第14話

 女はおしずと言った。

 家は村の外れにあり、賊の襲撃から辛うじて見逃されていた。

 三人は彼女の招きにあずかった。夏の宵はまだ少しの猶予があったが、桃太郎と金時にしても今から発って大して進めぬうちに日が落ちるのは好ましくない。

 何よりこのまま去るにはやえの事が気掛かりだった。


「やえちゃんを助けてくれて、ほんにありがとうございます」

 おしずに頭を下げられて二人は慌てて遮った。

「なりゆきです。それより俺達こそ一宿にあずかりかたじけなく思います」

「しかも……家こそ賊の手を逃れておるが、あるじ殿は……」

 殆ど木枠だけの障子の向こうでせっている男を金時は見やる。

「あい……酷い怪我をさせられました。腕の骨をやられてしまって、頭の方もしたたか殴られております」

 おしずは寄ってきた幼児おさなごを正座の脚にのせた。男児、そしてさらに小さい女児がやはり擦り寄ってきたので幼い頭を引き寄せて愛おしげに撫でる。

「でも生きとってくれた。あたしはあの人を失ったかと思うたけど、あんな有様でも生きて帰ってきてくれた……まだ果報者です」

 そう言ってやえを見る。泣き果てた彼女は部屋の隅で身を縮めて眠っていた。

「金時様も、桃太郎様も、お疲れでしょう。風呂を作りますから、ゆるりとお待ちになっとってください」

 申し訳なくも実にありがたいもてなしでもあった。

 その夜は久々に旅垢を落とし、質素ながらあたたかな夕げにもありついて人心地つく一晩となった。


「ぬるくないかい? もう少しまきくべようか?」

 風呂桶の足元からおしずが見上げると、やえはかぶりを振った。

「大丈夫だよおばちゃん、ありがと」

 目を覚ました後、囲炉裏いろりの雑炊を見ても食欲のわかない彼女におしずは湯をすすめた。

 とてもかつてのやえには戻れはしまい……それでも少しはこうして受け答える。それは彼女の気丈さ、そして少しだけ安心することが出来たからだろう。

 おしずは薪を置いて立ちあがると彼女を見る。

 湯の中にある華奢な身体を、痩せた腕を、隠れるように静かに、それでいて執拗に擦っている。そこにありもしない汚れを必死に落とそうとし、落とせないことを恥じ入るように。

 そんな姿を見守っていたおしずはまなじりに溜まったものを着物の袖で拭った。そして顔を上げる。

「……あのお侍様たち、怖いかい?」

 不意の問いかけにやえは動きを止める。

 眼差しが湯面を彷徨う。しかし頷きも、首を振りもしなかった。

「じゃあ、あの方たちのことは……嫌いかい?」

 今度はほとんど間を置かずに頭を振った。おしずの眉根が柔らかくひらく。

「あたしがやえちゃんに声をかけるまでの間ね、お二人ともただただあんたの事を見守っていたんよ?」

 ついこの間まで幸せな我が家だった、あの炭の山の前で。

「でもね、あんたがあたしの肩で泣きじゃくっていた時……あの方たち、焼け跡に向かって手を合わせたんだよ。どちらからともなく、まるでやえちゃんの代わりに拝んであげているみたいだった」

 目を大きくひらいて、やえはおしずを見る。彼女は大きく顎を引いた。

「掌を合わせている姿を見るとその人の性根が分かるのさ。御祈りは口にしない、胸の内じゃあ嘘をつけない……でも不思議とね、“此処”にほんとの想いがある人は拝み姿にも出るんだよ」

 “此処”と己の胸の真ん中を手のひらで叩き、そうしながらおしずは嬉しそうに目を閉じた。


 あくる日、村の夜はすっかり明け、薄青の頭上では山からきた数羽の鴉がとまれる屋根をさがしてくるくると弧を描いていた。

「一宿一飯のこの恩、忘れません」

 礼を述べる桃太郎、合わせて頭を下げる金時。

 そしてぶるると唸る白雲。

 だがその旅立ちの輪を、見送る側ではなくその輪の内に佇んでやえが居た。

「やえ殿、本当に良いのだな?」

 金時がいま一度決心を確かめるように訊ねる。


 実は昨夜、やえが寝ている間におしずから二人へと相談があった。

 話の中身はこの村を訪れたときから微かに予感していたことでもあった。

 身一つ、天涯孤独になってしまった十八の娘を、しかし家族として引き取れる者は今のこの村にはいない。唯一家だけは無傷で済んだおしずですら、療養中の夫と幼い二人の子どもを抱えている現状が限界だった。他の村人はなおさら、自分以外、残った家族以外、誰かを抱え込める者など皆無だった。

