ディスコ世代の武術小公女・2

「おはようございます、マモル君に春日先輩。お二人ってやっぱり仲がいいんですね。ちょっと嫉妬しちゃいます」


 遅れて駅の柵脇へとやって来たあさひが口をとがらせながら言う。スキニーデニムに白Tが夏を感じさせる。いや、マジで勘違いしてないでほしいんだけど。


「お、いたいた。マモルお疲れさん。春日先輩もあさひちゃんもお疲れ様です」


 三人で港南口で待っているとすぐにクラクション音が聞こえた。道路を挟んで車内からタツキ先輩が手を振っている。

 車はランクルの8人乗り。内装もシックな木目調に統一されていて車までイケメンだった。


「二人ともお疲れ様。早く乗りなさい」


 車内には阿部課長もいた。どうやら途中から乗っていたらしい。

 髪型は長めのソフトモヒカン。黒のTシャツの袖口は筋肉ではち切れそうになっている。なんとも海の似合う格好だ。


「課長、こうして見ると筋肉すごいですね。昔、スポーツとかやられてたんですか?」

「うん。ラグビーを高校からやってたよ。今も時間がある時はジムで鍛えてるからね。でも、最近は人気が無いからな。ちょっぴり寂しい限りだよ」


 確かに身の周りにラガーマンは居なかった。時代の流れは残酷である。


「あれ、課長ってもしかして『スクール☆ウォーズ』を見てラグビーに走ったクチですか」

「お、さすがは同年代の春日君だ。家でVHSが擦り切れるほど見たもんだよ」


 スクール☆ウォーズ。1980年代にカルト的な人気を誇ったスポ根ドラマだ。内容自体は知らなくても、ソウルフルな歌声が特徴的なあのテーマ曲は今でも使われてるので、そっちだけ知ってる人は多いかも知れない。


「私も見てましたよ。やっぱり熱くていいわよね。マモル君はイソップって感じね。もう少し鍛えた方がいいんじゃないの?」


 春日先輩は俺の胸を指先で突く。どういう意味なのだろう。俺やあさひ(23)、運転席に座るタツキ先輩(26)もキョトンとしている。言葉に反応したのは阿部課長だけだ。


「ハハハ、確かにそうかもしれないな。気弱そうだけど、どこか強い芯がある所もイソップっぽいな。私の一番好きな男さ」


 最後列に座る阿部課長は膝を叩きながら笑う。だが、言っていることがなに一つ分からない。きっとスクールウォーズ絡みの話しなんだろう。今度実家に帰ったら親に聞いてみよう。

 そんな俺達を代表して、助手席に座るあさひが首を傾げながらアラフォー二人に尋ねた。


「その、イソップって何なんですか? 童話的なアレですか?」

「ハハハ、今までの話はちょっと古かったかな。40くらいの子しか分からないネタだからね」


 阿部課長は笑いながら言うが、俺の横に座る春日先輩は露骨に嫌な顔をする。


「それじゃ、さっさと行きましょうか。あさひちゃんと春日先輩、眠かったら寝てていいですよ」

「ありがとうございます。今日のためにお弁当を作って来たんですけど、朝早かったんでちょっと眠かったんですよ」


 あさひは小さく微笑みながらアクビをしてみせる。


「へぇ、あさひちゃんのお弁当かぁ。そりゃ楽しみだな。マモル、お前もそうだよな?」


 タツキ先輩は言う。サイドブレーキ越しに『そうですって言え』オーラが出ている。

 俺だって、女の子の好意を無碍にしないくらいのデリカシーは持ち合わせているし、久しぶりにあさひの弁当を食べてみたくもある。

 ただ、厄介な問題が一つだけあった。

 春日先輩も弁当を作っているということだ。


――いやぁ、あさひの弁当食べてみたいなぁ


 と笑顔を浮かべていうのは簡単だ。

 今度は横から黒い本革シートのひじ掛け越しに殺気を感じる。それも、かなりヤバいやつだ。どれくらいヤバいかと言うと、サンダル履きで富士登山を試みる頭のおかしい登山客くらいヤバい。一歩間違えたら確実に死に繋がる。

