今も隣りへいて欲しい君へ 4/11


 中学二年生って特別な響きだ。

 思春期まっただ中で男も女も恋に浮かれ、教室では音楽やドラマやタレントの話しが飛び交って、小さないじめや中学デビューした不良もどきの集団が教室を荒らして、春に赴任してきた音楽の先生が美人で、入れ違いで他の学校に転勤になった前の担任が懐かしくって、今の女の担任とはそりが合わなかった。

 授業中は夢の続き。放課後は相も変わらず部活に明け暮れて後輩もできた。二年になってから週に二回塾にも通いだして家に帰るのは八時過ぎ。兄貴は高校に入学してからもサッカーを続け、ぱったりと女の子と遊びに行かなくなった。サヤカとは上手くやれていて、気が付けばいつの間にか俺たちはキスのベテランで、挨拶代わりに、気持ちの代わりに、少しきわどいところに触れながらキスする事を覚えた。

 ユウヤとの亀裂は時間が癒してくれた。今では屋上で隠れてタバコを吸うユウヤに付き合ってコウジとサヤカも喫煙者の仲間入りで、俺はタバコはやらないけれどたまに酒を学校に持ち込んで暮色の屋上でよく六人で酒盛りしていた。給水タンクの裏にはコーヒーの缶に入ったタバコの吸殻とウィスキーの空き瓶が転がっていて、休みの日のコウジの家での集まりがなくなった代わりに屋上の非常階段の踊り場が新しい俺たちの居場所だった。


 その日もまた六人で転がるように戯れていた。六月半ば、初夏の授業終わりの屋上、空は朝から雨模様で一向に止む気配がない。毎年恒例の梅雨前線ってやつだ。アンが酒に滅法強くて反対に真緒は弱かった。真緒がべろべろに酔ってしまって仕方なく室内競技のみんなも部活を休んで好き勝手に過ごす。

「お前ほんとしょうがないな。ほら、これ飲みな」

 俺は水道水を入れた水筒を真緒に渡す。赤く腫れぼったいまぶたを手でごしごししながら真緒が水筒を受け取ろうとするが指先がおぼつかない。壁に上半身を預けた真緒の隣りにサヤカが座って飲むのを手伝っている。

「うっく。ぷっはっー。あー、まわってるー。くるくる~」

「完全に下戸だな、西門は」

「ああ、見てていっそ清々しいな」

 ユウヤとコウジはあまり気にも留めずにタバコを燻らせる。

「私は逆に羨ましい。少ない量で酔えるんだから」

 アンはアンで心配した風もなく気ままな発言をしてまた一口ごくりと酒を飲む。ほんとすげーな、こいつ。

「おかねがないよ~、ごはんはたべたくないよ~、おめめはおねむだよ~」

 真緒が遺言のように変な曲を歌ってついにサヤカの膝の上に崩れ落ちた。

「どうするんだよ、こいつ」

「しばらく寝かせといてやれば」

「それにしてもマジあっちーな。雨降ってるのに暑いって相当だぞ」

「私、アイスでも買ってこようかな」

「じゃあ俺も行こう」

「んじゃついでにここら辺のゴミも捨ててきてよ」

 コウジとアンが連れたって屋上を後にし、俺たちは特になに話すでもなく押し黙る。でもそこにある空気は穏やかですやすやと眠る真緒を三人して眺めて時々示し合わせたように目で笑い合う。

「明日晴れるかな」サヤカが真緒の髪を整えながら声をかける。

「どうだろう、俺はバレーだし行き帰りで学ラン濡れなきゃなんでもいいよ。お前たちはグラウンド使えないとやる事ないよな」

「俺あした塾あるわ。チャリ乗って傘さすのしんどい」

「私は帰ってもやる事ないしな」

「俺とデートでもする?」

「はいはい、勝手に言ってなさい」

 軽口もやんで空からは飽きることなく雨が降り、校舎も静かなもので、ざあーって音以外耳に届くものがない。あし痺れた、そうサヤカが言って俺は交代で真緒に膝を貸す。

 戻ってきたコウジたちとアイスを食べ終わり、しばらくして四人は先に帰った。俺は真緒が起きるまで待っていたが一向に目覚める気配がないので結局揺り起こしてほっぺにビンタした。


