捺印 1/6


 大きくあくびをしながら毛布に包まっていると右の頬が痛くなっていて、のそのそと体の向きを変えるとモニターに張りついた小さな飛行機マークがエカテリンブルグ上空を過ぎた事を示していた。

 長い、退屈だ、死にそうだ。

 快適な空の旅はとっくに苦行の態へと様変わりしていて、ANAとコードシャアしたアリタリア航空のフライトアテンダントは冷たく「酒飲んじゃダメよ」って意味の英語を丁寧に繰り返すだけだ。

 何度も違う客室乗務員さまとやらにおねだりするのだが、どうして分かったのか俺が未成年である事はすでに知れ渡っているらしく、いくら媚びてみても今ではもう愛想笑いすらしてもらえない。

「スチュワーデス強姦物語、なんつってね」

 小さく呟いてまた溜息をつくと、乱暴に肩を叩かれて俺は迷惑そうに眉をひそめた。

「なにバカなこと言ってんのよ。もらってきてあげたからさっさと飲んじゃいなさい」

 神はいた。そう思ってそのご尊顔を拝謁したときには、俺のネガティブな思考もあっという間に吹き飛んでいた。

 声の印象よりも十センチは上に、両手に収まってしまうほど小さな顔があった。170センチにはわずかに満たないだろうか。額で分けた細い黒髪がふわりと流れて形のいい耳と首筋を覗かせ、褪せたグレーのタートルバルーンセーターの襟にかかる。

「あんた、撲殺された羊みたいな顔になってるよ」

 そう言って、その人はプラスチックのコップを俺の手に押しつけてくるりと後ろの方へ行ってしまう。ターンしたときに香った香水が鼻腔をかすめて俺の体は意思に反してぴくりとも動かない。

 からだ、動け!

「ねぇ、ちょっと待ってよ」

 絡みつく毛布を引っぺがして何とか座席から立ち上がると、その人は歩きかけた姿勢のまま立ち止まって首だけをこちらに傾げた。急いで駆け寄るとコップの中身が半分くらい寝ていた外人のおばさんにかかってしまった。おばさんは、フゥーンと切なげな吐息を漏らす。

「なに、わざわざお礼でも言いにきたの」

「ああ、えっと、それはもちろんあるんだけど。よく顔を見せて」

「羊ってのは、訂正するわ」

 彼女はそう言いながらも両手で髪を分け直して俺の方に向き直った。

 化粧っけのないつやつやとした肌、小さな唇を真横に結んで、胡散臭そうに俺を見る目は細めていても大きく、奥が透けて見えそうなほど淡い色の瞳に精気も何もかも奪われてしまいそうだった。

