第10話
裂帛の気合――とは程遠い、ただ恐怖心が吐き出させた喚きと一緒に賊徒の金棒が桃太郎の眼前を通り過ぎる。一つ、二つ、三つ。それは単に近寄らせないための見苦しい振舞いでしかなかった。
気づけば……いや、つい寸前に己が最後の一兵になってしまったことに気づいたがゆえに、もう男は完全に戦意を保てなくなっていた。
先刻、この獲物を嬉々として囲んだ時は己を含め十四人居たはずだ。粗暴な荒くれ者が十四人、だがそのうち十三人が返り討ちに遭い我一人しか残されていない。このたった二人の手によって……。
「なんなんだ……」
今まで散々弱者を叩き殺してきた金棒が小刻みに震える。まるで細枝に思える。これはこんなにも頼りない棒きれだったのか?
「なんなんだ……て、て……てめえらはぁ!!」
声を裏返らせながら男は唾を飛ばして喚いた。
桃太郎の足が止まる。
無造作に下ろしているように構えられていたスサノオの剣から力が抜かれた。
「……去るならば追う気はない。二度と盗みも殺しも行わぬと誓え」
「え……?」
「誓えぬか?」
まったく考えもなかったのであろう、助命の言。男は驚き、戸惑い、そして大慌てで首を縦に振った。まるで
「ち、ち、誓う! もう盗まねぇ! 殺さねぇ! お、おりゃあ足を洗うぜ……!!」
かつて血にまみれ今や枯れ枝の如く頼りない金棒を躊躇いなく放り棄てると、最後の賊徒は身をひるがえして森へ逃げ込もうとした。
だが、それを見た頭目が金時に狙い定めようとしていた新たな矢を手下の背中へ向け―――
「やめろ!」
桃太郎の叫びを合図にしたように弦を放した。
一瞬白い矢羽が闇の中に一筋の線を引き、どんっと男の背中に命中すると短い呻き声をあげさせた。
男はがくがくと膝から崩れながら二、三歩進んで倒れる。
“誓う”……消え入るように繰り返したのち、その身は動かなくなった。
桃太郎の瞳に怒りが浮かび、スサノオの剣にふたたび力が籠る。もはや残る外道はただ一人、兵を失った頭目へと若武者は駆け出す―――
「―――おぅっとぉ! 待ちやがれ、こいつを殺すぞ!!」
頭目は弓を地面に捨てると腰に佩いていた刀を右手で抜き放ち、左手で足下の娘の髪の毛を乱暴に掴み上げた。
これまで茫然と己を失っていた娘の顔が痛みに歪む。頭を庇うために上げようとした縛られた両手が首元の刃にぶつかって傷を負う。
桃太郎が、そして金時も、互いに頭目まで四間、三間ほどの距離を置いて足を止めた。あと数歩、だが奴が捨て鉢になれば刃が女子の細首を裂く方がどうしても早い……。
「……はっ、やっぱりそうか。てめぇら善人面は赤の他人でも見殺しにできねぇよなぁ…… くそ、始めからこうすんだったぜ」
頭目はさらに乱暴に娘の髪を引っぱりあげ、強引に立ち上がらせる。雲の端から漏れてきた月明かりが彼女の頬に伝う苦痛を照らしだした。
「てめぇら得物をうしろに投げ捨てろ。そして俺が森の奥に消えるまで一歩も動くんじゃねぇ」
二人は無言のまま頭目を睨み続ける。
「どうした、早く捨てやがれ! じゃねぇとこいつの首を切り裂くぞ!!」
「くっ……外道め」
金時は苦渋の表情で太刀を背後へと捨てる。水音が立つ。
「よぉし……おいっ、てめぇもだ! 早くしやがれ!」
だが桃太郎は刀を捨てない。それどころか頭目を射抜く眼差しはいよいよ光を増す。
「て、てめぇ……」
「桃太郎殿……!」
頭目の怒りに震える声と、金時の焦りの滲んだ声が同時に投げられる。
しかし、桃太郎は捨てない。その右手はますます意を固めるかのようにスサノオの剣を握りしめる。
「そうか、やらねぇと高ぁくくってやがんだな!? こいつの耳でも削ぎ落しゃあてめぇの甘さが―――」
賊が刀を軽く振りあげる。
金時がやめろと叫ぶ。
桃太郎が駆け出そうと足に力を籠める。
しかし、そのどれが成就するより早く、ざざざという音と共に闇の中を一つの影が過ぎった。
「ぐおっ!?」
小柄な影が賊の背後から頭に飛びつき彼を仰け反らせる。刀は振りおろされず、それどころか娘の髪から手が離れる。
頭目が怒りとも恐れともつかない叫びを上げて激しく暴れるとその影が振りほどかれた。とんぼ返りのような動きをして濡れた落ち葉に着地すると同時にそれは「キキッ」と高く短い声を上げた。
激しく息を乱しながら我に返った頭目は足下に倒れている娘へともう一度手を伸ばす。
無手のまま全力で飛び込んだ金時が大柄な男の腹へ肩から体当たりをする。
よろめいた頭目が鬼の形相で刀を振り上げ、金時が娘を庇うように覆い被さる。
その背中を獣のように飛び越えて桃太郎が頭目へ斬り込んだ。
剣戟が一つ鳴り響く。
賊の刀が腕ごと弾かれ外へ泳ぐ。
逆袈裟に斬り上げられた白刃は天へ真っ直ぐ伸ばされて静止し、月光をその身に滑らせた。
一時の静寂。
そして漏れる苦悶の声。
「……が……が……」
一歩、二歩、三歩……頭目は仰け反った姿でふらふらと退がっていく。
直後、右腰から左肩へ走った一筋の切り口から思い出したかのように鮮血が噴き出した。
月明かりていどの深き夜の中では、外道のそれが娘の手から滴る温もりと同じ朱であるかは判る由もなかった。
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