かわいい魔法少女(41)がやってきた・3

 ここまでも良くある話かもしれない。

 売れ残ったアラフォー。どんな職場にも一人はいるだろう。その人に酒の席で年齢の話をして絡まれる。口では笑っていても内心じゃ怒っている。それらは何ら不自然なことではない。

 ただ、問題が起きたのはこの後の話だ。


 横でビールをガンガン飲んでいた春日先輩だったが、ペースが明らかにおかしい。

 先輩と俺が同じタイミングで中ジョッキを頼むとしよう。俺がジョッキを三分の一飲み干した時にはジョッキを一杯分空けていて、店員に「もう一杯お願い」と赤ら顔で頼んでいる。


「せ、先輩、そんなペースで大丈夫なんですか? もう7杯は飲んでますよね?」

「最近の若い子はお酒に弱いのね。ちなみにこれで8杯目。どうせ明日は仕事も無いし、ガンガン行きましょう!」


 春日先輩は右手で俺の背中をバンバンと叩きながら、左手で持っているジョッキを一気にあおった。そんな感じで10秒も経たないうちに8杯目の生ビールを飲みきった。

 ノリがいいのか、はたまたペース配分が出来ないのかは分からない。目の前にいる先輩は豪快なのは分かったけど、この調子でいけば胃の中身をぶちまけることは確実だろう。

 そして、俺の予想は見事に的中する。


「それでさぁ、その子ったら酷いのよぉ。今年の初めにね、年賀状を送って来たの」

「……その話は聞きましたって。寿退社した先輩より若い女性から年賀状が来て、三人目の子どもが生まれるってのを知ったって話ですよね?」


 異常なペースを続けたまま2時間が経った。年下の女子社員に対する愚痴を聞かされながらへとへとの俺がやっと6杯目に差し掛かった時、春日先輩は少なくとも15杯の中ジョッキを飲み干していた。


「酷いでしょ。同級生に見せつけるならまだしも、年上で独身の私にそれを見せる? おかしいでしょってのっ!」

「その、結婚とかよく分かりませんけど、春日先輩は独身貴族みたいでいいじゃないですか。もらった分だけ自分のことろに還ってきますし」

「私は独身貴族じゃないしぃ、結婚願望アリアリよ。絶対にあきらめないんだから。絶対に負けられない戦いがここにあるのぉ!」


 日ごろの不満が溜まりに溜まっていたのだろう。顔を赤らめた春日先輩からほとばしる言葉に限りは無い。愚痴を一つこぼすごとにジョッキを一杯平らげている。ビールの本場ドイツでもこれほどのペースじゃ呑まないって。


「それでさっきの話なんだけどぉ、やっぱりおかしいでしょ。わざわざ見せつけるように送って来ちゃってさぁ。新人研修の時も、課に配属された時も優しくしてあげたのにぃ、若い子達の間で影でこそこそ結婚できないだのって言ってたのを見逃してあげたのに、その、そのぉ結果がこの仕打ちって訳? ありえないでしょぉ!」


 知ったことか。んなこと言ってるんだったらさっさと結婚すればいいじゃないか。

 と、面と向かって言えるはずもなく、俺は適当にはぐらかすしかない。


「その、まぁ、先輩は美人ですから、相手なんかすぐにでも見つかるんじゃないですか? ほら、阿部課長なんか男前だし、独身みたいですから……」

「若い子に美人って言われるなんて嬉しいなぁ。ちなみにさ、私ね、凄い力持ってるのよぉ」


 今度はなんだ。


「どんな能力なんですか?」

「えっとねぇ、それはねぇ……」


 春日先輩はゆるふわな髪先を指先でいじり始めた。

 いや、別にもったいぶらないでいいですから。さっさと話して下さいよ。


「……魔法を使えるのよ」


 言葉が出ない。未知との遭遇である。


「あれぇ? ちょっと疑ってるんじゃない?」


 我に返った時、真っ先にこう思った。

 論ずるに及ばずだって。何言ってんだコイツ。

 心からそう思っていたけど、俺は社会人になってひと月ほど。歓迎会なんて開かれたのは初めての出来事だった。

 デスクワークの初歩や、仕事のこなし方。研修で様々なことを教わってはきたが、はっきり言って実務となると話は別である。職場では常に緊張していたし、正直なところコピー機の取り方もままならなかった。どれだけ色んな職場の先輩が優しい言葉を掛けてきてくれても、まともに言い返せた覚えが無い。

