その⑤ 彩ねぇの眼鏡

 私達は眼鏡売り場へと到着した。

 千香さんはいつまでも、ニコニコと笑いながら、いつまでも、喋っている。

 佳代ねぇも結構なお喋り好きではあるが、千香さんほどでは無い。ちゃんと彩ねぇのテンションや私のテンションに合わせた感じに、お話をしてくれるのだが、千香さんは、なんかこう、マイペースだ。話題の飛躍が凄い。

 さっきまで眼鏡空きっ歯糞野郎の話をしていた筈なのだが、今はもう既にセンター試験の試験会場の暑さについて、熱く語っている。正直、私には分からない話しなので、松本さんという、縦にとても長い男性が、相手をしていた。

 松本さんという人は、とても寡黙で、相槌を打つ事すらない。ただ難しい表情を浮かべながら、首を上下に動かしているだけである。

 そんな事にはお構いなしに、千香さんのマシンガントークは、延々と続く。一体、二人はどういう関係なのだろう。

「……どんなのが似合うかな」

 彩ねぇだけが真面目に眼鏡を選んでいた。しかし、何故か自ら掛ける事はせずに、外観だけを見て、選んでいる。

「彩ねぇ、とりあえず掛けてみてください」

 私は千香さんと松本さんから視線を外し、彩ねぇの隣に立ち、顔を覗き込んだ。

「お? ようやく礼奈ちゃんが話しかけてくれた」

 彩ねぇはそう言い、少し頬をプクッと膨らませて、私の顔を軽く睨む。

「え……? ご……ごめんなさい」

「さっきから松本君の顔ばっか見てるから……ちょっとヤキモチ」

 彩ねぇはそう言い、手に持っていた薄いピンク色の眼鏡を、私の顔にかける。

 どうやら、寂しかったらしい……そして私が松本さんに気があるんじゃないかと、不安になっているように、思えた。

「う……別に私は、松本さんを見てたんじゃなくて、二人を見てただけですよ」

 私はそう言い、彩ねぇの手をギュッと握った。

 誤解させたままでは、嫌だ。私の心は、彩ねぇだけに、向いている。

 その事を、どうしても伝えたい。

「私、今ここでキスしても、恥ずかしくないです。私、彩ねぇ大好きです。彩ねぇしか心にありません」

 私は彩ねぇの顔を見つめ、必死に、必死に、愛を伝える。

 本当に、申し訳ない……今は彩ねぇの、眼鏡を選んでいる時なのだ。他の人の顔なんて、見ている場合では無い。

「あはっ。冗談、冗談だから。ねっ。分かってる」

 彩ねぇはそう言い、ニコッと笑いながら私の頭を帽子の上から撫でた。

 そして私に握られているほうの手を、さらに強く、握り返してくる。

「あの松本って人ね、私の高校時代の彼氏」

「……えっ!」

 それは、知らなかった。

 私は思わず、再び松本さんの顔を確認する。

 確かに、端正な顔立ちだ。身長も高く、彩ねぇの横に並んでいたとしても、遜色は、無いのかも知れない。もしかしたら、お似合いのカップルなのかも、知れない……。

「ら……ライバル……」

「あははっ! もぉー礼奈ちゃん……ライバルにもなってないよ。私だって、礼奈ちゃんしか見えてない」

 彩ねぇはそう言い、私の腕をグイッと引っ張り、腕を組んできた。そしてそのまま、私に体重を預ける。

「でも、無愛想に見えるけど、良い奴だからさ、松本君は。会話くらいは、してあげてね」

 どうやら彩ねぇは、私と松本さんが一度も言葉を交わしていなかった事に気付いており、その事を気にしていたみたいだ。

 相変わらず、気に入った相手に対しては、気遣いばかりをしている。本当に極端な人。

「ん……わかり、ました……男の人ちょっと怖いけど、彩ねぇがそう言うなら……」

 彩ねぇが気に入っている人なのだから、悪い人では無いのだろう。話しかけられたら、少し会話をしてみる程度の事は、しよう。