 俺は息を呑むと一語ずつゆっくり答えた。


「い、いやぁ楽しみだな。そういえば、春日先輩もお弁当作って来てくれたんですよね。そっちも楽しみですよ」


 上手く言えたか。恐る恐る振り返った。


「へぇ、春日君も弁当をこさえてきたんだ。職場の美女二人の弁当を食べられるなんて幸せ者だねぇ」

「そうっすね。春日先輩って料理とか上手そうですし期待してます」

「フフフ、たいした出来じゃないけど楽しみにしててね」


 タツキ先輩と阿部課長も自然に話にとけ込んできた。なんとか上手くいったようらしい。本当に良かった。

 そんな感じで車は品川駅を発進した。





 高速と国道を乗りついで1時間弱で藤沢に辿りついた。

 江の島に向かって進んでいると、日差しに照らされた海が目に見えた。キラキラと反射して見ているだけで気分がいい。


「おーっ! 海だね!」


 朝早くに着いたので、浜辺は人もまばらだった。さながらプライベートビーチみたいなもので、弓なりに続く砂浜は俺達のもののように見える。

 あさひは着ていたワンピースのまま海へと直進していく。タツキ先輩も車を停めると、着の身着のまま海へと飛び込んでいった。


「……若いっていいねぇ」

「……ええ。私だったら帰りの事を考えて着てきた服のまま飛び込めないわね」


 アラフォー二人組はそんな光景をしんみりと眺めている。出遅れた俺はパラソルやらシートやらを運ぶ係をせざるを得なかったので、若者二人の楽しそうな光景を眺めるしか無かった。同じように見えてもアラフォー二人とは違う。絶対にだ。

