今も隣りへいて欲しい君へ
今も隣りへいて欲しい君へ 1/11
セミが鳴いている。暑い日差し。近所の公園。砂場の女の子。
女の子と砂のお城の上に俺の影が重なる。顔は見えない。
女の子が立ち上がろうとする。お雛さまみたいに黒い髪。
女の子の手に何かある。俺は覗き込む。お城を踏んで青ざめる。
女の子が笑う。拳が唸る。砂に埋められる俺。青空の太陽。
女の子が大きくなっていく。雲まで届く頭。小鳥が逃げる。
砂場の女の子。近所の公園。暑い日差し。セミが鳴いている。
ああ、セミが鳴いている。
セミの大合唱と車庫で車を洗う親父が聞いているFMラジオの音楽で目が覚めた。壁には胸の大きなグラビアアイドルが浜辺で素足に砂をつけて微笑んでいる。
「くぁ、眠みぃ」
昨夜は休み前なのをいい事に兄貴とサッカーゲームで白熱していて、床にはゲームのコントローラーとたたむ気のないソックスやユニフォームなんかが散乱している。主に俺のだけだが。兄貴は結構几帳面なところがあるから俺ので間違いない。で、その兄貴が部屋にいない。
ぎしぎしと鳴るようになった階段を下りてダイニングに行くと俺用と思われる干からびた目玉焼きとトーストがワンセット。おふくろは早朝のスーパーにでも出かけたらしい。
テレビをつけて牛乳をラッパ飲みし、立ったまま朝食を済ませてさっさと車庫に向かう。
「おはよう、兄貴は」
ワックスをかけた黒光りする車体の陰からいやに誇らしげな親父が顔を出した。
「朝早く出かけたぞ。お前も何か予定はないのか」
「別に、土曜はいつも通りコウジのとこ。どこ行くって」
「友だちとサッカーだと」
「ボールとかスパイク持ってってた?」
「いや、そう言えば」
「女だろ、簡単に騙されるなよな」
「まあ、あいつも中三だしな…」
悲しそうな懐かしそうな顔をする四十過ぎのロマンスグレーの親父に慰めの言葉をかけながら、兄弟でこうもモテレベルに差がある事を恨めしく思う。俺はおふくろ似、兄貴は親父似。生まれた時から人生の勝敗が決まっていたかんじ。まあ仲が良いのが救いだが。
そろそろいつもの時間になって俺は自転車のペダルを踏み込む。
見慣れた景色が飛んで、通り過ぎて、着地した頃に汗にまみれて自転車を降りるとコウジの家のインターフォンを押す。すぐにおばさんが出て俺はのこのこと部屋に上がった。
「おう、ゼンジ。来たか」
「おいっす。あれ、ユウヤもう来てたんだ。いつもより早いな」
「両親出かけちゃって昼飯の当てがなくてな。たかりに来た」
見るとコウジとユウヤはまさに昨日俺が燃えていたサッカーゲームをやっていて俺は俺で勝手にマンガを引き出してベッドに腰かける。
「新しいやつ買ってないの」
「いや、金なくて。杏が新刊の少女マンガ買ってたぞ」コウジが答える。
「少女マンガなんて読めるかよ。おんなじような話しばっかじゃん」
「あの陳腐さがいいらしいよ。この前借りてったら母さんがえらく気に入ってた」ユウヤが負け戦に辟易したように返事を返す。
「アンは? この時間いないって事は買い物?」
「ああ、いつものように女三人そろって駅前まで行っている」
「買いもしないのに何が楽しいんだか」
「そんな事言ってるからお前はモテないんだよ、女の買い物に付き合うのは男の甲斐性だぞ」
「なんか大人だね、その言い方」
そう言うとユウヤは眩しい物でも見たように笑ってゲームのコントローラーを放り出した。
「交代。俺じゃ敵わんわ」
「よしきた」
それから昼過ぎまでゲームやらダベりやらを続けるいつもの休日風景に埋もれ、週一の習慣になっているコウジのおばさんの手料理をご馳走になって、三人で駄菓子をつまみながらウーロン茶を飲んでいるとアンたちが帰ってきた。
「お帰り、どこまで行ってたんだ」すかさずコウジが声をかける。
「ウィンドウショッピングの後ゲームセンターに。真緒に音ゲーじゃ敵わないってつくづく思い知らされたわ」
