東川口のユイ・2

 こんなことが日曜にあった。その日は昼食を一緒にとって帰ったのだが色々なことを考えさせられた。

 魔法少女はどこにでも存在する。でも、結婚できないと魔女も存在する。春日先輩や噴水前に座っていた女の子もそうだったし、アニメやマンガで見知っている魔法少女は可愛らしい子ばっかりだった。それなのに、なんというか、色々と大変な世界があるものだ。

 この時まで、魔法少女業界とはこれ以上の関わり合いは無いと思っていた。正体を知らされた所で実害は無いし、何ができると言う訳でも無ければ俺が襲われる理由も無い。

 そもそも、春日先輩の周りで繰り広げられているのは魔法少女対魔女の戦いなのだ。そんな中に一般人男性で魔法少女でも無い俺が入る隙なんてない。

 しかし、そんなことは無かった。争いの種は、身近な所にあった上に簡単に火がついた。


―――



 週始めの月曜日はハジメ先輩に連れられての外回りだった。朝から晩まで得意先を回って顔を覚えてもらう。営業のオーソドックスでベターな仕事だ。

 この日は10社ほど回って、午後7時前に予定していた最後の会社となった。


「最後はここだ」

「ここって、アレですよね、しょっぱいけど癖になる、あのふりかけで有名な……」


 赤シソの葉を塩漬けした、癖になるふりかけ。「ゆかりん」をつくっている会社、「田村食品」だ。


「ああ。そのアレだ。ここには文房具を卸している。ほら、行くぞ」

 受付に行って担当の人に合わせるように言うと、ソファーで待つようにって話だった。

 俺は辺りを見回した。ロビーは木々に囲まれている縁側にいるような純和風のたたずまい。入り口ではマスコットキャラクター「ゆかりん」の等身大パネルにお出迎えされる。

 腰まであろう長い黒髪に、紫色の和服を着たおしとやかな女な子キャラだ。


「ちなみにな、このゆかりんってのは俺が提案したんだよ」

「え、そうなんですか?」

「ああ。最近はゆるゆるなマスコットキャラクターが流行ってるだろ? お米の消費量も下がって来てるから、『真新しさを追求して、マスコットキャラクターなんてどうですか?』って部長さんに言ったら採用されちゃってさ。売上も伸びたみたいで俺も金一封をもらったよ」


 ハジメ先輩は高らかに笑う。


「その部長さんはその功績で上に行ったらしいし、俺が提案したのはそれまでなんだけね。ちなみに、あのマスコットは社長の知り合いをモチーフにしたらしいよ。あんな和装美人なんてどこにいるんだろうな。ま、かなりデフォルメされてるんだろうけど」


 意外な特技があるもんだなと感心していると、愛想のいい受付係に呼び出された。


「妹尾様に赤塚様、総務部長の田村がお待ちです」


 受付に案内されたのは総務部。黙々と仕事をしている中をひたすら歩いて行く。

 田村部長がいるというパーテーションで区切られたちょっと大きな部屋があった。欧米スタイルのパーテーションに圧倒されながらもノックをした。


「失礼します。7時に面会の予約を入れている赤塚です。失礼します!」

「はーい、どうぞー」


 扉越しに返事が返ってきた。厳格そうな声を想像していたが、思っていたのとは違うか甲高い若い女性の声だ。

 俺は意を決して扉を開けると、目の前で立っていた田村部長と思わしき少女に、出会い頭に挨拶される。


「こんにちわんっ!」


 目の前でおきた不可思議さに圧倒され、俺は一縷の迷いも無く即座に扉を閉じた。


「せ、先輩、間違ってませんよね?」


 すぐさまハジメ先輩と向かいあうと、自分たちが居る階・場所・部屋を確認した。ここは紛れもなく総務部で、なお且つ田村部長が居るはずのパーテーションの前だった。

 壁に掛けられている『総務部部長田村』という名札らしからぬ甘ったるい甲高い声。目線の高さには頭のてっぺんしか見えなかった。確かツインテールだった気がする。

 そもそも、扉の横に掛けられたパネルも、ミミズが走ったような字で『そーむぶちょー☆たむらゆい』と書かれている。なんだこれ。


「あ、ああ。ここって言われたよな」

「そもそも先輩、俺たちが会うのってこの田村部長ってのであってるんですか?」

「電話に出たのは別の人だったけど、この人で合ってるはずだ。ただ、田村部長については聞いたことはあるけど会うのは今日が初めてだ。俺が知ってるのは前任の工藤さんだけだし」


