第20話
「燃えるぞぉ! 離れろお!!」
何もできぬ重臣たちが慌てふためき一歩でも遠く離れんと取り乱す。
「桃太郎!!」
彼の居た場所に青白く太い火柱が生まれていた。その中に呑まれた若者の姿も見えぬほど目の眩む熱光。
絶望にくず折れそうになった金時はしかし、もう一つの危機に気づいて肌を粟立たせる。
御所に取りついた炎は普通のそれではない。まるで凶暴な意思を持つかのように凄まじい早さで壁を支配していく。天井にも駆け上がらんとする。その御所の奥に居るのは物の怪だけではないのだ。
金時は弓を放り棄てると躊躇いなく業火の中枢へ走りだした。
吐き出した火の玉は捨て身の奥の手だったのか、黄泉醜女は大きな疲労感をあらわに背を丸めて呼吸を繰り返す。
しかしそれも僅かな時、項垂れた姿勢から首だけをひねり、悪鬼の眼で帝を睨めつけた。
「ひっ……!」
か細い悲鳴が帝の喉から漏れる。今宵この時この様な光景を目の当たりにする、そんな日を夢想したことなど生まれてこの方一度として無かった。
黄泉醜女は千切れた肩口を左手で庇いながら力を振り絞るように震える。
「首は持ち帰れずとも、その命はもらうぞ」
ざわざわと
低く籠った音とともに今度は肉に突き立つ確かな感触を得る。
だが、またもや噴き出した鮮血は標的の物ではなかった。燃え盛る炎の隙間を抜けて飛び込んできた
畳に強か身を打ちつけた直後、折り重なられた帝はもがきながらその者を目に入れる。
「ひっ……か……金時!? そなた……!」
苦痛に顔を歪めて動かぬ忠臣を見て取り乱す。それはこれまでの怯えとは異なる狼狽だった。
「……鬱陶しい青侍めが二度までも……この上は……」
もはや足を運ぶのも苦しげな黄泉醜女が金時から帝の瞳へと己が灼眼をぶつける。
「我が下僕たる帝よ、自ら情炎に抱かれ果つるがいい……!」
この上ない力を籠めるように鬼女は全身を震わせる。
白磁の肌が首筋から上にいくほど青く染まっていく。
体中の血液が集まっていくのか、
月日をかけ植え付けてきた籠絡の種子が、妖かしの魅惑の光で芽吹かされんとする―――その時。
「―――させぬぞ、黄泉醜女」
煌々と輝く業火の柱が内から爆ぜ、全身に青白き
驚きに振りむき金色の双眸を見開いた黄泉醜女の身に次の瞬間、スサノオの剣による中段突きが深々と打ち込まれていた。
はぁぁと熱い息を吐く若侍の、御所に現れた時から微かも変わらぬ真っ直ぐな眼光がそこにある。
黄泉醜女の眼が再び紅へと戻り、眼球に浮かんだ血管が破れ蒼血を溢れさせた。それは鼻からも口からも次々と追ってくる。
「桃……太郎と言ったな……その名……決して忘れぬ……」
覚束ない足取りで後ずさると、制止した刀から躰がずるずると抜けていく。
「貴様と……貴様の守る全てを呪おうぞ……」
血塗られたスサノオの剣からその身が離れた。
御所を舐めつくさんと這い上がった炎の天井を仰ぐ。
そして喉から絞り出した声はもう物の怪のそれではなく、か細くも女の艶を取り戻していた。
「嗚呼……愛しの酒顛童子様……我が使命果たせぬことをお許しください…… せめて……イサナギの剣を以て……この身を焼く恨みをどうかお晴らしください……」
ざわりと逆立つ銀髪が天を目指しながら絡み合う。流れ出ていた血が体を駆けあがり髪を青紫に染め変える。そして、彼女の頭上に一振りの蒼い大剣が生まれた。
驚愕の眼差しで見つめる一同の前で、次の瞬間、“イサナギの剣”は焼け落ちんとする天井を打ち破って夜空へと飛びたつ。
天に立ち込める分厚い黒雲、その中心を貫く禍々しき光を愛しそうに見送った黄泉醜女の、まるで血の気のない肌の上にぽつぽつと白き焔が湧き出す。それが見る見ると全身を包むと鬼女はこの世のものとは思えぬ叫びをあげて激しく燃え上がり、ほんの一呼吸の後には灰も残さず消滅した。
御所の業火もまた彼女に付き従うが如く萎み、焦げ跡だけを残して消え去ってしまう。
誰もが言葉を失っていた。
後に残ったのは今宵の出来事を幻だったのではと疑いたくなる静けさ、そして全てを見届けたかのように降り始めた雨音だけだった。
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