ディスコ世代の武術小公女・1


 梅雨が明けて夏がやって来た。

 7月の始め。スーツも夏用に変えて、外回りをしない日はクールビズだ。アマゾンの熱帯雨林やサハラ砂漠に行ったことは無いけれど、東京のコンクリートジャングルもそれに負けないぐらい暑い。

 そんな夏日のある日のこと。デスクで雑務をしていると、春日先輩が俺の所にやって来た。


「ねぇ、来週の土日って暇でしょ?」

「暇ですけど。どうかしたんですか」


 俺が答えると、春日先輩は笑みを浮かべながら言う。


「だったら海に行きましょうよ。夏だしいいでしょ?」


 春日先輩はなんてこと無さそうに聞いてくる。なんとなく嫌な予感がした。


「……もしかして田村部長とかも一緒なんですか?」

「残念でした二人きりよ。いや、私と一緒に行けるんだから残念なんてことは無いか」


 各務軍団のアラフォーたちがいないならまだましかもしれないし、海に行くのはいい。四季を楽しめる日本で季節感を失ったら色々と終わりだから。

 でも嫌だ。相手が春日先輩のみだと何をされるか分からない。


「冗談はやめましょうって。春日先輩と二人だなんてありえません」

「何を恥ずかしがっちゃってさ。マモル君と私の仲なんだからいいじゃない。ほら、早くイエスって言いなさいよ」


 このアラフォーは無敵か。恥ずかしいとかそういう話じゃないんだけれども。


「勘弁して下さいよ。ほら、仕事が始まりますよ」


 春日先輩は威圧感を漂わせたまま顔を近づけてくる。石仮面のような強い邪気を感じた。そんな時だった。


「マモル君に春日先輩、しんみょーな面持ちでどうしたんですか?」

「どうした赤塚、どっかに行くのか?」


 絶好の助け舟が出た。出社してきたあさひとタツキ先輩がこっちにやって来た。


「いい所に来ましたね! なんか、春日先輩が職場の人を連れて海に行きたいそうなんですよ。ね? そうですよね、春日先輩?」


 こうなっては二人で行きたいとは言えまい。俺の作戦勝ち。

 春日先輩は何とも言えない顔をしている。顔中の皺が寄り、固いファンデーションの守りをつき破る。


「……チッ、やりやがったな小僧」


 一瞬、春日先輩はこちらを見つめてきた。いや、睨みつけたというのが正しい表現だろう。とにかく殺意のこもった眼だった。

 そんな顔も一瞬にして通常運転の柔らかい笑みへと変わる。


「どうしようかなってマモル君と相談してたのよ。あさひちゃんにタツキ君。どう?」

「いいですね。去年は色々と忙しかったから海に行けて無かったし嬉しいなぁ」


 あさひは二つ返事で了解する。


「面白そうですね。僕も付き合いますよ」


 さすがイケメン。タツキ先輩も話に乗っかった。


「沢山いると楽しくなりそうね。それじゃ、移動はどうしようかしら」

「俺が車を出しますよ。俺のはワンボックスなんで7人くらいは乗れますけど、他に誰か誘いたい人とかいますか?」

「どうせだから職場の人をもっと誘ったらいいんじゃないかな。阿部課長とかどうですか?」


 あさひがそう言ったところに、たまたま阿部課長が通りかかった。


「お、海か。いいねぇ。去年は忙しくて行けなかったからな。ご一緒させてもらおうかな」


 阿部課長は爽やかな笑みを浮かべる。黒い肌に白い歯が眩しい。


「海だったら湘南とかどうですか? 都内からも近ですし」

「それがいいわね。それじゃ今週末に行きましょう」


 そんなこんなで俺たちは海に行くことになった。




 そして、忙しい平日が終わり土曜日を迎えた。

 水曜・木曜とぐずついた天気だったが、土曜日は雲一つない快晴。最高気温は33度と、最高の海水浴日和。

 集合場所に向かうべく俺と春日先輩が電車に乗っていた時だった。


「本当はこうやって二人きりで行きたかったんだけどね」


