東川口のユイ・1

 枕元で目覚まし時計の電子音が鳴り響いて俺は目を覚ます。


 今日は日曜日。そういえば昨日、先輩と約束してたっけ。

 カーテンを開けて日光浴をし、やかんに水を入れてコーヒーの準備。食パンをトースターにセットして、フライパンを温めて卵を落とす。タイムマシンを開発するような天才博士は身近にいないので、全ての作業を一人でこなした。

 そんな作業をこなしている最中、一昨日のことを思い出した。


「……一昨日は散々な日だったなぁ」


 昨日もあの事件が夢でフラッシュバックした。当分はこの悪夢にうなされることだろう。

 泥酔したお局社員にレイプされると思いきや、よく分からない黒タイツ軍団が襲って来て、お局社員が魔法少女、いや魔法アラフォーとなって黒タイツ軍団を倒し、俺がソレと結婚しなければならなくなった。

 目を覚ましている間、俺はあの一件について必死に考えた。いったい、何が起きているのだろうと。案の定、答えは出なかった。

 訳が分からないよ。それに、鬼のように春日先輩から電話が掛かって来る。


 それは土曜の朝の出来ごと。携帯の着信音で俺は目を覚ました。



―――




「んん? 春日先輩からか……」


 昨晩の事情を説明してくれるものかと思って電話に出ると、開口一番はこれだった。


「ね、ねぇ、マモル君、式はいつ挙げればいいと思う? やっぱりジューンブラ……」


 俺はガチャ切りして携帯をベッドに叩きつけてやった。高反発布団に衝突した携帯は、ウルトラCを見せて俺の手元に跳ね返って来る。

 それから2秒も経たないうちに、再び携帯が鳴った。


「じょ、冗談だって。ただ、電話口じゃ話し足りないだろうし、明日、日曜日に会って話しましょう?」


 こんなもやもやとした気持ちを抱えたまま過ごせるはずも無い。

 適当な場所を待ち合わせ場所にして電話を切った。


 そして日曜日の朝10時ごろ。待ち合わせ場所は山下公園の水の守護神がある噴水前。休日ということもあって男女連れのカップルが海を見ようとぞろぞろと歩いていた。


「へへへ、急に呼んじゃってごめんね、マモル君待った?」


 春日先輩は真っ白いワンピースに、薄ピンク色のカーディガンを羽織っている。上目遣いをしながらヘソの前でちいさなバッグを持ってもじもじとする。


「周りの人はアベックばっかりだね。やっぱり、周りの人達から見たら、私たちもアベックに……」

「……帰ります。また明日会社で会いましょう」


 言いたいことは山ほどある。まずアベックってなんだよ。それにカップルには見えねえよ。

 頭に来たので帰ろうとすると、涙目で俺のジャケットの袖を力いっぱい引いている。


「ちょちょちょ、冗談だって、冗談だからっ!」


 予想以上の剛腕。仕切り直し。


「……それで、なんなんですか! 昨日のことを説明して下さい!」

「あなたを巻き込んでしまって申し訳ないと思ってるの。ちょっと長くなるけど、我慢して聞いてちょうだい」


 ベンチに座った春日先輩はいつになく真剣なまなざしで言う。そんな風に見られたら俺だってふざけた態度はとれない。それ相応の態度で臨もうと心のうちで決意した。


「実は、この世界って魔法少女がたくさんいるのよ。知ってた?」


 前言撤回。知らねえよ。呆れてものが言えないぞ。2秒前にあんなことを思った俺を殴ってやりたい。


「すみません、いや、ふざけるのもいい加減に……」


 何か言い返してやろうと春日先輩の方を向くが、顔つきは変わらずにいつになく真剣なままだった。それでも信じられるはずない。


「……いや、なんでもないです。話を続けてください」

「例えば、ほら、あそこにいる女の子を見てみてね」


 春日先輩は噴水の前で座っている女性を指差した。

 パッと見た感じでは、年は20代半ばから後半くらいの黒髪の女性。白いカーディガンにふわふわとした感じのファッション。なんてことのない森ガール風のちょっと可愛らしい女性だ。


