東川口のユイ・3

 こんな感じで、ハジメ先輩と俺は田村部長に誘い出された。

 俺たちは顔を見合わせながら会社のロビーを出て通りに出た。すると、それを待ち構えていたかのように、べらぼうに長いリムジンが目の前にやって来た。よく海外の映画スターが映画のPRで使ってるようなアレだ。

 二人で呆気に取られていると、後からやって来た田村部長は嬉しそうに言う。


「ほらほら、早く乗った乗った! 王国行きの馬車に乗り遅れちゃうぞっ!」


 田村部長は俺の腰を両手で押して急かす。座席は校長室にある椅子くらい柔らかく、内装も気味が悪いくらいに立派で、一人暮らししているワンルームマンションよりも豪華だった。住もうと思えばすめるくらい。

 まぁ、シート・床面・天井まで一面のピンク色に耐えられればの話だけど。

 それから信号で停車するたび、スモークガラス越しで乗っているのが海外スターかと勘違いした通行人の写メのフラッシュがバンバン焚かれて眩しい。その間も部長による生放送は続けられていた。

 常にハイテンションのまま甲高い声でカメラに向かて話し続けている。

 俺は隣にいたハジメ先輩に『これからどうするんですか?』と、たびたび視線を送るが、ハジメ先輩もこの状況にまんざらでもないようで、田村部長の生放送にしっかりと参加をしていた。

 それから1時間ほどリムジンに乗っていた。リムジンを出ると、目の前にはちょっと豪勢なお屋敷。それを囲む壁の威圧感が凄い。

 表札にはしっかりとした太字で「田村」と書かれている。


「あの、どっかお店って訳じゃないんですか?」

「言ったじゃん、王国で晩餐会って。だからわたしのお城にご招待だよっ!」


 ハジメ先輩と顔を見合わせた。目の前にいる小学生のようなアラフォーは、跳ねながら鉄製の門脇にあるインターホンに話しかけている。


「お姫様のご帰還だよっ! ほら、こんなかわいいんだから本物ってわかるよね?」


 インターホンからは「おかえりなさいませ姫様。世界で一番かわいいです」と、しゃがれた老人の声が聞こえた。

 門は電動なのだろう。ガタガタと音を立てて左右に開いて行く。

 俺たちは跳ねまわる田村部長の後をついていく。屋敷の中も立派な構えだった。

 整然と並ぶ石畳にの両脇には、オシャレな街灯に照らされた色とりどりの花々の花壇。俺もここで育てられたらああなってしまっていたのだろうか。


「さぁ、入って入ってっ!」


 俺たちはお姫様直々に戸を開けてもらう。玄関も広かった。

 すぐ脇にあった靴置き場だけでも、俺が住んでいるワンルームより広いかも知れない。


「……なかなか凄い、お城ですね」

「うん知ってる。でもぉ、何度か男の人を連れて来てるんだけどみんな裸足のまま逃げちゃうんだよね。だからほら、見てよ。もったいないよね」


 田村部長は端っこにある傘立ての隣を指差した。

 男物の皮靴が山のように積まれている。それも、下の方のものはほこりをかぶっていた。田村部長は御年40歳。埃をかぶっている最下層のものは何年物の皮靴なのだろうか。百貨店に売り出されている高級ワインよりも古いかも知れない。


「……そうですか」


 社会人二ヶ月目にして恐ろしさを実感した。なんだこれ。どうすればいいんだよ。


「おい、シャキッとしろ! ゆいりん王女が直々に城案内されているんだぞ? もっとちゃんと反応をしろよ!」

「そうだぞっ、この低いテンションのままじゃ、また一発芸をやってもらうことになるぞっ!」

「は、はぁ、すみません……」


 訳も分からず平謝りをする。とにかく、あんな無茶振りを再びされると考えると気がめいってしまう。

 ただ、それ以上に気になっていることがあった。

 隣にいる小太りの先輩、妹尾ハジメのテンションが明らかにおかしい。普段から仕事熱心で、同僚にも分け隔てなく優しい物静かな先輩だったはずだ。

 それが、このありさまは何だ。


「うーん、今日の晩餐会は何が出るのかにゃぁ、今日は爺やがご飯を作ってるから、“おじや”かな?」

「さ、さすがで……」

「いよっ! さすがは王女っ! 世界で一番かわいいですっ! 俺と結婚して下さいっ!」

「へへぇ、やっぱりそうかなぁ? でも結婚はダメ。白馬の王子様に会っちゃったからね!」


 田村部長がハジメ先輩に視線を送りながらくだらないことを言うと、ハジメ先輩はしゃがみ込んで口の横に両手を当てて大声で叫んでいる。

 なぜだか、その都度田村部長は俺の顔をまじまじと見つめて来た。怖いぐらいに澄んだ目をしている。目だけは小学生ばりの純真さを持っている。

 ともかくまぁ、ハジメ先輩は車中でもそうだった。こんな風に、さして面白くも無いシャレに全力で受け答えをする。

 これが社会人のあるべき姿なのか。自分を殺して得意先のお偉いさんの太鼓持ちに徹する。大人な対応と言えば、そう言えなくも無い。つまりは、相手の機嫌を損ねて会社の利益を損なわないためなのか。様々な考えが頭に浮かぶが考えはまとまらない。世の親達はこんな風になってまで俺たちを育ててくれたのだろうか。