「おねいさん、すごく綺麗だ」

「そう、あんたいくつ」

「いくつに見える」

「別にいくつでもいいんだけど」

「冷たいな。十七歳だよ、甘酸っぱい果実さ」

「熟れてから出直しておいで」

 その人が今にも去っていきそうになるのを手首をつかんで止めると、彼女は汚物でも見るような目でこちらを見た。

「ねえ待ってってば、行き先はミラノ、ローマ、フィレンツェ、それともシチリア辺りまで行っちゃうとか」

「残念。ミラノ経由でプラハまで。高校生らしくイタリアサッカーでも見て帰んなさい」

「ほんと? 奇遇だな。俺もウィーンまで行くんだ、お隣さんだよ。ねえ、名前を教えてよ」

「あのさ、別にそんなつもりで親切にした訳じゃないから。ほんといい加減にしないとけっ飛ばすわよ」

 こんな人にけっ飛ばされるなら俺は羊になったっていい。

「ごめん、なさい」睨まれたから急いで、なさい、をつけ足した。「調子に乗っていたのは事実だけど別に軽い気持ちじゃない。少しだけ俺に時間を使ってほしい」

 しつこいガキだと思って観念したのか、彼女は「じゃあ一分だけ」と言って腕時計を取り外した。光を落とした機内で数秒の沈黙が続く。

「よーいスタート」

「仕事は何やってるの」

「パックツアーの添乗員」

「今回も仕事でプラハに」

「そうよ」

「もしかしてハーフなの」

「純和製」

「ほんとに、奇跡だ」

「どうも」

「じゃあその瞳はカラコンとか」

「違うわ、母親譲りよ」

「えーっと、えー」

「二十秒経過」

「キスがしたい」

「ダメに決まってんでしょ」

 何言ってんだ、自分。

「えーと、東レとNECどっちが好き」

「なにそれ」

「バレーボール」

「興味ないわ」

「そっか、ならお気に入りの香水は」

「No.4711」

「なにそれ、呪文?」

「そういう名前なの」

「あっ、なんか聞いたことあるかも。あれか、結構昔のやつでしょ。あのアレキサンダーがどうとか」

「ナポレオンよ」

「ああ、そんな感じだったかな。この香りがそうなの」

「そうよ、アクアミラビリス、ってやつね」

「どこに売ってるの」

「自分で探しなさい」

 審判、タイムアウトって言ってんだろ!

「うーん、アレキサンダーとナポレオン、どっちが好き」

「その質問、意味あんの」

「あんまないかも」

「残り十秒」

「集中力限界突破」

「は?」

「いや、こっちの話しなんだけど」

「3、2、1」

「そうだ、その靴。その靴、とても似合ってるよね」

 カウントダウンに思わず俯いた俺はその黒いフラットシューズが目に入って、最後に何とも間の抜けた事を言ってしまった。褒めるんならもっと他にあったろう、眉だとか耳だとか足だとか。

 恐る恐る顔を上げてみると彼女はほっそりとした指先で俺の二の腕に触れて意外にもにっこりと笑ってくれた。

「質問される側も結構相手のことが見えてくるものなのね。適当に言ったんだろうけど、最後のはなかなか嬉しかったよ」

「その靴に何か思い入れが」

「時間外労働には残業代を」

「さすが、働く女はしっかりしてる」

 でもね、そう言って彼女はその手を離した。けれど目だけはまだ笑ったままで。

「最初の質問には答えてあげる。名前はカイバラミヅキ。少年の名前は」

伊勢裕也いせゆうや。別名、青いグーズベリーだ」

「あっそう。おやすみ、グーズベリー」

「ねえ」

「しつこいわよ」

 振り向いた彼女を引き寄せて、素早くおでことほっぺにチューをする。

「あんた、ねぇ」

「三ヶ月枕で練習した秘技、二連チューです」

 何故か急に敬語。

 ヒマそうでうらやましいわ、そう言ってあっさり去っていく後姿もむちゃくちゃ格好いい。

「燃えるよ、ミヅキさん」

 相手にされないチャレンジャーの高揚感に踊りだしそうになりながら忘れていたコップに口をつけると、濃い琥珀色のスコッチウィスキーがくらくらさせる薫りと共に喉を流れ落ちた。


 ミラノの空港でミヅキさんをツケていたら、それまでてきぱきと旅行客相手に説明していた彼女の眉がぴくんと上がって、公衆の面前で蹴りを食らってあえなく俺は追跡を諦めた。

 ふて腐れてトイレで煙草を吸っていると何故かウィウィとアラームが鳴って、怖そうなイタリアの空港警備員が俺を別室へといざなった。


「と、まあなんやかんやとありまして」

「まごう事なきバカだな、お前は」

「ああミヅキさん、あなたはなぜミヅキさんなの」

「ジュリエってんじゃねーよ」

「思い出に浸りたい年頃なのに」

「アホか、十年早いわ」

 それにしても。あぁ、なんて空が広いんだ。

 ザルツカンマーグートの青は、突き抜けるほど蒼く、鮮烈だった。

 サマーコートとコーデュロイパンツで防寒した体は冷たい風にも汗ばむほどで壮麗な湖面には雲と太陽が美しく漂っている。

「それにしてもよく晴れたわね。今年は変な気候なの、先週はすごく寒かったのに」

 日本を出る前に、凍えそうなほど寒くて憂鬱な夏空、とメールに書いた耕司こうじの言葉を信じていた俺がコートを脱ぐと、その双子の妹のアンちゃんはそう言って身震いする真似をした。

