今も隣りへいて欲しい君へ 5/11


「やったじゃない」

「いやぁ、まあ、なに、実力ってやつ? ついに花開いちゃったってやつ?」

「さすがゼンジ。調子に乗らせたら天下一品だな」

 俺が浮かれているのには理由があった。

 二学期が終わって通知表が渡されて、俺の成績は自分でもびっくりするくらい上がっていた。塾通いの成果がここに来てやっと表われてきたかんじだ。それぞれの内申点はコウジと真緒がトップクラス。次いで俺とアン。それよりちょっと下にサヤカ。ダントツビリでユウヤって順だ。

 短い冬休みを明日からに控えて修了式の帰りにいつもの六人プラスメイちゃんとユウヤのカノジョの八人でボーリング場に行ってハメを外す。十二月二十二日。クリスマスイブイブイブってやつだ。別名、冬至とも言う。まあどうでもいいんだけど。ボーリングの後はそのままカラオケに寄って三時間ばかりみんなで熱唱していた。あんまり遅くなるのもなんだよなって話しになって地下鉄を下りるとそのまま解散になった。

 サヤカを送って行こうとすると「今日はいいや」って言われて真緒と一路、我が家を目指す。冬用のセーラー服の上にダッフルコートを着込んだ真緒がうさぎの顔した手袋を擦り合わせて顔の前で手のひらをあわせる。

「早いなあ、来年はもう三年生だよ。なんか毎日があっという間で驚いちゃうね」

「だな、でもまあ二学期は球技大会ありーの文化祭ありーのでイベントが多くて楽しかったけどな」

「あとは生徒会役員選挙で我らが耕司くんが副生徒会長になったしね」

「すいません、一応俺もクラス委員長なんですけど」

「あははっ、背伸び背伸び。やっぱりやる気の原動力は沙耶香ちゃん?」

「そんなとこ。そろそろ付き合って一年だし初めてのクリスマスだし出費が多くて困りますですよ」

「贅沢いうな。嬉しい出費でしょ、明日は夜景の見えるホテルのレストランでディナー?」

「んな訳ないだろーが。遊園地行ってクリスマスパレードだな。こういう時早く大人になりたいって思うよ。自由に使える時間や金や車があって門限もない生活。高校入ったらバイトでもするかな」

 そんな話しをしながら明後日の事を考える。サヤカとのイブデート、期待するなって方が無理だった。直接的な約束をした訳じゃないけれど多分、二人ともそのつもりだ。もちろん大人の関係になるって意味の。恋人らしい事はこれまで随分とやってきた。花火大会は俺たちにそれぞれ恋人がいたからみんなでは行けなかったけど、夏は俺の田舎にサヤカを呼んで家族と一緒に海水浴をし、秋は俺の誕生日を祝ってもらって、学校からの帰り道やデートでは小さなケンカもするようになったし、将来の夢を語り合ったりもした。

 暮れていく空を見上げて、明日の天気を祈る。晴れて欲しいな、でもホワイトクリスマスってのも悪くない。

 結局、二人でいられればなんでもいいんだよな、きっと。


 楽しむどころじゃなかった。

 世の中にはこんなにも人間がいるのかってくらい、遊園地の前にはうんざりするような行列ができていた。しかもまだまだ増える。並び始めてから十分もしないうちに俺たちの後ろには百五十メートルくらいの列ができていた。前を見れば見渡す限り人の頭の海。ほとんどがカップルでどんだけヒマなんだってかんじだ。まあ俺たちもだが。

「ねえ、やめない?」

「私もそう思うけどせっかくシャトルバスに乗ってきたんだし。ここまで来たんだからいけるとこまで行こうよ」

「入口でこれだぜ。アトラクションなんてきっと四時間待ちとかだよ。アホらしいっての、やめよ、早くラブホいこ」

「ストレートすぎ。期待してるのは分かるけど私だって女だよ。もっとムードっていうかそうゆーの大切にしたいじゃん」

「今さらなに言ってんだか。大丈夫っ、痛いのは最初だけですぐ気持ち良くなるって」

「いや、おっさんかっ! はあ、なんかゼンちゃんのせいで最近ノリツッコみにも慣れてきちゃったよ」

 うだうだ言いながら何だかんだで楽しんでいる俺たち。待ち時間にケンカするカップルって信じられない。二人で同じ時間を共有するってことに意味があるってのに。

 それからもボケて、ツッコまれて、ちょっと意味深に耳元で囁いて、笑いあって、遅めの朝食代わりにサヤカの弁当をつまんで、お手本のような恋人を演出しているとやっとゲートが見えるところまで来ていた。金を払ってさっそく園内に飛び込む。

