ミュージック

次の日、少女は再び毎日する質問を口にした。

「貴方のこと、もっと教えて下さい」

「そんなに俺のこと知ってどうすんだ?」

小さく笑う幾斗は、書類に走らせていたペンを置いて、少女の方へ向き合った。

この人は、よく笑う人だ。

そう、少女は思った。

幾斗が笑う度に想像する幾斗の笑顔は、まるで太陽のように温かく少女の心を満たしていた。

「えっと・・・・どこまで教えたっけ?」

「では、今日は家族のことを教えて下さい」

少女には、両親がいなかった。

数年前に交通事故に遭い、自らの視力と共に亡くなったのだ。

少女は今親戚の老夫婦の元で暮らしている。

「家族? んー・・・・父親は俺と同じ薬剤師で、母親は有名なピアニストだったな。・・・・・・・母親は、俺がガキの時に他界したけど」

「あ・・・・・ごめんなさい」

聞いてはいけないことを聞いてしまったと、少女は顔を伏せた。

「いや、別に気にしなくていいぞ。元々身体が弱かったんだ」

その言葉に、少女はホッとした。

「母親がピアニストだったから、俺もガキの時はよくピアノを弾いてたな。コンクールでも最年少で賞を取ってたんだぞ」

自慢げに話す幾斗に、少女は驚いた。

「ピアノ・・・・・弾けるんですか?」

「あぁ。母親が他界してからは、ほとんど弾いてないけどな」

「そう・・・なんですか」

幾斗の子供の頃や、ピアノを弾く姿を頭の中で想像し、少女は小さく口を開いた。

「・・・・いつか」

「ん?」

「聴いてみたいです・・・・貴方のピアノの音を」

少女がそう言った時、幾斗は驚いた表情を浮かべたが、少女の目には何も映っていなかった。

「ピアノ、好きなのか?」

「音楽を聴くことが好きです」

「ふーん・・・・じゃ、弾いてみるか? ピアノ」

「えっ・・・・?」

立ち上がった幾斗は、少し待っていろとだけ告げて、部屋から出て行ってしまった。

少女が言われた通り待っていると、数分して幾斗が戻って来た。

「これ、お前にやる」

そう言って渡された物は、少し重みがあった。

「な、何ですか?」

恐る恐る受け取った少女の隣に、幾斗が座る。

「俺がガキの時に使ってた子供用のピアノだ。小児科に置いておいたんだけど、誰も使ってねぇからお前にやる」

その言葉に、少女が子供用の小さなピアノへゆっくりと指を滑らせる。

「随分昔のやつで、音が小さくなっちまったけど・・・・・・・指の練習くらいなら出来るだろ?」

「・・・・・本当に頂いていいんですか?」

「あぁ、ピアノに興味が無くなったら、捨ててくれていいぞ」

「・・・・・・捨てませんよ」

少女の滑らせた指が、やがて小さな音を鳴らした。

しばらく小さな音を鳴らし続けていると、隣にいる幾斗が思い出したように立ち上がった。

「あ、そうだ」

ガサリと袋の音がして、目の前に幾斗の気配を感じた少女は手を止めた。

「これ、今日の薬だ」

少女の手からピアノを優しく取り上げ、代わりに幾斗はその手に小さな箱を乗せた。

「今回は飲み薬だ」

手探りで箱を触ると、ストローらしき物が取り付けられていた。

少女がストローを袋から取り出すと、幾斗がそれを箱に突き刺してくれた。

少女は、毎日幾斗がくれる薬をとても楽しみにしていた。

小さな箱を持ち上げ、ストローに口を付ける。

そして、一口中身の液体を飲み込むと、少女は自信気に微笑んだ。

「・・・・・今日のお薬は、いちご牛乳ですね?」

「正解だ。美味いだろ?」

幾斗がくれる薬は、決まっていちご味だった。

いちごのチョコレート、いちごのクッキー、いちごのグミ・・・・。

毎日与えられるその甘酸っぱい味に、少女は小さく笑った。

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