 そう考えると、この言葉も俺たちを和ませるためのジョークなのだと思える。春日先輩がいくら酒に酔っているとはいえだ。さすがに素面でこんな事を投げかけて来る人はまずいないだろうしね。

 それに、いつぞやの授業でコミュニケーションの初歩は相手との対話とも教わった。

 無碍にする訳にもいかない。適当に話を合わせておけばいいだろう。そう直感した。


「やっぱりいるんですね。間近で見たのは初めてですよ」

「え、なになに、信じてくれるの?」

「そりゃあそうですよ。これだけ人間がいれば魔法少女の一人や二人いたっておかしくないですって」

「そっかぁ、初めてそうやって言い返してくれた子がいたよぉ」

「まぁ、でしょうね……」

「とうとうばれちゃったかぁ~、いやぁ、困ったねえこれは」


 いやおかしいよ。十二分におかしい。それでも、春日先輩は笑っていた。それどころか、頬を赤くして少し目を潤ませている。

 色んな新人社員にこれをやって適当にあしらわれ続けていたのからなのかもしれない。そう考えるとこっちも泣けて来た。


「それで、マモォルくん、そのね……」


 顔を真っ赤にして上気させていたはずの春日先輩だったけど、この一言を境にして震えながら真っ青な顔をして俺の肩を叩いた。


「急に黙り込んでどうしたんですか」

「ゴメン…… マモル君、ちょっと気持ち悪いかも……」


 脂汗をかきながら、細く長い指で口元を押さえている。緊急警戒警報発令だ。

 言わんこっちゃないと思ったけれど、ここでぶちまけられたらシャレにならないので放置するわけにもいかない。

 俺は辺りを見回した。あさひは先輩へのお酌をしに回っているので声が掛けられない。隣にいたはずの先輩二人もそそくさと遠くへ逃げ出している。それどころか、たまたま目があった瞬間に二人に合掌された。お前でなんとかしろ、か。

「……わかりましたよ。お手洗いに行きましょう。吐き出すんなら、そこでお願いします」


 俺はアルコール臭いため息をつくと、よろよろとしながら青い顔をする先輩の手を引いてお手洗いに向かった。

 よろよろとしながらお手洗いに付くと、幸か不幸か、お手洗いは男女共用で誰も使っていなかった。俺は重い足取りで、お手洗いのドアを開けて先輩を中に引き込んだ。


「とりあえず個室にお願いします。一通り出し終えたら教えて……」


 そんな常套句を言い終える前に、個室の戸が音を立てて勢いよく閉じられる。

 それから俺は春日先輩に壁へ思い切り抑えつけられた。いわゆる壁ドン状態だ。


「か、春日先輩?」

「ほ、ほの、わらひ、酔っぱらっひゃったぁ」


 さっきまで青い顔をしていたのに、今度は訳も分からず大笑いしながら顔を真っ赤にしている。先輩が酔っぱらっているのは痛いほど知っている。

 そしてこの時、なぜ春日先輩の周りに人がいなかったのか。

 また、先輩二人が恐れた意味。

 この瞬間、俺は全てを理解した。


「せ、先輩、めちゃくちゃ酒癖悪いんですね……」


 丁寧な言葉で取り繕ったけど、早い話が酒乱だ。

 なぜ一人で飲んでいたのかというと、絡まれるのを恐れて春日先輩に近づかなかったのだろう。俺だって知っていれば近づこうなんて思わなかった。


「れれぇ? 何の話かわからにゃいにゃぁ……」

「いやいや、それくらいはわかるでしょう。ほら、さっさと出すものを出して下さいよ」

「んぅんもぅ、かわいいなぁマモル君はっ!」


 何を言ってもちゃんとした反応は返ってこなかった。

 とにかく、何か動こうにも外からの漏れ伝わる明かりだけじゃ足りないので、とりあえず電気をつけようと両手を広げて必死に壁をまさぐった。

 なぜだかスイッチがどこにも見当たらない。どうやらスイッチが外にあるタイプらしい。

 そんなことにも気が付かず、俺が必死になって手をやっている最中だ。柔道の小外刈りの要領で俺は床に無理やり押し倒された。見事な一本。流れる所作には無駄にキレがある。


「へへへ、すごいれしょ……」


 馬乗りになる春日先輩の眼は笑っていない。今、本当に笑えないのは俺の方なんだけど。


「トイレで出すもの出すんれしょ? だったらここでしちゃおうよ。いいれしょぉ?」


 ……何を言ってるんだこの人は。


「いや、マジで勘弁して下さいって。確かに彼女はいませんけど、今はそんな気分じゃ……」


 焦る俺をしり目に、春日先輩は俺に抱きついて来てワイシャツに手を伸ばしてきた。

 ファンデーションの粉っぽい匂いを嗅いで初めて気がついたが、普段は化粧でごまかしているが、目元には小じわ、くま、ほうれい線がうっすらと浮かび上がる。首元は皮っぽくて肌にハリがない。