「なんか食おう。そんで持ってきたカクテルを飲んで迷子の子どもを探そう」

「なんで迷子?」

「頼れる父性アピール。そこでサヤカはもうメロメロですよ。濡れてきちゃって内ももをすりすりさせちゃって子犬の目で俺を見るの」

「絶対ないし。ゼンちゃんってそうゆーとこ結構夢見がちだよね」

「まっ、なんでもいいや。買ってくるから場所確保しといて」

 そう言って急いでまた売店の行列に並ぶ。なに食おうかな、時計を見るともう三時半過ぎで、入場口でいかに待たされていたかに気づく。この分じゃ夕食はカップラーメンにでもなっちゃうかもしれないな、そう思ってちょっと多めに買い込んだ食料を抱えて待ち合わせ場所に向かう。

 ざっと見渡してみたがサヤカの姿は見当たらなかった。おしっこかな? そう思ってしばらく待ってみる。十分が過ぎ、二十分経つと不安になってきた。それでも三十分待ってダメ押しで四十分までねばってみる。

 おいおい、俺たちが迷子になってどうするっ!

 マジか、こういう時まだ携帯を持ってない事を恨めしく思う。シャレにならないぞ、これ。とりあえず二人分の飯を手早く腹に流し込んで係員に事情を説明する。けれど今日はそんな人たちばかりらしくてスタッフの人の対応もなんか雑だ。これじゃ待っていてもらちがあかないな。もう一度待ち合わせ場所に戻って、入口も見て、いい加減探し疲れて当てもなく地面に腰を下ろす。

「サヤカー、サヤカさーん」

 地面にあぐらをかいたまま大声を出してもそれに答えてくれる彼女の返事はない。通り過ぎるカップルに失笑されて泣きたくなってきた。もう五時半だ。遊園地はとっくに夜のとばりを下ろしイルミネーションがてかてかと輝き出していた。一人で歩く女の子の顔をいちいち確認して、でもやっぱり彼女の姿はどこにもなくて。

 もう酒でも飲んじゃおうかな、やけくそになってリュックのジッパーを開ける。中には缶チューハイが四本と飴とお菓子といつもの水筒、それにこの日のために用意したプレゼントが入っている。プレゼントの包みをなでて、やっぱりもう少し、無駄になってもいいから探そうと心に誓う。

 待ち合わせは観覧車の近くのベンチ付近だった。あいつ、観覧車の上から探してやっと恋人を見つけ出すなんてドリーミーなこと考えてないだろうな? いや、サヤカならあり得る。パレードはもう始まっていて往来規制されだした人ごみの中を少しずつ進んで行き、観覧車前の人だかりの前まで来るともう一度彼女の名前を呼ぶ。

「サヤカっ!」

 叫んだ瞬間、人垣から一斉に歓声が上がって、俺の声はかき消された。見ると大音量で派手な音楽を流すパレードが道の真ん中を通り過ぎて行き、観客の視線がそこに釘付けになっていた。おしくらまんじゅうの人だかりの中、一人、その中から逆走している頭に気がついた。そこだけがゆっくりと、でも徐々に割れて少しずつこっちに近づいてくる。

「サヤカっ!」

 自分の声も聞こえなかったけれど、不思議なことに一瞬立ち止まって飛び跳ねる顔がサヤカだって分かって俺はもう無我夢中で必死に手を伸ばす。

「サヤカっ!」

「ゼンちゃんっ!」

 微かだけど確かに聞こえた。声が聞きたい、ただそれだけだった。あいだに立つ人が涙だらけのサヤカの顔と俺を見て道を開けてくれる。その隙間に滑り込んで勢いのまま身体をぶつけ合って抱き締める。言葉はいらなかった。そこにサヤカがいるってだけでもう堪らなくなって、人前にもかかわらず唇を重ね合せて背中を強く引き寄せた。肩甲骨のくぼみに手を回してお互いを確かめ合う。弾む息で見つめ合って数時間ぶりの再会を果たした。彼女の涙を袖で拭ってもう一度彼女の髪の匂いを吸い込んだ。

