今も隣りへいて欲しい君へ 3/11
「開けてみてよ」
俺は少し緊張しながらその包みを渡す。外の気温はあり得ない寒さだ。
部屋の暖房はフル回転で、でも完全に寒さを遮断しているとは言い難い。二人きりってのが鼓動を早め、血液が拭いきれない汗みたいに血管を伝っていく。
この後どうしたらいいんだ? 抱きしめて、キス? それから?
彼女が包みを開く包装紙の澄んだ音がする。新雪を踏んで歩くような高揚と興奮。自分の部屋なのに異次元に迷い込んだみたいだ。
「あっ…」
中の物を見た彼女が小さく声を上げる。
「チョーカー?」
「うん。サヤカに似合うと思って」
何度も自然に言えるよう練習したセリフ。笑顔で渡そうと思ったけれどひきつった唇が微かに震える。布製のリボンを二重に交差させたようなデザインで、喉の前の部分には惑星を形取った小さなシルバーがある。
「うれしいな。ゼンちゃん、結構趣味いいね」
「誕生日だし奮発してみた。チョーカーならセーラー服の中で見えないし」
「褒めてつかわす」
そう言ってサヤカが頬にキスしてくる。俺はそのまま彼女を抱きしめて近い距離で見つめ合う。どうしよう、鼓動、ヤバいくらい高鳴ってる。眩暈しそうな意識でちゅっと唇を合わせる。
こんな距離で抱きしめて、キスして、夢みたいだ。本当に夢じゃない事を確かめるように人差し指でサヤカの唇を押してみる。
「なにしてるの」
「サヤカがいるなって、確認してた」
「いるよ。ゼンちゃんの傍に」
そう言って目を閉じたサヤカが俺の肩に額を預ける。
もう、なにこの子、いやーん。
男心を押さえまくった彼女のリアクションに俺のちんちんはガチガチに屹立していて制服のズボンの中で早くも暴発しそうだった。
「なあ、もっかいキスしたいな」
「うん。ちょうどそう思ってた」
左手が肩に触れて右手を頬に添えて沙耶香が目を閉じたのを確認すると目いっぱい唇を押しつける。鼻から抜ける呼吸が暖かくて、キスだけでも息苦しいのに、大人はそれ以上の事をするんだって思うと更に興奮してしまう。
「サヤカさん」
「ん?」
「ちんちんがえらい事になっております」
「おバカ。でもゼンちゃんのそうゆーとこ。好きだからね」
「いやー、愛し合ってる二人ってかんじでいいよね」
「ゼンちゃんといるといつも楽しくて、たまにドキドキする」
「たまになのかよ」
「伊勢といると毎日ドキドキと不安の繰り返しだった。でもゼンちゃんといると心がふわふわとぽかぽかでいっぱいになるの」
「なんかそれ、素直に喜べない」
その後、まだ恥ずかしそうにするサヤカの肩を抱いて、ムラムラしてきた俺が怒られて、それを見てまた笑い出したサヤカと二人、ずっといちゃいちゃしていた。換気のために開け放った窓から入り込む冷たい風から身を守るように俺たちは身を寄せ合って二段ベッドの下で物音を立てないようにしていた。
秋になったばかりの頃、サヤカはユウヤと別れて、俺はなけなしの勇気を振り絞って告白した。今思い出しても最高にかっこ悪い告白だった。だけど一ヶ月半待たされてオーケーされた交際は今のところ順調だ。
早くも年が明けて三学期。兄貴はさすがに受験モードでピリピリしていて学校が終わると塾に入りびたり状態で、ユウヤは新しく恋人を作ってはまたすぐ別れるのを繰り返し、コウジは悠々自適に我が道を進み、アンとはクラスでバカ話を飽きることなく続け、真緒は「今年は映画、当たり年らしいよ」なんてとぼけた事を言っていた。
その真緒との映画の帰り、地下鉄の出口から出ると雨が降っていて、傘のない俺たちはしばらくバス停の軒下で雨宿りをしていた。
「面白かったね、ラブコメディも捨てたものじゃないでしょ」
「ああ、主演の新人女優が美人だったな。結構笑えたし」
「沙耶香ちゃんとはどういうデートしてるの」
「聞きます、そこ?」
「そりゃね。善司の男気が試されるという」
「うーん。特別な事はなにも。まだ付き合ってから時間経ってないし。あっ、でも今度動物園行く」
