第9話 意外な容疑者

光智は、久々に風月の暖簾を潜った。上杉恭子と肉体関係を持ったことで敷居が高くなっていた。北条有紀からの誘いも、言い訳を作り断っていたのだが、この夜真司と銀座へ繰り出そうとしていたところへ、村井慶彰から連絡が入り、急遽風月で落ち合うことになったのである。

 結城真司を村井に引き合わせ、投資仲間とする了解を得る腹積もりだったのだが、こういう機会でもなければ、有紀と顔を合わす勇気がなかったというのが本音だった。身勝手だと思いつつ、ようやく光智は彼女に決別を伝える覚悟を決めたのだった。

簡単な自己紹介の後、光智が本題に入った。真司の同伴を電話で聞いたときから、用件を察していた村井は、加入を快く承諾したが、一点だけ念を押した。

「結城さん。はっきりと申し上げておきます。貴方は、別当さんの駒の一つに過ぎません。友人だからと言って、けじめが付かないようだと、すぐに仲間から外れて頂きます」

 村井は、厳しい顔つきでそれだけ言うと、急転笑顔になった。

 村井が結城真司の詳しい身上調査もせずに即諾したのは、彼が上場企業の御曹司で、光智の友人だという他にある思惑があったためである。村井はウイナーズ新社長の土江の意向を光智に報告し、その最後にウイナーズが所有する牧野モーター株を真司に所有してもらう提案をした。

「それは良い考えですね。どうだ、真」

「いくらぐらいですか?」

 真司は不安げに訊いた。彼にしても、いきなり堀尾の穴を埋める役割を担うとは思ってもいなかった。

「さしあたって処分するのは、保有株数の三分の一に当たる五十万株ですので、時価でざっと十四億ぐらいですね」

「それなら、大丈夫です。とりあえず二十億用意しましたから」

「二十億? 良く用意できたな」

 光智は感心した口ぶりで言った。以前訊ねたときは、十億円と言っていたはずだ。

 一転、真司が顔を歪めた。

「親父に話をしたら、十億じゃ話にならないだろうということになった」

 しかも、会社の金を流用すると、後々面倒なことにもなりかねないので、拠出する資金は全て個人の資産だという。

「それはまた……、真司さんはよほど信用があるのですね」

 村井は好意的に言ったのだが、

「とんでもない。私など、一円の信用すらありませんよ。すべて別当君への信頼です。まったく、祖父も父も実の孫、息子より赤の他人を信頼するのでから、やっていられません」

 と、真司の卑屈な笑みは、一層色濃いものとなった。

「別当さんは、結城家とも親交があるのですか」

「先月、一度遊びに行ったばかりです」

「二人とも、一目で彼を気に入りましてね。卒業後は結城電器に入ってもらって、ゆくゆくは私の補佐をさせようという思惑まで働かせていたぐらいです。ですから、彼が周英傑の息子だと知って仰天していましたが、得心もしていたようです」

「そこで、ポンと二十億を出されたのですね」

「ええ。これには私も驚きました。父は、私の授業料だと言っていましたが、計算高い父のこと、別当君との交際料のつもりでしょう。これで結城電器は安泰と、ほくそ笑んでいるのが目に浮かびます」

 真司は、ことさら実父を口汚く罵った。普段の彼からは想像もできない一面だった。憎悪すら孕んだ物言いに、光智は真司の心の中に深い闇を感じたが、もちろんそれが何であるかは見当すら付かなかった。

