体にめり込む体

 彩子さんが帰ってしまった後、私と松本君の間には、変な空気が流れている。

 なんだかまた、何を話せばいいのかが分からない。何を話しても場違いのように感じてしまう。


 私はゲームセンターで松本君に取ってもらった大きなウサギのぬいぐるみを、ゲームセンターで貰った大きな袋の中へと入れ、腕から吊り下げるように持ちながら、松本君と一緒にショッピングモールの中を、ウロウロと彷徨っている。

 特に宛が無いのであれば、そろそろ帰って、勉強をすればいいのに。とは思うのだが、それすらもなんだか言い出せない。

 何なんだろうな……勉強をしている時は、あんなにズバズバと色々な事が言えると言うのに。あの時と今とで、何が違うと言うのだろう。

「……千香は」

 松本君は、ショッピングモール内に流れるBGMや、賑やかな人の話し声に掻き消される寸前の声で、隣を歩く私へと話しかけてきた。

「えっ? 松本君、何か言った?」

「……千香は、俺と歩いてて、嫌じゃないのか?」

「へっ? な……なんで? 嫌な訳ないよ」

 一体、何が嫌だと言うのだろうか。歩くペースも普通だし、松本君が歩けば自然と人が避けてくれる。

 敢えて嫌な所を挙げるとすれば、会話が無い事くらいだが、松本君が何を意図して、その質問を投げかけて来ているのかが、分からない。

「俺とって言うかよ、男とって言うか……男と二人でって、言うか……」

「……あっ!」

 そう言われて、ようやく気付く。

 ショッピングモール内にはカップルが多く、誰もがニコニコと笑い、手を繋いだり腕を組んだりして歩いている。

 きっと、そういう事なんじゃないかな、と、推察した。

 ……カップルに、見えるのかな、私達も。そうだったら……申し訳ない。

「べべべ別に! むしろ私のほうがだよ! 私なんかと並んで歩いてて、松本君恥ずかしくない? 嫌だもうこんな格好で……あの服着て来れば良かった……デブに見えるよね……デブだけど」

「……千香は、デブじゃない」

 松本君はそう言い終ると、私の目をチラッと見て、その後に、私の全身へと視線を移した。

 ……なんだか、こんなにマジマジと見られると、恥ずかしい……やはりこんな格好で来るんじゃなかった。今直ぐ着替えたいが、服を買うお金なんて無い。この間の眼鏡と服とで、今まで貯めていたお小遣いのほとんどが、無くなってしまった。

「……け……けんこう……びだと、思うぞ」

 けんこうび……? 健康び……。

 健康美……?

「けけけっ……健康美っ? 健康美ってっ!」

 私は思わず大きな声を上げてしまった。

 それと同時に、私は体の動かし方を忘れてしまい、足元がフラフラとしてしまう。

 足を前に出す方法が分からない。鼻呼吸の仕方が分からない。当たり前のようにやってきていた事なのに、何故、出来ない。

「危ない……千香、前を向け」

「あ……あわわっ……美なんて無いよ無いっ! 健康だけど、美じゃないよっ! そもそも健康美って何っ? 健康で美しいって意味? えっ美しい? 美しくないよ! 何言ってるの松本君っ!」

 私は自分の腕とは思えない腕をなんとか上げ、自分の前へと突き出し、手をパーにして、ブンブンと横に振った。松本君から貰ったクリスマスプレゼントの入った袋が、カサカサと音を立てて左右に揺れる。

 本当に、松本君は、急に、何を言い出すのだ……美って、なんだ……言われた事が無い、そんな事。

「……いや、まぁ……なんだ……ネガティブに、なるな。自分に自信を持て」

「そんな事言われてもっ! わたわた私、男の人にそんな事言われたの初めてだし! いつも胸の事で馬鹿にされてきたし! また前田さんのシャツのボタンが飛んだーとか、男子にからかわれたし!」