「定番コースだね」
「どこ行きゃいいのかとか何話したらいいのかとか全っ然わかんねー。なんか友だちの延長線上っていうか。なんか六人でいた時とあんま変わってない気がする」
「それでいいんじゃない? カレシぶった善司なんて似合わないもの」
「みんなで集まる機会、減ったよな」
「そのリスクを冒してでも沙耶香ちゃんと付き合いたかったんでしょ」
「そうだけどやっぱやだよな、なんか。ユウヤは普段通りにしてるけど無理してんのバレバレだし、サヤカも居心地悪そうだし。俺が壊しちゃったのかな、あの空気感」
なんだか気持ちが落ち込み気味で懐かしさと切なさで胸が苦しい。午後の車道は交通量も多く、水たまりをけ散らす車が列をなして走っていた。
「それは関係ないんじゃないかな。あの二人が別れた時点でもう雰囲気悪かったし。杏はともかく耕司くんは気を遣う人だからやりにくそうだった。悪いのは伊勢くんだよ。当てつけみたいに女の子とっかえひっかえで」
「あれはちょっとマズいよな。あいつ最近タバコも吸い始めたみたいだし」
「子どもなんだよ、伊勢くんは。世の中思い通りにいかない事の方が多いのに」
妙に憮然とした顔でそう言って、彼女はいきなり大声で叫びだした。
「わぁーーーっ!」
俺はしばらくあっけにとられてその様子を見ていたが次第に真似してみたくなってきて言いようのないわだかまりを吐き出すように声を上げる。
「うわーーーっ!」
「あーーーっ!」
「ぎゃーーーっ!」
冬天の中で俺たちは声を枯らし、街に向かって、届かない何かに向かって、叫び続けた。すれ違う人に見られても気にしなかった。二人で頷き合って手をとりあい雨の中を走り出した。ジジイとデブの間を駆け抜けて更に加速する。スニーカーもズボンもびしょ濡れで、でも気にならなかった。
息を切らせて近所の公園の前まで来ると真緒が繋いでいた手を引っ張ってきた。それで公園の中に入り、そのまま雪合戦ならぬ泥合戦をした。
凍えそうなほど耳と指先がかじかんでいたのに俺たちはは泥玉をぶつけ合う。
俺が投げた玉が空中で分解して真緒の顔と一張羅の白いコートに降りかかる。彼女が投げた玉が俺のジーパンにしみを作る。けれどどんどん降る雨がその汚れをすぐに洗い流して、腹の底から大笑いしながら二人で水たまりに向かって頭からダイブした。
「あははっ、こんなん子どもの時以来」
「だなっ。あーっ、マジか、超ウケるな」
「あめあめふれふれいしかわのおじーちゃんとおばーちゃんがー」
変な踊りで振りつけして無駄にこぶしを効かせた声で歌う真緒。
俺は地面に座りこんで手拍子で答えながら、変わらない真緒との時間が大切な宝物のような気がしていて雨の中で見えない涙が視界を曇らせる。
もう戻せない時間と今というリアルタイム。
後戻りは出来ないけれど、このままどこまでも行けそうな、そんな気分になる。
見上げると暗い色の雲がいつの間にかみぞれ混じりの雨を落とし、公園はゆっくりと雪化粧の下地をその素肌に塗りこんでいた。
その後、数日に渡って雪は降り続けた。
グラウンド系の運動部は軒並み休みでサヤカと二人で下校しながら話していた。街は白一色で、アスファルトの黒と混じって水墨画のようになっている。色があるのは信号機と自動車くらいのもんで。滑りやすくなった地面に気を付けながら手袋越しに手を繋いで川沿いを遠回りする。一応付き合いだしてからは部活帰りも毎日そうしていた。
「今年二回目の雪だね」
「だな。足元悪いし気をつけろよ」
「うん、ありがと。なんか悪いね、いつも余分に歩かせちゃって」
「別にいいよ。俺もサヤカともっと話してたいし」
「でも帰り道真逆だよ」
「いいっての、好きでやってるんだから。それよりさ、この雪で動物園ダメになっちゃったし、次のデートどこ行きたい」
すると彼女は少し困った顔になって上目遣いになる。
「ごめん、ゼンちゃん。今週お父さんが温泉行きたいって言いだしてさ。土日会えなさそうなんだけど」
