シッカリするから

 俺達は自分のアパートの部屋へと帰ってきた。

 俺はショッピングモールでキャンドルを買ったのはいいのだが、ライターが無い事に帰ってきてから気が付き、仕方なくガスコンロでキャンドルに火を灯す。

 俺は二本のキャンドルを手に持ち、それをちゃぶ台の上に置いて、電気を消し、千香とは少し離れた所に、腰を下ろした。

 千香はと言うと、先程ショッピングモール内のスーパーで買ったチキンとサラダをパックに入ったままちゃぶ台の上に並べ、何故か正座をしながら、姿勢正しく座っていた。

 千香は今、真剣な表情で、料理を見つめている。キャンドルの火に照らされた千香の顔は、なんだかいつもと違う雰囲気に見えた。

 今、何を思っているんだろうな……何を感じているんだろうな……普段はお喋りな千香が、今は全然喋ろうとしないので、違和感が半端ではない。

「な……なぁ」

 俺がそう言うと、千香は俺の顔をチラッと見つめ、微笑んだ。

 笑っているのでは無く、微笑んでいる……凄く珍しい光景を見てしまったような気がする。

「あっ……あれだ……あの、電子レンジ……カレー温めるために買ったやつ、あるからさ……それで肉とか、温めようぜ」

「うん。あっ……ごめんね、私がやっておけば良かったんだよね、ごめん……」

 千香は慌てて立ち上がり、チキンの入ったパックを手に取ろうと手を伸ばす。

 なんだろう……そんな事をさせてはいけないと、俺の中の何かが、言っているような気がする。

 座っていて欲しい……ゆっくりしていて欲しい……動かないで欲しい……千香はお客さんなんだから、今この場に居る限り、世話の全てを、俺がしてあげたくなる。

 こんな事を思うのは、初めてだ。生涯、初めて。

「いい……俺がやる」

「あ……うん、お願い」

 俺は千香がチキンのパックを手に取るよりも早くそれを手に取り、スッと立ち上がり、台所へと向かった。

 チキンを皿へと移し、電子レンジと一緒に購入したラップを巻き、電子レンジへと放り込み、つまみをひねる。ブゥンという音を立てて、中がオレンジ色になり、皿が回転した。

「さ……三分くらいで、いいか? いいよな……三分で」

「うん、いいと思うよ」

 ……なんだか千香のしゃべり方が移ってしまったような気がする……しかし、朝から晩まで、毎日一緒に居るんだ、影響されない訳がない。

 千香は帰って寝てる時以外は、いつもここに居て、いつも一緒に、居てくれる……そういえば千香が来るようになってから一度だって、寂しいと感じた事は無い。全然、寂しくない。千香は、俺から寂しさを、奪っていってくれたんだろう。

 いつか、返される時が来るのだろうか……嫌だな……それはもう、要らない……。

 千香と、離れたくない……これからもずっと、一緒に居たい……。

 ……好きなのだろうか、千香の事が、俺は……。

 しかし、俺にとって彩子は、どうなんだ? 彩子は……。

 俺は、彩子を追いかけるために、大学に入学しようとしていた。新しい彼氏が出来たと聞いても、それでも大学に入れば、俺の事を見なおしてくれて、また付き合えるかも知れないと思い続け、寂しい毎日を送りながらも、歯を食いしばり、遊ぶ事を忘れ、人と疎遠になり、頑張ってきた。

 どんどんと自分が暗くなっていくのを感じていたが、一縷の望みに全てを託して頑張った。

 しかし今は……どうなんだ? 彩子のためなのか?

 確かに彩子は、可愛い。それに加えて雰囲気が柔らかくなっており、より魅力的になっていた。正直、病室で彩子を見つけた時、完璧に心を奪われてしまっていた。人生初の告白まで、してしまうほどに、今の彩子は……素晴らしい。そこに異論は、全く無い。

 だけど……彩子は今、礼奈と……。

「……ああぁぁっ……!」

 俺は思わず、小さな声で叫んでしまった。

 自分の汚さ、醜さ、醜悪さに、殺意すらが湧く。

「えっ? えっ? ま……松本君……? どうしたの? 私またなんかした……?」

「……いや、すまん、すまん……違う、なんでもない」

 俺は千香のほうをチラッとだけ見て、謝り、再び電子レンジ内のチキンへと視線を移す。

 俺は今、何を考えた……? 彩子と礼奈が付き合っているから、仕方なく千香と付き合うとか、妥協で付き合うとか、そんな……そんな事を考えたのか……?