 適当な位置にパラソルを立ててシートを引くと、一通り遊び終えた二人が戻ってきた。


「やっぱり海はいいな。ほら、マモルもさっさと来いよ!」

「いやいや、タツキ先輩は自分の車だからいいかもしれませんけど、流石に他人の車は汚せませんって。ちゃんと着替えてから行きますよ」

「そういえばそうでしたね。カッコいい車なのに、汚しちゃったかもしれません。なんか、ごめんなさい」


 さっきまで楽しそうにしていたあさひも、若干だがシュンとなって顔に影が差す。だが、イケメンのタツキ先輩だ。フォローまで完璧だった。


「まぁまぁ、マモルはともかくあさひちゃんは気を使わないでいいって。海に来てはしゃげるのは若いヤツの特権だからさ。それじゃ課長、ちょっと着替えてきますね」

「ああ。年寄り二人はのんびり海でも眺めてるよ。春日君、そうだろ……」


 阿部課長は笑みを浮かべる。だが、春日先輩は手荷物を阿部課長へ投げた。


「……課長、荷物をちょっとお願いします。あさひちゃん、着替えて来るわよ!」

「は、はいっ!」

「おいおい、春日君も行くのか……」


 年寄りって言葉が響いたのだろう。ピシッと敬礼するあさひの手を引っ張って更衣室へと駆けて行った。


「マモル君はやっぱりイソップだね。その華奢な体つきはそうだ」

「は、はぁ、どうも……」


 阿部課長は俺の体をまじまじと見つめる。やせ形のなんてことのない体型を、舌を這わせるように下から上へと視線のみで舐めまわす。

 背中にかいた汗は浜辺が暑いからじゃない。寒気からだろう。


「タツキ君、それに比べると割とガッチリしてるね。何かスポーツでも?」

「小学校からサッカーをやってました。最近は全然ですけどね」

「そっか、最近の子はやっぱりサッカーなんだね。うーん、ここでも時代の差を感じるなぁ」


 アラフォー親父がしんみりしていると、海の家に併設された更衣室の方から声が近づいて来る。


「ごめんなさい、遅れちゃいました」


 そうこうしていると春日先輩とあさひが戻ってきた。

 薄いピンクのビキニに、健康的な体型。初めて見たけどスタイルが半端じゃないくらいにいい。収まる所は収まっているし、出るべき所はしっかりと出ている。


「すごいね。あさひ君、なかなか似合ってるよ」

「ヘヘヘ、ありがとうございます。マ、マモル君、どう、かな?」


 恥じらいながら俺を上目遣いで見つめてきた。

 返事なんて一つしかない。


「いや、すごいよ。すごい似合ってる」


 背後で誰かの殺気を感じたが、この際はどうでもいい。

 そんな春日先輩は、白いビキニ。松戸の地下闘技場で見せたようなマイクロでは無い。ごくごく普通のビキニだ。あさひとタメを張るには少々厳しいけども、なんだかんだでいいスタイルをしている。くびれもあった。


「へぇ、春日先輩もいいスタイルしてるんですね。かなりカッコいいっすよ」

「あらタツキ君、ありがと。やっぱ大人の色気っていうのかな? そういうのがあると思うんだけどね。マモル君、あなたもそう思うでしょ?」

「似合ってますよ。年の割にはですけどね」


 笑いながら言うと即座に拳骨が飛んでくる。

 春日先輩は赤くなった拳をさすっていると、あさひが春日先輩に飛びついて上目遣いに言う。


「先輩、すごい綺麗です。私も春日先輩みたいな年の取り方をしたいです」


 いやいや、その言い方は失礼じゃないの?

 だけど、嫌味が一つないあさひの無邪気な笑みを見たからか、最初は苦い顔をしていた春日先輩も怒れなかった。


「ま、これが大人の魅力ってヤツよ。普段から体を動かしていると自然とこうなるの。あさひちゃんも運動不足には気をつけなさい。それよりもほら、海で遊びましょう」


 弾ける肌に揺れる胸。あさひや春日先輩に男たちが寄ってくるが、熟女と美女の二人はそれらをニベもなくあしらいながら朝から昼まで海に浸かったりと遊んでいた。

 なんだかんだで楽しかった。ただ、問題が起きたのは昼食の時だった。


「そろそろお昼ご飯にしましょ。そろそろお腹が減っちゃったな」


 あさひはビニールシートにちょこんと座ると、海用バッグからランチボックスを取り出した。レタスの緑・トマトの赤・サンドウィッチの白と、色とりどりの中身が若さを象徴している。


「あさひちゃんのはすごいね。サンドウィッチにウィンナーか。今風って感じがするな」

「あの、味はどうですか?」


 俺たち男性陣は箸を伸ばしてウィンナーを掴んだ。丁寧にタコさんウィンナーになっていて、目はゴマで出来ていた。いちいち芸が細かい。


「うん、美味しいよ。全部手作りだなんて大したもんだ」

「こりゃうまいな。あさひちゃん、これならいくらだって食べられるよ」


 阿部課長やタツキ先輩の意見は概ね良好だ。俺もそう思う。きっと両親のしつけがいいのだろう。調理は上手いし味も美味い。男三人の箸は自然と進む。


「わぁ、よかった。早起きして作った甲斐がありましたよ。先輩のお弁当はどうなんですか?」


 対する春日先輩の弁当箱。

 蓋を開くと、はっきりいって色合いが違う。あさひのは緑黄色だったのに対して、煮物中心である。サンドウィッチに対しておにぎり。白と黒のコントラストがまぶしかった。

 男三人は顔を見合わせて恐る恐る料理に手を伸ばした。


「いや、普通に美味いっすね。あさひちゃんのとは違う魅力がありますよ」

「うん。安定だな。春日君、なかなかやるじゃないの」


 肝心の味だが、あさひのとは違うベクトルだけど美味い。体に沁みわたる美味しさだった。二人で弁当箱の中身が被らなかったのは奇蹟かもしれない。


「やっぱり春日先輩のお弁当は美味しいですね。私のなんんかよりもずっと美味しいです」

「そんなことないわ。あさひちゃんのお弁当も美味しいわよ」


 嬉しそうに春日先輩は目を細めると、あさひは言葉を続けた。


「いえ違うんです。私のとは根本的に違うんですよ。なんていうか、お母さんの味を思い出すんです。運動会で家族と食べてるような感じです」


 この子は笑顔を振りまきながら何を言っているんだ。嫌味を言っているんだけど、嫌味ったらしく無い言い方をしているのであれば才能の塊だ。今すぐ会社を止めて女優にでもなった方がいい。