「赤ちゃんか、お前は」

「そういうゼンちゃんだって、目、少し潤んでる」

「会いたかった。すっげえ会いたかった」

「私もだよ。もうどうしようかって何度も思ったよ」

 今がその時だと思った。カバンの中からジュエリーケースを出してサヤカの手のひらに押し込める。ぽうっと、少しのあいだ俺の顔を見つめていた彼女が蓋を開け、俺は中から指輪を出してサヤカの薬指にそのリングをはめた。

「メリークリスマス。これからもずっと、一緒にいよう。ずっと守ってやる。いつでも探してやる。悲しいときも嬉しいときもずっと隣りにいてやる」

 答えるように笑った顔が、天使に見えた。

 宮越沙耶香が愛おしくて一生傍にいたいと思った。

 イブ、指輪、夜景。

 完璧なシチュエーションで俺たちはその日、初めて結ばれた。

 ベッドから見える深夜の冬空は手を伸ばせば届きそうで。

 初めて見た彼女の寝顔と安らかな吐息。

 それを胸にしまっておきたくて意識が途切れるその瞬間まで彼女の体を抱きしめていた。


 正月が来た。元旦の朝。謹賀新年ってやつだ。ハッピーニューイヤーと声を大にして言いたい。いやはや、なんにしてもめでたいこって。

 朝早くから家族で初詣に出かけていて、帰ってくると郵便受けには年賀状が届いていた。兄貴と俺ではがきを仕分けしてみると大半は仕事関係の親父宛てだった。それから朝のお雑煮を食べて市内のアミューズメントスパに行き、背中の流しっこをして男三人で湯船に浸かる。風呂の後は毎年恒例の「澤井家プレゼンツ、大卓球大会」をして、今年の優勝者はおふくろだった。ちなみに記念品はスパのマッサージ券だ。

 午後からはいつもの六人で神社に行こうって話しになっていたのだがユウヤが急用で来られなくなり、それなら集まるのはまた今度にしようって事になって新年早々部屋でヒマを持て余す。

「春斗さんや」

「なんだい善司さん」お互いごろごろしながら声をかけあう。

「ご報告したき儀がございますればここに参上した次第にござりまする」

「許す、申してみよ」

 兄貴が珍しくノッてくる。

「なんと、ついに、ついにっ、脱童貞宣言しちゃいましたっ!」

「本当か、やったな」

「いやー、素晴らしいね、神秘だね、女体は」

「感想がバカ丸出しだな。そうか、とうとう善司も大人の仲間入りだな」

「でも上手くできなくてさ、ガマンディングウォーターかと思ったらもうイってたっていう」

「普通に我慢汁って言え」

「今後の目標としては、とりあえずセックスエリートを目指す」

「ブサイクのエリートらしい意見だな」

「ブサイクいうな。この角度から見るとイケて見えなくもないでしょ」

 俺は顔を斜めに傾けて左頬を兄貴に向ける。

「いや、変わらないから」

「ちぇ。それにしても両想いっていいね、愛が咲き誇っているね」

「なんだよ、それ」

「いやいや、恋のエナジーが俺をロマンティックモードにさせるっていうかさ」

「バカ言ってないで、正月だしたまにはゲームじゃなくて将棋でも打とう」

 そんな感じでやーやー言いながら正月の三箇日が過ぎていった。


 年が明けて学校が始まってもユウヤは登校してこなくてサボりかよって思っていたら、突然、悲報が届いた。ユウヤのおふくろさんが亡くなったらしい。

 前々から何度か体調を崩していたらしいがユウヤは今までそんなこと一言だって言わなかったから俺たちは驚きもしたし、同時に、若くして親を失ってしまった友だちにどんな言葉をかけていいのかなんて全然分からなかった。けれど彼は最後まで泣かなかった。あいつが気丈に振る舞うから俺たちはしんみりともせず、かと言っていつものように騒げる訳もなくて葬儀は無言のまま過ぎていった。サヤカは葬式の最中ずっと泣きっぱなしで、ユウヤの事をいつもの「伊勢」じゃなく「裕也」って呼んでいた。まだ二人が付き合っていた頃にユウヤのおふくろさんからピアノを習っていた縁らしい。ユウヤは彼女を抱きしめて「ありがとう」と呟いていた。

