第8話 社会見学 その3
「行っちゃった……」
「しずるの噂、もしかしたら本当なのかもね」
ゆんの何気ない一言に、その話を知らないマールは脳天気に返した。
「何、噂って」
「彼女が特別任務に付いてるって話」
「さっきのあの手際の良さはそんな感じだったね。くぅ~カッコいいなぁ」
ゆんの話を聞いたマールはしずるに憧れのような感情を抱く。そして彼女に任せていれば何とかなると一安心もしていた。
異常事態の中でその道のプロフェッショナルの登場にようやく落ち着いた2人は、気が抜けてその場にぺたりと座り込む。
(早く探し出さないと、もっともっと凶悪化してしまう……)
一方で異世界生物を追うしずるは、外道生物を中々見つけ出せずに焦っていた。もしかしたらこの間パトロールした時に見逃したのが原因なのかも知れない。
彼女は確証のない事で自分を責めていた。そして、その焦りが更に自分の感度を鈍くする結果となってしまっている事に彼女自身が気付いていなかった。
「手伝うなって言われたけど、やっぱり何か手伝いたいよね」
2人で仲良く並んで座りながら、マールはゆんに相談をしていた。ただここでじいっと待っているなんて、彼女には耐えられなかったんだ。
マールよりいくらか現実的な考えのゆんは、冷静に状況を判断して彼女の言葉に答えていた。
「でも何が出来るかな?こう言う時に役立つ魔法は何も覚えてないよ」
「あいつを探そうよ!」
「無茶言わないでよ!相手は外道生物だよ!何が起こるか分からないよ」
「無闇に近付かなきゃ大丈夫だよ。で、見つけたらしずるを呼ぶの」
どんなにゆんに否定的な言葉を返されたって、そこで考えを改めるマールではなかった。逆に自分の意見を押し通そうとずいっと彼女の目を見て無言の圧力をかけていた。
その勢いに押されてゆんは自分の考えを引っ込まざるを得ない感じになってしまった。
「そううまく行くかなぁ……」
「お願い、協力して!ひとりじゃ心細いよ」
「分かった分かった。じゃあ勝手に動かないでね。2人で一緒に探そう」
マールに押し切られる形でゆんも折れ、結局2人で外道生物を探す事になった。怖いので2人で手を繋いで外道生物が作った謎の空間を恐る恐る歩いていく。
この空間は全体的に赤いフィルターが掛かったみたいになっており、物音ひとつしないため、それがより一層の不気味さを醸し出していた。
空間の雰囲気自体はそんな感じなものの、場所自体はパン工場なので各部屋には工場に設置されている機械などが沢山並べられている。その為、死角はあちこちにあって、それで外道生物を探すのにもかなり手間取ってしまっていた。
「いないねぇ~」
「この空間って、あの外道生物が作ったものなんでしょ?見た目は空間が赤い感じなだけだけど、他にも何かあるのかなぁ……」
「そんなの私にも分かんな……あっ!」
ゆんの質問にマールも答えられないでいると、そこでクラスメイト達が見学している様子が部屋の窓から目に入って来た。
窓から見えた彼らは職員の説明に耳を傾けているような雰囲気だったものの、驚いた事に全員が動きを止めていた。
「うそ……みんな止まってる」
「そう、ここは時間の止まった空間なのよ。って言うか動かないでって言ったじゃない」
ゆんとマールがその事に理解が追いつかないまま硬直していると、いつの間にかしずるが2人の背後にやって来ていて、みんなの動きが止まっているその理由を説明する。
彼女の話によれば、原理は分からないけど外道生物の作ったこの空間は時間が止まっているらしい。
説明ついでに言いつけを破った事を咎められたマールは、彼女に素直に謝った。
「ごめん、しずるの役に立ちたくて」
「とか言って、じっとしているのが退屈で嫌だっただけでしょ」
しずるはマールの真の意図をひと目で見抜いていた。彼女の性格を考えれば、すぐに分かるってものだけど。
「あれ?分かっちゃった?」
本音を読まれたマールはちょっと困った顔をしつつ、舌を出して誤魔化した。
「はぁ……それじゃあ今から一緒に行動しましょう。決して私からはぐれないでね」