 恐々とする男3人は恐る恐る春日先輩の顔を見た。


「なかなか嬉しいこと言ってくれるのね。ちなみに、あさひちゃんのお母さんって何歳なの?」


 以外にも、春日先輩の顔は引き攣っていない。ごくごく自然にあさひへと微笑みかけている。


「えっと、今年で41です」

「私と同い年、か。そっか、そんな年齢になったのね……」


 春日先輩は薄く笑う。深いため息と共に背中に影が差している。これには男三人もさすがに参った。

 『マモル、なんとかしてこい』という阿部課長・タツキ先輩の二人から無言の視線を受け取ると、俺はすぐにあさひの腕を引いてパラソルから離れた。


「……なぁあさひ、その地雷探知率はなんなんだ。さっきから春日先輩に失礼なことばっかり言ってるぞ」

「え? そういうものなの?」


 キョトンとしている。この天然め。知らず知らずのうちにやってるっていうのか。

 そんなあさひだったけど、俺の呆れた表情と、時がたつにつれて自分で言ったことを思い出したのか、置かれている状況を理解し出したようだった。大きな目が徐々に潤み始める。


「……そっか。確かに失礼なことを言ってたかもしれないね。ほんとにごめんなさい。だって春日先輩ってカッコいいでしょ。あのスタイルも憧れちゃうもん。でも悪く受け取られたんだったら、わたし、すぐに春日先輩に謝って来る!」


 俺は駆けだそうとするあさひの腕を引きとめた。


「い、いや、ちょっと待て。なんてことなかったように振舞うんだ。その方がいいかもしれない」


 わざわざ盛り下げる必要はない。ただ、ショックだったのは間違いなかったようで、あさひの目線は低い。泣きじゃくって目を腫らしたからか、頬も赤く染まっている。

 そのまま手を引いてシートの所に戻ると、『こっちも大丈夫。なんとかなった』と阿部課長とタツキ先輩が俺に視線を送って来た。隠された右手の親指はしっかりと立っている。互いのミッションは成功したらしい。


「タツキ君、何か飲み物でも買ってこようか。あさひ君も来てくれ」

「そうですね。行きましょう課長。ほら、あさひちゃんも行こう」

「は、はぁ……」


 男二人が気を使える人で本当に良かった。露骨に元気が無いあさひをなんとかしてくれるだろう。ただ、春日先輩への対処を俺に任せるのはどうなのだろうか。

 一通り食べ終わった弁当箱を片づける俺と春日先輩。


「俺からも一応言っておきました。それに課長やタツキ先輩もフォローに入ったから大丈夫だと思います」


 恐る恐る俺が言うも、春日先輩は以外にも怒っていなかった。それどころか、紙皿を片づけながら優しく微笑むばかりだ。


「いいのよ。私も不思議なんだけど、あさひちゃんだけはなぜか怒れないのよね。なんていうか、可愛げもあるし、悪意がこもってる訳でもないからかな」


 果たしてそうだろうか。俺がそんな表情を浮かべていたのを、春日先輩はしっかりと受け取ったようだった。


「……私がそう思って無いんだし別にいいでしょ。ちなみにマゾとかそういう訳じゃないから。でも、マモル君に言葉攻めにされるのはちょっとだけ気持ちいけどね」


 おどけた様に舌を出して微笑む。なんていうか、殴りたくなる笑顔だ。事実、俺の右拳はしっかりと固められて脳からの指示があれば春日先輩の頬へと飛んでいただろう。

 この先輩に悲壮感は無いのか。

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