「確かに。この程度の気温なら全裸のババアを放置しといても何日か持ちそうだ」

「何言ってるのよ、それでも夜はすごく冷え込むんだから」

 生真面目にズレた事を言うアンちゃんに呆れて耕司を見ると、彼はにやっと笑って小さく右目をつむった。

 中学の途中で、親の都合でオーストリアに行く事になった耕司たちとはもう十年来の付き合いだ。

 去年の夏は耕司たちが帰国してきて、今年の夏は俺がオーストリアに行く事になっていた。

 その彼が湖畔に向けていた小さなカメラをこっちに放ってきて、俺も何回かシャッターを切ってみる。一通り空と水のコントラストをフィルムに収めると二人に向けて「ピース」と言った。二人がポーズをとる前に、一人きりでぼんやりと湖面を見つめていたアジア系の女の子にレンズを向けると、ぷいっとそっぽを向かれてしまった。

 耕司が笑って肩を叩く。

「相変わらずだよな。裕也、最近学校はどうなんだ」

「普通だよ。飛行機よりも退屈でゲームよりは楽しい。家では母さんの形見のピアノばっかり弾いてるよ」

「そう言えば裕也のお母さんってピアノの先生やってたわよね。沙耶香がすっごく懐いてたのを思い出すな」

「なんだ、ゲームはやってないのか。せっかくぷよぷよで対戦しようと思っていたのに」

「私も上手になったのよ。でもたまに耕司も負けてくれたりするの」

「のろけはいいっての」

「そう?」

 残念そうなアンちゃんを尻目に耕司が問いかけてくる。

「明日はどうする、市内に戻って観光でもするか」

「それもありかな」

「そうしましょう、シェーンブルンとかどうかしら」

「なに、ラブホの名前?」

「お前、そんな事も知らずに来たのか」

 呆れたように鼻を鳴らした耕司が溜息をついて俺の肩に手を回す。


 俺は親友に肩を抱かれて、アンちゃんのおっぱいをちらっと盗み見て、それもいいかなんて思いながら少し肌寒い日差しの中で息をして、麻美や他の何人かの女の子とのセックスを想像したり、雑誌やネットでしか見たことのない西洋人の体とくらべつつ、努めてバレーのことは考えないように眠たそうなフリを演じて、やっぱりどこかほっとするような、手のひらの奥がきゅっと震える、ザルツカンマーグートの青は、突き抜けるほど蒼く、鮮烈だった。


「あうふびーだーぜいえん」

 チケットを受け取り、慣れないドイツ語でそう言って微笑むと「ユアウェルカム」と流暢な英語で返された。

 どうも馬鹿にされている。

 シェーンブルンの受付にいた小生意気そうな金髪眼鏡美人は東洋人のおのぼりさんに興味などございますまい、といった表情で鼻筋を上向ける。

「俺は強気な女も大好きだ」

 日本語で捨てゼリフを吐いてゲートを抜けると、そこに耕司たちが待っていた。

「上手くいったか」

「あの美人は美術館で痰を吐く中国人が嫌いなタチらしい」

「気にするな、日本の認知度が低いのは何もお前のせいじゃないからな」

 ただ、さっきのは「さよなら」って意味だ、言うならダンケシェーンだぞ。そう言って耕司は笑う。低いが良く通る声で笑う彼と並んで歩いていると、昨日までの不思議な感動さえも忘れて石畳を叩く足取りまでもが軽くなる。


 シェーンブルン宮殿は、国立オペラ座と並んでウィーンの象徴のような存在だ。マリアテレジアイエローと呼ばれる外壁は、黄色と言うよりは淡いレモンイエローと黄土色が混じった、上質なスキンクリームのように落ち着いた雰囲気を醸し出している。総じて木立と歴史的建築物の多いこの街の中にあってさえ、その存在感は見る者に深い溜息と感嘆を与える。

 旧市街地を取り囲むように円を描くリンク通りに沿って走る路線バスや地下鉄をふんだんに使って午前中の観光名所を回ってみたが、ヨハンシュトラゥス像前にいた日本人留学生の女の子たちに声をかけて、バイオリンケースを肩にかけてうきうきとした顔をするその子たちと写真を撮ったこと以外は全戦全敗だった。

