その⑳ そのまま、このまま

 本当にピザを注文してくれた佳代は、ニコニコと笑いながら大きな大きなピザを手に持ち、部屋へと運んでくれた。

 小さな折りたたみ式のテーブルは、ピザを置くと完全に隠れてしまい、L版のピザがどれほど大きいかが、良く分かる。佳代と二人だったら食べ切る自信は無いが、今この場には、礼奈ちゃんが居るのだ。これくらい、余裕で食べてしまうだろう。

 佳代は「ふふぅん」という笑い声を上げながら、ゆっくりとピザの蓋をあけると、ポワァンと、ピザ独特の匂いが部屋に充満し、私達の空腹を更に加速させた。

「すごぉいっ! こんな大きなピザ、初めて見ました! しかもなんだか色々と違う味があるんですね!」

「そうそう。これがカニマヨ味、こっちがプルコギ味。これがノーマルで、これは……謎味」

 佳代はひとつひとつ指をさして説明していたが、どうやら佳代は全部を把握している訳ではなく、最後の味が何なのかが分からない。

 見た所、アンチョビと香草だろうか。シンプルに見えるのだが、癖が強そうだ。好きな人は好きだが、嫌いな人は絶対に食べないだろう。何故そんなものを注文したのか、不思議である。

「ナゾ味? ナゾ味って、ナゾっていう味がある訳じゃないんですよね?」

 礼奈ちゃんがまた、真剣な表情でトンチンカンな事を言い出した。モノを知らないと、こういった事を口走ってしまうのだろう。これからはもっと、色々と教えていかなければいけない。

「これは多分、アンチョビ。ちょっと癖が強いかな。好き嫌いが別れる味」

 私がそう説明すると、礼奈ちゃんは「なるほどぉ」と呟き、ソワソワとお尻を振りはじめた。

 これはトイレがしたい訳ではなく、恐らくお腹が減って、もう我慢出来ないといったサインなんだと思う。佳代もそれに気付き、ニッコリと微笑みながら「さっ、食べよー」と言いながらピザを一切れ、両手で持ち、構えた。

「ほらほら、二人とも、早く持って。ピザでカンパイするよっ!」

「あははっ。ピザでカンパイするんですね。おかしな人ですっ」

 礼奈ちゃんはそう言い、早速ナゾ味を手にとって、佳代と同じように構える。

 私もナゾ味を選んで、構えた。

「えー、僭越ながらわたくし、坂口佳代が、カンパイの音頭を取らせて頂きます。えー、岩本彩子さんとは小学校からの同級生なのですが、友人として付き合うようになったのは中学の二年生の頃でした。えー初めて彼女を間近で見た時、世の中にこんなに可愛らしい娘が居るのかと、衝撃をうけたものです」

