第9話

 “―――なんなんだこいつらは”

 どう見ても自分達より十や二十は若い二人の侍を囲みながら、五人にまで減った賊徒達はおおよそ同様の言葉を頭の中に繰り返していた。

 九人。

 あっという間に討ち取られた仲間の数だ。

 山、根城、宵闇、雨の跡……どうせ道場で命も懸けずにお気楽剣術をやってきたであろう青侍共には不利な条件しか並んでいないはずだった。言い換えれば自分達がやられる理由など何一つなかったはずだ。

 それがどうだ。九人失うあいだに奴らのどちらか片方すら倒せていない。

 なんなんだこいつらは……魔物にでも出くわした心地で問いが胸中に木霊する。


「槍がなく幸いと思っていたところに……」

 金時に背中を預けたまま桃太郎がつぶやく。

「弓……それもなかなかの手練てだれですか」

 ちらりと見やった先は一人だけ囲いから離れて立つ頭目、下ろされた太い左腕で握る弓には右手で取り出した次の矢がつがえられようとしている。


「否……」

 桃太郎に背中をあずけたまま金時がぼそりと応える。

「手練というほどの腕ではない……が、弓がかなりの強弓だ」


 やじりがふたたび二人の方へと狙い定められるのが見えた。

 周囲の賊共もまた戦々恐々の面持ちではあるが未だ殺意を持って身構えている。得物は短刀、鉈、大鉈、マサカリ、金棒。

 桃太郎と金時は互いに言わずとも承知している。動くのは―――

 弦の震え、空気を裂く音。

 ―――射させた直後だ。

 二人は背中を剥がした。完全に合致した呼吸は互いに互いの背を初動の弾みとし、泥濘の頼りなさを補って鋭く駆け出す。その拓いた空間を矢が力強くも空抜けていく。


 賊が握る二振りの短刀のうち一つが桃太郎へ飛んでくる。

 近づくなと言わんばかりのそれを夜の闇の中でも桃太郎は鮮やかに躱す。

 そこを狙って蹴り上げられる泥水、野の戦法。

 目を潰せたとはずと期待して残りの短刀で飛び込んでくる賊は、しかしそこに獣の眼光を知る。

 間合いはすでにスサノオの剣の刃圏、闇ごと袈裟に裂いた一閃は男に最後の投擲すらもさせなかった。残り四人。


 大鉈を握る男は迂闊にも金時に先手をゆずって捌こうとした。

 獣のように俊敏に暴れる桃太郎相手ならそうはしなかっただろうが、比すると金時の方はより道場仕込みの受け達者に見えてしまったのだ。

 しかし、剣術を修めた者が自由に打たせてもらえる一振りの打ち込みなど、武を知らぬ野党如きがまともに受けられるはずもない。

 大鉈は何の意味も無くただ泳ぎ、男は唐竹割りに斬り捨てられた。残り三人。


 袈裟に斬り捨てられた仲間ごと抉らんばかりに鉈が桃太郎を襲う。

 実際に崩れる前の仲間の首筋の肉を吹き飛ばして、先の斬り下ろし直後の背を丸めた桃太郎へと左手の鉈が振り下ろされる。

 命中した、としか思えなかった。躱しようのない一瞬だったはずだ。しかし刃は空を切る。

 何故そこに躰が無い?

 何が起きた?

 何故こいつは――― もはや理不尽としか言い表せない未知の迅さと想像及ばぬ体術を前に、男は愕然の顔で水溜りに倒れた。

 腹を薙ぎ払ったスサノオの剣を腕ごと一文字に伸ばしたまま桃太郎は顔を上げる。残り……二人。


 ごうっと唸りをあげて異様に大きなマサカリが金時を襲った。

 その膂力りょりょくは予想を超えて強く、これまでで最も重いはずのその得物を最も鋭く操られたため金時は否応なく刀で受けることを選ばされた。

 しかし意外だったのは賊の男にとってもだろう。刀をぶち折るか押し切って侍を殺れると思った。だが結果は見事にマサカリを止められ、歯を食いしばる侍の眼光が見上げ、射抜いてきた。それは技だ。受け止める瞬間、足から刀身までの全てを使って重と圧を殺したのだ。

 マサカリと刀による“鍔迫り合い”が生まれる。

 賊にしてみればここで二合目勝負となれば今度は斬撃の疾さで遅れを取るは必定、かと言って飛び退き距離を取ろうという策もまず成功しまい。ならばこのままマサカリの重量と侍より僅かに勝る体格に物を言わせて押し切るしか己が勝ち得る……いや、生き延びる可能性は他にない。

 金時にしてみればやはり最も厳しい選択をされていた。

 このまま力と重さの比べ合いに付き合わされては分が悪い。だがいなすにはもう遅い拮抗状態に陥っている。全身の力を一瞬吐き出して飛び退く動きはできそうだが恐らく体勢が崩れる。そこに男の踏み込みとマサカリの長さが届いてくれば次は捌けるか分からない……。

 と考えたその時、弦を解放するその音が闇夜の空気を震わせた。放たれた矢の的はこの力比べ―――


 金時は上下に突っ張っていた全身の力を一気に後方へ逃がす。

 飛び退がる体、押し切られる剣、目と鼻の先に落ちてくる大きな刃。まさに紙一重で躱すもやはり泥濘に着いた足は流れ体も崩れる。

 賊は勢いのまま前に踏み込んできて膂力に物を言わせマサカリを突き出そうとする。刃こそ正確に金時へ向け直せていないが、鉄の部分で殴りつけるだけで深手になる……が、しかし。


 男の双眸が円く見開かれた。

 頸を、左から右へと一本の矢が貫いていた。

 驚きの表情を浮かべ、恐らくは頭目を見やろうとしたが首が回らない。喉元で行き場を失った血が大量に口からあふれ出た。

「……憐れなり」

 金時は小さく呟き、刀を構え直すと「御免」の叫びと共に一文字に振り抜いた。苦しみを連れて首が消えるも、男のからだはマサカリを握り締めたまましばらく立ち尽くしていた。

 刀を握る右手に力が籠る。これで残るは……。

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