 葬儀の翌々日の休日の夕方、五人でユウヤを連れ出して池の公園で仲間内だけのささやかなお別れ会をした。火をつけたタバコを桟橋の腰かけに並べて六本の線香代わりにし、それを中心に円を描いて目を閉じて黙祷する。しばらく祈りを捧げた後、俺たちはそのタバコを拾い上げてそれぞれに一息吸ってもみ消した。

 初めて吸ったタバコは脳をくらくらさせて喉を焼き、やたらと目に染みた。

「裕也、頑張れよ。負けるな。おばさんは亡くなったけれどお前は生きて、しっかり生きて、天国のおばさんを安心させてやれ」

「耕司、セリフが臭せえよ。俺なら大丈夫だって」

 ユウヤが無理をしながらも軽口を叩いてコウジの頬を指で弾く。

「そうよ裕也。私たちもいる。どんな時でもいい、辛くなったら私たちを頼って」

「アンちゃん、それって愛の告白?」

 こういう時、なんて答えればいいんだろう、気を遣いすぎず、自然に、労わってやれる言葉が俺には思い浮かばない。真緒と俺は無言でユウヤの手を握り、サヤカは控えめな笑みをみせて少し距離を置いてただ立っていた。でも二人の間にはなにか言いようのない親しみがあって、特別な、同じ時間を過ごしてきた者同士の親密さが伝わってきた。

 酒、持ってきたから、とコウジが言って、ウィスキーの中瓶のボトルをみんなで回し飲みする。割って飲まない生のウィスキーは胃に強い刺激を与え、誰かの唾液と混じって口の中に独特の薫りを残した。

「でも、あれだね。ユウヤのおふくろさんって優しそうな美人さんってイメージだったけど、美人薄命ってほんとなんだな。若くして亡くなった人って人の記憶にすげえ残るっていうけどマジそう思う。あの笑顔がもう見れないって、なんか信じらんない」

「そうね。穏やかで優しくて素敵な人だったって思うわ」真緒が答える。

「母さんは見た目と物腰は落ち着いてたけど中身は結構情熱家でさ。父さんとも学生時代に駆け落ちみたいに結婚して、俺を産んで、でも子宮筋腫で弟か妹は産めなくなってさ。懐かしいって言えばいいのかな。週末は父さんとよく二人で恋人みたいに出かけてさ、俺はいつも留守番で、でもそんな二人を見るのが好きだったかな、俺は」

 ユウヤが思い出を引きずり過ぎるでもなく、淡々と語る声に合わせて水草が揺れる。公園の池の闇がユウヤに寄り添うようにさざ波を立てる。

 なんだかこの雰囲気と風の冷たさのせいなのか、やたらと胸がきゅんとして、恋をしている時のように軽く落ち着かない。

「なんか、体動かしたいっていうか。大声出したいっていうか。変なテンションだな」

「私もそう思っていたの」アンが答える。

「俺もそうかな」

「実は俺も」

 口々にそう言い合い、どうしようか相談して、結局ユウヤの家でピアノに合わせて歌おうって事になった。

 小学校の時の合唱コンクールの課題曲をユウヤが伴奏して、ユウヤの親父さんと一緒に酒を飲みながらケータリングのピザを食い、そのままリビングでみんなで雑魚寝する。

 どうしたら届くかな、俺たちの祈り。届いてたらいいな。机の上に置かれたおばさんの遺影を見ながら寝落ちしそうな頭でぼんやりと思う。何気なく見渡した部屋の片隅でユウヤとサヤカが眠りながら手を繋いでいるのが見えた。