「いや、普通の女性じゃないですか」

「マモル君はやっぱり若いわね。ほら、よーく見てなさい」

「そりゃ、僕と先輩じゃ一回り半は違いますからね」

「……いいからこっちを向いて」


 そう言うと、春日先輩は俺のおでこに人差し指を当てて、なにやら小声で呪文を言う。


「魔法少女術式ノ十二……『まじかる☆アイ』開眼せよっ!」


 頭に衝撃が走る。冬の朝を思い出してほしい。寒気が鼻孔を通って体の芯まで冷えるように、何かよく分からない『気』が俺の脳内へと入っていく。


「す、すごい…… これは、まるで……」


 指先から変な力が投入され、さっきの場所に視線を戻すと、噴水の前にいた女性の格好が変わって見えた。


「こ、これじゃまるで……」


 さっきの女性が着ていたのは森ガールなどではない。

 ピッチリとした青いノースリーブのワンピースに、胸元には子供の顔ほどはありそうな青いバラのコサージュ。髪の色だって黒じゃなくて、鮮やかで光沢のあるターコイズブルーだ。

 森ガールならぬ魔法ガール、文字通りの魔法少女だった。


「これは、『まじかる☆アイ』ナリ。かすがの能力でこの世界にいる魔法少女が見えるナリ」


 カバンからちょこんと頭を出したコロは偉そうにそう説明する。

 俺が呆気に取られてさっきの女性を眺めていると、春日先輩は鼻を鳴らして言った。


「私が言った通り、この世の中には魔法少女がたくさんいるの。ちなみに、よくテレビで流れている魔法少女アニメは私たちの活躍が表に出ちゃって改変されたものなの」


 目の前の光景に、アニメ云々の話など俺の頭に入らない。元から興味が無かったからなのかもしれないし、魔法少女がたくさんいるって情報に負けたからなのかもしれない。


「大概のモノはハッピーエンドで終わるけど、所詮は成功話でしかないからね。裏じゃ結構あくどい話もあるのよ。ちなみに魔法少女って、結婚しちゃうと能力が失われるんだよ」


 春日先輩は続けて話をしていた。「へぇ、そうなんですか」としか言いようが無いし、これといった反応も出来なかった。


「なんか良く知りませんけど、魔法少女って本当にいるんですね。びっくりしましたよ」


 春日先輩の方を向くと路地裏で見た姿をしていた。カーディガンなんて羽織っていない。前と同じの魔法少女に変身した格好だ。

 再度、指先で俺の眉間をつつくと、さっきまでのカーディガン姿に戻って見えた。ターコイズブルーも、元通りになってすたすたとどこかに去っていく。


「まじかる☆アイは昔の魔法少女しか使えないっていう技らしいんだけど、これをやったのは学生のとき振りかな、今となっては誰が魔法少女なのかとかそんなに興味ないし、分かった所で話す相手もいないし、ドッと疲れちゃうからやりたくないのよね。それに……」