 二人帰り道。思えば久々だった。今年の頭からサヤカと帰るようになって真緒と帰る機会は少なくなっていた。塾も違うしコウジの家から並んで帰る事もない。たまの映画くらいかな、二人でいるのって。「変わらないでいたいね」前に真緒はそう言っていた。変わったのかな、俺たち。そんなつもりは全然なかったけど、いざ二人っきりになると案外話すことがない。まだ若干足元が危なっかしい真緒が俺の靴のかかとを踏んづけて「ごめん」と謝る。不意に接近した距離で雨以外のシャンプー的な匂いが真緒から漂ってきた。

 家の近くまで来て、でもなんとなく別れるのも惜しい気がしていつもの公園に入る。もうどのみちかなり濡れていたから俺たちは傘を閉じて藤の蔦のベンチに座った。誰もいないブランコや滑り台を雨粒で霞む目で眺める。

「この雨が明けたらまた暑くなるな」

「ねえ、善司」

「ん?」

 彼女の視線の先には濁った雨水が砂の上を何本かの筋を描いて遠く伸びていた。真緒はまだ夢を見ているような熱い眼差しでそれを目で追っている。

「恋人がいるってどんな感じなの」

「んー、よくわかんないけど楽しいよ。生活に張りが出るっていうか。でもなんで」

「ううん。たださ、最近善司との距離離れちゃった気がして少し寂しいんだ。恋人いたらそういうの埋められるのかなって」

「恋人にしてもよさそうなやつでもできたのか」

 そう聞くと、何でもない事のように真緒が言った。

「前言ったじゃん。好きなのは善司だよ」

「おいおい」

「本気に聞こえないのは、私が幼馴染みだから?」

 なんかびっくりした。雨に濡れた真剣な目で俺を見るから。こういうの慣れてないんだって。

「また冗談っていうオチじゃないだろうな」

「ないよ」


 突然、唇が淡く触れた。柔らかい雨の味がした。

 いくつもの。いくつもの雨粒が落ちてくる。

 こんなにも多く。

 こんなにも切なく。

 夏の始まりを告げる雨が降っている。

 一粒一粒が奇跡のように。

 強く、優しく。


 固まったように動けなかった俺は真緒がゆっくりと顔を離すのをほうけたように見ている。真緒はハンカチで俺の唇を拭いて、喉を震わせて泣いた。その姿を眺めていた。なにもできずに。

「ごめんね。我慢できなかった。沙耶香ちゃんに知られたら大目玉だよね」

 声が頼りなくて、でもその頼りなさの分だけ真緒の心が真っ直ぐに俺に向かってるって、分かってしまった。

「それはそうだけど、マジ、なんだよな、お前」

 そう言うと真緒は怒ったようなぶっきらぼうな口調で言葉を続ける。

「私はずっと、善司が好きだったのよ、知らなかったでしょ。これでも分かりやすくしてたつもりだったのに、私が下手なのかあなたが鈍感なのか、とにかくそうやって私の恋は終わったの。だから、忘れて。最初で最後のキス。思い出にするから」

 なにか言わなきゃ。でも焦りばかりが先立って何も言葉が浮かんでこない。雨なのか涙なのか分からない液体が真緒のぷっくりとした涙袋の下を流れている。ここでの一言がきっと俺たちの未来を決める。かっこつけてもしょうがないし考えてもわからない。だから素直な気持ちを言葉にした。

「真緒の気持ち、分からないでもない。俺きっと、サヤカと付き合ってなかったら真緒とずっとふざけ合って過ごしてたと思う。恋愛感情なのか親しさなのかわからない、こんな気持ちのまま。お前が俺の事好きって気持ち、多分俺と同じような感覚だと思う。一番親しい異性で、たまに恋してるような錯覚して、でも身内みたいに気ままで。こんな関係がずっと続いたらいいって思ってたけど、俺たちは男と女で、なんつーか、変わらない方がおかしいよな」