「ワールドデビューはまだまだ先だな」そう言って耕司がお手上げの格好をする。

 もちろん、あくまでナンパはおまけみたいなもので、俺はこれ見よがしな馬車や観光客とカップルで賑わう建築物や銅像よりも、秋初めの賑わいに頬を染めて街を歩く人々を眺め、そこに流れる空気の静謐さに目を閉じ、やっぱり外人女性たちに専らの興味を示していた。

 けれど、シェーンブルンは圧倒的な高潔さでただ、そこにあった。


 二人はガイドさんのように詳しく館内を案内してくれる。

 きっと休日に何度もここを訪れたのだろう。

 部屋ごとに設置された暖炉の形の意味、「会議は踊る」で有名な大広間がいかに美麗で壮大であるか、幼いモーツァルトがマリー・アントワネットに求婚したという逸話、王室から逃れるために旅を続けた晩年のシシィの恋と、その唐突な悲劇。だけど俺はそんな歴史やうんちくなんかよりもその物の輝きに胸を震わせ、そこにある存在感やエネルギーなんかに感性を響かせたかったんだけど。

 ドイツ系の堅牢な観光客に混じってのんびりと館内を回り、カメラのフラッシュをたいたり入ってはいけない部屋に入ろうとして係員と激しく口論する中国人から逃げるように通路を抜けると、目にも鮮やかな広大な庭園にたどり着いた。

 そのどこまでも続く砂利道と、それよりも淑やかな夏の花々との間をひたすらに進んでいくと、途中にシェーンブルンの名の元となった泉があって、その更に奥の丘にある凱旋門、グロリエッテから宮殿を眺める。

「どうだ、裕也。素晴らしい眺めだろう」

 両手を高く広げて、あの宮殿は自分の物だと言わんばかりに彼は軽く息を吐いた。ちょっとオーバーアクション気味のその姿は、道端で見かけた盲目のソリストが歌う様に似ていて、つくづくウィーンは芸術の街なんだと思わされる。

 春も、夏も、秋も、冬も。

 季節によって変化し続けるこの街をもっと見ていたいと思った。

「確かにね。吸い込まれるような、圧倒されて押し潰されるような、不思議なかんじ。もちろんこんなに広い庭園も宮殿も立派だとは思うけど、それ以上になんかこう、この場所には『こう在りたい』みたいな強い意志を感じるよ」

「裕也はロマンティストね、モテる理由、少し分かる気がするわ」

「杏、こいつだけはやめとけ、底なしのパーだから」

 耕司の頬を軽く指で弾いて、俺は彼女の明るい巻き毛に触れる。

「アンちゃん、大人っぽくなったよね。カレシとかできたの」

「まさか、耕司より良い男の人なんていないもの」

「ここに一人いるんだけどな」

「顔は、だろ」

「うるさいな。アンちゃんには、そうだな。少し年上で穏やかな男が似合うんじゃないかな」

「そう、なのかしら」

「真面目な話し、日本の学生なんてアホばっかりだからさ、帰ってきたら大変だぞ、恋人探し」

「まあ杏にもいつかは恋人が出来るだろうしな。裕也は人を見る目はまあある方だから話し半分に聞いてやれ」

「そう言うこと」

「恋人とか、考えた事もないわ。それっていると何か良い事でもあるの」

「セックスし放題」

「おい、やめろよ」

 芸術の都で、いつの間にか猥談な俺。

「それは、私にはまだ分からないけれど…。他には」

「ん、デートとか、あー、何だろう」

「デートは耕司とできるもの」

「いや、あれだよ。一緒にいて幸せーとか、安らぐーとか」

「それも耕司といれば平気よ」

 明るい色したセミロングの髪と八重歯がキュートな陽性な顔で、実は案外根暗なアンちゃんは結構頑固なとこがある。

「じゃあそうだな、んー」

「何話してるんだか、入場口にいるからな」

 耕司は付き合いきれないとでも言うように先に立って石段を降りていき、アンちゃんもその後に続く。

 残された俺は階段の縁に腰かけて、なんとなく戸惑っていた。


 三人で取る夕食を、夜のウィーンのホイリゲは陽気なメロディで満たしてくれた。

 ホイリゲってのはまあ言ってみればウィーンの居酒屋みたいなもので、店の裏庭で採れたぶどうやマスカットで作った自家製らしいワインを出してくれて、渋みの柔らかさとほのかに甘い香りは赤白に関係なくどちらも美味しかった。