「今日は特別だからな」

 暖かい部屋の中で俺は不思議と嫉妬も湧かない奇妙な気分で眠りこける二人の姿を眺めていた。


「裕也」

「えっ」

「あ、ゴメン。ゼンちゃん」

「名前間違えるなよな、軽く傷つくだろーが」

「だけどゼンちゃんだって…」

「ん?」

「付き合い始めてから何回私のこと『真緒』って呼んだか覚えてないでしょ」

「そうだけどさ」

 帰り道。つまらない諍いが起こりそうな予感。やっと初めてのエッチをして、いよいよここからが楽しい時って思っていたが俺たちにも御多分に洩れず他の恋人たちと同様、こういう日もあるらしい。

「悪かったよ。ケンカはやめよ。俺もお前も気を付ける、それでいいじゃん」

 そう言うと、サヤカは口調こそいつものままだったが珍しく食ってかかってくる。

「ゼンちゃんは例によってニブチンなのかも知れないけどさ、真緒ちゃんには当たり前のように接して、私の名前は間違えて、それで開き直ったようにお互い気を付けようって、なんかおかしくないかな」

「先に間違えたお前が逆ギレって、なんかおかしくないかな」

「マネすんな。はあ、どうして伊勢もゼンちゃんも、私が好きになった男はこうも口が上手く回るんだろ。ケンカしても絶対やり込められて余計にむしゃくしゃしちゃう」

「よく言うじゃん、ムキになった方が負けって」

「だからあんたがゆーな」

「キスすれば仲直りできるケンカに意味なんてねーよ」

「あっ、ちょっとかっこつけてる」

 そこで笑いあって、やっといつものペースに戻る。

「サヤカはさあ、ちょっと過敏すぎ。たいした事じゃないのに気にしたり落ち込んだり。もたないぞ、そんなんじゃ」

「性格だもん。やっぱ良く見られたいし。それに私がスレて男慣れしてたら嫌でしょ」

「当たり前だろ。二股とかかけられたら死んじゃうんだからねっ」

「お嬢っぽくゆーな」

「はははっ。でもさ、真緒の事なんて気にしてたんだな。とっくに慣れてんのかと思った」

「そりゃ気にはなるよ。真緒ちゃんのゼンちゃんを見る目、初めて会った時からずっと変わらない。あの子の気持ち、自分の事みたいにすごく良く分かるから辛いよ。ゼンちゃんのこと大好きで、でも仲間だから気持ち隠してて、伊勢と付き合う前の私に似てて。奪ったみたいで、今でも軽く罪悪感ある」

「俺は真緒の持ち物じゃねーよ」

「でもきっと一部だよね」

 そうなんだよな、離しては考えられない俺が俺であるためのパーツ。その点で言えばあいつとの近しさはきっとサヤカとのそれよりずっと近くて強いんだろうな。でもそんな理由で俺もあいつも縛られて自由に恋もできないなんてなんか違う気もするし。

 道は緩やかなカーブに差しかかり、俺たちはそこで言葉を切って軽く口づけする。街中の死角、二人だけの空間。当たり前になった別れ際のキスを終え、そこでサヤカを見送り、俺は来た道を戻って一人歩く。真緒も早く恋人作りゃいいのに。そりゃあ好かれてるって立場は悪くないけれど、俺はあいつの幼馴染みだから、そんな立場より先にあいつの幸せを願ってる。

 どっかにいないかな、あいつを大切にしてくれるやつ。それで俺たちとも上手くやれそうなやつ。俺的にはコウジがお勧めだったんだけどな、上手く行かないものだ。


「さて、みなさん。問題です」

「どうした、とうとう気でも狂ったか」

「うっさい、ユウヤ。考えてた訳ですよ、俺。俺たち男三人は恋人がいる。もちろんサヤカにも俺という素晴らしいボーイフレンドがいる。しかしどうしたことでしょう? 真緒とアンには今まで浮いた噂の一つもない。これはゆゆしき問題ですぞ」