「違うよ」

「なにが」

「ラブだよ、私は。善司はライク」

「ライクだけじゃねーよ。もっとずっと根っこが深くて、上手く言えないけど」

「でも違うよ」

「なにがだよ」

「全然違う。全然分かってくれてない」

「だからなにがっ」

 かたくなに否定する真緒に、つい語気が荒くなってしまう。

「私と話してて気持ち苦しくなる事ある? 目の前の笑顔の唇を意識した事ある? 私の気持ちは苦しいほどアイラビューって言ってるのが聞こえるんだよ! どうしようもない想いを幼馴染みって言葉で飲み込んで、カノジョがいるから我慢しなきゃって、困らせちゃダメだって、幸せな想像は全部善司で、違う関係だったらよかったって寝る前に泣けてきて。こんな気持ち、善司にはわかんないっ!」

「そんなこと急に言われたってこっちだってわかんねーよ。だいたいなんだよ、急にコクって、勝手に泣いて、俺にどうしろって言うんだよ」

「うっさい、バカっ! 善司なんて知らないっ。顔も見たくない!」

 いつの間にかどしゃ降りの中怒鳴り合っていた。至近距離でにらみ合って、でも真緒の眼の中には女の子の潤んだ色があって。なんだよ、これ。これが俺と真緒なのか?

 口ゲンカした事は数えきれないほどあるしガキの頃は小突き合ったりもした。だけどそこには「俺たちだから」って安心感があって、だから本気でケンカしても数日経てば元通り笑って過ごせていた。けれど今の真緒はマジのマジで、俺の中の黄信号が点滅していた。マズいって思って冷静さをかき集める。

「真緒、落ち着けって。ケンカしても仕方ないだろ」

「もお、なんだよこれ。頭の中ぐちゃぐちゃでイライラする。あぁーーーっ!」

 俯きながら叫ぶ真緒が拳を振り回して頭を揺すり、自分の側頭部を叩きだした。

「好きだっ! 好きだ、好きだ、好きだっ! 出てってよこの気持ちっ!」

 黒髪を振り乱して身体を揺する真緒が感情を持て余したように頭を叩き続け、気が触れたみたいに自分の髪を手で引っ張って泣き崩れていた。もうこうするしかなかった、暴れる真緒を抱きしめて無理やり落ち着かせようとする。

「大丈夫だから。真緒の気持ちよくわかったから。俺の心臓の音聞け。それでゆっくり深呼吸して目、閉じろ」

 そう言ってみても一度上がったボルテージは簡単に下がったりしない。暴れて、俺の腕の中から抜け出そうとする。それを腕力で押さえつけて濡れた長い髪を後頭部に沿って撫でる。嗚咽を漏らす真緒の喉はひくひくと震え、胸板に押し付けた額の下で何度もしゃくり声を上げていた。

 長い時間が経ったように思えた。

 腕に入れ続けていた力を抜くとピキピキと体が痛かった。もう何分こうしていたろう。ずっと抱き合ったまま、いつの間にか背中に回されていた真緒の腕を解いて軽く叩いてみる。真っ白な腕だった。テニスしてるのに日にも焼けていないその腕としっとりと濡れた黒い髪のコントラストが目に鮮やかで、腹筋の真ん中あたりに押しつけられた胸の膨らみに不意に触れてみたくなって自分で驚く。

 触れ合う指先が不思議な熱をもっていた。俺の左手の中指が真緒の右手の薬指を撫でると身体が熱くなって下半身が疼くのを感じた。ムラムラしてる、俺。真緒にそんな気持ち持つの初めてかもしれない。サヤカとの体の触り合いで、些細な感触に敏感になっているのかもしれない。抱きしめて、キスして、その先を、知りたがっている。

 抱き合ったまま見上げた空は鈍くて濃い灰色で、俺は胸の内に変な焦燥感を抱えながら遅れて自覚してきた真緒の告白をずっとリフレインしていた。


 声を殺しながら狂おしいほど抱きしめて、顔に降りかかるキスの雨じゃもどかしくて、いつもだったら遠慮して触れる胸を掴んで、どうしようもない感情と猛りを唇に込める。

「今日のゼンちゃん、少し怖いかも」

「したいんだ。なんか治まんない。唇じゃ足りなくて頭おかしくなりそう」

 カラオケの個室、誰かに聞かれてるんじゃないかって思っても止まらなかった。欲望のリミットは際限がなくて、好きなはずのサヤカがただの女に見えて、罪悪感と興奮でまたサヤカの胸を意識する。