「まあまあ、結城君。そこまで言わなくても良いではありませんか。誰だってそう思いますよ。何を隠そう、かく言う私だって同じようなものです」

 意外な真司の反応に、村井は困惑しながらも、そう言って宥めた。

「村井さんが?」

「むしろ、私だからよけいにそうなのです。才覚だ、何だといったところで、とどのつまり、株の世界は資金量が物を言う世界ですからね」

 真司の目には、村井の面に不満の影は無く、むしろ達観したように見えた。

「そういうものですか」

 業界でも辣腕と名高い村井ですら、巨額資金の前では無力なことを知らされ、真司は虚しい声を出した。

「では、この件は結城君を宇佐美さんと赤木君に紹介した後、私が土江さんに引き合わせ、話を纏めましょう」

 村井は声高に言って、重い空気を吹き払う気遣いを見せると、

「さて、土江さんから聞いた話なのですが、それが少し妙なのです」

 と神妙になった。

「妙とは、どのように?」

 光智の目が好奇に煌いた。

 村井は、土江の話を一言一句違えずに伝えた。光智の尋常ならざる能力を知っている村井は、彼ならば何かの糸口を掴むかもしれないと思ったからである。

「仕事に関しては、真面目だった堀尾さんですから、とても興味深い話ですね」

 土江から持たされた情報に、光智は大きな関心を寄せた。

「月曜日に休暇を取って、彼はいったい何をしようとしていたのでしょうか」

「仕事よりも重要なことだったのは間違いないでしょう」

「何か心当たりがありますか」

 いいえ、何も……、と光智は首を横に振る。

「ですが、彼の殺害と関係しているような気がします。捜査の方も膠着しているようですし、今はどのような情報も欲しいでしょう。案外、突破口になるかもしれませんよ。明日にでも、私から麻布署の刑事さんに連絡しておきます」

「私も明日麻布署の刑事さんと会う約束になっています。どうです、同席していただけませんか」

 二人は、午後に麻布署近くの喫茶店で落ち合う約束をした。


 銀座へ向うタクシーの車中の真司は、終始落ち着かない様子で、しきりに何か話したそうな素振りも見せていた。光智は、先刻の村井との話を食い入るように聞いていた彼の様子が気になっていた。

「真、言いたいことがあるなら言えよ」

「お前の親父さんは賭博王とも呼ばれているよな」

 きっかけを貰った真司は、弾けるように言った。

「好ましいあだ名ではないが、カジノを大々的にやっているから仕方がない」

「親父さんは、ブック・メーカーに興味はないのか?」

 真司は、光智の顔を窺うようにして訊いた。

 光智は、やはりその話かと思った。

「さあな。お前こそ、ブック・メーカーに興味あるのか」

「とんでもない」

 真司はあわてたように手を振った。

「俺は、裏の世界に首を突っ込むつもりはない。堀尾もそれで殺されてしまったのだろう」

「たぶんな」

「彼は何をしようとしていたんだ」

「警察は、彼が計画の乗っ取りを考えていたのではないかと睨んでいるようだ」

「乗っ取りか。それじゃあ殺されるよな。でも、お前の親父さんなら、その心配も無いのだろう」

 真司は、含みのある言い方をした。光智も敏感に察していた。

「どういう意味だ」

「親父さんは、龍頭とは関係がないのか」

 真司は、単刀直入に訊いた。中国の黒社会組織である龍頭の名が、堅気の真司の口から出たことに、光智は少なからず驚いた。

「龍頭だと? お前、龍頭を知っているのか」

「なあに、噂だけだ」

 真司は事もなさげに言うと、

「中国社会で賭博事業をやろうとすれば、たとえ合法でも奴らとの関係は重要だろう」

 と、またしても核心を突いた。

 だが、光智は曖昧に答えた。

「良く知っているな。お前の言うとおり、関係は悪くない」

「だったら、その気になればできるじゃないか」

「難しくはないだろうな」

 そう言い掛けて、真司の意図がわかった気がした。

 光智は粉を掛けてみた。

「何か、もし親父か俺がやることになったら、お前も一枚噛みたいのか」

 光智は真司の顔を見つめた。

「そりゃあ、お前と一緒なら考えるさ」

 真司は、間髪を入れずに答えた。妙な色気を匂わせた真司の様子に、光智の胸は波立ったが、ほどなく銀座に着いたため、話はそこで終わった。


 檸檬に入ると、光智は三枝実佳を指名し、真司を紹介した。

 光智が二人の仲を取り持とうとして、しきりに嗾けると、真司は恭子の略奪話を持ち出して応戦に出た。実佳は真司の側に付き、共に光智を糾弾したため、図らずも二人の関係は親密度を増していった。

 およそ、銀座の高級クラブには似つかわしくない、若者たちの和みの時が続いたが、これが急展開の幕を開ける引き金になるとは、光智とて想定外であっただろう。

 それは、真司がトイレに立った隙を捉えて、実佳が光智の携帯を覗き見たことで起こった。真司が、恭子は大変な美人だとことさら褒め上げため、嫉妬と興味を抱いた彼女が、以前ボーリングとカラオケへ行ったときの写真を観ようと、強引に奪い取ったのである。

