第7話 社会見学 その2
「さあ、着きました。皆さん気をつけてバスから降りてくださいね」
目的地に着いたので先生がみんなに説明をする。いつもは一度寝てしまうと中々起きないマールだけど、バスが止まった振動を感じて彼女は奇跡的に目を覚ましていた。
「ふぇ……もう着いたの?」
「さぁさ、降りるよ、念願のパン工場だよ」
寝ぼけていたマールをゆんが降りるように急かしていた。通路側に座っている彼女が動かないとゆんも動けないからだ。
睡魔と何度も戦っていたマールには、バスの乗車時間がほんの一瞬のように感じられていた。
それでも着いた以上はバスから降りなければならない。ゆんにしっかり起こされたマールは眠い目をこすりながらバスを降りる。
バスを降りた瞬間から漂うパンの匂いの刺激を受けて彼女の眠気は一気に覚めた。
「おおお~」
目の前にでんと構えるパン工場はとても大きくて、立派で、キラキラと光っていて、しかもいい匂いまでオプションでついて来てもう最高だった。
この工場見学に対して、クラスで一番興奮していたのがマールなのかも知れないくらいだった。
「じゃあ二列になって廊下の矢印に従って歩いてくださいね。それ以外の道には行かないように!」
先生の指示に従ってマール達は工場見学を始める。この工場を見学するのはマールのクラスだけなのでみんな和気あいあいと見学を楽しんでいた。
見る物すべてが新鮮なマールは工場で何かを目にする度に驚いて、感心して、そして感動していた。
「すごいねぇ、最先端だねぇ」
「要所要所で魔法を使ってる……パンを美味しくさせるのも魔法次第なんだ」
マールと一緒に行動を共にしていたゆんは、興奮しているマールとは対象的に冷静に工場の様子を観察していた。この見学が終わったらレポートを提出しなくちゃいけないので、それもあって気がついたところはメモ帳にその事を書き込んだりもしていた。
ちなみにマールはメモ帳どころか多分レポートの事も頭にはないのだろう。工場の人がする説明にメモ書きひとつする事もなく、ただ純粋にパン工場の設備に大袈裟に反応していた。
「うう……美味しそう」
ベルトコンベアを流れていく出来立てのパンを眺めながら、マールは流れるよだれを制御出来なかった。ゆんとファルアはその様子を見ていつものように突っ込んでいた。
「マール、よだれよだれ」
「全く、だらしないなぁ」
キョロキョロと好奇心の塊で工場内をくまなく見ていたマールは、その視界の端に見慣れないものを偶然発見する。一度気にかかるとそればかりが気になってずっとそれを目で追いながら、そいつの正体を見極めようとしていた。
そしてマールが出したその結論は――。
「あれ?魔法生物?」
「あ、ちょっとマール!」
謎の生物を発見したマールはその正体を確認しようと、ゆんが止めるのも聞かずに走り出した。
「ごめん、先行ってて!」
「そんな訳に行かないでしょ!」
マールが魔法生物だと断定したそれは、彼女の視線を感じてすぐにどこかに逃げ出してしまった。この工場にそんなものがいてはいけないと感じた彼女は、その魔法生物を捕まえるべく行動を開始する。
一緒に行動していたゆんはマールが無鉄砲な事をしないようにと、彼女を追いかけた。
「あれ?消えた?」
「待ってって!一体どうしたの?」
魔法生物を追いかけていたマールはそいつを見失ってしまう。そんな彼女を追いかけていたゆんは声をかけて呼び止めた。
どうして急に走り始めたのかその理由を聞かれたマールは、身振り手振りを加えて正直に彼女に説明する。
「いや、魔法生物が見えた気がして……こっちに来た気がしたんだけど」
「あんたねぇ、ここは最新の工場なのよ?そんなのいる訳ないじゃない」
「だって見たもん!あれは魔法生物だったよ」
最新のパン工場は清潔さが第一で、異物は入り込めない設計になっている。彼女達見学グループも厳密な滅菌工程を経て工場を見学していた。
そんな工場に本来いるはずのない魔法生物が侵入するだなんて、本来はあり得ない事だった。
ゆんは自信を持って断言するマールに対して、この会話上の言葉の矛盾点を指摘する。