「こんなのじゃやだ。ゼンちゃん、今日はもうやめようよ。また今度してあげるから」

 今発散させたいのに。だけどこれ以上ただのわがままを続けていたら本気で愛想尽かされかねない。性欲なんてしょうもない衝動で俺たちの関係が壊れるのは避けたかった。

「あぁーーっ、だな。ほんとごめん。相当自分勝手だったな、俺」

 謝ると、安堵の表情を浮かべたサヤカが苦笑して耳たぶにキスしてきた。歯で甘噛みされて、ちょっとSっ気のある切れ長の目を細めて笑う。

「ゼンちゃんの良いところはね、そうゆー優しいとこ。自分勝手になっちゃってもきちんと反省して素直に謝ってくれるとこ。だからいつか、もうちょっと先の未来に、私はついに拒めなくなっちゃって初めてを許しちゃうんだと思う」

「そのいつかをすげー期待して待つわ。次回、ゼンちゃんのピストンはじめました。お楽しみにっ!」

「おバカ。でもギャグが言えるんならもういつものゼンちゃんだな。我慢してたんだぞー、今日はパフェ、ゼンちゃんのオゴリね」

「『お腹いっぱい』じゃなくて『お腹の中すごいのでいっぱいなのぉ』って言ったらオゴる」

「ふふっ、おバカ過ぎ」

 悪いことしたな。そう思ってせめて美味いパフェを食わせてやろうって思う。笑顔で隣りにいる彼女に安心して、やっぱり暴走しなくてよかったって再確認。俺の中にある焦りはきっとサヤカのせいでも真緒のせいでもない。壊れそうな、失いそうな真緒との距離がどうしようもなくて、助けてやりたいのに力になれない、そんなかんじ。当事者が俺だから。慰めるだけで安心は与えてやれないから。

 あれから三日経った。真緒の気持ちを知って、ここ数日顔も合わせなくて、同じグラウンドから見えるテニス部の練習を遠目に見ていただけで、次会った時なんて声をかけたらいいのか考え続けてる。

 入口も出口もない迷路にいきなり投げ込まれたようで、感情が意識に追いつけない。

 でもあいつはやっぱりあいつだから、このままじゃまずいよなって思う。

 悲しみでも怒りでもない訳のわからない感情が俺を揺らすから、サヤカにあたってしまったんだと思う。

 子どもだよな、俺って。しっかりしなきゃ。


 思い出せないけど、懐かしい夢を見ていた気がする。

 寝起きの気持ちが幸せでベッドの中でまどろむ。思い浮かべようとしても届かなくて、でも懐かしさで幸せで、幸せが切ないくらい苦しくて、それが昔の幸福な夢だったってわかる。真緒といた夢かな、違う気がする。幼い頃の家族といた夢かな。やっぱり思い出せない。

 目を閉じると温かい空白が視界を覆う。このままもう一度寝て夢の続きを見たい。学校に行きたくない。この人肌の布団に甘えたい。

 しばらくごろごろと思い出せないもどかしさをかかえながら寝返りをうって枕に顔を埋める。春先みたいな陽気だった。耳を打つ梅雨雨の音もない、ぽかぽかと過ごしやすい朝だった。

「兄貴ー、起きてるー」

 うつ伏せに寝ころんだまま上に声をかける。

「ん、ああ。今日はなんか目が覚めた」

 兄貴が梯子を下りてきて、いつものように俺のベッドの端に腰を下ろした。

「お前は珍しく眠そうだな。僕の眠り病がうつったかな」

「そんなんじゃない。でもなんか起きたくないっていう」

「成長期だからな、そんな朝もあるさ」

「どんな夢見た」

「どうだろう、思い出せないから夢って言うんじゃないか」

「そうだけどさ」

「どうした、良い夢でも見たのか」

 兄貴の声が優しい。

「そうなんだけど起きた途端忘れちゃって」

「あるよな。僕も今日の夢は幸せだった気がする」

「女の夢?」

「忘れた」


 なんとなく二人とも気分が良いせいで朝飯の後、登校中に牛丼屋に寄って二度目の飯を食う。遅刻は確定で、二限目の終わりに間に合えばいいかって話しながら狭い店の中でだらだらする。十時の喧騒。手帳を見るサラリーマン。窓の外の人の群れ。