「そうなの? うーん、じゃあまあ親孝行してくださいって事で」
「怒らないんだね」
「いやいや、そんな事で怒ったりしないから。そっか、じゃあ休みの日どーしよーかな」
「一緒に来る?」
「無理。彼女の親に会うとか考えただけで胃が痛くなるわ」
「お母さんは会いたがってたよ。ほら、前に家来たとき弟たちの面倒見てくれてたから気に入ってるみたい」
「おばさんはともかくおじさんには会ったことないしな。うちの娘はやれん、とか言われたら立ち直れそうにない」
「あはは、そんな親じゃないよ」
そして土曜日。久々にコウジの家で昼飯を食い、そこに遅れて真緒とユウヤも顔を出した。コウジの部屋のガラステーブルに熱めのほうじ茶を五つ乗せてクッションの上に座りながらみんなでトランプをしていた。
「全然勝てないな。なんでだろう」
アンが七並べで四連敗。ほんとにゲームごとに弱いやつだった。ふて寝し出したアンを放っておいて、テレビゲームをする気にもなれずになんとなく沈黙を分かち合う。
「宮越いないと静かだな」
コウジがカードをケースにしまいながらそう声に出す。俺はその声でユウヤを見たが、ユウヤはアンが買ってきた女の子向け雑誌から目を離さない。真緒が雪合戦しない、と言ったのを全員が却下してまた沈黙。
こんな感じだったっけ? 俺たちの居場所。
前はもっと気を遣わずに騒いで、疲れて無言になっても空気は暖かだった。立ち上がってタバコを吸いにバルコニーに出ようとしたユウヤの背中に俺は意を決して話しかけた。
「なあ、お前最近なんなんだよ」
「なにって何が」
「態度わりーだろ、どう考えても」
「ゼンジ、よせ」
コウジが仲裁に入るがユウヤは涼しい顔でこっちを見る。
「タバコの事か、沙耶香の事か?」
「全部だよ。興味のない女子にその気のあるフリして。ひっかかる女もどうかと思うけど。サヤカが傷つくとか考えないのかよ」
「もう関係ないだろ。カレシはお前なんだし」
「カレシカノジョは関係ないし。仲間だろ、俺たちは」
「仲間ってなんだよ。ままごとみたいに群れてたらそれが仲間なのか」
「てめえなっ!」
怒気をはらんだ声で立ち上がる俺を真緒が止める。
「善司、だめっ」
「うるせえ。こいつの性根叩き直してやるっ!」
「いいぜ、お前の事もう友だちだなんて思ってないし」
「裕也っ!」
コウジの大音量が鼓膜を震わせる。その声で一瞬萎みかけたユウヤが次の瞬間に吐いた一言が俺を激昂させる。
「かかって来いよ。友情より女を選んだ卑怯者にごたごた言われたくないな」
真緒が止める間もなく、左手でシャツの胸をつかんで右の拳を顔面に叩き込む。ガードが間に合わなくて、吹っ飛ばされてよろけたユウヤがテーブルに腰からぶつかって中身の入ったままのマグカップが床に転がった。じゅうたんが瞬く間に湿り気を帯びていく。
「もう一発殴ってやる、立てっ!」
頭に血が上った俺は背後から羽交い絞めにするコウジの腕の中で吠えた。立ち上がろうとしたユウヤを真緒とアンが二人がかりで食い止める。
「ガキくせー事やってんじゃねーよ! サヤカが好きなら好きで、なんでちゃんと守ってやらねーんだよ。あいつはな、お前と別れて俺の前でめちゃめちゃ号泣してたんだぞ。あのサヤカがだぞ。人と付き合うってそういう事なんだぞ、分かってんのかっ!」
自分でも何を言ってるのか分かってない。正論や友情や恋心が、陳腐な言葉になって口から垂れ流されていく。俺の怒鳴り声が部屋に満ちていた。誰も、何も、言葉を発する事なく、身じろぎさえしない。時間が止まったかのように誰もが固まっていた。なにかアクションを起こしたらそこから全部が崩れてしまうんじゃないかって思えて。
やがてそこにすすり泣く声が聞こえてきた。まさかユウヤが? そう思って見てみたがユウヤは俺を見たままだった。真緒だった。ユウヤの左手に体重をかけたまま後ろ姿を震わせている。
「やめよ、もう、やめようよ…」
