第19話
金時の叫びと帝の悲鳴が同時に御所を震わせ、外に待機していた臣下達が顔色を変えて駆けあがる。
その多くの瞳に飛び込んだのは
風もないのに白銀の髪を鷲の翼のごとく躍らせ、双の
左右に広げた腕の先で指よりも長く伸びた紫の十爪。
透けるほどに白い肌には蒼い血管がのたうつ蛇のように走っている。
傾国の美の正体、それはやはり紛う方ない妖女だったのだ。そしてこの姿を暴いたのは他でもない、斬り込もうとした桃太郎が放つ強烈な闘気であった。
暴れる鬼髪に吹き飛んだ簾や寝具、散らばるそれらの中で腰を抜かして後退さる帝を見守りながら、金時は込み上げる戦慄を押し殺して勇気を絞りだす。握り締めていた拳をひらくと、じわりと汗の滲むその手を畳に置いた太刀にではなく己の背中に回した。
駆けつけた忠臣達もまたあまりの異常な光景に蒼褪め、かつてない恐怖に心の臓を鷲掴まれて歯の根すら合わせることができない。
その事態の中、片田舎育ちで世の見聞も狭い齢十四の若武者だけが、隙一つない堂に入った姿で敢然と鬼女を睨んでいた。正眼に構える刀の切っ先まで闘志が満ちている。
「おのれ我が計を……下衆な小僧があああ!!」
もはや艶の欠片もない怒声を吐き散らし、黄泉醜女が遂にその人外の力を
途轍もない長さへ変化した髪の毛が桃太郎へ襲いかかる。それを彼は
躱されて畳にぶつかる髪がどどどっと重い衝撃と音を生む。その一本一本が針のように鋭い先端を持ち強靭な
そして、僅かな隙に道を見つけて彼は黄泉醜女の眼前に到達した。
鬼女は驚愕を浮かべながら両爪を内に振り抜くが桃太郎は身を沈めて躱す。そしてスサノオの剣が逆袈裟に振りあげられた。
金切り音のような叫びが宮中に響き渡り、計画の外にいた太平楽な重臣までもが押っ取り刀で飛び出してくる。
駆け付けた場で目にしたのはこの世のものではなかった。
「おのれおのれおのれ……! 何故我が身に傷を負わせられる! その刀はなんだ……貴様は何者だ!!」
白銀の長髪が怒りと苦痛に乱れ暴れる。しかし桃太郎の獣のような身のこなしを捉えることは叶わない。
黄泉醜女は刃のように長く鋭い爪先を震わせながら両の腕で我が身を抱くが、袈裟に走る
憎しみに満ち満ちた双眸は人外の鮮血の代わりに真紅に煌めき、白磁器の如き肌に波打つ血管の蒼が見る者の鳥肌を誘う。
「……俺は桃太郎。世を乱す鬼女を討つために父から託されたこの刀は……スサノオの剣だ」
鬼髪の反撃を躱しきって三間ほど距離を取り、桃太郎は再び正眼に構えて口上を述べる。所作には一片の隙もない。
「お……のれぇ…… かくなる上は……」
黄泉醜女は帝に顔を向ける。それはすでに般若の形相だった。
「愚帝が素っ首斬り落としてくれる!!」
振りあげた右手の指が揃えられ、同時に凶爪が倍ほどに伸びて一枚の刃となる。その右手が怯えた帝の剥き出しの首へ振り下ろされた。
―――どっ!!
鮮血を撒き散らしてそれは肉体から離れた。
だが、その血飛沫の色は青紫。鋭爪が首筋に触れる寸前、黄泉醜女の右腕が千切れ飛んだのだ。
人の喉から発しうる音ではない身の毛もよだつ絶叫が響きわたる。
一瞬振り返った桃太郎の眼に映ったのは、金時の残心。
彼が左手に握る弓は野党の頭目が使っていた分不相応に過ぎるあの見事な強弓……何処かの名だたる武家から奪ってきたのではなかろうかと
そして思い出されるのはもう一つの言葉。
“否……手練というほどではない”
あの時の頭目の腕前に下した評はこれほどのまでの根拠が言わせた科白だったのか。
「何故……なにゆえに
我が身を傷つけられる度に黄泉醜女は口惜しさに震える。
そして桃太郎の掌に握られたスサノオの剣を睨んだ。
「全てはその刃に籠められた“力”か…… それを妾に―――」
“―――近づけるな!!”
声なき怒号とともにおぞましく鋭い牙を晒しながら
瞬きの疾さで翔けたそれが桃太郎を直撃、さらに左右へ飛び散った火炎は御所の壁に取りついて一気に燃え上がらせた。
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