 軽音楽がヴァイオリンとアコーディオンとギターのアンサンブルで奏でられ、踊り子さんたちがステップを踏むのを眺めながら俺たちは思い出話や共通の友だちでもある沙耶香の近況報告なんかにも飽きてきて、またさっきの続きを話していた。

「だからさぁ、一人っ子の俺が言うのもなんだけど、兄妹で楽しいのと恋人といて楽しいのとではまた少し違う訳よ」

 俺は少し酔っていて、幾分適当な口調になりながらアンちゃんに絡む。

「だからどう違うのか聞いているのに裕也は答えられないじゃない」

「だから兄妹とはセックスしちゃいけないんだってーの」

「裕也、その言葉は英語だから周りの人に意味通じちまうぞ」

「別にいいし、おねいさーん、こっち向いて」

 俺は踊り子さんに投げキッスと流し目を送る。

 彼女はガン無視でステップを刻む。

「ダメだこいつ、もうあっち側にいるわ」

「セックスってそんなに良いものなの」

「良い!」

「どう?」

「とても気持ちがいーんです」

「バカだ、底なしのバカだ」

「それは分かったわ、でもじゃあ恋人といるのはそれがしたいからだけなの」

「ぶっちゃけ」

「最低」

「って言うのは半分冗談で、なんだろ、うきうきしたりドキドキしたりムラムラしたり。わっかんないかなあ、これ」

「なあ、一回そこから離れて杏を納得させてやってくれ」

「わーったよ、あのね、アンちゃん。良いものはいい、作ればわかる」

「説得って言うより駄々っ子になってるわよ」

「あーもー、じゃあさ、ラブロマンスの映画とか見ててアンちゃんは何も感じたりしないの」

「そういう訳じゃないけれど、いまいちピンとこないって言うか。実際に自分が誰かとそうなっているのって想像できないって言うのかしら。言い方は悪いけれど所詮は虚構でしょう」

「うーん、確かにね。じゃあさ、素敵だなって思う人もいない?」

「それは別。例えば裕也は昔から格好良いと思うわ。でもそれが愛しているにはならないわよね」

「まあ、そうだよな。俺だっていい女とは仲良くしたいし、抱きたいと思う時もたまにはある。でもそれは性欲だとか憧れだとかそう言う類のものだろう」

「愛ってなに」

「お前が聞くな!」

 耕司のツッコミを受けながら俺はどうしようもなく追い込まれていた。

 話せば話すほど、俺の恋愛は性欲でしかなく、誰かを愛す事なんて誰にもできないんじゃないかとすら思えてくる。

「こうなったら、教えて、異国のおねいさん。ほら、通訳通訳」

 仕方ない、と言った表情で店の店員さんを呼んで何事か話しかけている耕司たち。

 時々こっちを見て失笑する三人の視線を浴びながら待っていると耕司が口を開く。

「彼女が言うにはだ、抱きしめてキスをして、愛してると言葉交し合えばそれは愛なんだそうだ」

 彼女を見やると、軽くウィンクしつつ俺の肩をたたいて、微かな笑みを浮かべている。結構可愛いな、この子。

「耕司、こう言って。『それが最近空しい時はどうしたらいい』って」

「裕也?」

「いや、やっぱいいや。このあと時間あるかどうか聞いて」

「聞けるか!」


 賑やかなホイリゲ。

 色とりどりの木葉のような衣装を纏う踊り子たち。

 咲いて乱れるように舞って移ろい行く時間。

 例えそれが晩夏のウィーンの景色が見せる、一瞬の幻だとしても。

 人生を謳歌するウィーンっ子のように。

 丁寧に、ぶっきらぼうに。

 誰かに触れてみたいと思った。

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