その⑫ 優しいという事

 ショッピングモールのトイレから出て、私は礼奈ちゃんが待っているペットショップへと足を運んだ。

 後ろから見た礼奈ちゃんは、トレンチコートのポケットに両手を突っ込み、前かがみになりながら、食い入るように子犬を見ていた。

 どうやら自分とシンパシーを感じる筈の柴犬ではなく、ボストンテリアの子犬を見ているっぽい。ボケーっとしているボストンテリアの子犬を、ボケーっと眺め続けている。

 私には、あの手の犬を愛くるしいと感じる気持ちが分からない。どう考えたって、見た目ではポメラニアンが一番可愛い。しかし飼うなら大型犬がいい。レトリバーがいい。

「なに見てるの?」

 私は礼奈ちゃんの横に立ち話しかけると、礼奈ちゃんはビックリした表情を作り「わっ!」という声をあげた。

 どうやら、相当集中して見ていたらしく、私が横に来た事にも気付いていなかったらしい。

 夢中になるほどの、ものか? ただボケーっと寝転がりながら、こちらをジィーっと見つめているだけなのに。

「さ……彩ねぇ、驚かさないでください」

 礼奈ちゃんは苦笑をして、ポケットから手を出し、私の左手を握った。

「……ごめん。驚くと思ってなかった」

 私がそう言うと、礼奈ちゃんは喉を「んっ」と鳴らし、再びボストンテリアへと視線を移した。

「ほら、あの……パグ?」

「ボストンテリア」

「ボストンテリア、ずっと、こっちを見てるんです」

 確かに、ずぅっと、ジィーっと、礼奈ちゃんの事を見続けている。

「だから、心の中で会話してたんです」

「……あの子は、なんて言ってるの?」

「なんて言ってるかなんて、分かるわけ無いじゃないですか。嫌だなぁ彩ねぇ。私犬っぽいけど犬の言葉、解りませんよ」

 礼奈ちゃんは「あははっ」と笑いながら、私の顔を見つめた。

 ……ん? 私が間違っているのか?

 確かに、その通りだ。何を言っているのかなんて、分かる訳がない。

 しかし私は、礼奈ちゃんが会話をしていたと言ったから、それに乗っかった形なのだが……。

「私はただ、話しかけてただけです。ペットと会話するって、そういうもんじゃないですか?」

「んー……うん、そうなのか……な?」

 私はペットを飼った事が無いので、その辺りの事は、分からない。

 しかし、確かにその通りなのかも。赤ちゃんと会話は出来なくても「おーよしよし。いい娘でちゅねー」とか、言うものだ。赤ちゃんと犬を同列に考えていいものかどうかは、別として。

「いいなー犬……犬っていいですよね」

「犬好きそうだもんね」

 私がそう言うと、礼奈ちゃんは「あは」と笑い、自身の頭を指差した。

「見ため的に?」

「ううん、性格的に。優しい性格してるから、凄く仲良くしてそう」

 私はそう言い、礼奈ちゃんの肩に自分の頭をもたれさせた。

「……全然、優しくないですよ。これからは、優しくあろうと、思いますけど」

 礼奈ちゃんは暗く、小さな声で、そう言った。恐らく、安奈ちゃんの事を、思い出している。

 確かに礼奈ちゃんが安奈ちゃんにしてきた事は、決して優しいと言えるものでは、無い。

 しかしそれでも、礼奈ちゃんは、安奈ちゃんを名乗り、安奈ちゃんと共に、旅をしてきたのだ。それを優しくないだとか、偽善だとか、自己満足だとか、言う事は出来ない。十分、優しい事。

「優しくあろうと思える事が、優しいって事だよ」

「……いえ、違いますよ、やっぱり。優しさは……伝わって、初めて、意味のあるものです」

 やはり、安奈ちゃんに対して優しくしてこなかった事を、後悔しているのだろう。その感情は恐らく、一生消える事は無い。いくら私が慰める言葉を言った所で、その傷を埋める事は出来ない。

 それくらいに、深く、深く、礼奈ちゃんの心に、刻み込まれている。

 確かに、はじめから礼奈ちゃんが、安奈ちゃんに優しく接し、心の支えになっていられれば、安奈ちゃんは、少なくともああいった死に方を、しないで済んだ。それは、変えようのない事実。

 しかし、それが無ければ、今の幸せも私達の絆も、無いって事に、気付いて欲しい。それが無ければ、未だどこか分からない地下の住人だったのかも、知れない事に、気付いて欲しい。

「……きっと、安奈は、本当の優しさを、知らないまま……」

 礼奈ちゃんが、ボストンテリアを見つめながら、ボソリと呟いた。人によっては醜いと感じるあの姿に、安奈ちゃんを重ねているのだろうか……。

 私は礼奈ちゃんの手を、強く握る事しか出来なかった。

 私も、優しくなりたい。もっと、もっと……優しくなりたい。礼奈ちゃんの悲しみの全てを、包み込めるような、優しい人に、なりたい。

 ……確かに、優しくなりたいと思うだけでは、駄目なんだなと、学んだ。


 礼奈ちゃんと二人、黙ってボストンテリアを見ていると、私のスマホがブルブルと震えている事に気付いた。

 私は礼奈ちゃんの顔をチラッと見て、礼奈ちゃんの邪魔をしないようにスマホの画面を見る。

 どうやら、佳代からの返事が届いたらしい。佳代は、生まれつき優しいよな……なんて事を考えながら、メールを開く。

 どうやら仕事が終わったらしく、今から帰る所らしい。佳代の職場から家にたどり着くまで、一時間近く。今から向かったら、多少待つ事になってしまう。

 それなら今のうちに、佳代へのお返しとしてのクリスマスプレゼントを、礼奈ちゃんと一緒に選ぼう。

 優しく、優しく。礼奈ちゃんにだけでは無く、私が好きな人、全員に、優しくしよう。

「礼奈ちゃん、佳代仕事終わって、今から帰るんだって」

「え? それじゃあそろそろ、帰りましょうか」

 礼奈ちゃんは、少し名残惜しそうにボストンテリアの顔をチラッと見た。

 ボストンテリアは未だ、礼奈ちゃんの顔を見つめ続けている。

「まぁ、まだ帰ってくるまでに時間あるからさ。佳代へのお返し、一緒に探そうよ」

 私はそう言いながら、佳代に「お疲れ様。駅で待ち合わせをしよう」という内容のメールを書いた。

「あっ。私そう思って、さっき雑貨屋さんでいいの見つけたんですよ」

 礼奈ちゃんはそう言い、ニコニコと笑いながら私の手を引いた。

 やっぱり、なんだかんだ、礼奈ちゃんは、優しいじゃないか……。

 いい娘だ。間違いなく。

 大好きだ。

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