「ゲーセンなら俺たちも行けばよかったな。西門、子どもの頃からヴァイオリン習ってるんだろう」
「ん? たしなむ程度だよ。まあ杏に遅れをとる気はさらさらないけど」
真緒が癖のようにいつもいじる長い髪を指で梳いて得意そうな顔をする。
「クレーンゲームは私の完全勝利。ゼンちゃん、ぬいぐるみいる?」
そう言ってサヤカがビニール袋から不細工なカンガルーのぬいぐるみを二つ取り出した。
「いらんし。って言うか部屋に置き場所ないって言ってたのに取ってくるなよな」
じゃあ裕也にあげるからいい、サヤカは袋ごとユウヤにぬいぐるみの山を押しつけてユウヤは当然のようにそれを受け取る。受け取っとけばよかったかな、優柔不断な後悔を抱いて少しヘコむ。中学に入学して少し経った頃、ユウヤはサヤカに告白して俺の淡い恋心は甘いまま霧散していた。
もうキスとかしたんだろうか、遠くなってしまった初恋相手の唇を見つめているとユウヤが視線に気がついて慌てて視線を逸らす。俺はちょっと挙動不審になりながら話題を変えようとしてアンに話しかける。
「シューティング系なら今度一緒にやろうよ。練習してたじゃん、そろそろ実戦デビューする気ないの」
「まだ自信ない。しばらくはゲーム機で我慢する」
「下手なくせに好きなんだよな、杏は」
「耕司は何でもできすぎ。双子なのに何でこうも違うのかしら」
そんな話しをしているうちにコウジのおばさんがアンたちの飲み物と塩おむすびを持ってきてくれて閑話休題。
夏の蒸し暑さに反抗するようにエアコンが音を立てて部屋はすこぶる快適だ。
室内から見えるバルコニーの手すりにスズメが三羽止まっていてみんなしてそれを眺めていた。歩くたびに息継ぎするみたいにちよちよと動く首がかわいくて米粒を持っていくと一度逃げ出した後、時間をかけて戻ってきた彼らはおずおずと食べ残しをついばんでいた。
「ゆっくり、おとなになりなさい」
ユウヤが古いCMのフレーズを言って全員が爆笑した。
小学校から続いているこの部屋の六人の集いは、中学に入学してからも変わらずに続いている。六年の頃のクラスメイトで今も同じクラスなのはアンくらいのものだったが休みの日にはこんな風になんとなく集まりあって、惰性のような、下らない時間をおおっぴらに共有していた。
夕暮れが近づいて、空が重力を持ったような濃い茜色に染まる頃お開きになり、サヤカを送るユウヤたちと別れて、自転車を押して真緒と歩き出す。家が近所の俺たちはまっすぐに帰らず池の公園で自転車を止める。池のど真ん中、桟橋のようになっているその先端に、ロッジのような天井のついたスペースがあってそこの腰かけに並んで座った。
「善司、また少し焼けたわね」
自販機で買ったお茶のペットボトルのキャップを開けながら真緒が問いかける。
「そうかも。サッカーやってるとあっという間に黒くなる」
「昔から焼けやすかったわね、そういえば」
「兄貴は同じ部活やってんのに不思議なくらい焼けないけどな。体質もあるのかな、これ」
「そうなんじゃない、痛くないの」
「全然。皮も剝けないしね。ひたすらに黒くなってく。顔とか腕もそうだけど首の裏がヤバい。でも体は全然焼けてないっていうね」
「泳げないもんね、善司は。プールの授業もズル休みだし」
「人聞き悪いな、ちゃんとアトピーですって生徒手帳に書いてもらってるよ。でも遭難したら助けてね」
「男のセリフじゃないでしょ、それ」
喉の奥で笑う真緒が目を細めてしばらく何もない小さな池の奥を見つめる。
そういえばさ、とクールに切り替えた表情で真緒がこちらに顔を向け直した。
「澤井さんとこの二男坊の明日の予定は」
「いつものように特になし。どうして」
「見たい映画があるんだけど」
「タイトルは」
聞くと彼女は今上映中の特撮物の名前を挙げた。
「ああ、日本のやつをハリウッドかなんかでリメイクしたやつね。兄貴が見たいって言ってたな」
「春斗くんね。けどそんなムダ情報は聞いてないし」
「まあ見てもいいかな。何時頃の見るつもり」
