4-5. 散華

 歩いていると、桜の花びらがはらはらと落ち始めていた。

 川の堤防にそって、桜の木々が並んでいて、桜の花が付いている枝もあれば、落ちている枝もあった。

 さすがにこの時期には、花見をしている人は一人もいなく、俺たち二人だけが堤防を歩いていた。


「さすがに落ち始めちゃっているね」

「そうだな、でもこれもこれで綺麗じゃないのか?」

「……落ちる花びらは、私は好きじゃないな」


 葵が少し暗い口調でそんなことをつぶやいた。


「……どうしてだ?」

「あのね、あれだけ綺麗だ、綺麗だって言われて、咲き誇っていた花が、時期が過ぎると人っ子一人もいなくなって、誰にも見とられずに、地面に落ちていくんだよ」

「……そうだな」

「頑張って咲いて、綺麗だって言われるために咲いていたのに、一回見たら、それで終わりで、見捨てられるんだよ、可哀想だよね」


 何か胸にずきずきと刺さってくるような痛みがする。

 俺はなんだか、自分に言われている言葉ような気がした。


「ねぇ、遥くん」


 葵は俺の前に立って、悲しそうな目で、こう告げる。


「――久東さんとは、どういう関係なの?」

「!?」

「私、遥奈ちゃんから聞いたよ? 放課後毎日うちに来ているって」

「――それはっ」


 俺が言い出そうとしても、葵は続ける。


「それに、仲良さそうで、まるで恋人同士みたいだよって、言われたんだよ」

「――っ」

「私、すごく悲しかったんだよ、あの日、その場所で私が勇気を出して告白して、それなのに……」


 俺は、言い出せなかった。いや、言い出すことができなかった。

 目の前にいる葵が、泣いているのである。

 あの日、どんなに血迷っても、葵は泣かせないと決めていたはずなのに、泣かせないために告白を承諾したはずなのに、その葵が泣いている姿を目の辺りにし、何も言い出すことができない。


「それでね、優里ちゃんに相談したんだよ、そしたら優里ちゃんなんて言ったと思う? 『大丈夫、安心しなよ』だよ。あれだけ自分が押しといて、私が付き合い始めたら、そこで私たちの関係は終了なの!?」