 とにかくここなのは間違いないらしい。息を揃えて深呼吸をすると再度扉を開けた。


「もぉ、なんで閉じちゃうの? ゆいりん、ご機嫌斜めだぞぉっ!」


 首の可動範囲最下位ぐらいに視線を落とすと、腰に手をやって怒っている田村部長がいた。

 身長は150センチも無いし、本物の小学生のような童顔で声も高い。上には濃紺のジャケットと丸襟のブラウス、下はジャケットと合わせたタイトスカートを履いているけど、どうみても小学校の卒業式だ。保護者じゃないぞ。卒業する小学生のほう。


「ほら、『こんにちわんっ!』って挨拶しなさいっ!」


 怒っていた田村部長は、満面の笑みで俺たちに微笑みかけていた。強い無言のプレッシャーを感じる。


「イェェスッッ! 田村部長。こんにちわんっ! 私、横山商事の妹尾ハジメと申します。今後ともよろしくお願いいたしますっ!」

「元気があってよろしい! こんにちわんっ!」


 さすがは社会人4年目の中堅社員だった。横にいるハジメ先輩も満面の笑みのままノリノリに返した。

 それから咳払いをすると、ハジメ先輩は姿勢を正して声色のトーンに戻して聞いた。


「つかぬ事をお伺いしますが、前任の工藤部長はどうなさったんですか?」

「くどーぶちょーは取締役になったのだ。だから、今はワタシがぶちょーなのだっ!」


 おかしなイントネーションをつける田村部長は「えっへん」と両手を腰に当てて堂々と言う。


「あ、あの、失礼かもしれませんが、田村部長はおいくつなんですか?」

「お、おい、バカ、今んなことを聞いてどうすんだ……」

「よかろう。教えてしんぜよう」


 ぴょんぴょんと跳ねるようにタワー型PCの置かれたデスクに戻ると、イスに座って一回転させてその場で立ちあがって言った。


「40だよっ!」


 ポーズを取りながら言う田村部長の言葉はあまりにも鋭すぎた。ヘッドショット!

 頭に激しい衝撃を受け、俺が背中から倒れ込む瞬間、横にいたハジメ先輩の顔を見た。


「く、くくく、くかぁっ!」


 なんとか耐えていた。ふわふわの毛皮が敷かれた絨毯にしっかりと足を付けて、一歩引きさがってはいるが足腰は生きている。先輩の眼は死んでいない。


「そ、それで、今日はウチに配属された新人を連れてきました。ほら赤塚、さっさと立て」

「なるほどねっ! ゆいりん了解しました。ほら、さっさと起き上がって挨拶をしなさいっ!」


 ハジメ先輩の手を借りて俺は立ち上がる。


「しょ、紹介にあずかりました横山商事の赤塚マモルと申します。これから何度かお伺いすると思いますが、その際はよろしくお願い……」


 名刺を渡し丁寧に挨拶をする。しかし、俺の挨拶を聞き終える前に、田村部長は両腕をクロスさせてバツ印をつくって見せた。


「スタッァァァプ、スタップっ! うーん、なんか違うのよね」


 もう理解できない。新人研修じゃこうしろって言っていたぞ。俺にどうしろって言うんだ。


「そ、その、どうかされましたか?」

「ひと言でいうとね、つまらんっ! お前の話は、つまらんっ!」


 田村部長の言いぶりは殺虫スプレーのCMに出ているおじいさん。

 どうやら、俺の挨拶にご不満であらせられるらしい。


「そんな挨拶じゃ名刺は受け取れないわ。ねっ! みんなっ!」


 田村部長がカメラに向かって話しかけると、


――確かに

――せやな

――一理ある

――面白い挨拶キボンヌ


 背後の一枚ガラスが白く濁ると、そこにコメントが流れ始めた。


「ちょ、ちょ、田村部長、これはなんですか?」


 ハジメ先輩も初めて体験した光景だったようだ。明らかに頬を伝う汗の量が尋常じゃない。


「え? コメントだよ。生放送の」

「な、生放送?」

「そうだよっ、ゆいりん王女の王国国営放送だよっ!」

「……はぁ?」


 意味不明な単語が積もりに積もったからか、俺から営業スマイルも、丁寧な口調もどっかに飛んで行った。素で疑問符と怒りがこみ上げて来て言い返してしまう。


「ええっ? ゆいりん王女の王国国営放送を知らないのぉ? おっくれってるぅ……」

「んなもん知らねえよ! てめぇ、ふざけんじゃ……」

「うわぁ、ゆいりん、この人こわぁい、なんなのぉ……」


 両手をクロスさせて肩を抱く仕草を取った。背後でもコメントが鬼のように流れている。


――ゆいりん王女を怖がらせるな!

