捺印 3/6


 前の席から回されてきたプリントを後ろに送りながら目を通す。

 進路希望調査表。

 最近はこんなのばっかりだ。こっちは将来なんて考えるのも億劫なのに、学校のスケジュールはそんな俺らの事なんてお構いなしに現実を無慈悲に示してくる。

 言ったら怒られるから言わないけどぶっちゃけ進学も就職もどっちもしたくないんですけど。ピーターパンシンドロームってやつなのかな、違うか。

 俺は何にもなりたくない、今のままでいる事もこの先変わっていく事も。

 ガキの頃からなりたかった夢なんてないし普通の女みたいに誰かが養ってくれる当てもない。将来はお先真っ暗で人生どうなるのかな、とか他人みたいに思って溜息をつく。

 イヤホンで聞いていた音楽を止めて、いつものように用紙に「東大」って書いて机につっぷす。その後も何もしないまま、一日を吹く雲の流れるままに任せて、校舎と校舎の隙間から見える空を眺めて時間を潰しているとやっと最後のチャイムが耳に届く。

 今日はなにしよう。部活を辞めてからどうにもやる事がなくて困るんだよな。

 そんな訳でホームルームの後、クラスにいると麻美がうっとうしいので沙耶香を探しがてら校内をうろつく。

 いつもの下駄箱でしばらく待っていると蛍光色っぽいライトグリーンのマフラーを巻いて、やけに短かなスカートをはいた彼女が俺を見つけると当たり前のように眉をひそめて微笑んだ。

「伊勢、よっぽどヒマなのね」

「今日はカレシに会うの」

「どうしようかな、まだ考えてないけど」

「会う気ないなら今日は付き合えよ」

「待ってて、一応カレにメールするから」

「部活辞めたせいか最近太ってきてさ」

「あっそう」

「つれないよねー」

「うるさいな、そんなにヒマなら新しくバイトでもはじめたら」

「バイトかぁ」

 それもいいな、と思う。


 飲み物を買って窓側に腰かけてみると、街はもうクリスマスに向かって一直線に突っ走っていて、ばかばかしくも心躍るイベントを前にして、俺たちにだってはしゃいでみる権利はあると思う。

「来月の26日だけどさ、デートする気ある?」

「気力はゼロだけど、まあしなきゃいけないでしょ、セフレとしては」

「俺としてはムダな出費は抑えたいんだけどな」

「何でもいいよもう。晩ご飯くらいは奮発してよね」

「なんだかなー」

 お互いどっちでもいいような、なんだかぐだぐだなまま気の早いイルミネーションを見つめてレモンティーをすする。

「そっちはクリスマスどうするの、ある意味高校生活最後のクリスマスだよ。来年祝う余裕なんてないんだから」

「麻美なら来年もやろうって言うと思うけどな」

「アサミちゃんね。実際どう思ってるの、あの子のこと」

「バカすぎてちょっと疲れるかな。まあそこが楽しくもあるんだけど」

「こっちもちょっとマンネリ気味かな。あいつの前世はきっと下半身しかなかったのよ」

「今俺たちが本気で付き合ったらどうなると思う」

「それ、結構面白い質問ね」

「シュミレートしてみる気ある?」

「今はないわよ、多分この先もずっとない」

「つれないよねー」

「そこがいいんだろ」

 アイスティーを飲み干した沙耶香が気だるげに髪をかき上げる。

「沙耶香」

「ん?」

「この後はどうする」

「決まってるくせに」

 意地悪な顔で、沙耶香の手が俺の髪に触れる。

 沙耶香との関係は俺の成長日記みたいなものだ。小学校時代は少しだけ意識し合っていた異性の友だちで、中学に入ってからは初めてできたカノジョになって、別れてからもお互いに恋人がいながらも仲間同士でふざけ合える元カノになった。高校に入ると友だち付き合いはなくなって、俺たちは男と女で、親しみの情を表すにはセックスしかないから、なんの罪悪感もなくセフレになった。

 視線が絡まると、その中にはいつも「愛してる」が隠されていて、相手のそんな気持ちを知っているのに、俺たちは平然と今の気楽な立ち位置で気ままに手をつなぐ。


 二学期も終わり、ヒマつぶしに始めていた肉体労働のバイトで稼いだ金で麻美に4℃のネックレスを贈る事にした。

 その上で沙耶香にも何か買ってやりたくなるのは俺のエゴかな?