「休みだし混みそうだからレイトショーにしない? それまで適当に時間潰してさ」
「昼飯はどうする」
「節約したいし食べてから会うかんじで」
「りょーかい。んじゃ、昼過ぎに迎えに行くわ」
そう言ってアクエリアスを飲み干すと座ったまま伸びをする。その伸びの、一番気持ちいいとこが終わる寸前に真緒が口を開く。
「ねえ。これってデートかな」
「あん、そうなんじゃねーの」
「まともに取り合われてないわね。ま、別にいいけど」
洋画の男優のように様になった苦笑を浮かべる真緒のお茶はまだ半分くらい残っていて、俺は背もたれに肘をついたまま補足する。
「男女が二人で出かけたらそれはデートになるんじゃない? つまり自分のおばあちゃんと外で待ち合わせていてもデートって事になる」
なるほどね、と言って真緒が顎に手をやる。
「中学に入ってからかな、なんかクラスメイトって一体感のある言葉より先に男女ってのを意識させられちゃうよね、そんな関係を表す言葉に意味なんてないのに。でも、私たちの関係もいつか変わっちゃうのかな。沙耶香ちゃんと伊勢くんみたいに」
「ああ、あの二人ね。くっつくと思ってなかったから驚いたよなー。お陰さんで好きな子もいなくなっちゃったし。あーっ、恋してーーーっ!」
「叫ぶなバカタレ。やっぱり沙耶香ちゃんのこと好きだったのか」
「ん? 昔ね。そう言えば俺たち、恋愛話はあんまししないよな」
「みんなでいると頭の中幼稚園児だからね、私たち。まっ、確かに私もあの二人には驚かされたけど。むかし沙耶香ちゃんは耕司くんのこと気になってるみたいな事言ってたのに」
「マジで? ユウヤと違って顔が良い訳でもないのになんかモテるよね、あいつ。なんでなの」
「さあ。でも話しやすいのは確かだし、空気読めるし、勉強できるし。あれ、結構スペック高いね、言われてみれば」
「俺のファンとかいないの」
「ふふっ、聞いた事ないわね」
横顔が笑って目尻に数本の皺ができる。写真写りみたいな作った笑顔じゃなくて自然にこぼれる笑みだったから俺はなんだかテンションが上がってもっと笑わせたくなる。
「お前って特徴だけ見ると金太郎みたいだよな、髪黒くて、眉太くて」
「ああ、あの話し」
思った通り皺が深くなる。
「似顔絵が書きやすくていいよねっていうオチ」
「あの悪夢のような似顔絵ね」
小学校の頃、お互いの似顔絵を描き合うって授業があって、俺の絵は「よく特徴をとらえたで賞」に輝いていた。特徴だけが独り歩きした金太郎さんは今でこそ笑い話だけど、当時の彼女はそれはもう落ち込んでいて、女って繊細なんだな、なんて思ったものだ。そう言えばあの時だったかな、真緒の絵が上手い事を知ったのは。まあどうでもいいか。
「まだ持ってる?」
「持ってるわよ。捨てたら呪われそうなんだもん」
濃い眉と胸の上まである流した黒髪に、対照的な肌の白さに薄い紅がさして、半開きの唇が逆光の中やけに主張していた。
こいつはたまにこういう無防備な顔をする。自分の可愛さを分かってなくて俺の横で赤ん坊のような笑みを浮かべるから、たまに心配になる。
「おい、また口開いてる」
そう言うと照れくさそうに唇をいっと閉じた顔がまた可愛らしくて、幼馴染みやってて良かったなと思う反面、変に兄妹みたいに育った二人だったから今さら恋心なんて生まれる筈もなくて何だかつまらない。
「真緒はさー、好きなやつとかいねーの」
「なに、突然」
「言いたくなきゃ、言わなくていいけど」
そう言って少し待つ。真緒は昔から真剣になると人前でも考え込む癖があって、それを知っていた俺はのんびり返事を待つつもりだった。
「別に言ってもいいよ」だからあっさりとその返事が返ってきたから少し意外な気がした。
「ほんとに、どんなやつ」
「今、目の前にいる人」
「あん?」
「明日のデート、私そういうつもりで誘ったから」
蒸した空気を響かせるセミの鳴き声が甲高くて、意識がぼんやりした。
今、なんて言ったんだ?