 パッと見は美人でもやっぱりアラフォーのオバさんだった。


「……ねぇ、いいでしょ? 私はもう我慢出来ないの」


 酔っぱらって甘えて来たと思いきや、真面目な顔になって俺の鼻先を指でなぞる。酒乱に加えて情緒不安定。どうしようもない。

 床に敷き詰められたタイルに頭をぶつけたからか、公共放送の『やってみてガッテン』でアラフォー女性が特集されていたのを唐突に思い出した。

 特集の名前はプレ更年期障害。

 仕事のストレス、将来への不安、女性ホルモンの低下から来るらしい。30代後半の働く女性によくある症状だという。

 そりゃ、陰で『春日の局』だなんて呼ばれているのだ。なっても当然なのかもしれない。


「……既成事実を作っちゃおっか」


 彼女の身の上には同情こそすれ、この状況は笑えない。全くもって笑えないぞ。

 春日先輩の妙に艶っぽくてアルコール臭がする熱のこもった吐息と、ひび割れた便所の冷たいタイル張りの床が、俺の心を一層冷たくさせる。

 春日先輩は着ているブラウスを勢いよく脱いだ。パープルのシースルー生地のブラジャーが俺に問いかけてくる。


――私は構わないのよ。早く来なさい


 光沢のあるブラジャーが問いかけて来たように思ったけど、その声の主は春日先輩のものだったののかもしれない。とにかくそんなことは些細な問題だ。

 俺は理性と戦った。間違いなく春日先輩は美人だ。それは揺るぎない事実だ。ただ、年齢は一回りは違う。いや、一回り半も違う。さっきだって「既成事実を作っちゃいましょう」なんて口走っていた。それに引き換え、俺はまだ23だ。ここで将来を決めるにはまだ早いし、色々とやってみたいことだってある。



 こんなことがあって冒頭の場面に戻る訳だ。

 今の状況を笑いたければ笑えばいい。俺に対して同情したければ同情しろ。

 その代わり助けてくれ。本当にお願いします。

 酔いの回る頭の脳細胞をかき集めて一通り考えた結果、いや無理して考えるまでもない。

 下した答えは一つだった。


「ほんと止めましょうって。飲み会だって佳境ですから誰か来たっておかしくありませんよ。そうなった時、こんな面倒を起こすのはお互いのためになりませんよ」


 それでも、あくまで穏便に事を済ませたかった。脂汗を背中にしっとりとかきながら言う。

 やっぱり、言葉は春日先輩には届かない。


「……ちょっと勘違いしてない? 面倒事っていうけどさ、この状況で分が悪いのはマモル君。私が大声を上げればあなたはクビよ。それでもいいの?」


 眉をひそめた俺だが、目の前の春日先輩は頬を紅潮させながらいじらしく微笑んだ。

 この手の裁判では女性が圧倒的に有利だ。当然、春日先輩が声を上げれば店員が来る。入社早々強姦騒ぎを起こしてクビだなんてことになれば、親に見せる顔も無ければ社会復帰は絶望的だろう。このババア汚いぞ本格的に。


「言ったでしょ? 私は本気なの。お願い。私と付き合って!」


 とうとう告白までされてしまった。告白をされるって行為自体は悪い気はしないが、この状況下で「ありがとうございます。お付き合いましょう」なんて男は誰もいないだろ。

 天井を見上げると天窓から強い光が差し迫って来る。通り沿いにある建物だし、なんてことの無い自然光かもしれないけど、ハイエナに喰らいつかれそうになっている俺には神様の宣託のようにも見えた。

 ああそうですか、神様まで諦めろと仰るのですか。


「……私が全部やってあげる。じっとしててね」


 とうとう行為に及ばせられる時が来た。ワイシャツは完全に脱がされ、春日先輩はほのかに微笑んで耳元で囁やくと俺の乳首を這うように指で触った。繊細なタッチで身震いしてしまう。

 俺は目を瞑った。目をつぶれば何も見えない。少し気が楽になった。

 だが、新しい問題が壁の向こうからやって来る。

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