「西門。離せ」
「やだ」
「もう暴れる気ないから。泣くな」
アンが離した右手でユウヤが真緒の頭をなでる。
「伊勢くんはさ、沙耶香ちゃんの事好き?」
「好きだよ。好きすぎて、意識しまくって、結局傷つけちゃったけど」
「じゃあ善司の事は」
「親友だよ。でも今は、素直にそう呼べない、呼びたくない」
「こんなのいやだ。仲良く、しようよお」
子どもの駄々みたいにそんな事を言う。
そんな単純な事じゃないんだ。友情より恋愛をとった気なんてなかった。でも端から事実だけ見ればそんな風に思われても仕方ない。でも俺たちは友だちで、分かっていながらユウヤはサヤカと別れ、俺と彼女は付き合った。言葉にすればそれはありきたりなフレーズに置き換えられて、この複雑を形にできない。ユウヤもサヤカもどっちも大切で、種類の違うその二つを、それでも選ばなきゃいけなかったって事。でも割り切ったようにそんな事できないから三人がみんな、居心地が悪くて下手に動き出せない。
「殴って悪かった」
「許してやるよ」
手を差し伸べてみたが、ユウヤはその手をとらなかった。下を向いて座りこんだまま喋り出す。
「悪い、ゼンジ。でも、正直辛いんだわ。俺の傍にいたあいつがお前の傍にいるって事が。一緒にいるといやでも考えちまう。女に逃げようがタバコ吸おうが無駄なのは分かってる。だけど声かければついてくる女がいて、セックスの良さを知って、歯止めが効かないっていうか。お前たちがどこまで進んでるかなんて知りたくもないけど、考えただけで痛いんだよ。俺、セックスの最中もずっと沙耶香の事考えている。お前と前よりずっと仲良くしてるあいつを見るのも顔会わせるのもしんどくて。あいつの笑顔がいやだなんて、別れるまで思わなかった」
「そんなに想ってて、なんで別れたんだよ」
そう聞くとユウヤはなんとも言えない憎らしげな顔になった。
「わからない。あいつが俺の横で幸せそうにしてるって事が信じられなくて、落ち着かなくて、どうしていいのか分からなくなってきちゃって。好き過ぎてぶん殴りたくなる、みたいな感じって言ったら近いかな。ダメなんだ、俺。感情のタガが外れちまって落としどころが見つからない。おかしいのかな、俺。だから、いつも何でもない顔して振る舞ってた。わざと気持ち試すような事言って、揺さぶって。それがあいつには耐えられなかったんだろうけど」
ユウヤは、純粋すぎるんだ。話しを聞いていてそう思った。ガキで無垢でスカしてるように見えるけど本当は弱くて、自分を抑えられない。だから気持ちとは反対の方向へ行かざるを得ないんだ。真緒の言葉を思い出す。こいつは本当に子どもで、下手にモテるから余計に事態を悪化させて、結局自分が一番苦しむ道に逃げてしまう。その道への入り口はユウヤにとってはきっと簡単に入れる場所で、そして出てこられない断崖になってるんだって思った。
「きっと気持ちの深さではユウヤの方が俺より深いのかもしれないな。話し聞いててそれがよく分かった。でもさ、そんな風な想いの伝え方じゃ、誰も幸せになれない」
「分かってたから別れた」
「違うよ。ユウヤに本当に必要なのはそれでも自分をなんとかする自制心みたいな物なんじゃねーのかな。俺だってテンション上がってどうしたらいいのかなんて分かってねーよ。だけどお前たちの距離は、なんていうか、危なっかしくて見てられなかった。今のお前の辛さは理解できるけどそれが今の行動を肯定するのとは違う」
「好きになればなった分だけ辛いって、なんなんだよ…」
そう言うと、今度こそユウヤは泣き出した。俺はそのこらえきれない想いが羨ましくて、ただ付き合えるだけで幸せなサヤカとの関係を考える。キスをした分だけ愛情が深まっていく気がして、並んで歩いたりデートしたり。そんな何気ない時間。
でもサヤカは俺の事どう思ってるんだろう。ふわふわとぽかぽか。たまにしかないドキドキ。嫌な想像だけど逃げているのはサヤカも同じなんじゃないかって、そう考えてしまった。