 そんな失礼な事、良くもまぁ思いつくものだ、この腐った頭は。

 魂が汚れている。濁っている。腐っている。

 千香は千香で、素晴らしい人間だ。千香は、毎日毎日、自分になんの得が無いと言うのに、ただ俺を大学に合格させるためだけに、足を運んでくれているんだ。右手の裏側を黒鉛で真っ黒にしながら、膨大な量の千香特製問題を作ってくれる。料理だって、一度だけだが、本当に本当に美味しいものを作ってくれた。

 そんな、神様みたいな人間に対して、良くもまぁ、俺は、偉そうに、上から……。

 それに、仮に千香へと告白するにしても、それは今では無い。もっともっと、特別な日が、この先に待っている。

 大学に合格し、千香の苦労の全てを有意義だった事にした上での、告白。

 その時までには、俺の心境にも、変化が起きている筈。答えが出ている筈。

 彩子が好きなのか、千香が好きなのか。ハッキリしている筈だ。

 だから今日は、性交渉とか、そういう事は、しない。とてもじゃないが、出来ない。

 俺は千香に見られないよう、背中を向け、ポケットへと手を突っ込み、彩子から貰ったクリスマスプレゼントを掴み、反対側のポケットに入っている財布を取り出し、その中へと入れた。

 これを使う時は、来るのだろうか。

「松本君……寂しいの……? なんだか、寂しそうに、見えるよ」

 千香は震える声で、俺に話しかけてきた。

 心配、かけているんだろうな……申し訳ない……。

「……いや、寂しくない」

「ホント……? 嘘ついてない? わ……私邪魔じゃない?」

「なんでっ……そんな事言うんだっ……」

 なんだ……なんでだ……。

 涙が、流れそうになる。

「え? あ、だって、なんか松本君、イライラしてるようにも、見えて……私邪魔かなって。寂しくてイライラしてたら、辛いだろうなって、思うんだよ……あ、そうだ、辛そうに、見えるんだよ」

「……辛くない」

 俺がそう言うと、電子レンジはチンという音を立てる。その音に思わず反応し、電子レンジのほうへと顔を向けると、俺の目から涙がポロポロっと落ちた。

「……松本君? 何かあったなら、話してよ……そんな姿の松本君、見てるの辛いよ」

 千香には、死んでも話せない。絶対に、話せない。

「……なんでも無い。本当になんでも無い」

「なっ……なんでも無いように見えないって言ってるんだよっ……! 絶対になんでも無くないよっ! 私って頼りない? 私って、そんなに話しにくい……? さっ……彩子さんの事で、悩んでるんでしょ? 大体分かるよっ……今ここに彩子さん居な」

「違うっ! そんな訳ねぇだろが!」

 俺は思わず大きな声を出した。

 心の中が、ザワつく。ザワつく。

 コイツを、千香を、傷つけてはいけない。

 コイツは、千香は、守らなくてはいけない。

 俺は思わず千香へと近づき、千香の頭を抱きしめた。

 こんな事、していいのか、分からないが……抱きしめずには、いられなかった。

「寂しい訳ねぇじゃねぇか……千香が居るんだから……お前が居てくれると、寂しいと思う暇さえ無い」

 涙が、溢れる……溢れる……。

「……千香……千香、困らせてすまん……心配させてすまん……傷付かないでくれ……辛い思いをしないでくれ……俺なんかの事で、悩まないでくれっ……」

「あ……あわわっ……わわわっ……だっ……だけど……心配……」

「……俺、シッカリするから。千香が心配しないくらいに、シッカリするから……」

「わ……わかったけろ……けろ」

 けろけろ……?

 けろけろってなんだ?

「け……けろけろ?」

「……けろけろは……なんか、思いついたの……わけ分からない事言って、ごめん……私も訳わかんない……訳わかんなくなってるの……」

 訳分からなくなっているのは、お互い様か……。

「ふっ」

 俺は思わず、笑ってしまった。

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