 そう言って俺はアンを見る。彼女は興味なさ気にワンカップの日本酒を飲んでいた。屋上に転がっている酒瓶の大半はこいつが作り上げている。

「おい、なんか言え」

「わたしお酒が恋人だから」

「悲しすぎる十代だな」

 コウジがツッコミを入れる。

「でもさー、ラブレターもらったり告白されたりとかねーの? 俺たち四月からもう三年だぜ。中三で恋人いないって普通なら焦りだす頃じゃない」

「告白もラブレターもあるけど、あまり知らない人だったりタイプじゃなかったり。やっぱり耕司のハードルは超える人じゃないと」

「えっ、告白された事あんの」

「あるわよ」

「ちなみに私もあるからね」

「真緒もっ?」

「なんで驚いてるのよ、失礼じゃない」

「マジでか。コウジもメイちゃんからの告白だし、ひょっとして告白された事ないのって俺だけ?」

「まあ消去法でいけばそうなるな」

「あ、ヤバい。なんか泣きそう」

「いいから、それでお前の話しはなんだったんだ」

「もういい。一人で落ち込んでるからそっとしといて」

「それは後にしろ。杏、いいかな?」

 コウジがそう言うとアンはおもむろに瓶を床に置いてコウジに頷き返す。二人とも急に真剣で、俺たちはちょっと気押される。

「俺と杏、四月から転校するから」

「はあ?」

 突然のことに全員が驚きの声を上げる。

「ちょっと待って。転校ってどこに、いつ、なんでなの?」サヤカが慌てて立ち上がった。

「親父が転勤決まってさ。場所はオーストリア。四月から向こうに住むから今は引っ越しの準備やらドイツ語の勉強やらを始めたばかりでな」

「転校って海外なのかよ」

「予定では数年で戻ってこられるらしいのだけれど、やっぱり家族が離れて暮らすのは抵抗があって私たちもついて行く事に決めたのよ。もっと早く言えれば良かったんだけれど裕也のお母さんの事もあって。報告が遅くなってごめんなさい」

 突然のカミングアウトに俺たちはただショックを受けていた。

 俺たちが、離れる?

 そりゃ高校生になれば必然的に学校もばらばらになるだろうし、それは来年になれば嫌でも現実になるってぼんやりとではあるが理解はしてる。だけど、海外? 急に集まりたくなっても会えない、そういう距離と場所。そこにあるのは飛行機で何時間って道のり以上に離れた、俺たち六人の絆を試すような、試練の時間だった。

「あと、二カ月…」

「まだ二カ月あるって、そう思おうぜ」

 笑って応えるコウジを見ていたらこのままじゃなんかダメだって思った。一緒になって沈んでたらダメだ。俺が、この空気をふっ飛ばさないと!

「よしっ! うち来いっ! 今日と土日の三日間の合宿を今ここに提案する! 異論は認めないっ!」

「泊まりってこと? なんかいいね、それ。去年の学年キャンプみたいで。ワクワクしてきたかも」サヤカが雰囲気を察してノッてくる。

「ゼンジんちか、けっこう久々だな」ユウヤが受ける。

「夜じゅう起きてようよ、三日間完全徹夜で」真緒がテンション上がって手首をぶらぶらさせだした。

「お前ら…。ありがとう」コウジの声音が少し感極まっている。

「お礼はダサいからなしよね。そうでしょ、ゼンジ」アンが笑顔を見せる。

「よしっ、コードネームは『乱痴気スリーデイズ、ゼンジと下僕の愉快なパーティー』に決定だっ!」

「いやっ、それはないから!」

 全員にツッコまれて、嬉しくて泣き出しそうな、寂しくてやっぱり泣きそうな、そんな気持ちを誤魔化すように誰彼かまわずじゃれあって屋上の空に笑い声があがった。


 その日の夜八時過ぎ、我が家に五人がやってきた。コウジたちは酒担当、真緒はお菓子担当、ユウヤはおふくろに花束を、サヤカは米屋の娘らしく米袋を抱えて親父や兄貴と緊張した面持ちで話していた。

「サヤカちゃん、久しぶりだね。夏にうちのばあちゃんの家に行った以来だね」

「ご無沙汰してます。あの時はすごく楽しかったです。おじさんもお兄さんもお元気そうで」

 よそ行きのサヤカが挨拶を返す。

「善司をよろしく頼むよ。見ての通りこんな息子だが見捨てないでやってくれないかな」

「こちらこそ、です」

 台所ではおふくろと真緒とユウヤがぎゃーぎゃー言いながら夜食の準備をしていて、アンは早速コウジと酒をテーブルに並べていた。

「えーっ、みなさん。手を休めずに聞いてください。今夜から三日間、我々は徹夜で酒盛りをするという偉業に挑むわけであります。従って飲む前にはまず牛乳を飲んでいただいて胃にタンパク質の膜を張っていただきたく…」