ここのところサヤカやユウヤとの関係ばかり考えていたけれど、コウジはコウジでいつの間にかちゃっかり恋人を作っていた。
妹ウケの悪いその子の名前はメイちゃんっていう。
コウジと同じクラスで、よく見ると可愛く見えなくもないってくらいの平凡な顔立ちで、でも人懐っこい性格で、コウジがこの子をカノジョにした理由が話してみると変に納得してしまう感じの女の子だった。まあ俺の好みじゃないんだが。
そのメイちゃんとなにかのきっかけで四人でダブルデートしようって話しになって、俺たちは特になんの考えもなしに前に行きそびれていた動物園に行くことになった。
まだ雪の残る園内。コウジたちはまだ手も繋いでいなかったから俺たちもなんとなくそうする流れになって、ゾウとペンギンだけ一緒に見て、昼にまた合流しようって決めて二手に分かれる。
今どきお目にかかれないようなランチ用のバスケットを片手に持ったメイちゃんがぺこりと頭を下げると、少しよろけていた。それがなんだか可笑しくて一人で笑っているとサヤカが冷たい目でこっちを見ていた。
「耕司くんって案外ロリコンだったんだね。ゼンちゃんはそうじゃないって信じてたのに」
「え、俺?」
「そうだよ、にやにやしちゃって。いい、ああいう子はね、天然なのかもしれないけど自分が男の子にどう見えるのかちゃんと分かってるのよ。杏がいやがってた意味、なんか分かっちゃった」
「そんな悪い子には見えなかったけどな」
「悪くはないの。でもいやかな、同じ女としては」
「きびしいね」
「友だちの恋人だもん。そりゃ見る目もきびしくなるよ」
「そんなものかね」
それから一通り園内を歩いているうちにサヤカの機嫌も直ってきて、動物しりとりしたりデジカメで写真を撮ったりしているうちにあっと言う間に時間が過ぎていく。
ライオンとトラにビビってシロクマの赤ちゃんに癒される。シマウマとキリンはやる気がなさそうでコアラが一番怠惰だった。檻の前でいちいち感想やプチボケを言い合って、かたかたと鳴るサヤカのリュックの中の箸の音が子気味良くていつもより早足で歩いてみる。
十二時五分前に正門の時計の下に行くともうコウジたちが待っていた。
「早いな、デートも十分前行動って優等生にもほどがあるだろ。そこんとこどうなの」
「うるさいな。そういうお前たちも五分前だし。んじゃ、行こうぜ」
「あっ、わたしビニールシート持ってきたから」メイちゃんが答える。
「そうか、じゃあせっかくだしそれ使おう」
展望台のある丘への階段を登りながら前を歩くコウジたちを見る。ツインテールにしたメイちゃんの毛先が跳ねるように揺れていてコウジを見てくすくすと笑う横顔がなんだか初々しくて微笑ましい。これで女から見るといやなタイプって言うんだから女ってやっぱりわからん。
シートに広げたメイちゃんの弁当はサンドイッチとサラダと揚げた鶏肉がメインで、サヤカの方は洋風なスープとおにぎりで魔法瓶を二本バッグに入れていた。一本はスープ用でもう一本はお茶ってことなのかな。
「スープはフタに一杯ずつかな。ごめんね、具とかもう少し頑張ればよかった」
「いや、美味いよ、これ。いい感じで温まる」
コウジが気を遣って答えるがメイちゃんの弁当と比べるとちょっと差があった。作った本人もそれが分かっているようで、そんな彼女になんて声をかけたらいいのか分からない。アスパラガスとベーコンとキノコが入ったスープは確かに温まるけれど、塩味が濃くて結構胃にくるし、おにぎりは海苔がベトついていて食べにくい。俺はそれでも作ってくれた事が嬉しくて「うまい、うまい」を連呼するがサヤカにはうまく気持ちが伝わらなくて、彼女は落ち込みを隠しきれない笑顔でぎこちなく笑う。
「ゼンちゃん、無理に全部食べてくれなくていいよ。持って帰るし」
「いや、食う。絶対食う」
「なんか、みじめだな」
「気にし過ぎだっての。全然うれしーし。気にしてる意味がわからん」