「腹ふくれたか」

「オゴリ助かる。今月ヤバくて」

「女の子と付き合うのも金かかるしな、サヤカちゃんだっけ」

「うん。いい感じに付き合えてるんだけど最後まではいけてないかな」

「もう半年くらい経つだろう」

「遅いかな」

「人それぞれだし焦らなくていいんじゃないか? したがりは嫌われるぞ」

「それで失敗したばっか。兄貴はなんていうか落ち着いたよね」

「この年でそれもどうかと思うけどな。でも付き合ってエッチしてっていう単純なサイクルに飽きてきたかな。僕は本気の恋って経験してないから善司が羨ましいよ」

「すればいいじゃん」

「簡単に言うなよ。なんて言えばいいんだろう、映画やドラマで見るような恋に焦がれる感じって僕にはないんだ。どこかで線を引いてて他人って感覚が強いんだろうな。だから自分でもいやになるけど誰かを好きな女の子を振り向かせるまでが僕の恋愛で、付き合える事自体にはあまり意味がないんだ。そのせいで昔はもめて、それが煩わしくて、今は恋人を作りたくないかな」

「誰かを好きな女の子をってくだり、なんかユウヤに似てる」

「彼ね、確かにシンパシー感じるよ。性格は真逆っぽいけどな」

「シンパシーってなに」

「共感って意味。うちは進学校だからな、一年から勉強漬けだよ」

「高校生ってセックスしまくりってイメージがあった」

「エロ本の読み過ぎだ」

 笑い合ってお茶を飲んで一息つく合間に話題を探す。なんかあるかな、話したい事。考えていると先に兄貴が口を開いた。

「そう言えば昨日、真緒ちゃんに会ったよ」

「そうなの」

「ああ、なにかやけに元気で、急に黙って、少し不安定に見えた」

「やっぱか」

「とうとう告白でもされたか」

「えっ、聞いたの」

「なんとなくな。でもあの子はいつも必死だったからな、お前とのこと。気付いてたか」

「この前知った。突然だったからマジびっくりして。あれ以来まだちゃんと話せてないんだよね」

 時間が経つほど話し辛くなることは分かっている。今日、帰りに誘ってみようかな。でもなに話せばいいんだろ。仲間として上手くやっていきたいのは多分俺だけで、あいつはラブだって言ってて、人との付き合いに答えなんてないんだって改めて思う。

「俺さ、分からないんだ。恋人が出来たら異性の幼馴染みは仲良くやれないのかな。男と女になっちゃって俺だけ仲良くしたいって思ってもうまくいかないのかな。でもこのままぎこちないのなんてやなんだ、やっぱ。俺と真緒のこれまでをなかった事になんてしたくないし」

 俺はそこで言葉を切ると兄貴の顔を見る。兄貴は思案顔でしばらく考えている様子だ。熟考する癖は兄貴も真緒も似ている。

「真緒ちゃんはお前のこと男として好きなんだよ。けれど善司は幼馴染みとして好きなんだよな。だからきっと、傍にいる限り、どっちも我慢しなきゃいけないと思う。時間が経ってお互いの気持ちが落ち着くまでは」

「なんか、前のままでいたかった。俺たちが俺たちらしかった頃みたいに」

「それ、あの子の前では絶対に言うなよ。それってつまりあの子の気持ちが迷惑って言ってるようなものだぞ」

「そんなつもりは…」

「真緒ちゃんの中にはずっと前からお前への気持ちがあったんだ。遅かれ早かれこうなっていたんじゃないかな」

 じゃあ真緒と付き合っていたらって未来は? そう言おうとしてやめた。全くない話しじゃないってこの前気付いた。あいつを女として意識して、それが抱きしめた感触からだとしても、恋人になったらきっと楽しいんだろうなって思う。