 朝早くなので席がまばらな休日の京浜東北線。春日先輩は俺の方を見つめて言う。


「いやいやいや、勘弁して下さいよ。先輩と二人っきりとか地雷しかありませんよ。わざわざ踏もうなんて気はありません」

「あらそう? 私の庭は一面の芳しいお花畑よ。危険なことなんて何一つ無いわ。いつでも飛び込んできてもらっていいのに」


 春日先輩は笑って見せた。いや、お花はお花でもラフレシアだろ。それも、熟れに熟れて香りの強いヤツだ。

 いつもなら「そういうことをいうのはやめるナリ! かすがの花園は誰にも見せたことが無いナリ!」とか、つまらないことを言いながらコロがフォローを入れてくるタイミングだ。

 しかし、今日はバッグから飛び出してくる白いのはいない。


「そういえば、今日はコロはいないんですね。どうしたんですか?」

「今日はお留守番よ。だって、職場の子たちに見られたらアレでしょ?」

「ま、まぁ、確かにそうですね。でも、魔法少女の隣につき従ってなくてもいいんですか?」

「あの子はいなくたって特にデメリットとか無いし、協会から派遣された軍師とか目付役的なものだから大丈夫よ。いざとなったら変身も出来るしね」


 本当にそれでいいのか全日本魔法少女協会。関係ないけどちょっとだけ心配になるぞ。


「一日くらい平気よ。ちゃんとご飯だって用意してるんだからさ。しかも手作りだから問題ないでしょ」


 うーん、守護獣って犬猫と大差無いのか。


「手作りってことは、ってことは先輩って自炊されるんですね」

「当たり前じゃない。いつでも結婚出来るように花嫁修業はしているの。だからいつもらってくれても構わないわよ」

「とっくに免許皆伝でしょうね。なんなら師範代にでもなれそうですよ」


 春日先輩は露骨にいやそうな顔をした。ざまあみろ。たまには言いたいときもある。


「ちなみに、今回の海に備えて色々と面白そうなイベントを考えてたんだけどね。例えばお手製のお弁当とか」

「春日先輩、お弁当作って来てくれたんですか」

「そりゃぁそうでしょ。こういう場面ってのは四十女子の見せどころなのよ。手前みそだけど結構美味しいわよ」


 何が四十女子だ。使ってる言葉は女子というより老女じゃないか。

 とはいえ、春日先輩の料理はちょっとだけ興味がある。普通にしていればなんてことのないしとやかな女性だ。 ……ほんとにちょっとだぞ。


「変なモノとか入れてないですよね? なんつーか、魔法界の変な薬とか、春日先輩の何かとか」

「馬鹿なこと言わないでよ。あなた一人だったら、色々なものを混ぜるかもしれないけど、あさひちゃんとかタツキ君がいるのにそんなことするわけ無いでしょ? 少しは考えなさい」


 なぜか俺が怒られてしまった。というより、俺と二人だったら何を入れるつもりだったのだろうか。想像しただけで気分が悪くなる。

 そんな風に俺が顔色を悪くしていると、隣に座っている春日先輩は俺の肩に頭を乗せると上目遣いで見つめてきた。


「……まぁ、好きな男の子とのデートのためにお弁当を作るってのも私の夢だったんだよね。それがもう少しで叶うはずだったんだけどなぁ」


 大きな目でこちらをジッと見つめて来る。なんていうか、とにかく恥ずかしくなってきた。


「……分かりましたよ。今度付き合いますって。その、ふ、二人きりで。でも、弁当に何か入れるのは無しですよ。それだけは勘弁して下さい」


「何か入れるなんて冗談に決まってるでしょ? 本当に好きな相手に変なものを入れるなんてのは五流のすることよ。心から大切な相手にそんな真似出来る訳無いでしょ?」


 そう言って俺の腕に抱きついてきた。なんだかこっちの方が照れてしまう。小っ恥ずかしさで俺の顔は火が出るように熱くなり、休日出勤のサラリーマンからの視線は冷たかった。

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