「ごめん。なんでもないの。ただちょっと、ゼンちゃんに女らしさ見せたくて、でも上手くいかなくて、もっと好きになって欲しかったから、反動で、かな」
しおらしい事を言ってくれる。ここにコウジたちがいなかったら間違いなく抱きしめていた。
「気持ちすっげーもらったからもう大満足。また作って欲しいし。それよりお茶くれない、なんか喉渇いちゃって」
「あ、しまった。お茶持ってきてない」
「お茶なら持ってきたよ。澤井くん、コップ出して」
スープを飲み干したコップにメイちゃんがお茶を注いでくれる。俺は謎のもう一本の魔法瓶が気になってサヤカに目をやる。けれどサヤカは何か慌てた感じでコウジに話しかけていた。
昼食の後は午後から四人で展望台に登り絶景を堪能し、植物園に入って南国のどぎつい花やヤシの木をバックにみんなで写真をとり、最後にメイちゃんが一番見たがっていたコアラをもう一度眺めて帰りの地下鉄に揺られる。話し過ぎてくたくたで、でもそのダルさすら楽しかった。
コウジたちと別れ、サヤカを送りがてら二人で歩いていると、ちょっと寄り道しない、と言われる。
「いいよ、なんならどっか店でも入る?」
「ううん、外がいい。二人で落ち着けるとこ」
「どうしよう、じゃあベンチでも探すか」
けれどそうやって探してみるとなかなか見つからないもので二十分くらい歩くことになってしまった。結局たどり着いたその場所はサヤカのマンションにほど近い、タクシーの運転手がサボって昼寝していそうな人の気配のない小道のベンチだった。目の前に川が流れていて景色的には悪くないんだけど。
「ふう、それで、何か話したい事でもあったの」
「ううん」
彼女が悩んだり困った時によくやる上目遣いで俺と脇に置いた自分のバッグを交互に見ている。
「うわ、どうしよう」
「なになに、気になるじゃん」
「うーん、照れるな。いいや、あのね」
そう言って彼女がバッグをもぞもぞさせて、昼間にちらっと疑問に思った魔法瓶のフタをとった。
「えへへ。おイモ。食べよ」
謎だった魔法瓶の中にはまだ充分に温かそうなサツマイモが一つ、半分に割られて入っていた。その片方を受け取って口に入れてみる。しっとりと甘くて鼻に優しい香りを運んでくれる。
「あのね、メイちゃんがいたから昼間は出せなかったけど、どうしてもゼンちゃんと食べたかったんだ、サツマイモ。前に軽トラで売りに来るおイモ屋さん好きだって言ってたから」
ちらっと、本当に何気ない会話の中でそんなことも言った気がする。サヤカはそれを覚えていてくれて、こんな風に持ってきてくれた。そういうの、すげー嬉しくて、すげー大切だなって思う。
「なんか、ヤバいな」
「なにが?」
「なんか、なんつーの、俺さ、勝手にサヤカは俺の事マジで好きじゃないんじゃないかって勝手に思ってたけど、こういうの、本当に嬉しいよ。気持ちが通じるってこういう何でもない事なんだな。知らなかった、両想いってこんなにすごいのな」
「ゼンちゃん…」
「あー、俺って超幸せもの。心ぽかぽかする。ぽかぽかも悪くないな」
「気にしてたの」
「ちょっとね。でも今わかった。比べても意味ないって。俺たちは俺たちでマイペースにやってけばいいんだって」
なんとなく目を合わせられなくてそっぽ向いたまま手を握る。
きみが傍にいるだけで、胸がこんなにとろけそうになる。いつまでも離れたくなくて小指を絡ませてみる。ずっとずっとが一生になったらいい。この想いが独りよがりじゃないって確かめたいけれど俺にはそんな器用な事できそうにないから、黙ったまま好きだって心の中で言葉にして。
寒さを言い訳にして肩を寄せ合った。
それがとても幸せで。ほんの少し照れくさい。
日暮れの早くなった夕方の中に吸い込まれそうな俺たちは親からはぐれた子どもみたいにずっと下を向いて並んでいた。
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