 やっぱり今日話し合おう。

 そう決心して俺と兄貴は店先で別れた。


 教室の真ん中辺りでユウヤが爆睡している。俺が遅刻して教室に入ってきた時からずっとだ。

 英語の先生がなんで遅れてきたのかを聞いてきたが「母親がつわりで」って言ったら結構簡単に信じて、「私も昔はね…」なんて雑談を始めていた。案外教師ってのもちょろいもんだ。

 昼休みに入って俺とユウヤは机をくっつけて飯を食う。アンも二年続けて同じクラスだったがさすがに昼飯は女子と食べるらしい。

 俺はC弁当のチキン南蛮、ユウヤはD弁当のエビカツだった。ちなみにうちの中学はランチカードで食券を買って予約し、昼に係りの人がクラスの分のランチボックスを運んでくるスタイルだ。ついでにAとB弁当は学食週にしか食べれないレア弁当だったりする。

「それで、なんで遅れてきたんだ」

「いやね、気付いた訳ですよ、俺。このままじゃ地球はダメになる。世界の改革をせねばなって」

「それで、なんで遅れてきたんだ」

「まず俺は筋肉注射と包茎手術をする」

「で?」

「サッカー選手としてレジェンドと呼ばれながらも惜しまれつつ引退。その後タレント、俳優とマルチに活躍しつつ方々の美女たちと百人の子をもうけ政界に進出」

「オチはあるんだろうな」

「やはりな、やはりなっ!」

「なにがだよ」

「伊勢くん、間違っているぞ! 会話はキャッチボールだ。オチがない事を恐れてはいけない。スベり知らずのワタシたちが手を取り合えば世界を恐怖とエクスタシーで満たす事も夢ではないのではないかねっ!」

「さっきからなんなの、その芝居がかったキャラ。ウザいんだけど」

 俺は直球を投げる事にした。

「じつはさ、真緒にコクられた」

「ふーん」

「なに、その薄いリアクション。ウザいんだけど」

「友だちのひいき目で見ても顔は下の上。まあキャラは悪くないし気心しれてるから安牌なのは分かるけど、西門クラスだったらもっと上狙えるのにな」

「分析すんな」

「分析は大事。俺クラスでも落ちそうな女とこいつは無理だなって女はわけて考えるし」

「へえ、ちなみにお前の無理な女ってどんなやつ」

「一途系と現実主義系。自分の価値を知ってるやつは扱い辛いよ、良くも悪くもね」

「サヤカはどっち」

「一途で現実主義。可愛くない子の現実主義はガードが固くてやりづらいけど、あいつは自分がモテるのを知ってるから最悪だな。でもまあお前と付き合って正解だよ、あいつは。安定してないとモロいんだよ、俺もあいつも」

「意味がわからん」

「ちなみに西門は一途でロマンティスト。落とすなら今だぞ」

「だから意味わかんねーっての」

「ははっ。励めよ、少年。青春は有限だ」

「お前は?」

「親友のカノジョ奪うほど落ちてねーよ。要はお前がどっちの事好きか、それだけじゃないの」

「簡単に言ってくれるよね」

 こいつに相談したのが間違いだったかな、そう思って意味もなく箸で肉を突っついているとユウヤが突き放したような口調でこう言った。

「男ならうじうじやってないでとりあえず行動起こせよ。待ってるだけで女が落ちてくる身分でもないだろ、お前は」

「どうすりゃいいのかさっぱりなんだよ」

「起こした行動の結果が答えなんだよ。何もしないで流されてると後悔するぞ」

「アドバイスプリーズ」

「お前が西門を選んでも俺は軽蔑しない。でもその時は沙耶香は俺がもらうけどな」

「お前には死んでも渡さん」

 俺の答えを聞いたユウヤの顔はいつになく穏やかで、こんな笑顔を見せられたら女はすぐに落ちちゃうんだろうなって顔をしてた。

「ゼンジは俺とは違うタイプの戦士だ。安心して戦え、お前の背中は勇者であるこの俺が守るぞ」

「スベってるよ、それ」

「スベり知らずじゃねえのかよ」


 授業が終わり、帰宅部の連中は帰って、部活のあるやつらは準備中って半端な時間を俺は真緒を探すことに費やす。クラスにはいなかった、部室も覗いたがいなかった。顔見知りに聞いたから間違いない。じゃあどこだ、他に行くとこってもう屋上くらいしか思いつかなかった。