「なんで友人代表のスピーチが始まるのよ。カンパイの音頭でしょ。冷めるっつうの」

 私がそう突っ込むと、佳代は突然「カンパーイ!」と叫び、ピザを高らかに掲げる。どうやら私のツッコミを待っていたようだ。

「カンパーイ!」

「カンパーイ!」

 私達はピザを掲げ、お互いのピザをぶつけて、一口食べる。

 やはり、アンチョビと香草だ。かなり強い癖があり、私は好きだが、礼奈ちゃんがちょっと心配だ。私はチラッと、礼奈ちゃんの表情を伺う。

「んっ……? ふぉぉおっ……? なっ……なんですかこれ! 初めて食べる味です!」

 礼奈ちゃんは目をキラキラと輝かせながら、口をモグモグと動かして、ピザをマジマジと見つめている。どうやら大丈夫そうで、安心した。

「おぉー。アンチョビ大丈夫なんだね礼奈ちゃん。そういえば嫌いなものとかあるの?」

 佳代はそう言いながら、自身のピザをもう一口、パクッと食べた。佳代が食べているプルコギ味も、かなり美味しそうに見える。

「嫌いなもの……んーそんな贅沢言ってられませんでしたからねぇ……なんでも食べてました」

 礼奈ちゃんは恥ずかしそうに「あは」と苦笑を浮かべ、また一口ピザを頬張った。

 礼奈ちゃんの一口は大きく、二口目の今で、もう既に一切れの半分が無い。

 家ではちょっと遠慮しているのか、私の食べるペースに合わせてチマチマ食べているのだが、私と佳代の前では、大口を開く事に対する羞恥を、感じる事が無いのだろう。

「あー……そうだよね、ごめんね」

「あははっ。謝らないでください。昔の事を思い出した所で、別にもう辛くもなんとも無いですから」

 礼奈ちゃんはそう言い、ニコッと笑った。

 もし、本当にそうならば、私は礼奈ちゃんの過去、全てを知りたい。

 だけど未だに、話してくれていない事が多いのが、現状。

 飯田の家を追い出され、どういった生き方をしてきたのか。私から聞き出すような事も出来ず、未だに不明のままだ。佳代には、飯田の息子の自殺を目の前で見た事すら、話していない。

 きっと、辛くもなんとも無いっていうのは、方便。本当に辛くないのなら、話せる筈。

 しかし今、聞くような事では無い。今は、楽しい場なのだから。

「礼奈ちゃん口に油つきすぎっ。女の子なんだから綺麗にしてっ」

 私はそう言い、ティッシュを数枚取り、礼奈ちゃんの口元をグイッとぬぐった。

 礼奈ちゃんはニパッと笑い「ありがとぉー彩ねぇ」と、満面の笑みで言っている。

 その笑顔は、どうして作れるのだろうか。どうして今、笑えているのだろうか。暗いよりはよっぽど良いのだが、私が同じことを経験したら、きっと、笑顔を失ったまま。感情を失ったままになっているだろう。

 いつかはちゃんと、聞き出して、みたい。


 佳代はカーペットの上に横になり、少し膨れているお腹をポンポンと叩いた。

「あぁーもうお腹いっぱい……もー入らない」

 その姿を見ていた礼奈ちゃんは、私のようにティッシュを数枚取り出し、佳代の口をグイッと拭き取っている。

 ニコニコと笑っているその笑顔は、とても慈愛に満ちていて、美しい。

「はわっ! ついてた?」

 佳代はそういい、自分の口を手でおさえる。

「ふふ、ちょっとテカテカしてました」

「危ない危ない。テカテカの口で礼奈ちゃんのほっぺにチュー出来ないもんね」

 佳代はにたぁ~と笑い、礼奈ちゃんの顔を見つめていた。

「私にもほっぺにチューしてくれてもいいんだよ」

 私がそう言うと、佳代は「マジでっ!」という声を上げて、体を起こした。

 てっきり「あ、別にいいです」と言ってくるかと思っていたので、驚く。

 なんだか少しずつ、佳代との関係が、変わってきているように、感じる。このまま、変な方向に向かわなければいいのだが……。

「あ……うん。いいよ別に、ほっぺくらい」

「むむぅー……まぁ、佳代ねぇですもんね……仕方ないです。許します」

 礼奈ちゃんはどうやら腕組みをして悩んでいたようで、難しい表情をしながらそう言っていた。まるで娘の結婚を許す時の父親のように見える。

「やったぁっ! じゃあ早速」

 佳代はそう言い、体を起こしながら私の顔へと、自らの唇を近づけてきた。

 口をこれでもかというほどに尖らせ、なんだか少し、怖い。

「うううっ……! やっ……やっぱり駄目ですっ! ごめんなさい佳代ねぇ! 彩ねぇにするくらいなら私にしてください!」

 礼奈ちゃんはやはり耐えられなかったのか、私と佳代の間に入り、佳代の顔をぐいっと払いのけた。

「いいえっ! ここは私に任せるのよっ!」

 そう言いながら私はバッと両腕を広げて、礼奈ちゃんの前に出る。

「駄目ですっ! それだけは嫌なんですっ! だから私にっ!」

「いいのっ! 時には犠牲も必要なのよっ!」

 私と礼奈ちゃんは押し問答し、私に私にと、言い合っていた。

 その姿を見ていた佳代は「なんじゃ犠牲って!」と大きな声を出して、私達に向かって飛びかかってくる。

「ちゅーさせろーっ!」

「いやぁーけだものぉーっ!」

「あははっ。私のほっぺにしてくださいっ」

 佳代は私のほっぺたに唇を近づけてくるが、決して本当にキスをする事は無く、ただ抱き合って、じゃれあっていた。

 このまま。このままの形で、三人、過ごしていきたい。

 そして出来るなら、幸せなこのまま、佳代にも、恋人が出来て欲しいと、願う。

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