――ゆいりん王女は純粋なんだぞ!

――親衛隊が黙って無いぞ!

――赤塚マモル殺す

――サーチアンドデストロイ。会ったら覚悟しろよ


 と、訳の分からない言葉と共に、どストレートな言葉で俺のことを罵倒してくる。そんな感じで場の雰囲気は最悪になる。


「いや、その、今のは申し訳……」


 常識的に考えて社会人失格な場面だろう。言いきって素に戻ると一瞬で顔面蒼白だ。

 あたふたとする俺の横でハジメ先輩が気を利かせた。


「そ、そうだ! 田村部長、赤塚が面白い挨拶をしますから、それを見てご機嫌を直して下さい!」

「うん、そうね。はい、キューっ!」


 ハジメ先輩の言葉を受けると、即座に機嫌を直してネタ振りを仕掛けて来る。頭の中はこんがらがった。訳の分からない電波な部長は、ギャグを何かやれと言って来ている。

 突っ込みどころ満載。だが目の前にいるのは得意先のお部長様。無碍に言い返すこと、すなわち利益の喪失に当たる。苦悶が俺の中で渦巻いた。そもそもの原因は俺の失言とはいえ、羞恥心と責任感の二つのせめぎ合い。

 二つの理念が唸りに唸った結果、一つのギャグが飛び出した。


「ん、ん、ん、デューン!」


 芸能界の荒波に揉まれながらも生き残った、吉○興業のベテラン中のベテラン『村○ショージ』。お笑い界の生き字引の売れたんだが売れてないんだかよく分からないギャグ。

 必死に考えた結果、なぜかこれが出た。

 右手で鼻をつまんで、勢いよく腕を伸ばす。自分で説明するのも恥ずかしいけど、他社の部長の無茶振りという緊迫した空気の中で、笑いという藁を、もがき苦しむ中で必死に掴もうとしてこうなったのかもしれない。

 全身のバネを使ってやりきったあと、隣にいるハジメ先輩を見た。ため息をつきながら冷めた目でこちらを見ている。

 そりゃ当然だろう。俺だって隣でこんなことを始め出したらそんな目で見てるし。

 穴があったら埋まりたかった。一週間ほどは掘り返さないでほしい。

 しかし、田村部長の反応は予想外のものだった。


「キャハハハ、いいね、なんかいいよそれ! 懐かしい感じがするからいいっ!」


 奇跡だった。

 苦し紛れのクソみたいなギャグが、田村部長の心の琴線に触れた。沸点が低くて助かった。

 見てくれはティーンに満たない子供みたいだが、懐かしネタに心を震わせる所はやっぱりアラフォー女性だった。まぁ、村○さん自体は現役だけどね。


――村○ショージかよ……

――いま、背中から変な汁が出たわ

――お前いくつだよ……

――そういえばアイツって何やってるんだろうな


 やっぱり、大笑いする部長の背後で淡々と流れているコメントが正しい反応だと思う。今時村○ショージで大爆笑する人なんていないだろうし。


「いやぁ、いいよ。意地悪しちゃってゴメンねっ。でも、言葉には気を付けた方がいいよ。私の気にいった男の子じゃなかったら即帰ってもらってたしね。それでマモル君、仕事は何時に上がるの?」


 田村部長は腹を抱えて笑いながら聞いてきた。ハジメ先輩が代わりに答える。


「私もコイツも今日はこのまま直帰ですが」

「そうなんだ。それじゃぁ、この後付き合ってよ」

「なににですか?」


 再び意味もなく椅子を一回転させる。今度はお茶目に小さくベロをはみ出させて言った。


「決まってるでしょっ。王国で晩餐会だよっ!」

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