第6話 姫様付きの侍女

 生まれてこのかたこんなことは一度もなかった。


 兄弟姉妹よりも側にいて、レイリーンの為に生きるように育てられたアイリスは、公爵家の屋敷の中で所在なくさまよっていた。

 さすが公爵家。置かれた調度品の豪華なこと。サイガの本宅以上だ。そんな金品の価値よりもアイリスには重大なことがあった。

 いきなりの婚礼も驚愕だったが、それでも自分は変わらず彼女の傍にいれるものと思っていた。

 ところが、公爵家の女中頭とやらが現れて、昏睡中の姫のところから追い出されてしまったのだ。

 曰く、

「あなたはサイガ伯爵の家人であって、バルツァー家の者ではありません。ここからは私が奥方様のお世話をさせて頂きます」

 思い出しては腹を立て、

「…っざけてんじゃないわよ! こちとら何年レイリーン様に仕えてきてると思ってんのよ! こんなところで引き下がるもんですか!! 大体女中頭っていうんなら女中の面倒だけ見てなさいよ!! 役割が違うじゃない! 奥様に付くのは侍女よ!!」

 ぶつぶつ言いながら屋敷内部を勝手に散策する。

 伯爵の屋敷も王都にはあるし、そこに向かえば知り合いも当然いる。しばらくサイガに戻らなくても、その屋敷の方で厄介になることは可能だ。

 それでも、だ。アイリスはここに、レイリーンの側に残るつもりだった。

 そもそもアイリスは今の今まで姫様個人に仕えていたのだ。

 勿論、生活の糧としてのお給金を頂いている。その費用はサイガ伯爵から出ていたのだから、サイガ伯爵の家人と言うことになるのだろう。勝手に公爵家に乗り換えるなんてことは出来なくて当然で、あのいけすかない女中頭の言うことは間違っていない。

 間違ってはいないが、納得は出来ない。

(絶対に、何がなんでも、姫様から離れるもんですか!)

 両の目に闘志を燃やす、熱血侍女。

「とはいえよ、兄さんには相談しとかないと」

 そうなると、やはり一度はサイガ伯爵家に行かねばならないか。兄とはデュマ公爵家で別れたきりだ。アイリスすら何が何やら分からないままデュマ公爵家で姫から引き離され、自分の生涯の主と定めた姫君がバルツァー公爵家に嫁ぐ事になっていた事実を知った。兄も同じくだろう。

 それともヨシュアなら「そら見ろ、俺の言った通りだろう」と言うだろうか。

 式にも出ることが叶わなかった。子供の頃から介添人ブライズメイドをやる約束だったのに。悔しさが倍増だ。

 懸念材料は他にもある。

「バルツァー公爵様って大旦那様と同じくらいのお年だったんじゃなかったかしら…」

 姫の身を案じて公爵家にむかえば、とりあえず取り次いでは貰え、姫の安否確認は取れた。式典の最中にお倒れになったそうよと、公爵家に仕える若い娘が教えてくれた。その娘が教えてくれた事だが、どうも公爵家は代替わりしたばかりらしい。少なくとも自分の知るお年寄りが相手でないことに、ほっと胸を撫で下ろす。

(さすがにそれはないわよね!)

 いや、ない話ではない。

 歳の差婚など権力者にはわりと良くある話だ。遠く南方にある島国では、十にも満たない少女が普通に王の后として存在している。

「こんなところにいたのか!」

「あら、兄さん?」

 思案に暮れていると、前方より見知った青年が現れた。彼は眉間にシワを寄せ、

「おまえは人様のお屋敷で何を勝手にうろうろしてるんだ! 案内された部屋にいないから俺も侍女の方も焦っただろう!」

 鬼気迫る勢いで迫ってきたが、彼の妹はどこ吹く風で

「丁度良いところにきてくれたわ。私、姫様から離されてしまって困っていたのよ。おかしいと思わない? 奥様のお世話をするのは侍女の役目で女中じゃないわよね。でもこちらのお屋敷では女中頭って人が奥さまのお世話をなさるのですって。それで相談があるんだけど」