そんなマールの言動もため息ひとつで許したしずるも含め、結局3人で外道生物を探す事になった。捜索人数は増えたものの、探索箇所はやっぱり多くて、そんなに簡単に人数の恩恵が得られる訳ではなさそうだった。
「いないねぇ~」
「……あの、いい?」
みんなで懸命に外道生物を探す中で、突然マールが声を上げる。話しかけられた2人は一旦探索を止めて彼女の方へ顔を向けた。
話しかけられたゆんは振り返って後ろにいたマールに声をかける。
「どうしたの?」
「お、おトイレ……」
「ええっ!こんな時に?どうしようしずる」
こんな時だからとは言え、自然現象の当然の欲求には逆らえない。どうしたらいいのか分からないゆんは、すぐにしずるに答えを求めた。
「仕方ないわね、行きましょ、トイレ。時間が止まっているから水は流せないと思うけど」
このしずるの言葉を聞いてマールは相当なショックを受ける。
「ええーっ、でも緊急事態だから仕方ないよね」
彼女の緊急事態に2人が付き添いながらトイレを探しているその時、物陰から素早く動く影をそれを追っていたしずるを含む3人が全員同時に目にしてしまう。
何もこんなタイミングで!この時、トラブルと言うのは重なるものだと言う格言がマールの頭をよぎっていた。
「いたーっ!」
「こんな時にィ!」
マールとゆんは突然の外道生物の登場にパニックになるものの、流石にしずるは冷静だった。すぐに戦闘態勢を取って、ジワリジワリと間合いを図りながら外道生物との距離を詰めていく。
それにしてもこのもう一度現れた外道生物、姿を見失う前のそれと何かが違っているように見えた。マールは思わずそれを口にする。
「あれ?あいつってあんなに大きかったっけ?」
そう、二度目に現れた外道生物は姿を隠す前と違って何十倍にも体が巨大化していたんだ。最初に見た時はネズミくらいの大きさのはずだったのに、今では2mを超える巨体になっている。
この巨大外道生物を見て、しずる以外の2人はもう恐怖で足がすくんで一歩も動けなくなってしまっていた。
この状況の中、マールは声を震わせながらしずるに声をかける。
「で、でもしずるなら何とか出来る……ん、だよ……ね?」
「私もここまで大きいのを見たのは初めて……でも、どうしてこんなにすぐに成長しちゃったんだろう?」
「あ、アレじゃない?ほら、手に持っている……」
ゆんはそう言って2人に外道生物の手に注目するように促した。その言葉通りに2人が注目すると外道生物は両手にパンを握っていた。
ここのパンは魔力が練りこまれている。その魔力が外道生物をパワーアップさせたとしても何も不思議はなかった。
そして何よりここはパン工場、パンは売る程ある。3人が見ている前でそいつは手に持っているパンを一口でぺろりと平らげた。
「あんなに大きくなるって、どれだけパンを食べたって言うのよ!」
マールが叫ぶと、その言葉に不快感を覚えたのか突然外道生物が襲いかかって来た。迫り来る恐怖に思わず彼女は大声を上げる。
「わーっ!」
襲いかかる外道生物の前にしずるが立ちはだかる。彼女は素早く防御結界を張り、何とか一撃目は耐え凌いだ。ただ、後何度その攻撃に耐えられるかは分からない。
けれど虚勢を張ってでもここは自分が何とかしなければとしずるは声を上げる。
「外道生物、私が相手よっ!」
「早くして!漏れそう!」
しずるが必死に戦う中でマールはそんな無責任な事を叫んでいた。とは言え、尿意との戦いだって立派な戦いではあった。
そりゃあ最悪は漏らせばいいけど、それは最後の手段だし、出来れば誰だって漏らしたくはないよね。
「ウガァァーッ!」
外道生物の雄叫びは時間の止まった静かなこの世界で、不気味なほどに大きく反響していた。
「ねぇ、魔法で何とかならない?」
必死で外道生物と戦うしずるを見て、マールはゆんに協力を依頼する。このままだと戦いが長引いて色々とやばいからだ。
しかし話を持ちかけられたゆんは、こう言う時に役に立つ魔法をまだ何も覚えてはいなかった。
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