「どうでもいいわっ!」

 それからの無礼講は延々と続いた。

 親父とおふくろが眠った後もリビングで騒ぎまくり、ゲームをしたり庭に出て相撲をとったりと、心も体も限界までエネルギーを発散させたあげく朝の五時、疲れ果てて結局みんなで仮眠をとった。

 目を覚まして軽食を腹に入れた後は酒はやめて、部屋で、小学校で俺たちが出会ってからの事を順番に、最初から、思い出して語った。一人が話しをふるとその話題が十にも二十にも膨らんで、話しはいつまでも終わらなかった。

 その日の夜になるとまた酒が入ってバカ騒ぎを続け、寝不足と二日酔いと疲れのトリプルパンチが俺たちをナチュラルハイにしていて、充血した目は冴えわたり、脳みそはハッピータイムで、夜中には恋愛話やちょっとエッチな際どい話しまでした。

 明け方になるとさすがに酒もなくなって交代で風呂に入りぼーっとした頭で静かに夜明け前ののんびりとした時間を過ごした。こういう何でもない時間が実は一番かけがえがなくて、六人ともそれが分かっていたから口数も少なくうつらうつらしながらも幸せな気分で音楽を聴いていた。

 空を見上げれば満天の星空。星座なんてまるで分からないけど、星には輝きの強い弱いがあるって自然に分かった。

 少し強い光。かすかに見える小さな鼓動のように弱々しい光。強く自己主張する光。

「こんな時間の空ってあまり見た事なかったけれど、綺麗、だね」

 アンが空を見上げて膝を抱えたまま語る。

「だな。アンとコウジが外国行っても空は繋がってる。この空、覚えといてよ」

「ゼンジ、なに格好つけてんだ」ユウヤがはにかんだように微笑んで俺の肩に手を回す。

「あーあ、行きたくねえ。お前らとずっと一緒にいたい」

「わがまま言わないの。耕司くんはきっとどこに行っても大丈夫だから。杏を助けてあげて」

「西門…」

「そうだよ。耕司くんはいつもクールに前だけ見てなきゃ。六人兄弟の長男でしょ?」

 耕司の頬に、涙が流れていた。俺たちはそれを見て見ないフリをして空の奥の朝焼けが星たちを消していくのを眺め続けた。


 夕方になって、俺たちは家を出て川沿いを歩き、小学校の前まで行った。休日の学校は静かな佇まいで卒業した俺たちを出迎えてくれた。

「こんなに小さかったんだなってゆー」

「うん、そだね。休み時間のたびにドッジボールして走り回った校庭も今見るとそんなに大きくなかったんだなって」

「ケンカしたな。仲直りもしたな。ヨーヨーで窓ガラス割っちゃって怒られたな」

「あった、あった。今思うとあの頃は男も女もなかったからな。みんなで一つ。シンプルだけど、純粋な絆だよな」

「また来よう。耕司とアンちゃんが戻ってきたら、また、この六人で」

「約束、だね」

 それから男たちは女の子の頬にキスを、女たちはハグを返してそれぞれにそう遠くないうちに来る別れを想った。

 いよいよ日曜の午後も暮れていって、最後の夕食を取って解散になった。コウジが口を開く。

「三日間、本当にあっという間ですごく楽しかった。ゼンジ、誘ってくれて、盛り上げてくれて、嬉しかった。ありがとうって、改めて言わせてくれ」

「私からも。みんな、本当にありがとう。仲間がいるって、こんなにも気を許せる友だちがいるって、すごく幸せで、それで、それで…」

 涙ぐむアンの頭を乱暴に撫でて俺たちはお互いを見つめあう。

 どうして友情は、俺たちは、こんなにも胸を締めつけるんだろう。

 出会わなければこれほどまでに辛くはないのに。

 でも出会わなければ俺たちはすれ違う他人同士で。

 そんなのは絶対に嫌で。

「これはさよならじゃないぞ。また会おうっていう、俺たちの誓いだ」

 目で頷きあって、六人で輪になってハイタッチした。

 パンって音が誓いの合図で。


 今でも…

 目を閉じれば聞こえてくる、別れの木霊だった。

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