に到着したとき、事態は急転した。


 まずシャカシャカ男が動いた。虚を衝かれたのはわたしだけではなかったようで、一瞬反応が遅れたゴスロリちゃんは、それでも素早くシャカ男に手を伸ばす。

 逃げるシャカ男。

 追うゴスロリちゃん。

 降車する乗客に阻まれてうまく進めないシャカ男。

 その腕をゴスロリちゃんが掴む。

「離せよ!」

「いかないで……!」

 にわかに息を呑む観衆。……というか、わたし。

 彼と組み合い、涙に目を腫らすゴスロリちゃんは、よく見ればなかなか美形だった。立って改めてわかるが、スタイルもいい。ファッションモデルかグラビアアイドルと言われたら、このパンダ目でさえなければ信じていたことだろう。

「もう次の予定入れちまったって言ってんだろう!」

「でも……!」

 すがるゴスロリちゃん。焦るシャカ男。次の予定って一体なんだ。というかそもそもこいつらの関係はなんなんだ。どうしてこんなことになったんだ。気になることが増えてきた。そこで無情に鳴り響く発車ベル。この電車は最終どこそこ行きだとか駆け込み乗車はおやめくださいだとかいうアナウンスが遠くに聞こえる。

 ドアが閉じ始めたその瞬間――

 ドンッとわたしの目の前に尻もちをつくゴスロリちゃん。シャカ男に突き飛ばされたのだ。あんたパンツ見えてるよ……。

 翻ってシャカ男はドアに半身が挟まってジタバタしている。窓ガラスの向こうでは駅員が集まってきてドアを手でこじ開けている。数秒で押し戻されるシャカ男。そのあと動き出した車内で、シャカ男の足にすがりついてわんわん泣き出すゴスロリちゃん。

 一体全体なんだこれは。

 なにやってんだこいつら。

 唖然とするわたしの目前で繰り広げられているのは、なにかのドッキリか、はたまた映画かドラマのゲリラ撮影にでも出くわしたのか。カメラはどこに? 「カット!」の掛け声はまだなの?

 一部始終を目撃した観衆は、あるいは連れのものと囁き合い、あるいはスマートフォンで一生懸命にタイピングしている。目の当たりにした光景に誰もが驚き、この後の展開を固唾を飲んで見守っているようにさえ感じられた。

 この奇妙なカップル(元カップルなのかもしれなければ、もしかすると元々カップルですらないのかもしれないけれど、もはやそんなことはどうでもいい)を中心に、いまこの車両にはすこしだけ、言葉にできない一体感が生まれていた。

 初めて劇場で舞台をみたときのような、そんなライブ感がそこにはあった。

 まさにそのひとりがわたしだった。

 電車に乗り込んだときのちょっとめんどうな現場に遭遇してしまったような憂鬱さはとうから消え失せ、ちょっとだけドキドキしていた。

 シャカ男が大きなため息をついて、ゴスロリちゃんを無理やり立ち上がらせると――シャカ男の背後で、ドアが開いた。

 わたしの降りる駅だった。

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