「あれ、この女性は美沙ちゃんじゃない?」

 実佳は好奇の声を上げた。

「美沙ちゃん? 誰のことを言っているんだい」

光智は、横から携帯を覗き込んだ。

「違うよ。彼女は真奈美っていうんだ」

「真奈美って本名でしょう。源氏名は美沙ちゃんって言ったわ」

「源氏名って、ホステスのことだろう? 彼女は帝大前の喫茶店でアルバイトをしているんだぜ。他人の空似じゃないの」

「いいえ。髪型は変わっているし、お化粧も地味だけど、間違いなく美沙ちゃんよ。六本木のお店を辞めたって聞いたたけど、そんなところでアルバイトをしているんだ」

 実佳は、真奈美が銀座でホステスをしていた頃、ママ同士が友人ということもあって、度々食事やカラオケに行っていた。実佳の確信のある表情を見ているうち、光智はそうかと思い出した。真奈美と初めて会ったとき、どこかで一度会ったことがある気がしたのは、宇佐美彬と行った銀座のクラブで会っていたからだった。

 そこへ真司が戻って来た。

「おい、真。真奈美ちゃんはホステスをしていたらしいぞ」

 数瞬、真司の面が強張ったように見えた。

「な、何だ、藪から棒に。彼女がホステス? あんなおとなしい子に務まる訳ないだろう」

「俺もそう言ったんだが、実佳ちゃんが間違いないって言うんだ」

「実佳ちゃんの勘違いじゃないの」

 真司は取り合おうとしなかった。

 だが、実佳はよけいむきになった。

「絶対に間違いないわ。彼女、六本木のベルサイユにいた美沙ちゃんよ」

「六本木のベルサイユだって? 沙耶香っていう、元女優のホステスがいるお店かい」

 光智は確かめるように訊いた。

「あら、光智君よく知っているわね。隅に置けないんだから」

「そんなんじゃない。それより本当に間違いないんだね」

 光智は、再度念を押した。

「間違いってば。ほら、この前堀尾さんがしつこく付き纏って、ヤクザにとっちめられたって言ったでしょう。その娘がこの美沙ちゃんよ」

 何だと! 光智の脳がハンマーで打ち付けられたように激しく揺れた。

 真奈美と堀尾が知り合いだった。しかも、ヤクザが絡んでいる。

「真。真奈美ちゃんの姓を知っているか」

 今更ながらに、光智は彼女の姓を聞いていなかったことに気付いた。

「姓? い、いや、知らない。そんなこと訊いてどうする」

 真司はうろたえたように言った。

「ば行だったら、どうなる?」

「ば行……、おい。まさかお前!」

 真司は光智の真意を理解した。

「彼がヤクザだというのも気になる」

「まさか。考えすぎだ」

「それに、彼女なら加賀見食堂から帝大へ続く林の小道を知っていてもおかしくない」

「何を言っているんだ。動機もないし、あんなにおとなしい彼女が殺人なんかできるはずがないだろう。しかも連続だぞ。冗談もほどほどにしろよ」

 真司は怒ったように言った。

「そう興奮するな。あくまでも一つの可能性として捉えているだけだ。よし、真。動機があるかないか、これから六本木へ行って確かめよう」

 そう言って、光智は勢いよく席を立った。彼にしても、本気で真奈美を疑っていた訳ではなかったが、初めて会ったときに感じた彼女が背負う暗い影の正体を突き止められるような気がしたのである。

「本名なら、玲子ママに訊けばわかるじゃないか」

 真司は乗り気のない様子で言った。

「誤解だったとしても、彼女の耳に入ったら、気まずくなるじゃないか」

「それも、そうだな」 

 一旦躊躇を見せた真司だったが、覚悟を決めたように、続いて席を立った。

 

「あら。中筋さんのご紹介だっていうものだから、どんな方かと思ったら、こんなに若い人たちとは……、もしかして、学生さん?」

 沙耶香は不安げに言った。

「大丈夫なの? 勉強できないわよ」

 勘定を心配する沙耶香に、真司を促し、財布からカードを取り出させた。彼の手には、ダイナースのプラチナ・カードが握られていた。

「あら、凄いじゃない」

 と、紗耶香は目を丸くすると、

「それなら良いわ。飲み物は何にする?」

 一転、上機嫌になった。超高級店のベルサイユでも、ダイナースのプラチナ・カードを所有している客は限られていた。

「とりあえず、ビールを」

 光智がそう言うと、沙耶香はボーイにビールを注文し、

「それで、私に何が訊きたいの」

 と見透かしたように言った。

「わかりました?」

「中筋さんの名前が出たんだもの、わかるわよ」

「じゃあ、これを見て頂きたいのですが」

そう言って、光智はポケットから携帯を取り出した。

 沙耶香は多くの情報を齎した。銀座檸檬の三枝実佳の言った通り、真奈美はベルサイユで働いていた美沙だった。彼女は十ヶ月前に働き始め、三ヶ月前に止めていた。その後、サンジェルマンでアルバイトを始めたことになる。