 その言葉は、普通はこの場にいるはずもない優里に対しての問いかけだった。

 だけど、たぶん、この場には――、


「違うよ、葵! 本当に大丈夫だから、安心してって、そういう意味だよ!」


 優里が桜の木の影から出てくる。そう、映画館から出ていた後も、花音と優里は尾行をしていたのだろう。


「――やっぱりいたんだ、優里ちゃん」

「や、やっぱりって……!?」


 優里はその発言に動揺する。


「知ってたんだよ、私。久東さんと優里ちゃんが私たちを見ているって」

「――そう、いつから知ってたの?」


 木の影から、もう一人――久東花音が堂々と出てくる。その手には、赤いボールペンが握られていた。


「やっぱり、久東さんもいたんだね」

「で、どうなの? いつから私たちが尾行しているって知ってたのか」

「私が試着室から出てきて、昼食の話をしているときにね、見つけちゃったんだ。二人が一緒に歩いているところ」


 ――昼飯の話をしていたとき、葵は一瞬立ち止まる動作を確かにしていた。

 そのときに、見つかってしまったのであろう。その時は、何を食べるかという話題で持ちこたえていた。


「そう――だから、その時から、あなたたちは移動中手を握らなくなったのね」

「!?」


 確かに、ファーストフードの店へ行く時から、手を握らなくなっていた。

 それに、そこから、あまり話さなくなっていた。


「うん、そうだよ、よく気づいたね、久東さん。やっぱりちゃんと遥くんのことを見ているんだ」

「そこは違うわ、遥斗だけじゃなくて、遥斗とあなたをちゃんと観察していたのよ」

「そっか……、そうだよね……。それは、あなたが遥斗の恋人だから?」

「違う! それは断じて違う!」


 俺が声を上げて、葵に訴える。


「花音は、俺の家に来て、これまで――」

「遥くんは黙っててっ!」


 葵の叫びに近い声で、俺の声がかき消される。


「遥くんの話は、今はもう聞きたくない……。信じることができないよ」

「葵……」


 それ以上、俺は葵にかける言葉が浮かばなかった。

 すると、花音が俺の肩に触り、俺を押しのけた。

 ――今の俺じゃ、この問題は解決できない。

 自分でもわかっていた、だから俺は、それに逆らうこともできず、花音の後ろにつったっていることしかできなかった。


「ねぇ、葵! 私の話を聞いて!」


 優里が前に出て、葵に迫る。


「来ないでっ」


 優里が差し伸べた手を、葵は叩く。


「な、なんでだよ……。なんで私のことを信用してくれないんだよっ!」


 優里が声を大にして、そう叫ぶ。


「だって、優里ちゃん、久東さんと仲良く話してたじゃないっ! それって何? 裏切ったの!?」


 葵もそれに応じるように、声をはって言う。


「裏切ってなんかいないっ! ただ、私は遥斗の話を聞いて――」


 その言葉を遮るように、葵が言い放つ。


「裏切ってないんだったら、ちゃんと説明してくれたっていいじゃないっ! 何が『大丈夫、安心しなよ』って! ちゃんと話してくれたっていいじゃないっ!」

「それはだな、遥斗が真正面向いて話すことだったから」

「そんなに言いにくいことだったの? 言いにくいことだったんだよね、きっと。そうだよね、だって、遥くんは久東さんと付き合っているんでしょ?」

「それは誤解だっ! 遥斗は花音さんとは――」


 優里が言い続けようとしたところで、花音が肩に手を置き、それを中断させる。


「あなたがこれ以上言っても、あの子にとっては逆効果だわ」

「で、でも――」

「落ち着きなさい。あなたがこれ以上我を失っても、何も解決できないわ」

「くっ――」


 優里は下を――桜の花びらが散らばっている路面を見ながら、涙を流す。


「葵さん、あなたにどれだけ言っても私たちを信用してくれないっていうことはわかったわ。でも一つだけ聞かせてちょうだい」


 花音は赤いボールペンのペン先を葵に向けて、問う。


「あなたは、どうして私たちが恋人だと思うの? 今日何かあったから、そう言えるのよね?」

「そうだね……、私は久東さんが遥くんの家に放課後毎日行ってても、あなたが遥くんの恋人だって、そうは思っていなかった」


 その時、強い風が吹き、桜の花びらが俺たちと葵の間に舞った。


「――だって、私、遥くんのことを信じていたから」

「――っ!」

「でもね、結構悲しいんだよ、他の女の子と一緒にいるって、裏切られた気分で……、でも、優里の『大丈夫、安心しなよ』っていう言葉も信じて、立ち直ったの」


 葵は話を続ける。


「でね、思い切ってデートに誘ったの、このデートで見極めるんだって……。そしたら、遥くん、私が試着した服の意見言ったとき、こういったんだ。『長年幼馴染をしている俺からの意見』だって」

「――長年、幼馴染を、している……」


 俺はそう口ずさむ。


「そうだよ、遥くん。遥くんはまだ、幼馴染をしている、今も私を幼馴染と見ているんだよ! 恋人じゃないんだよ! 彼女じゃないんだよ!」

「で、でも、それだけじゃ――」

「――それでその後、私たちを見つけて、確信しちゃったわけね」

「うん、その通りだよ、久東さん」

「――っ」


 俺は何も言い出すことができない。言い出しても逆効果だってわかっているから。

 もし、この出来事が単独で起こっていることだったら、まだしも、連続で起こっているとなると、信用できなくなって当然だ。


「それから私は、お手洗いに行くって言って、個室で泣いてたんだ。それで、私が見間違えたのかなって思ったから、携帯で眞柄くんに、街に久東さんや優里ちゃんがいるよっていう情報を流したの」

「それで、私たちを見つけた眞柄くんは『本当にいた!』って第一声で言ったのね」

「そうだったんだね、私は遥くんから見えないように離れていたから何をしゃべっているのかわからなかったんだ」

「そして、眞柄くんが連れ去られた後、タイミングよく、遥斗のところへ戻った」


 あの時、武彦がクラスの男子に連行された直後に葵が戻ってきた。しかも、お手洗いに行って、結構時間が経っていた。


「さすがは、小説家志望っていうところなのかな? 当たってるよ、ほとんど」

「どうも、ありがとう」


 花音はボールペンを下ろし、再び言い続ける。


「――それで、あなたはこれからどうするの? 何がしたいの?」

「わかんないよっ! そんなこと!!」


 葵が頭を抱えて、泣きじゃくり、叫び、苦しんでいる。

 葵の思いが葵の中で葛藤をしているのだろう。


「わからない! 何にもわかんないっ!!」


 そう叫ぶと葵は俺たちに背を向けて、走り去っていく。


「ちょっと待って! 葵!」


 優里が葵のあとを追って、走っていく。


「葵――っ」


 俺もあとに続いて走ろうと思ったとき、


「あなたは行ってはダメ! 話がまた混乱する!」


 花音が仁王立ちして、俺の行く手を阻む。


「行かせてくれよ! これは俺の問題なんだよっ!」


 俺は泣きながら、花音に訴える。

 すると、花音の左手――赤いボールペンを持っていないほうの手で、俺の頬を叩いた。


「しっかりしなさいっ! これはもう、あなただけの問題なんかじゃないっ!」


 花音も涙ながら、言い放つ。


「あなたが問題を起こしたのは事実よ。だけど、それに手助けしようとして、さらに悪化させたのは私、そしてさらに追い風を吹かせたのは優里。――もう、あなただけの問題じゃない、私たちの問題なのよ、これはっ!」

「――――っくっそぉぉぉぉぉぉ!!」


 俺は、両手を地面につき、今までこれ以上感じたことのない感情を声に出してぶつけた。

 花音はそれを、赤いボールペンを強く握り締めながら、俺が泣き止むのを待ってくれた。


「――はぁっ、はぁっ」


 俺が泣き止むと、花音が言い出した。


「――今週の遠足で、この問題の決着をつけるわよ」


 その言葉は、強い意志、そして、決意がこもった言葉だった。

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