好きなやつが目の前にいる人、つまり俺? デートはそういうつもり?
「ははーん、なるほどね。お前もそういうジョークが言えるようになったか。いやいや、お父さんは嬉しいよ」
「ジョークじゃないって言ったら」
「おい」
「考えてみてよ。男女の私たち」
どうしていいか分からなくて無駄に瞬きばかりする。俺が汗だくなのは当然として、真緒もハンカチも当てずにこっちをまっすぐ見つめたまま汗ばんだ顔をしている。茶色の瞳のアーモンド形した目、額に張りついた一筋の髪、柔らかそうな輪郭を描く唇。
「いや、なんつーんだろう。俺たちは俺たちっていうか。くくりとか関係ないっていうか。ほら、あれだよ、今さらな気、しない? そりゃ真緒は普通より可愛いと思うよ。なんなら倍は可愛いって言ってもいい。だけど、なに、俺たちが付き合って、二人で本気のデートとかしちゃって、ゆくゆくはキスとかそれ以上までいっちゃって、って、なんかちがくない? いや、したくない訳じゃないよ、むしろ普通ならしたいけど、お前の事そんな目で見た事なかったし、いや、まあある事はあったけど、その、……」
気がつくと一人で散漫な事を口走っていて、なんとなく合っていなかった目の焦点を真緒に戻すと彼女は小刻みに震えながら笑いをかみ殺していた。
「善司、必死過ぎ」
「おい、おまっ! やっぱギャグかよ! 最悪だよ、そのネタ。思春期への冒涜っつーか。ドッキリの番組で崩れ落ちるあのやらせっぽい気持ち、今ならすげえ共感できる自信あるわ」
「ごめん、ごめん。でも一回自分のこと女子としてどう思ってるのか聞きたかったのは本当だよ。予想通り過ぎてつまらなかったけどリアクションは最高」
「明日は部屋に引きこもって呪いの似顔絵を描くからデートはキャンセルってことで」
「あはは、あー、ウケたウケた。さすが『リアクションのゼンジ』だね」
ちなみに残りは「ツッコみのコウジ」と「ボケのユウヤ」だ。
「他にもあだ名あったよな」
「そうだっけ」
「自慰ユウヤとかおマンコウジとか」
「あった、あった。若かったなぁ。辞書とかでみんなして調べてたわね」
またひとしきり笑って、そろそろ帰ろうと声をかけると「自転車、二人乗りしよー」と提案される。
あんな冗談のせいなのか腰に回された腕がいつもよりきつく感じて、たまにぷるんと触れる右胸の感触にどぎまぎしていた。筋トレになるから、と立ち漕ぎを禁止された長い上り坂を子どもが歩くより遅いペースで上っていく。
「あーしたてんきになーれ」
「揺するな、今俺の大腿筋が試されているんだっ!」
「あははっ。レッツゴー、レッツゴーゴーゴー」
「飛び跳ねんな、今俺の括約筋も試されているんだっ!」
「最悪だっ!」
伸びた影すらすらりモデル体型になる帰り道、オレンジ色に輝いた太陽に向かって必死に太ももを動かす。
明日、天気になったらいいな。
お互いにそう思ってるって確信できる。
俺たちを表す一番簡単な言葉。それは家族のような愛情だと思う。
まるで飽きる事のない愛情。
恋人や好きな人に飽きる事はあっても家族に飽きるってないと思うから。
ゆっくり、おとなになりなさい。
ユウヤの言葉が胸をよぎった。
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