 真奈美の姓は『本宮』と判明した。彼女が自転車に衝突されるという軽い人身事故に遭い、念のため病院に付き添ったとき、学生証を見せられ、帝大生と知って驚いたことを覚えていた。本宮真奈美では『MM』になるが、光智の疑念が完全に拭い去られた訳ではなかった。『ベルサイユの美沙』はBMになるのだ。

 真奈美がヤクザと付き合っているというのも事実だった。

 四ヶ月ほど前、大龍組の奈良と名乗った男と、その枝で、横浜・伊勢佐木町に縄張りを持つ勝栄会の堂本会長に連れられて来店した、葛西彰吾という若いヤクザだった。葛西と真奈美は、幼い頃大阪の下町で暮らしていた幼馴染ということで、付き合い始めたのだという。

 光智は、葛西が大王組傘下の暴力団員とわかって、真奈美への疑惑を一層深めた。そして、もし彼女が犯行に関与しているとすれば、住んでいた街の大阪と彼女の口から出た故郷の神戸、この食い違いの真相が、動機を解明するうえで、重要な鍵のような気がしていた。

「美沙ちゃんは、どうしてクラブで働くようになったか、言っていませんでしたか」

 光智は、真奈美の性格からして、水商売に身を置いていたことに違和感を抱いていた。

「さあ。それは聞いていないけど、葛西と出会うまでは、とても荒れていたわね」

「荒れていた?」

「何だか、自暴自棄になっていたようだったわ。彼女、結構可愛いでしょう。声もよく掛けられていたし、男性関係も派手だったわ。銀座のお店を辞めたのは、他のホステスの客を寝取って揉めたのが原因らしいわよ」

「彼女がそんなことまで……」

真司は、苦虫を潰したような表情で呟いた。

 一年前、転機となる重大な何かが彼女の身に起こったのではないかと、光智は推量した。

「それが、葛西と出会って、一ヶ月後にはお店を止めたの」

「理由は、わかりませんか」

「そこまではわからないわ」

「では、美沙ちゃんが堀尾さんと知り合ったのはいつ頃ですか」

「半年ぐらい前かな。以来、彼女目当てで常連さんになったから」

 半年前ということは、堀尾がBMの文字を残し始めた時期と符号した。

――そうだとすれば、もしかすると……。

 光智の脳裏に連想が奔る。

「先ほど、美沙ちゃんは男性関係がだらしなかったと言われましたが、堀尾さんとはどうだったのでしょう」

「それが、堀尾さんだけは拒み続けていたの」

「断った? よほど嫌いなタイプだったということでしょうか」

「違うわね。毛嫌いという程度のものじゃなく、何か怨念のような気配が漂っていたわ」

「怨念……、ですか?」

「仇敵に会ったような、恨みのこもった眼をしていたわ。堀尾さんもそれを感じていたらしいんだけど、彼は全く意に介していなかった。いま思えば、美沙ちゃんを口説いているのとは、ちょっと違うような気もするわね」

『恨みのこもった眼』という沙耶香の言葉が、光智の胸に重く圧し掛かった。犯行動機の輪郭が、うっすらと出来つつあったのである。

「もう良いかしら」

「最後にもう一つだけ。堀尾さんが気に入ったという真衣さんはどの女性ですか」

「彼女、今日はお休みしているの」

「そうですか。それは残念です」

「今日だけじゃなくて、この頃休みが多いの。たまに出勤しても、塞いでいるし」

 沙耶香の声が暗くなった。

「何かあったのですかね」

「実はね。彼女の彼氏も、どうやらヤクザみたいなのよ。それも、葛西のようなチンピラと違って、本格的なヤクザって感じね」

 その瞬間、光智の脳を、もう一つの連想が駆け巡った。

――ヤクザ? 真奈ちゃんと同じだ。そうか、ベルサイユの真衣でもBMになる。だが、彼女が帝大の小道を知っているはずがない。

「どうかしたの?」

「そ、そうなんですか。ヤクザって、ずいぶんと水商売の女性にもてるんですね」

 光智は我を取り戻すと、話を合わせた。すると、沙耶香は前屈みになり、顔を近づけた。光智も呼応して前のめりになった。間近で見ても、恭子とはタイプが違うが、さすがに色気がある。