 田村部長は足早にお城の廊下を歩いて行く。少し距離が出来た所で、ハジメ先輩に話しかけてみた。


「せ、先輩、ちょっと、どうしちゃったんですか?」

「何がおかしいんだ? 俺はいつも通りだけど」


 言葉・口調はいつものハジメ先輩だった。とはいえ、ちょっとだけ言葉尻は荒っぽいが、そんなことは些細な問題だ。

 何よりおかしい点は、なんというか、眼に光が無い。墨汁で塗りつぶしたように真っ黒。

 ハジメ先輩の二つある眼には、人としての感情がこもっていない。死んだ目をしていた。



―――


 結局、晩餐会の最中も、晩餐会が終わってからの帰り道も、ハジメ先輩はずっとこんな調子だった。

 意味の無い笑い声、異常に高いテンションと死んだ魚の眼。田村部長の機嫌を取るために、身を徹して皮を被った会社の英雄の姿だ。もしも、これが社会人のあるべき姿だとすれば、俺は社会に出る資格は無いのかもしれないと自己嫌悪に陥るほどだった。

 この日はちょっと痛いハジメ先輩を見るだけで済んだ。美味しいご飯を頂きながら2・3時間ほどゆいりん城に厄介になっただけで、これといった害は無い。

 ただ、おかしなことになったのは翌日になってからだった。朝礼終わり、阿部課長がやって来て話しかけてくる。


「おはよう赤塚君。昨日のことなんだけどさ、キミ、ハジメちゃんと外回りに行ったんだよね?」


 阿部課長は昨日の話を聞いてきた。田村部長とハジメ先輩の訳の分からないハイテンション空間。これもあまり思い出したくない事件だった。

 それに、なぜか俺の体をベタベタ触ってくるのだけれど、それは部下のことを心配しているからこそなのだろう。


「……はい。そうですけど、何かありましたか」

「それがさ、ハジメちゃんと連絡つかないんだよ。昨日何かあったの?」


 思い当たる節が無いわけでは無い。とりあえず昨日あった出来ごとを一通り説明した。


「……なるほどね。田村食品の部長さんとご飯を食べたのか。田村部長には失礼かも知れないけど、食事の時に何かに当たったのかもしれないね。だとしたらキミは実に運がいいな。キミの運を僕につけてほしいくらいだ」


 晩餐会では牡蠣や牛肉ユッケ、レバ刺しのような、よく当たる生モノは無かったはずだ。でも、ハジメ先輩は終始変なテンションだったし、課長の言う通り何かに当たっていたのかもしれない。


「まぁいいさ。年度早々に無断欠勤だなんていい根性をしてるけど、普段は真面目にやってるからね。一日くらいなら厳重注意くらいで許してあげよう」


 爽やかに微笑みながら阿部課長は軽やかにに去って行った。

 ただ、あのおかしなテンションはいつからだったろうか。そんなことを考えていると別の人がやって来た。


「マモル君、今さ、田村食品って言った?」

「おはようごうざいます春日先輩。昨日、田村食品の総務部の田村部長と食事をしたんですよ」

「……その部長さんって女性の方だった?」

「ええ。そうですけど」


 春日先輩は考え込む仕草をとった。普通にしていれば優秀なキャリアウーマンぽくってちょっとカッコいいのに。


「田村部長の写真って持ってたりする?」

「いや、無いですけど。どうかしたんですか」


 俺が聞き返すと、またも考え込む。今度は小声で何やら呟いている。


「……取引先の田村食品か。そういえば、あの子の実家は食品会社とか言っていたような」

「春日先輩、どうかされましたか?」

「……ちょっと突っかかることがあってね。もし、相手の部長さんの写真を撮れるんだったら写メでもいいからさ、とにかく撮って来て欲しいのよ」

「別にいいですけど、悪用とかしないで下さいよ」

「そんなことしないわよ。でも、気を付けてね。何かあったら私に知らせなさい」


 春日先輩はそう言うと、すぐさま自分の仕事に取り掛かった。

 「気を付けてね」。この時は、先輩の言葉が何を意味するのかさっぱり分からなかったし、理解しようとも思わなかった。

 ただ、その言葉の真意が分かるまでに時間はかからなかった。

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