「……お前それは馬鹿にされてないぞ。喜ばっ……」

 松本君は急に私から視線をそらし、反対側を向いてしまった。

 なんだ……なんなんだ……分からない。

「……とにかく、お前は自分で思ってるほど、ブサイクじゃないし、デブでも無い。自信を持て」

 ああああっ……頭が沸騰している……またこの感じだ。頭が何も考えられなくなり、思考が定まらなくなる、この感じ。何を考えているのか、何を思っているのか、自分でも全然分からなくなる、この感じ……。

 心臓が痛い。ドキドキし過ぎて、爆発してしまいそうだ。

「そ……そんな事言われたら……そんな事……」

 私は自分の足だというのに、自分の足として動かす事が出来ず、フラフラと歩いてしまう。なんだか視界も霞んでしまい、松本君の顔もよく見えなくなってきた。

 どうしたっていうんだ、私は……今まで生きてきた中で、こんな事、初めてだ。

「はぅ……はぁぅ……」

「おい……おい、千香っ!」

 松本君が少し大きな声で私の名を呼び、私の手をギュッと掴んだ。そして少し乱暴に、私の腕をグッと引き寄せる。どうやら前から人が来ていたようで、それを躱させるためらしい。

 ああああもう駄目だ。死んでしまう。死んでしまう。心臓が口から出て死んでしまう。

 その場合、死因ってなんなんだろう。何死って呼ばれるのだろう。

「はわああぁぁっ……?」

「危ない……人とぶつかる」

 松本君はそう言い、私の肩を持ち、グッと抱き寄せて、ゆっくりと、ゆっくりと、歩き始めた。

「とにかく、休憩だな……すまん、疲れたんだろ? 人が多いし、歩くペースも早かったな。疲れて当然だ」

「つつっつ、つ」

「ん……?」

「疲れてない……大丈夫だから、このまま、歩こ。このままだよ……」

 何を言っているんだ、私は……自然と言葉が、口から出てくる。

「あ……?」

「肩離しちゃ嫌だよ……このままがいい」

「え? あ……肩……すまん」

 松本君は一瞬、肩を掴む手をビクッと跳ねらせて、ゆっくりと手をどけようとする。

 それに気付いて私は、松本君の手を素早くガッと掴み、私の肩から離さないよう、力を込めた。

「このままがいい」

 私は視界が霞んで良く見えないが、松本君の顔の、目がある所を、ジィッと見つめた。

 眼鏡をしてはいるが、これはほとんど伊達眼鏡。今の視力に合った眼鏡が、欲しい。

「……わ……わかった……あ、あの……あの、スーパーに、行く……」

「何買うの?」

「鳥と……ケーキ」

「わぁ、いいね。クリスマスっぽいね」

 私は両手を合わせて、微笑んだ。

 微笑んでいると、思う。

「そ……そうだろ……彩子に」

 今この時に、なんで他の女の名前が上がるんだ。しかも元彼女。嫌だ、聞きたくない。デリカシーがない。もっと気をつけて欲しい。

「彩子さんの話はやめよ? ね?」

「あ……あ、あぁ……すまん」

「ううん」

 松本君の体に、自分の頭をペトッと、つける。ゲームセンターで見かけたカップルの女性が、そうしていたように、私は持っていたゲームセンターの袋を逆の手に持ち替えて、松本君の腰に、腕を回し、グッと力を込めて、抱き寄せた。

「ち……千香ちょっと……」

「今日だけでいいから、こうしたい。駄目?」

「い……いや……いいけど」

 松本君はそう言うと、うつむきながら黙り込んでしまった。

 なんだろう? 話の続きがきになる。

「けど? けどって接続詞だよ続ける言葉があって、初めて使っていい言葉。最近の若者はそこで会話を止めちゃうよね。駄目だよ。けど、何?」

 松本君は私を抱き寄せる力を、更に込めた。

 私の体が松本君の体にめり込むんじゃないかと思えるほどに、抱き寄せられている。

 あぁ……ドキドキ、ドキドキ……ドキドキが凄い……。

「けど、こういった事、俺も初めてだから……恥ずかしいというより、緊張する……痛かったら、言ってくれ」

「うん。やっさしぃ、松本君」

 私は松本君の顔を見て、心から溢れてくる感情を表すように、満面の笑みを浮かべた。

 松本君も、微笑んでいる。微笑んでいるように、見える。

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