 いつにも増して張り切っている妹に、兄であるヨシュアは眉間の縦縞を深め

「人の話をきけー!!!」

「お説教は後からいくらでも聞くから、どうしたら姫様といられるか考えてよ」

「そうじゃないだろう!!!!!」

 兄妹漫才が始まってしまった。

 ヨシュアの後ろでは、アイリスに姫様情報を教えてくれた女性が口元を隠してクスクス笑っていた。


 当初案内された部屋に戻り、アイリスとヨシュアは、案内役を勤めてくれた女性、エルザからバルツァー家の現状を聞かされていた。

 代替わりしたばかりで、ほぼ実権のない現バルツァー公爵。

 それもその筈、当人が屋敷に入ったのはなんと三日前の事だと言う。

「なにそれ…?」

「因みに、旦那様…いえ、前公爵様は一月前に領内に戻られてましたので、私共も新たな公爵様がどなたかを知ったのは、一週間ほど前でした」

「はあ?」

「前公爵様と陛下の御名の入った正式な書類が届けられたのです。そして、私達は来るべく、新公爵様にお使いするためにこちらの屋敷を調えてお待ちしていた次第です」

 兄妹の開いた口が塞がらなくなった。

 その辺の、貴族とは名ばかりのぺーぺーな一族ならいざ知らず、大貴族、それも国内で最大と思われる公爵家の代替わりを、一朝一夕に済ますようなやり方をしていいものか? いやない。ありえない。

 エルザの語りは続いた。

「もともと旦那様、あ、前公爵様は、奥様を亡くされてから早く隠居したいと仰っておりました。ですが直系の子がなく、目ぼしい後継者に恵まれなかったとか。現公爵のアルベルト様は血筋としての縁はわりと遠いようですよ」

「…お詳しいですね?」

「屋敷内ではみな知っていることですもの。私共も新しい主にまだ馴れてなくて、つい色々噂など…」

 恥ずかしそうに顔を伏せた侍女に対して、同じように高貴な方に仕えてきたアイリスはうんうんと頷いた。

 本来なら他家の者に聞かせるべきではない身内話を敢えてするのは、お互いに情報が欲しいからだ。もちろん、誰彼構わずにすべきではないが、アイリスの姫に対する執念に、決して彼女の不利になるような真似はしないと言う信頼がそこにあると見いだされた結果だろう。

 バルツァー家の者は、主であるアルベルトの情報も少なければ、その妻となったレイリーンの情報もまた少ないのだ。どこからか引き継がねばならないその内容を、アイリスならば握っていることをこの侍女はわかっていた。

「私、もとは奥様の侍女でした。正確には私の母がその務めを果たしていたのですが、私も成人すると召し上げていただいたので、おそばでお仕えしていたのです。ですからきっと姫君の侍女としてお仕えすることになると思うのですが、些か不安で…」

 彼女にして見ればレイリーンこそ新たな主なのだ。侍女というのはその名の通り、高貴な方の側に侍り、その身の回りのことを助ける役職だ。身元が確かなことは元より、仕える主の為になるような人物でなくてはならない。

「私はアイリス様が侍女となって、共にお仕え頂いたらよいと思います。そちらのお仕えしていた先のことはわかりませんが、微力ながら、こちらの方へは私からもお願い致しましょう」

「本当に!? 助かるわ。私はレイリーン様とは乳兄弟なので、きっと役に立つと思います!」

「おいおい、ほんとにいいのか…?」

 のりのりの女性陣とは裏腹に、ヨシュアはこめかみを押さえた。彼の常識では、高貴族の家に仕えると言うのは恐ろしく垣根の高いことなのだ。

「ええ。もともと人手が足りないのです。大旦那様が大方つれて行かれましたので」

「にしても、この破天荒娘を雇うのはどうかと…」

「兄さん!! どういう意味よ!!」

「そういう意味だろ…」

 諦めたように嘆息すると

「サイガ伯爵家には俺からも進言してやる。だが、けじめはじぶんで着けてこい」

 兄らしい威厳を込めて言ってやる。

(まあ、すんなり行くだろうけどな)

 伯爵家はすでにレイリーンとともにアイリスも公爵家へ出したものと思って処理しているだろう。ま、三ヶ月前にはそういう話になっていたとしても、俺は驚かない。

 彼の乳兄弟、現国王の根回しは完璧なのだ。




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