第113話 なおの記憶 その5

 どうやら幼い女の子には伺い知れないような深い事情がこの一族にはあるのだろう。母親はキョトンとしているミルを前に深々と頭を下げた。


「ごめんなさい」


「何で謝るの?」


 女の子には母親が謝るその理由が分からない。彼女は涙を流しながら遺跡の硬い台座の上にミルを寝かせ、遺跡の魔法装置を発動させる。次の瞬間、遺跡は魔導エネルギーを台座に注ぎ始め、その全ての力を横たわる小さな継承者に与え続けた。その影響でミルの全身に魔法聖痕が刻まれ、遺跡が保存してきた過去の記憶も強制的に意識の奥深くに刻まれていく。

 いきなり膨大な記憶を植え込まれるその精神的負担は凄まじく、あまりのショックに追体験していたなおの精神は耐えきれなかった。


「うわああーっ!」


「なお君?!……済まない、ここまで負担をかけてしまうなんて……」


 実験中、慎重に経緯を見守っていた部長は彼女が叫び始めたところで実験を中断。その時の装置の数値は常人が耐えられるストレスの3倍の数字を表示していた。

 制御室から全ての接続を切って部長がなおの側に駆け寄る。心配そうにヘッドセットを上げた部長に気付いた彼女は、ゆっくりとまぶたを上げると実験中に自分の見ていた景色を報告する。


「……見ていました」


「え?」


「ここではない景色を……多分あれが本当の私の生まれた場所」


 弱々しく、しかしはっきりとした口調でなおは部長に実験の成果を伝えた。部長は彼女の体調を気遣いながらも、その報告の内容に関心を寄せる。


「やはり魔法壁の向こうにも人の住む場所が……?」


「はい」


 部長の質問になおはゆっくりとうなずいた。自分の想定の正しさを証明するために部長は更に言葉を続ける。


「君はそこから逃げてきた?」


「そこまでは分かりませんでした。でも、もしかしたらそうなのかも知れません……」


 その反応から、どうやら今回の実験では彼女が魔法壁を越えたところまでの記憶は引き出せなかったらしい事が伺われた。なおの疲労具合からこれ以上聞くのは今は止めた方がいいと判断した部長は、口元に笑みを浮かべて優しく話しかける。


「焦る事はない。君さえ良ければ、また体調が戻った後でゆっくりと調べよう」


「はい、お願いします」


「分かった。今日はこれでお仕舞いにしよう。紅茶は好きかな?」


 ひと仕事終わった後は休憩だと、部長はなおにお茶の好みを聞いた。ゆっくりと椅子から起き上がった彼女は部長の方に顔を向けるとにっこりと笑う。


「はい。割と好きです」


「ふふ、君は正直だね」


 こうして2人はラボを離れるとまた部室に戻り、優雅なティータイムが始まった。なおは自分がお茶を入れようとしたものの、独自のこだわりのある部長がそれを止め、大人しく椅子に座って待っていた。

 やがて紅茶と軽いお菓子が運ばれてくる。部長の入れた紅茶は流石こだわりがあったみたいで、それはもう極上の素晴らしい味だ。


 お茶を飲みながらの話は、部長からの一般的な世間話やら、今まで召喚魔法部が手がけた様々な逸話の話で、実験中の話は一切質問されず、なおもまた自ら語ろうとはしなかった。部長の気遣いを感じながら彼女はずっと聞き役に徹していた。



 同時刻、転移魔法の習得に励むマールはスパルタ先輩の指導のもと、気合を入れに入れまくっていた。


「ぐおおおおーっ!」


「おっ、結構やるじゃねーか。第3段階のコツを掴み始めたな」


 限界を超えた頑張りによって第2段階も勢いでクリアした彼女は先輩に感心されるほどの成果を上げる。褒められたマールは、ここで緊張の糸も切れたのかその場で勢いよくぶっ倒れた。


「ハァハァ……どうです?私もやるでしょ?」


「少しは認めてやるよ。この領域、正直魔法検定Eでは無理だと思ってた」


「ニヘヘ……」


 珍しく褒め言葉が続いた事が嬉しくなった彼女は、だらしなく顔を歪ませて気の抜けた笑顔を見せる。ひとしきり笑った後、マールはそのままゆっくりとまぶたを閉じてピクリとも動かなくなった。

 この様子を見て流石に焦った先輩は、急いで大の字に寝っ転がっている彼女に近付いた。


「お、おいっ!」


 それからすぐに呼吸の確認をすると、しっかり呼吸が出来ている事を確認する。どうやらオーバーワークのせいで体が休息モードに入っただけらしい。


「何だ、力使い果たして寝ちゃったのかよ。びっくりさせやがって……」


 真相が分かったところで、安心した先輩はその場にぺたりと座り込んだ。いくら自由に指導していいと言われても、相手を壊してしまってはその罪も問われてしまう。

 その場で寝てしまうほど追い込んだ責任もあると、先輩は適切な場所へとマールを運び込んだ。



「……あれ?」


「お、起きたね」


 マールが気が付くと、そこはふかふかのベッドの上だった。すぐには自分がどこにいるのか分からなかったものの、白衣の先生がすぐに声をかけてくれたのでそこがどこなのか判明する。

 ベッドに横になったまま、彼女は話しかけてくれた先生の顔を見つめた。


「先生?もしかして、ここは保健室?」


「そうだよ。二年生の生徒が君を運んできたんだ。疲れたみたいだから休ませてくれってね」


「ミーム先輩……」


 口ではあれだけ厳しい事を言いながらも、倒れた自分を運んでくれるなんてとマールは少しだけ先輩の評価を修正する。保健の先生はにやりといやらしい笑みを浮かべると、興味津々と言った雰囲気を漂わせながら話しかけてきた。


「そうそう、君、あの子と関わってるのかい?」


「え?えーと……」


 召喚魔法部は学校では秘密の存在。正式に活動を認めているのは生徒会くらいで、いくら保健の先生だからと言って、そこに所属している事を簡単に話していいのだろうかと彼女は悩む。苦悩しているのが雰囲気で分かったのか、先生はニカっと明るく笑った。


「はは、別に気構える必要はないよ。私も召喚魔法部のOGだから」


「そ、そうなんですか?」


 先生の口から語られたその衝撃の真実にマールの目は丸くなる。ついでだからとばかりに彼女は先生に質問を飛ばした。


「もしかして先生方の中には元召喚魔法部員が結構多いんですか?」


「うーん、まぁここの教諭の何人かはそうかな。ほとんどはもっと上を目指しちゃうからね」


「ええ……、すごい」


「いやいや、私はこの学校が好きなだけだよ。で?習得具合はどうだい?」


 この突然の問いかけの意図が分からずにマールは軽く混乱するものの、習得で思いつくのがさっきまで苦戦していた転移魔法しかなかったので、ダメ元でそうだと想定して返事を返した。


「転移魔法ですか?第3段階です」


「おっすごいじゃないか。まだ習い始めたばかりなんだろ?」


「でも先輩からはさんざん筋が悪いって……」


 先生にはその成果を普通に褒められたものの、先輩からさんざん罵倒されていた事もあって、マールは素直にその言葉を受け入れられない。そんな寂しげな彼女の雰囲気で大体の事情を察した先生は、眉を下げて慰めるように先輩の代わりに謝った。


「あの子、威張れる後輩が出来て調子に乗ってるんだよ。ごめんな」


「いえあの……。もしかしてミーム先輩の事も詳しく知ってるんですか?」


「知ってる知ってる。あの子が召喚魔法部に入った経緯も含めてね」


 どうやら保健の先生はミーム先輩を以前から詳しく知っているらしい。

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