 彩ねぇはようやく気に入った形の眼鏡を見つけたらしく、濃い茶系で、プラスチックフレームのものを選んで、掛ける。

 しかし、彩ねぇの顔に対して、どうにも眼鏡が大きすぎるらしい。輪郭の外に、眼鏡のフレームが大幅に出てしまっており、なんだか不格好に見えた。

「んー……なんか、微妙かもです。眼鏡が大きすぎます」

「違うよ! 眼鏡が大きいんじゃなくて、彩子さんの顔が小さすぎるんだよ! あっ! 礼奈ちゃんも眼鏡かけてる! うわー似合うね礼奈ちゃん! でもやっぱり、顔ちっさいなぁー……大きい眼鏡を選んで掛けてるんじゃなくて、普通の眼鏡のサイズで眼鏡が大きく見えるって……どういう事だぁー……」

 千香さんは突然、私と彩ねぇの会話に参加してきて、そして私と彩ねぇの顔を見て、勝手に落ち込んでいる。

 確かに、こうして彩ねぇと千香さんが並ぶと、一回りほど千香さんの顔が大きいように見える。しかしそれは決して、千香さんの顔が大きいのでは無く、彩ねぇの顔が、小さすぎるのだ。

 子供と大人を、並べているようなもの。失礼な話だが。

「いえいえ、千香さ」

「私なんてさ、顔薄いし、鼻低いし、一重だし……んもぉ不公平だぁーっ……どうしてこんなに差がでるのぉー……」

「……いえ、千香さん」

「ホント……いいなぁ彩子さんと礼奈ちゃん……あっ! そういえば、礼奈ちゃんって苗字なんて言うの?」

「えっ」

 私は、心臓がドキッと跳ね上がるのを感じた。

 苗字……どう、答えればいいのか。

 岩本と名乗って、いいものなのだろうか……変な勘ぐりを、されてしまわないだろうか。

「え……っと……みょ……苗字……」

「礼奈ちゃんはね、岩本礼奈っていうんだよ」

 私がシドロモドロしながらどう応えるか悩んでいると、彩ねぇはハッキリとした口調で、千香さんにそう伝えた。

 そして彩ねぇは、少し睨んだ瞳で、私の顔を見る。

 きっと、即答しなかった私を、責めているのだろう……申し訳ない。

 しかし分かって欲しいのは、他人に苗字を名乗るのは、これが初めてだという事。困惑してしまったという事。決して岩本と名乗るのが恥ずかしいとか、結婚したくないとか、そういう事では無い。

 分かって、欲しい……。

「岩本っ! うわー彩子さんと一緒なんだねっ! 彼女っていうか、もう夫婦みたいだね! あっでも、女同士だから、フフだね!」

「あははっ。別に夫婦でいいじゃん。私男っぽいでしょ?」

「え? 全然女っぽいよ二人共! 凄く女の子っぽい」

 女の子っぽい、か。それは佳代ねぇに貰った、服のお陰だろう。

 今まで着てきた服では、どう見られていただろうか。人間とすら、思われなかっただろうか。

「おっ? 嬉しいなぁ。じゃあ千香ちゃん、女っぽい私の魅力を、更に引き出すような眼鏡、選んでくださいな」

「おおっいいのっ! じゃあじゃあ、えーっとねぇ……」

 彩ねぇは千香さんに自分が今後、身に付けるであろう眼鏡を、選ばせた。

 そこは私に、選ばせて欲しい……。

 なんだか、寂しい気持ちに、なってきた……私が悪いのかも、知れないが。

「ほら、礼奈ちゃんも。選んでっ」

 彩ねぇは私の背中をポンと、押す。

「礼奈ちゃんが選ぶやつにするから」

 彩ねぇは私だけに伝えるように、小さな声で、そう言った。

 その声を聞いた瞬間、泣いてしまいそうなくらい、嬉しくてたまらない気持ちが、心から溢れ出てくる。

 やっぱり、彩ねぇは、私を愛してくれている……一番に、思ってくれている……。

「うんっ……! 探すよぉっ」

 私は、頭の中を彩ねぇでいっぱいにして、彩ねぇのために、彩ねぇの眼鏡を、必死で選ぶ。

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