 残された道は都まで連れていくこと。多くの民が暮らし多くの商人がいる都ならば、きっと彼女を引き取ってくれる者がいるだろう。うまくすれば養女にすらしてくれるかもしれない。


 金時にいま一度決心を確かめられて、やえは“此処”と言いながら己の胸の真ん中を抑えたおしずを思い返す。

 “まっすぐで、やさしくて、ほんにお侍様だよあの方たちは”

 それを聞きながら首元まで湯に沈みこみ胸のふくらみの間に両手をそっと重ねた自身のことも。

 やえは金時と桃太郎に向き直り、ゆっくりと、深く腰を折ると言葉にした。

「どうか……よろしくお願いします」


 昨日きた道をもどり村の中へと歩を進める一行。おしずと二人の幼い子供も村の外れまで見送りについてくるようだ。

 賊に踏み壊された痛ましい風景が右を見ても左を見ても続いていく。


「あんた……お侍さん……」


 ふと話しかけられて桃太郎が顔を向けると、そこには痩せた老人がいた。

 彼の背後には怪我の痕がある男や、ひどくやつれて見える四十ほどの女も立っている。いや、さらに視野を広げるといくらか離れたところからもぽつぽつと村人たちがこちらを見ており、その誰もが心身ともに疲れきった様子を浮かべていた。


「今朝方おしずさんから聞いたよ……あんた方、あの悪党どもを成敗してくれたんだってね……」

 桃太郎は微かに息を呑む。そして金時をちらと見やると、彼もまた何とも言えぬ眼差しで老人を見つめていた。


「息子たちの仇を……取ってくれたんだってね……」

 彼は震える両手で桃太郎の手を握りしめる。途端、老いた細い双眸から涙を溢れさせた。止め処ないそれは顔中に刻まれた年輪のような皺を次々と伝っては零れていく。

 人は老いると苦しみではそれほど涙を流さないものだ。だからこそ、老い先短い者の咽び泣く姿はあまりにも哀しい光景だ。その滴の数だけ人生の記憶があり、子どもたち、孫たちの思い出があるのだろう。その全てがもう過去にしか存在しないものとなってしまったのだ……。


 気が付けば他の人々もあるいは声を押し殺して、あるいは抑えきれず吐き出して、誰もが哭いていた。

 それぞれに失った大切な人達を想い浮かべているのだろう。

 暴虐は、理不尽な欲望は、それらを一顧だにせず奪っていった。もう何一つとして還っては来ない。

 金時は胸の痛みに耐えるかのように強く眼を瞑る。

 桃太郎は己の手にしがみつく老いた手のひらの暖かさをただ感じていた。


 やがて人々の慟哭が止み、それぞれなりの落ち着きを取り戻した村人たちが誰からともなく頭を下げ、その感謝を背に受けながら桃太郎たちは村の外れへと再び歩き出す。

 そして三人はまた“その場所”に至る。

 黒く焦げたがらくたの前で昨日と同じようにやえは足を止め、しかし昨日とは違い……彼女はしっかりと面を上げると白い手と手を胸の前で合わせた。そしてそっと瞼を閉じた。

 ふたりは彼女の姿にしばし見入ると、同時に目を合わせ口元に小さな弧を浮かべて頷く。それからゆっくりとした所作で共にその“墓標”へ静かに手を合わせた。

 幼児おさなごを両脇に抱きよせたままおしずは静かに三人を見守っていた。


 おしずと子供に手を振る。

 やえの村を後にした三人と一頭は、再び街道へと旅路を重ねる。

 あとはこの上をひたすら進むばかり。いよいよ帝のおわす京が近づいてくる。

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