その④ 瑛太の心境
千香は突然大声を上げ、どこかへ向かってかけ出してしまった。
一緒に歩く事すらも困難なのか……と思い、俺は思わず耳の裏をボリボリと掻きむしる。
勉強におけるマイペースには、なんとか付いて行く事が出来るようになってきたのだが、こういった奇抜な行動には、正直付いていける気がしない。何故なら俺も、自分のマイペースが好きだからだ。
俺は出来る事なら、なるべく静かにしていたい。目立ちたくない。本当に、ウルサイのは、嫌いだ。
しかし、放っておく事も出来はしないので、俺は仕方なく千香が向かった先へと、ゆっくりと歩きながら向かう。
どうやら千香は、友人と話し込んでいる。
多少落ち着いてはいるようだが、聞こえてくるのは千香の話し声ばかりだ。相変わらず、相手に話しをさせる余裕を持たせない。
面倒くさい……が、俺は千香と逸れる事を恐れ、ゆっくりと近づいた。
「あっ……」
俺は思わず、声を漏らした。
千香の姿に隠れ、良く見えていなかったが、あの小ささと、あの……可愛い顔は、彩子である。
高校の三年間、毎日隣で見ていた顔だ。間違う筈もない。どうやら眼帯は取れているようで、安心した。
そして彩子の隣で手をつなぎながら千香の話に引いた表情をしている、少し背の高い、黒いトレンチコートを前開きに着て、変わった形の帽子を被っている女性が、今の彩子の、恋人だろうか。
……どちらも紛うこと無く、美少女。それも、相当レベルの高い所に居る。女優やアイドルとして、テレビに出ていてもおかしくないとさえ、思う。
どうなってるんだ、世の中は。
「あっ」
どうやら彩子は俺に気付き、少し表情を崩して、左手をヒラヒラと、俺に向かって振った。
その姿は、物凄く可愛く、物凄く、愛しい。
高校の三年間、迷惑だと思っていた時期は確かにあったが、ずっとずっと、恋人のままでいた彩子が、俺は今でも、好きなんだなと、理解した。
何度も理解したつもりでいたが、こうして本当に、今の恋人と手を繋いでいる姿を見て、嫉妬心が湧いている自分を感じ、本当に、理解する。
今でも、彩子が好きだ……。
林の連絡で、新しい彼氏が出来たと知り、こんなに心が腐るほどに、ショックを受けたのだ。嫌いな訳が、無い。
「あぁ……」
俺も彩子に向かって、右手を小さく上げた。
彩子の隣に居る女性は、キョトンとした表情を作りながらも、俺に向かって、軽く会釈をしてくる。
どうやら、今度の恋人は、悪い子では無いようだ。
俺達はいつの間にか合流している事になり、シュークリーム屋の近くにあるベンチに四人並んで座り、ひとりひとつずつ、シュークリームを手に持ち、食べている。
俺の隣には、千香。その隣に彩子、そして一番端には、礼奈と名乗った、少女が座っている。
「おいしぃーっ! やっぱりおいしいねっ! クリームがモッコモコ出てくる! 甘くないタイプのやつっ!」
「千香ちゃん、ちょっと落ち着きなって。何度も言うけど、声がでかいよ」
彩子はそう言いながら、千香の太ももをペシッと叩いた。
ああいった感じのツッコミは、相変わらずするんだな……なんて、懐かしむ。
「でも、千香さんこのシュークリームの良さを、分かってる感じで、嬉しいです。そうなんですよ、クリームがいっぱいなのがいいんです」
どうやら礼奈と千香は初対面のようだが、もう既に打ち解けてきている。女性のこういった連帯感は、本当に凄いと、思う。
俺には、無理だ。バイト先ですら、未だに会話に混ざる事が困難だと思っている。
気を使って話しかけてくる女子は居るには居るが、流行りモノには全くの無頓着で、理解しようにも、勉強の事が不安で、理解出来ない。まず、会話にならないのだ。
