第15話 魔法体育祭 その2

「はぁ……こりゃ先が思いやられるなぁ」


 まずはマールに運動しやすい服に着替えてもらって――やっぱ定番のジャージだよね――僕らは外に出た。運動の前はしっかりストレッチして、それから本番の運動をしてもらおうと思っていたんだけど、彼女はストレッチが終わった段階ですぐに帰ろうとする。

 ここで帰られたらたまらない。その様子を見た僕はすぐにマールを止めた。


「ちょ、ま、今からが本番だよ!」


「体動かしたからいいじゃない!走るのは明日から!」


 全く、どこまで走るのが嫌なんだよ。何とか僕は彼女をなだめながら、ちゃんと走ってもらえるように乗せていく事にした。


「学校の授業じゃないんだから、自分のペースで走ればいいんだよ。早歩き程度だっていいんだから、とにかくやってみてよ」


「ぶー。とんちゃんは真面目なんだから」


 僕の言葉が効いたのか、マールはふてくされながらも渋々走り始めた。最初は本当にちょっと早く歩く程度のスピードだったけど、体が少し慣れたのか徐々に走行スピードは上がっていった。軽いジョギング程度の早さになった時、僕は彼女がただ走っているだけだと言う事に気が付いた。

 これじゃあ魔法スポーツになってない、ただの体を動かすだけのジョギングだ。きっと今まで運動に魔法を使っていなかったからやり方が分からないんだ。

 だから僕が最初にやらなきゃいけないのはマールに魔法の使い方を指導する事だった。


「ほら、それじゃあただのジョギングだよ!足を持ち上げるように魔法を意識して!」


「ええっ、走りながらなんて無理だよお!」


 やる前から諦めるマール。こうなる事は予想していたけど、ここを乗り越えないと話は進まない。うーん、何て言えばいいかなぁ。

 魔法で運動をアシストすれば身体も軽くなって運動するのも楽しくなるんだけど……。


「マール、イメージだよ!足を持ち上げるようにイメージするんだ。最初は軽いのでいい、出来る範囲でいいんだ」


「足を持ち上げる……足を持ち上げる……」


 僕の言葉をヒントにして彼女はやっと魔法スポーツの入り口に立った。ぎこちないながらもマールの足に魔法の力が宿っていく。

 しかしまだ初めての実践なのでうまく感覚が伴わない。うまく魔法の力が乗ったり、そうかと思えば全く乗らなかったりしていた。

 ここで僕がその調子を見てしっかり指導しないと。使い魔の腕の見せ所だよ!


「そうそう、足に魔法力を意識して!軽くなるでしょ!」


「そんなにうまく出来なっ、あっ!」


 力の使い始めで足に宿らせる魔法の力のバランスがうまく取れない上に僕の指導に気を取られたのか、次の瞬間マールは思いっきり転んでしまった。

 本来は彼女の身体を心配しなくちゃいけなかったんだけど、僕はついアドバイスのつもりで彼女の失態を注意してしまう。


「力の入れ方がアンバランスなんだよ……だから転ぶんだよ」


「もう止めるー!」


「あ、ちょ、最初は誰だってうまくいかないんだってば!」


 僕に心配してもらえなかったマールはヘソを曲げてどこかに走り去ってしまった。こう言う時だけは本気で走っていくんだから。

 全く、誰の為にやってるんだか分からなくなるよ。ただ、僕の言い方も悪かったと反省した。


 走り去っていったマールは僕の指導の通りにしっかり足に魔法力を乗せているようだった。気持ちが乗ると更に早く走る事が出来るのがこの魔法スポーツの特徴で、普段の何倍ものスピードを出しながら彼女は僕の視界からあっと言う間に消えてしまった。

 その様子を見て、それが無意識だったとしてもやっぱりマールにはしっかり才能はあるんだと僕は呆れながらも感心していた。


「やっぱやれば出来るんだよなぁ……。やらないのは勿体無いよ」


 自主練を嫌がってその場を離れたマールは海まで来ていた。練習を始めた彼女の家の近くの公園から海までは普通に走って30分はかかる距離にある。

 魔法スポーツの感覚を覚えたマールはそれをたったの10分でこなしていた。つまり普段の3倍のスピードで走っていたんだ。

 ただ、この時のマールは無意識だったため、自分がそこまで早く走ったと言う自覚は全くない。自覚していれば今後もその早さで走れるだろうに、本当に勿体無いないなぁ。


 海に着いたマールは砂浜に腰を下ろして沈んでいく太陽をぼうっと眺めていた。


「あ~あ、体育祭なんてなくなればいいのに……」


「あれ?マールじゃない」


 黄昏れている彼女に声をかけたのはしずるだった。結界のチェックで海岸沿いを仕事場にしているしずるはこの場所にもよく来るらしい。

 しずるに声をかけられてマールはゆっくりと彼女の声がした方向に顔を向ける。しずるの顔は夕日に照らされて真っ赤に染まっていた。


「しずる?今日もお勤め?」


「そうね、さっき終わったとこ」


「そっか、御疲れ様」


 自分達が遊んでいる間も仕事に精を出しているしずるをマールはまず労った。その言葉を受けて彼女はニッコリと笑う。

 それからしずるは普段夕暮れ時に浜辺になんているはずのないマールにその理由を尋ねた。


「どうしたの、こんな所で」


「とんちゃんの特訓から逃げて来たとこ」


 しずるの質問を受けて彼女は何も隠さずに素直にそう答えた。この答えにすぐに反応したのはしずるの使い魔猫のみこだった。

 昔から彼女とは使い魔同士お互いにからかい合う仲なんだ。みこはニヤニヤと笑いながらマールに声をかける。


「あらぁ……あいつ何かやらかしたのぉ?」


「いや、私が悪いんだけどさ……体育祭の為に手伝ってくれてたんだけど」


 意外……マールはちゃんと自分が悪い事を自覚してたんだ。この言葉を聞いてしずるは黙ってニッコリ笑うばかりだった。

 その頃、僕はやっと逃げていったマールに追いついて夕日が沈みかけている浜辺にやって来ていた。


「マール!まだ練習は……。あ、みこ……」


「ふふ……お久しぶり。出来の悪い主人を持つと大変ね」


 僕の姿を見た彼女がすぐからかい半分に僕に絡んでくる。正直言って僕はみこが苦手だ。口喧嘩じゃ今まで一度も彼女に勝てた事がない。

 それでも今回は自分の主人が馬鹿にされたんだ、ここで怒れなきゃマールの使い魔なんて名乗れない!


「マールはそんなんじゃない!ただ今は調子が出ないだけなんだ!」


「ふふ、じゃあそう言う事にしておきましょ。行きましょうか、しずる」


 僕の言葉を聞いたみこは、含み笑いをしながらしずるに移動するように指示してその場を離れようとする。

 彼女の言葉を聞いて立ち上がったしずるは立ち去る前にマールにアドバイスをした。彼女は何でもお見通しなんだ。


「そうね……。あ、そうだマール、魔法ランニングのコツはリズム感だから。貴女ならきっとすぐにコツは掴めるわよ」


 しずるのすぐにコツを掴めるってアドバイスを受けて、マールは自分が認められたような気がして顔が高揚していた。

 去っていく彼女の後ろ姿を見ながら、マールはギリ聞こえるくらいの声で別れの挨拶を告げる。


「あ……うん。またね」


 しずる達がいなくなって、浜辺は波の音と遠くで聞こえる海鳥の音くらいしか聞こえない静かな雰囲気になっていた。夕日はもう海にほとんど沈んでいて、気の早い一番星がもう空にぽつんと浮かんでいる。

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