第15話

 都は実にきらびやかにして堂々と出迎えた。

 このよわいになるまで片田舎で山河を友として育ってきた桃太郎には、目の前に広がる賑やかな大通りはそんな印象しか与えなかった。

 やえもまた初めて見る光景に圧倒されているようだった。加えて金時や桃太郎と異なり彼女の身なりは質素そのものだ。居た堪れぬ思いに縮こまってしまう。


 大通りを金時と白雲に従って進んでいく。

 町を行き交う民たちは皆この風景に溶けこんでおり、桃太郎のように好奇心を、やえのように不安感を持って視線を右往左往させている者はいない。だが近くをすれちがう際には金時へ頭を下げていく。


「都は想像していた以上です。こんなに家屋がひしめき、こんなに人が絶えず行き交うなんて……」

「そうでござろう。だが、桃太郎殿……」

 感嘆の言葉をつぶやく若者に金時は少し顔を寄せて耳打つ。促された視線に従い桃太郎は家屋と家屋の隙間に延びる裏道に眼をやった。

 建物に陽光を遮られた脇道。よく見るとそこには壊れた桶やら番傘やら動物の死骸らしきものが無造作に打ち棄てられている。また、身なりこそやえより良い物を纏ってはいるが、着こなしが崩れ生気も緩んでしまっている者が昼日中から座り込み、手に持っている瓢箪ひょうたんを揺すっては仰いでいた。そしてそんな無精者を蹴飛ばすように跨ぎながら、一目でごろつきと判る者達が通り抜けていく。

「あれが都…… 俺が、いえ、恐らく都をまだ見ぬ全ての者が思い描いているのはこの大通りの姿です。それがあんな……」

「桃太郎殿、あの裏道はまだ今の都においてほんの上辺に過ぎん。京は広く、この大路沿いのように栄えている場所もあれば日々の暮らしにすら窮している場所もある。そのようなところはあの光景がまだ健全に見えるほど乱れ果てているのだ……」

 言いながら金時の表情は悲嘆の色に曇っていく。

「それも全ては帝の威光が弱まったがため…… 民達がことあるごとに逃げ口上とするこの世の終わりとやらも、真実を知るそれがしには流言飛語と打ち払ってしまうことも出来ず……このような中央に携わる者達の弱腰がなおさら民の不安を煽ってしまっているのだろう。情けない……」


 しばらく大通りを進み、やがて金時に導かれて一つ道を折れる。その通りもまた前も後ろも遥かに延び、内へ入れば入るほどこの都市の広大さに圧倒されていく。

 しかも大きいだけでなく実に理路整然とした町並み。

 一つの通りを真横に横切る幾つもの通り。それら一本一本もまた別の路々と垂直に交じわっているようだ。もしもこの町を鳥のように空高く舞って見下ろすことができたなら……桃太郎は時折父の相手をつとめさせられる碁の板を思い浮かべた。きっとあのような光景を目にするのではないだろうか?

 美しい京は緑葉の美しい山脈に囲まれ、この大和の中央に鎮座しているのだ。


「まずはそれがしの屋敷に案内したい。まだしばし歩くが……どこかの茶店で一息つきたいか? やえ殿も疲れが見えるな」

 二人を気遣う金時に、桃太郎はやえを見やり、やえは小さく頭を振ると大丈夫ですと答えた。

 さらに歩を進める。両脇に現れるのは大通りばかりではなくそれ以上の裏道が敷かれている。そこに見えるのは表に比べて小さかったり古びたまま手直しも入っていない家々、そしてやはり日々につまづき逃げ込んだかのような者達がぽつぽつと項垂れている。

 眉をひそめながらも脇道のたび視線を向けずにいられなかった桃太郎が、一つの路の前で不意に足を止めた。


「……ん? 桃太郎殿、どうかされたか?」

 数歩先で金時がその気配を感じて振り返る。己と白雲が通り過ぎた脇道、桃太郎とやえがその奥に見入っていた。

 少し入り込んだ場所に幾つかの人影。齢の頃はおそらくやえと同じくらいであろう男達が何かを囲んでいる。彼らは一見してごろつき、だが貧しい村や野にいるような奪う事で生きている本物のヤクザ者や悪党ではなく、まともに働きもせず強請ゆすたかりで日々を堕落させている己に甘いだけの穀潰しどもだろう。

 そんな連中が囲んでいるものがちらちらと見える。どうも乞食のようだ。体の大きな若者達に必死で何かを訴えているようだが、男達は明らかにそれを嘲って楽しんでいる。

 やえはその光景を見ながら血の気を引かせ、震える両手を胸に押しつけた。


「やえ殿、大丈夫か?」

 戻った金時が彼女の傍に立ち路の奥を見やる。

「チンピラどもか……乞食をいびって暇つぶしとは嘆かわしい……ん? 桃太郎殿!?」

 左腰の太刀スサノオの鞘をぐっと握って踏みだした彼を金時が慌てて呼びとめ、刀の柄頭つかがしらに手を添えて思い留まらせようとする。

「先刻も申したであろう。都の各所にてあのような事が起きている、一つ一つ手を出しては切りがない。これら人心の乱れも元凶はあの鬼女にあるのだ……」


 桃太郎は目を伏せるとゆっくり頭を振った。

「俺は父上に、世に感謝をする者は強者であり世を恨む者は弱者であると教わりました…… たとえこの天が如何なる状態にあろうと、それを盾に他者を踏み躙る者は己が欲望から目を逸らしているに過ぎません」

 そう言って彼は金時の手に手を重ねると柄頭から剥がした。

「ご安心を、斬り伏せたりはしませんよ」

 そのまま裏道へ踏み込む彼を言葉を失ったまま見送りながら、金時は知らずのうちに口元を綻ばせた。


 薄暗い小路で桃太郎は自分より遥かに年上のごろつき数人を素手で瞬く間に凝らしめる。

 彼らが尻尾を巻いて逃げたあと、蹲っていた乞食から何かを受け取って桃太郎は引き返してきた。

「さすがにあっという間でござったな。しかし……それは?」

「あっ……」

 彼が懐に抱えてきたものを見てやえが思わず声を上げる。

「どうやら連中は憂さ晴らしにこの犬を叩き殺そうとしていたようです。あの人は止めたかったようですが、あのままでは一緒に袋叩きにあっていたかもしれません」

 金時とやえが覗き込むと、薄汚れた茶色の仔犬が大人しく抱かれていた。深傷では無さそうだがところどころ怪我をしている。

「かわいそう……」

 やえが呟く。彼女は少しずつ二人との会話に応じるようになってきたが、自ら言葉を発することはまだ少ない。しかしこうして袖が触れ合うほど近くに立てるようになったのは心を開いてくれた証だろう。

 そんな彼女をちらと見やり、金時はかすかに安堵の息を漏らす。あるいはも彼女の救いになるかもしれない。

「仕方あるまい、このまま屋敷に招こう」

 やえが顔を向ける。ふわりと花がひらいたような喜びがそこに浮かんでいた。金時は思わず笑みを零し、桃太郎も二人を見ながら頬を緩めた。

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