第7話
ふと、桃太郎が目蓋をひらく。
眠りはもはや十分に取れたようだ、が……ゆえに目覚めたわけではない。
「金時殿」
隣で気持ちよさそうに寝息を立てる侍をそっと揺する。そうしつつも彼の眼差しは外に向けられたままだ。
「……ん……む? どうか、されたか……まだ暗いな」
やや寝ぼけ気味ながら身を起こし、頭を振って意識を目覚めさせようとする。
「刀を…… 森の奥に灯火が見えまする」
「灯火? ああ、主が戻ってきたのか……」
まだ霞がかった頭で理解に努めようとした金時がその直後に気付く。
「……刀?」
「見えますか? 灯は一つではない。あの数……」
揺れながら段々と大きくなって来るその燈は二つ三つですらない。それがどうやら縦列をなしているのか重なって大きく、かなり煌々としている。山菜摘みや狩りで細々と暮らしている世捨て人が還ってきたとは到底思えない。
「……これは下手をすると宿を過ったかもしれんな」
金時の眠気はすでに消え去っていた。刀を掴み取り立ちあがる。
「ええ、此処は恐らく―――」
彼と共に桃太郎も廊下から外へ降り立ち草鞋に足を通した。
間もなく木々を抜けて現れた十四、五人近い男達。
その手に手に携えた松明の灯で浮かぶ姿は、一見して荒くれ者と判らせるものだった。
「―――野党の根城です」
雨をしのぐ蓑に肩を包んだままだが笠は背によけている。お陰でゆらゆらと照り浮かぶどの顔立ちにもまさにこれまでの生き方が表れていた。
己の苦境は世の所為にし、
積み重ねる汗を軽んじ、
奪う理不尽を躊躇わず、
与える喜びを知らず、
忍耐の欠片もなく享楽に歯止めも持たない……そのような日々を恥も覚えず繰り返せるようになるとあのような淀んだ眼と下品な笑みが張り付いてしまうのだろう。
「こりゃこりゃあ……御山様の気まぐれが鴨を置いといてくだすった!」
「売りゃあ銭になりそうな
「おおっとぉ! 見ろよありゃい~い馬じゃねえのか!?」
口々に叩く軽口が夜の静けさを破る。
二人と一頭を端から貢物としか思っていない面々、それをつぶさに見回していた桃太郎は連中が作る壁の奥にふと目を留めた。
「……金時殿……奴らのうしろ、ひときわ体躯の大きな男……」
「そなたも気づいたか……奴が恐らく頭目だろうが……狩りは狩りでも賊として一仕事終えてきたらしい」
横に広がった野党面々の向こう側でただ下卑た笑みを湛える大柄な男、その太い腕が伸びる先には綱らしき物、その綱の伸びる先では両手首を縛られて疲れきった様子でうつむく娘がいた。
歳の頃十と八、九……本来なら花の咲くが如き麗しい時期のはずだが、いささか老いて見える翳りは揺らめく灯の仕業だけではないだろう。
「どうやら、鬼女退治の前に天は邪鬼どもの成敗をお望みのようですね」
「いかにも……されど油断めされるな。下賤の戦は武より虚に重きを置くものだ、侮れば不覚を取りかねん」
無言でうなずく桃太郎と金時が腰帯びに鞘を通し柄に力を籠めると、二人の左手と右手の間に光の筋が紡がれていく。
「おっ!? 抜きやがったぜ奴ら。こりゃあ活きの良い鴨だぜ!」
星明かりを湛える二振りの刀身を前にしても怯むところなく、賊徒は次々に己の得物を取り出していく。
太刀こそ見当たらぬが、短刀や鉈や鎌、斧、金棒……その節操無い得物達がかえって狙われた民家や旅人にどれほど無惨な結末を残して来たのか想像させた。もし陽の下ならば染みついたどす黒い血糊も見えたことだろう。
「お頭、いいっすよね?」
斧を肩にのせた輩が二人を眺めたまま訊ねる。
「売れそうなもんはあんまり傷めんじゃねぇぞ……うまく殺れ」
予想通りに後ろの大男が応えた次の瞬間、十五人近い賊徒がいっせいに歓声をあげて動き出した。
松明を掲げたまま遠巻きに囲いをつくる者数名、灯を捨てて悠然と迫る数名、その中から我先にと二人の男が飛び出す―――。
短刀を手にした男と鎌を両手に握った男、その躊躇いの無さと荒々しい襲いかかり方は突然巻き込まれた者の身を驚きと恐怖で
言わば斬り込み役であり脅し役、まさに下賤の戦の虚と機先だ……が―――
金時の一振りで鎌が一本弾かれて宙に舞い、残りの鎌が振り下ろされるより早く返す刀が男の首を通る。
短刀は桃太郎の喉笛があったはずの空間を突き抜け、同時に男の胴をスサノオの剣が撫で抜ける。
共に一呼吸。
斬り込み役の二人は突然訪れた因果を悟る暇もなく世に別れを告げた。
身の竦んだ鶏の
目の前で起きた予想外の返り討ちに、殆どの男が愕きの表情を浮かべて動きを止めた。
だがその中から逆上して飛び出す者もいる。
「待て――」
頭目の制止は、
「てめぇえ―――!!」
賊徒自身の怒号でかき消され耳に届かず、男は闇雲に短刀を振り回して桃太郎へ斬りかかった。
しかし桃太郎の眼は相手の凶暴な怒りに微かな怯みも浮かべない。
軽いぶん疾く振り下ろされる短刀の軌道を冷静に見切って必要なだけ身を
臓や背骨を刃が抜ける感触。
そのままふらふらと二、三歩進んでバシャリと水溜りに倒れる男。
桃太郎は背後を一顧だにせず前方を見据える。まだ勢力差の変わらぬ敵と、その奥の頭、そして
若武者のその躊躇のない戦意と隙のない姿に、残る賊達もはっきりと目を覚ます。
今この場は強者として弱者を嬲る狩りの場ではなく、無法者として強者を討ち仕留めなくてはならぬ
「おい……本気で殺るぞ」
誰かが低くつぶやき、外で囲んでいた者たちも松明を土に挿して得物を構えた。
つい先刻までの弛緩した空気が一気にかき消えたことを感じ取りながら、金時は並び立つ若者の横顔をちらと見遣る。
少なからぬ驚きを抱えているのは何も賊だけではなかった。
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