「大きい声では言えないけど、ほらっ、あの人種って最初はやさしくて、まめでしょう。それで、勘違いするホステスが多いのよ。結局は、ヒモになっちゃうんだけどね」

「じゃあ、その真衣さんも?」

 毒牙に掛かったのか、と訊いた。

「真衣ちゃんは違うけど、どうしてあんな男に引っ掛かったのか、不思議なのよねえ」

 真衣は、釈然としない様子で言った。

 彼女は以前、カラオケ店で偶然にそのやくざ風の男と出会っていた。そのとき、男はサラリーマン風のスーツを着てはいたが、眼つきは尋常ではなかったのだという。おそらく、暴力団の企業舎弟だろうが、それより彼女が解せないのは、男は真衣より二十センチも小さいことだった。

「蓼食う虫も好き好きって、良く言ったものね」

「蓼食う虫も好き好き?」

「あら、天下の帝大生でも知らないことがあるのね」

 沙耶香は、少し皮肉を込めた。

「僕は中国人ですから、ことわざは苦手なのです」

 えっ、と紗耶香が驚く。

「貴方が中国人だなんて、とても信じられないわ」

「よく言われます」

 光智は悪びれずに言った。

「でしょうね。あのね、人の好みはそれぞれっていう意味よ」

「なるほど、男女の仲は見た目では測れないということか」

「さて、もう良いわね」

 考え込むように呟いた光智に、紗耶香が区切りを付けたいと言った。

「あ、はい。大変参考になりました。有難うございます」

「ここまで話したのだから、お礼ぐらいしてね」

 沙耶香は悪戯っぽい目をした。

 光智はロイヤル・ハウス・ホールドのボトルキープを申し出た。

「おっ、スコッチの最高級品ね。高いわよ、良いの?」 

「さっきのカードでもわかるように、彼はお坊ちゃんですから、気にしないで下さい。なあ、真」

「ああ、勘定なら、良いよ」

  真司は怒りを押し込めるように言ったが、光智はその怒りが勘定のことではないと悟っていた。

「真奈ちゃんの過去がそんなにショックだったのか。まさかお前、彼女が好きなのか」

「いや、違う。そんなはずがないだろう」

 真司は、怒ったように否定した。

「過去は過去。俺たちは今の彼女と向き合えば良いじゃないか」

 光智は、真司をなだめるようにポンと肩を叩き、携帯を手に席を立って外へ出た。

 光智は、真奈美の更なる過去へと目を向けていた。その手掛かりを得るため、村井へ電話を掛けた。 

「村井さん。一つお聞きしたいのですが」

「あらたまって、何でしょうか」

「前に、堀尾さんが帝大生だった頃、兜町を席巻していたと話されたことがありましたね。当時の事、覚えていらっしゃいますか」

「もちろん、良く覚えていますよ。私がアメリカ留学を終えて帰国し、いずれ独立を胸に外資系投資銀行に入行したばかりの頃の事でしたので、たいした若者もいるものだと感心していましたから」

「堀尾さんは、表に出ていなかったはずですが、どうしてわかったのですか」

「彼らの担当だった証券マンが、私の先輩だったからです」

「ということは、堀尾さんが取引していた証券会社をご存知ですね。どこですか」

「関東証券です。当時の担当だった池尻さんは、現在専務になっておられます」

「今でもお付き合いは有りますか」

「もちろんです。よく飲食を共にしますよ」

 村井が取引をしている証券会社の中に関東証券も入っていたが、光智はいちいちそこまで詮索はしていなかった。

「では、急ぎのお願いがあるのですが」

「私にできることでしたら、何でも言って下さい」

「有難うございます。村井さん、警察に行くのは明後日にしましょう。中筋さんには、私から連絡を入れておきます」

「私はかまいませんが、いったい何をされるのですか」

「警察に行く前に、もう少し確かめておきたいことができました」

 そう言うと、光智はぎゅっと唇を噛み締めた。


 

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