 扉を開けて一歩進むと巻き上がる強めの風が正面から吹き付けてきて思わず片手で目を覆う。午後もこの時間になって天気はいよいよ絶好調で薄曇りの空に爽やかな風が舞っていた。

 屋上に来るといつも思う、俺たちは自由で青春の支配者なんだって。特にそれを感じるのは扉の上、給水タンクのある非常階段の踊り場。そこに人の気配があって、俺はゆっくりと階段を登る。

「なんだ、ゼンちゃんか。焦って損しちゃった」

 見るとサヤカとコウジがちょうど今タバコをもみ消していたところで空の缶の中からはまだ煙が上がっていた。

「だから言ったろう、ここに来るのは俺たちくらいだって」

 コウジが消したばかりのタバコに改めて火を点けてライターをサヤカに渡す。

「人のカノジョとツーショットしてんじゃねーよ。メイちゃんに言いつけるぞ」

「いつもは裕也も来て三人で一服してから部活なんだけどな。そういや今日は来ないな、あいつ」

「それより真緒見てない?」

「西門? いや、宮越は見たか」

「ホームルームの後すぐに出てったよ、私は掃除当番だったから」

「あ、そう」

「なになに、良からぬたくらみ?」

 おどけたサヤカがいたずらなくそガキみたいなムカつく目で聞いてくる。

「知らなきゃいいよ。邪魔したな」

 背を向けて歩き出そうとすると背中から声がかかった。

「ゼンジ」

「ん? どした」

「何かあるなら言えよ。今のお前、なにか目が切羽詰まってるぞ」

 さすがコウジ。見るとこ見てるよな。

「機会があったら話す。悪いな、心配かけて」

「水臭いこと言うな、仲間なんだから当然だ」

「たしかに当然だな」

「そういう事。それじゃ、また明日ここで」

「おう」

 明日は酒盛りの日だったな。酒はいつもコウジがどこからか仕入れてくるから小銭とか用意しとかなくちゃなって思っているとサヤカが何か言いたげにこっちを見ていた。

「サヤカ、今日は一緒に帰れないかもしれないから待ってなくていいよ」

「なんか、分かっちゃったかも、ゼンちゃんの用事」

「心配すんな。サヤカを泣かせたりしないから」

「うん。行ってらっしゃい」

「行ってきます」

 新婚の夫婦みたいなやりとりをして俺は再び校内放浪の旅に出ようとする。どこにいるんだか、まったく。一応下駄箱も覗いてみるかって思って一階に降りると三年生の部活の先輩に出くわしてしまって二、三言葉を交わす。早く部室来い、と言われて俺はしぶしぶ探索を諦めた。

 真緒はもういるかなと思ってグラウンドに出てみる。そうしたらすでにウォーミングアップの走り込みが始まっていて俺は仕方なくスパイクを履きに部室に向かった。


 練習中もなんだか集中できなかった。気がつくと今までどこにいたのか知らないが、ユニフォーム姿でボレーの練習をしている真緒の動きを目で追っていて、パスに追いつけなかったりトラップミスをしたりで顧問に怒られたりした。部活中はポニーテールにしている真緒の後ろ髪が右に左に揺れてチェックのスカートもひるがえる。俺の視線に気が付いたのかどうか、真緒が長めのロブを打って、エンドコートいっぱいに決まった。

 そのボールが転々とハンドボール部の端まで転がっていったのを見て、俺はその柔らかいボールを手に真緒に近づく。

「ナイスコントロール。帰りさ、たまには一緒に帰らないか。話しあるし」

「ボール」

 素っ気なく答える真緒にボールを投げ渡して目で念力を送る。すると彼女は諦めたような目で俺を見て、終わったら校門にいるから、と言って小走りでコートに戻って行った。

 ぎこちなくではあったけど、一言会話できた事で俺はやっと落ち着きを取り戻して練習に臨む。

 最近監督に求められている早いアーリークロスをフォワードの胸元に送ってポストプレーの間に左サイドを駆け上がる。ボールをこねるタイプのフォワードからスペースにパスが来てセンタリングを上げる。中学生でヘッドでゴールをあげる選手なんてそういない。だから俺はボールが下がるような巻いたクロスをディフェンスの前の空間に流して二列目からのミドルシュートを引き出す。