今も、男一人、非常に居心地が悪い。きっと俺一人、暗い顔をしながらシュークリームをカジッているのだろう。
「うんうんっ! モコーって感じだよねっ! 礼奈ちゃんも好きなんだねこのシュークリーム! 一緒だね!」
「一緒ですねっ」
そう言いながら礼奈は、口の両端にクリームを付け、満面の笑みを浮かべて、千香へと笑いかけていた。
……そんな表情をされたら、イチコロなんだろうなと、思う。彩子も、礼奈の笑顔を見て、思わず笑みをこぼしている。
いや、笑みなんてもんじゃない。目の形が、ハートマークになっているように見えるほど、食い入って見ていた。
……あんな表情、俺の前では、一度も見せた事が無い。本当に、本当に、ベタ惚れ状態なのだろう。
畜生。
「私達、今から眼鏡屋さんに行くんだけど、千香ちゃんとえ……松本君はどうする? 一緒に選んでくれたりしたら、嬉しいなーって思うけど」
今一瞬、彩子は「えいちゃん」と言いそうになっていた。
やはり、彩子の雰囲気が、柔らかくなったように、感じる。昔の少し刺々しい雰囲気は無くなり、温かいオーラで包まれているような、そんな風に見える。
「おおおっ! 行きたい行きたいっ! 彩子さんに似合う最高の眼鏡を選びたいっ! そして来年は、眼鏡っ子部門の、ミス我が大学を目指して欲しい!」
「うちの大学にミスコンなんか無かったでしょ」
彩子は「あはは」と笑い、礼奈の手を固く握り、ベンチから立ち上がった。
「でも、彩ねぇは絶対、学校で一番可愛い人ですよね」
「うんうんっ! 彩子さんめっちゃ可愛いから、めっちゃ人気! めっちゃ男子寄ってく! 凄いよホント。ファンクラブみたいなの、一時期出来てた!」
ファン……クラブ……?
なんだ、それは。そんなに人気があるのか、彩子は……。
「えええっ! 彩ねぇすごいっ!」
「ファンクラブは嘘でしょ。そういう冗談言うのやめて」
「いやいや、ファンクラブは言い過ぎだけど、一時期、ホントーに常に五人くらい、男が後ろ追っかけてたよ! でも彩子さん見て見ぬフリするの! すっごい冷たかった!」
あぁ……大学に行っても、モテたんだな。そして扱い方も、無視一辺倒で、変わらない。
「それでさ、SNSとか嫌になっちったよ……絶対私の悪口書いてあるもん。女子が特に怖い」
「私もやってないからわかんないけど、今でもしつっこいの居るでしょ。眼鏡男」
「あー、学年一位眼鏡空きっ歯糞野郎ね」
相変わらず、口が悪い。
礼奈という子も、少し驚いた表情をして「えっ……」と言いながら、彩子の顔を見ている。普段はそんな事、言わないのだろう。
「いやいや、礼奈ちゃん、本当に学年一位眼鏡空きっ歯糞野郎なんだよ! アイツ怪我してる彩子さんの体引っ張って、泣かせたんだよっ! しかもリクの糞野郎に殴られた現場にいたくせに、口をポカーンとさせて、ただ見てるだけだったのっ! んもぉーほんっとに! 糞野郎っ!」
「……なんだって? そんな糞野郎が、彩ねぇに付きまとっているだって……? 処刑ですねっ!」
「処刑だーっ! しょっけっいっ! しょっけっいっ!」
「しょっけっいっ! しょっけっいっ!」
……なんだか、千香と礼奈のノリが、似ている。物凄く気が合っているように感じる。二人は処刑ダンスを踊りながら、ズンズンと人の居ない道を、歩いて行く。
それを俺と彩子は、後ろからボー然と眺めていた。
やはり俺は、不器用らしい。会話に加わる事が、困難だ。
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