 あいつなら何を欲しがるのかを考えるのは割と楽しい。簡単に言えば友だち以上、恋人未満の俺たちを結ぶアイテムを探しに行くクエストみたいな物だ。

 クリスマスイブが終わったのが25日の夕方で、それから一眠りして目覚めると26日の昼前だった。

 今年、麻美から貰ったシルバーのロザリオ型ストラップをいじりながら、沙耶香がもう起きているかどうか賭けてみる。

『おはよう』

 すぐに返ってくる筈もなかったから、台所で簡単な軽食を作っているとメールの着信音が鳴った。

『おはよー、ゆう! 昨日は最高に楽しかったね。あの後、………』

「いや、お前かよっ!」

 麻美のメールにツッコミを入れながら野菜入りのオムレツを頬張る。

 それから部屋の掃除をしだして、夕食の買い出しと準備をし、数時間が経ち、当初の目的も忘れて古いジグソーパズルが四分の一くらい完成したところでメールが返ってきた。

『こんばんは』

『皮肉が効いてていいね、夕食イタリアンにしたから』

『オッケー。今そっちに向かってる』

『早く会いたい』

『セックスする体力ほんとにないからね』

『マジかよ、余力なくなるまでとか若過ぎ』


「何はともあれ、乾杯からかな」

「お疲れさまからよ」

 俺たちは缶ビールのプルトップを同時に空けて軽く見つめ合う。今年のクリスマスプレゼントが何だったかひと目で気付いて、苦笑する俺。

「なに?」

「なんでもない。似合ってるよ、その指輪」

「反省会、する気ある?」

「ないよ。少なくとも俺はパーフェクトだった」

「アサミちゃんは」

「何見せても、綺麗…、ばっかり。ウケるよね」

「まあそういう年頃だから」

「プレゼントにネックレスあげたら泣いちゃってさ。指輪ってそんなに大切?」

「分かりやすさって重要だと思うけどな」

 しまった、話しのネタがないな。

 どう見ても沙耶香が乗り気じゃないのは明白で、でもせっかく買ったプレゼントの手前、なんとかしなきゃいけない場面だった。俺は鶏の香草焼きの皮でベトついた手を拭って神頼みする。

「沙耶香、セットカウント1対2で負け越してて、16―18の場面。お前ならどうする」

「サービスエースかブロックに賭ける」

「惜しいな、サービスエースを取る、が正解」

「どうやって」

「それがエースの仕事なんだよ」

「それで?」

 俺は無言で立ち上がって、部屋の明かりを消す。

 ズボンの後ろポケットに忍ばせていた小瓶を取り出して、沙耶香の後ろに回る。

「今、後ろにいる」

「うん」

「火をつけて、って言ったらライター点火してくれる?」

「オッケー」

「3、2、1、火をつけて」

 ジ、シボッ。

 沙耶香の安いジッポが音をたてながら点火される。

 薄明かりに照らされた沙耶香のシルエットを後ろからそっと抱きしめて、No.4711の小瓶の蓋を取り、テーブルの上に置く。

「メリークリスマス、沙耶香」

「メリークリスマス、伊勢」

「俺の勝ちかな」

「参りました」

 沙耶香がジッポの火を消す。

「愛してるよ」

「私もよ」

 何も見えない真っ暗な視界の中、ぼんやりと浮かぶ炎の残像と沙耶香の輪郭、触れ合う頬と頬、そこから伝わる二つの鼓動が徐々に加速する魔法を、俺たちは知っている。

 沙耶香の限界を超えないように後ろからキスをして、細身の身体に合った手ごろな胸を服の上からまさぐる。小さく声を上げる彼女を無視してテーブルの上に押し付ける。倒れた小瓶からシトラスが薫る。零れだした香水が沙耶香の服と俺の長袖の裾に染みる。手探りでそれを立てながら空いた片手で彼女のズボンのジッパーを下げた。

「ベッドいこう」

 沙耶香が躊躇った隙に抱き上げて、お姫様だっこしながら自分の部屋に入る。

「伊勢、ちょっと強引すぎ」

「そこがウリなもんで」

 電気スタンドの小さな明かりの中、彼女の服を脱がせて、暖房のタイマーを入れる。

「寒いよ」

「演出が?」

「この部屋が」

 人肌で暖め合いながら俺たちはシーツの中で戯れる。

 沙耶香の長い睫毛を愛撫しながらシトラスと彼女の匂いを吸い込んだ。胸からへそ、へそから腿の付け根、されるがまま暖気されていた彼女の左手が始めて俺のペニスに触れる。

「やんちゃね、伊勢のここ」

「おかげさまで」

 お互いに何かを投影し合うみたいにキスをして。

 暖めきった身体が汗ばんでくる頃に一度目の射精して、やっとゴーサインが出る。

「入れて」

 慣れてしまった冷めた気持ちで入った彼女の中で、俺はただ快楽を、彼女は別の何かを求めながら彷徨って、射精感をさんざん焦らし続け、それが射精になった瞬間に、また俺たちは一人に還る。

 荒くなった呼吸でキスをして、彼女の性器を拭って一息つくと、沙耶香はバスルームに向かいながら、五分待って、と言った。


 何も考えずにぼーっと待っていると急に部屋の明かりがついて、俺のバスタオルで体を隠した彼女が小さめの紙袋から三枚のCDを取り出した。

「メリークリスマス」

「ありがとう」

「こちらこそ。CD、かけていい?」

「もちろん」

 沙耶香は無言で古くなったコンポにCDをセットすると、俺の椅子に座ってこっちを見つめてくる。

「なあ、タバコ吸いたいんだけど」

「ダメ。ちょっと聴いてて」

 オープニングに、まず意表をつかれた。明るい弦楽器からすぐにテクノっぽいアップテンポになって、明るさを残したままAメロが始まる。リズムと詩のコネクトが感じ良くて、歌になっていた。

「悪くないね」

「でしょ、ジャケ買いしたら実は結構メジャーで驚いた」

「新品?」

「まさか」

「他の二枚は」

「この歌手のカバーアルバムと、私のお気に入りの一枚」

「お気に入りをかけてよ」

「それは私が帰ってから」

「じゃあカバーの方で」

「シャワー浴びて一服してから」

「わかった、もう一本飲む?」

「何があるの」

「カクテルが数本」

「半分こしよっか」

 俺は顎でキッチンを指すと先に立って浴室に向かった。

 この曲、ピアノで弾いたら結構ありだな、なんて思いながら。

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