「それに?」

「これって自分と最愛の人にしか使えないの。だから今こうやって出来ているのは……」


 路地裏での会話は本気らしい。

 思い切り言ってやりたかったけど、咄嗟のアレでちゃんとした返しが出来ない。


「や、やめーや!」

「フフ、冗談よ。でも、これで私の言ったことを信じてくれるでしょ?」


 春日先輩は指先を離すと真剣な目でこちらを見つめてきた。

 実際に休日を楽しむ魔法少女を見てしまったので俺は頷くしかない。


「それで、あのTA教とかいうのはなんなんですか? 今のまじかる☆アイと関係するんですか?」


「魔法少女はたくさんいるの。その能力は結婚すると失われる。ここまでは理解出来るわよね」

「なんとなくですけど、はい」

「当たり前だけど魔法少女も歳を取るの。それで、結婚できなかった魔法少女はどうなると思う?」


 結婚をして能力が失われれば魔女化しない。ということは、歳を取っても魔法少女の能力が残っているとどうなるのか? 春日先輩の言いたいことは、そういうことだろう。


「あの金切り声を立てていたのはそう言う女の子たちなの。俗世間に絶望して魔女になっちゃったのよ。と言っても魂だけなんだけどね。それらを率いているのがTA教よ」


 つまりは、行き遅れた魔法少女の残滓が、あの銀仮面の黒タイツで、魔女だという。

 魔女といっても真っ黒な装束に、つばの広い先の折れたとんがり帽子をかぶっているものかと思えば、仮面をかぶった全身黒タイツ。なんとも夢の無い悲しい話だ。


「女の子ってさ、女の子同士になると羞恥心も何も無くなっちゃうからね。あんな感じの黒タイツ、つまりは魔女でいられるのよ」


 春日先輩は微笑みながら言った。話そのものはなんとなくだけど理解出来た気がする。

 ただ、何度も口にする”女の子”という単語は納得が出来ない。


「は、はぁ、そうなんですか…… ちなみに、TA教ってのは何かの略なんですか?」

「TeenAger教。つまりは10代の女の子教ってことね」


 聞いただけ損だった。構成員に十代なんていないじゃないか。いるのは数十代の結婚できない女性、TyAgerばかりだろ。


「……それで、能力の残りカスが黒タイツなら、魔女の実体はどこにあるんですか?」

「いい質問ね。それが、なんにも分からないのよ」


 ガクッとなる。


「連中のアジトがどこにあるかもわからないの。それに、マモル君も見たと思うけど、黒タイツって倒されちゃうと消されちゃうじゃない。追うことも出来ないから、現れてきた黒タイツを倒すしかないのよ」

「それで連中の目的は何なんですか。地球征服でもしようって言うんですか?」


 それなりの目的があるから魔法少女を魔女にしているんだろうし、春日先輩を定期的に襲っているんだろう。そう考えるのが普通なはずだ。


「さぁね。悪役連中の目的を私が知ってる訳無いでしょ?」


 何を言っているんだこの人。


「いやいやいや、それはおかしいでしょ。ってことは、あの連中は何の目的もなく春日先輩を襲ってくるんですか?」

「私がそれを知りたいぐらいよ。昔のTA教は若さへの嫉妬を源にして活動してるって言ってたけど、今は分からないな」

「まぁ、昔なら知りませんけど、今の春日先輩から若さを奪おうだなんて不毛過ぎますからね」


 目を細めて露骨に俺を睨み付けた。眉間にしわが寄ると塗りたくられたファンデーションの厚い壁が破られそうになる。


「とにかく、今もそれが目的だとは思えない。それに、今の私には新しい情報を得ることも出来ないから知りようが無いわ。私に出来ることと言えば目の前の敵を倒すことぐらい。これといった仲間もいなかったからね」


 確かに春日先輩の言う通りかもしれない。

 そんな中で、一つだけ疑問が浮かぶ。目の前にいる人のことだ。


「……教団の目的は置いておいて、要は結婚出来ない魔法少女が魔女になるんですよね。ってことは、遅かれ早かれ春日先輩も黒タイツの仲間入りになっちゃうんですか?」

「ほんとに失礼ね。でも確かにマモル君の言う通りよ。この日に至るまで何度も私は魔女化しかけた。実を言うと歓迎会のあの日、かなりかなり危なかったような気がするの」


 あの時のことはあまり思い出したくない。まぁでも、春日先輩、やばそうな顔だったもんな。


「でも今は絶対に違うって言える。マモル君にだけなら、ちょっと恥ずかしいけど理由を教えてあげる……」


 春日先輩はニッコリと微笑むと俺の腕に抱きついてきて言う。


「……私はあなたと出会えたから。だから絶対に魔女化しないわ」

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