「さっき自分で見えた"気がした"って言ってなかった?」
「う……」
「さっさと戻るよ、早く見学の列に追いつかなくちゃ」
ゆんのツッコミに対してマールは返す言葉を失ってしまう。彼女にこう言われてしまうと、マールもさっき自分の見たものは本当は何かの見間違えだったんじゃないかと言う気さえしてしまうのだった。
そんな時、物陰から魔法生物が顔を出して走り抜けていく。不意を突かれた格好になったものの、その生物を今度はゆんもはっきりと目にしてしまった。
「あっ」
「嘘っ?」
「ゆんも見たよね!」
「いたね」
マールとゆん、2人でお互いに自分の見たものを確認し合う。確認が出来た所でそこから先にする行動はそれぞれの自己判断に任せられる。
このある種の異常事態に対し、2人が出した結論は――。
「追いかけよう!」
「だから何でそうなるの!ちょっと!」
マールはそう言うとゆんが何かを言う前に走り出した。彼女の鬼気迫る迫力での接近に怖気付いた異世界生物はバッと突然立ち上がり、何か魔法のような術のようなものをこの空間に拡散させていく。
そのよく分からないエネルギーの波動を受けて2人は心身にダメージを受けた。
「うわあああ!何これェ……」
「あ、頭が痛いぃぃ!」
(いけない、あれはッ!)
実はこの様子を見ていたもうひとつの影があった。この世界の安寧を守る御役目と言えばピンと来ると思うけど、そう、しずるだ。
彼女はこの状況を危険なものと判断し、隠密行動を中止して2人の前に姿を表す事にした。
頭を抱えて苦しがっている2人を前にしずるは魔法中和の呪文を唱える。時に危険な仕事もこなす彼女はこう言った状況にも対処出来る術を身に着けているのだ。
しずるのおかげで体の不調も回復した2人は改めて目の前の彼女の姿を確認した。
「あれ?どうなったの?ここは?」
「2人共、大丈夫?」
2人の体調が戻った事を確認するようにしずるは彼女達に心配そうに声をかけた。
「え?しずる?あなたもあの魔法生物を?」
まだ少し頭痛の残る頭を押さえながらマールはしずるに質問する。この質問に対し、しずるは何も誤魔化す事なく素直に返答した。
「うん。まさかマールも気付いていたなんてね。それより体に異常はない?」
「私は大丈夫だけど」
「ちょっとまだ頭がくらくらする……何でかな?」
マールはこの状況にすぐに順応したみたいだけど、ゆんの方はまだ少しダメージが残っているみたいだった。しずるとしてもそんな状況で動くのは得策ではないと考え、ゆんの体調が戻るまでしばらくその場で待機する事にした。
ずっと黙ったまま回復を待つのも手持ち無沙汰なので、しずるは今の状況を分かっている範囲で2人に説明する。
「あの魔法生物が異空間を作ったみたいね。気をつけて」
「しずるはアレの正体を知っているの?」
マールは何か知っているらしいしずるに質問をする。
「はっきりとは分からないけど、多分結界のほころびから出て来た外道生物の一種だと思う」
「それってやばいんじゃない?」
今度はゆんがしずるのこの話に反応した。
彼女の話によれば、パン工場に侵入したのは結界の外からやって来た外道生物の一匹らしい。そもそもマール達は外道生物についての知識は一切持っていない。
何故なら、外道生物は見つけ次第守護者の一族が全て退治して一般住人に被害が及ばないようにしていたからだ。
知識はなくてもそう言う存在がいるらしい事は島の住人にも噂程度には知られていて、正しい知識を持っていない弊害としてマール達はそんな外道生物を必要以上に怖がっていた。
「マール達はじっとしていてね。私が何とかするから」
ひとりでこの問題を解決しようとするしずるにマールは声をかける。
「そんな!何か手伝える事はない?何でもするよ!」
「有難う。その心遣いだけ貰っておくね」
彼女はそう言って外道生物を倒しに走っていった。それはきっとマール達を危険に遭わせない為なのだとは思うのだけど、友達として何の役にも立てないのだと思うと2人は少し寂しくもなっていた。
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