 パスを受けてからの数瞬後のゴール前勢力図、攻撃陣が走り込むスペースとディフェンスラインの押し込み、それを予測しながらのラストパスはたまらなく楽しい。

 気が付くと夢中になっていてあっという間に時間が過ぎていた。


 日暮れが近づいていた。部活が終わったのが四時半過ぎで着替えて校門に向かうと校舎の時計はもう五時前を指していた。他の部の生徒たちがわらわらと校門を通り抜けていき、そんな中俺は壁にもたれたまま真緒の姿を探す。待っている間なにを話せばいいのか改めて考えてみる。サヤカと別れる気はない、でも真緒とは今まで通り仲良くしたい、そこの所をどう話せばいいんだろうな? まあなるようになるか、何回も考えた結論にいたってそこで思考を打ち消した。

 遅せーな、しかし。

 待ち始めてから十五分は経っただろうか。そろそろ来てもいい頃なのになと思っているとやっと当の本人が顔を出した。

「やっと来たな。帰ろう、腹が減ってしかたないわ」

「お待たせ、久々だね」

 真緒の顔がちょっと緊張している。声もいつもより少し高めで震えないように我慢しているかんじだった。

「おい、そんな身構えるな。俺と真緒だぞ、ここにいるのは。つまんねー緊張なんかしてんじゃねーよ」

 そう言うと真緒は一度ふぅ、と息を吐いてやっと小さな笑顔を見せた。

「やっぱり善司だなー。こっちは告白した身なのに全然、気、遣ってくれない。でもそこが善司らしい。デリカシーなんて欠片もないのにいつの間にか心に滑り込んでくる」

 そう言った後に「だから好きになってよかった」と呟かれて俺はどう言ったらいいのか分からずに歩き出す。真緒もその少し後ろを歩いてきて二つの靴音が響いた。

「ねえ」

「ん?」

「沙耶香ちゃんにはこの事話しちゃった?」

「いや、直接は言ってない。でもバレてると思う。って言うか間違いなくバレてるな」

「そっか。まあしゃーなしやな。陰湿などろどろの女の修羅場にしてやる」

「勘弁してくれ」

 なんだか思っていたより普通に話せて少しほっとした。それが嬉しくて、目に映る風景も、吹く風も、俺の気持ちを軽くさせているみたいだ。

「そういや部活前どこにいたんだ、探してたんだぞ」

「善司の体操服の匂いを嗅ぎにいってた」

「間違った方向に吹っ切れたな、お前」

「ほんとだったらどうする」

「もう口きかね」

「本当はね、杏に相談してたんだ。相談っていうかただ自分の気持ちを口にしたかっただけなんだけど。こういう時、友だちってありがたいよね」

「まったくだ。普段は憎まれ口叩き合ってもいざってとき力になってくれる。俺たち六人の絆は、ほんとつええよ」

 いつか大人になっても、俺たちだけは変わらないでいたい。あのちっぽけな交遊録をいつまでも守っていきたい。時が経って俺たちがどんなに変わってしまったとしても。

「明日の酒盛り、ちゃんと顔出せよ。そんでサヤカとちゃんと話せ」

「うん。善司、まだ好きでいていいかな? 私がいつか別のだれかを好きになるまで」

「ああ。気持ちには答えてやれないけど俺にとってお前は代わりのきかない大切な存在だから、これからもずっと、仲良くやっていこう」

「よっし。じゃあ私、塾があるからもう行くね」

「えっ、家戻らずに行くのか?」

「今日はこのまま一緒にいるとまだ泣いちゃいそうだから。察してよ、それくらい」

「デリカシーのない男だからな、俺は。そんじゃ、また明日」

「また明日ね」

 小走りで駈けていく真緒の後ろ姿が小さくなるまでずっと見守っていた。そして、唐突に思い出していた。今朝見た夢の中身。

 それは俺たち六人が何の変哲もない一日を過ごす、小学校時代の一コマだった。

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