第5話 再会

 それから数日が経ち、次第にニュースでは例の失踪警察官のことなど、話題の隅に追いやられてしまったようだ。

 それよりも、一昨日来日したフィンランド王妃とそのスキャンダル事件のことで、何処のテレビ局も持ちっきりである。

 つまりは、王妃と共に同行した執事しつじとの密会現場を、日本のパパラッチが盗撮してしまったというのである。

 このままでは国際問題にも発展しかねないと、両政府あげてのもみ消しに必死になっている。


 「王妃様が浮気なんてするわけないわよ」

 と、我が家の日本代表がテレビを見ながら呟く。なんとも一般常識的な考えである。


 (そう言えば、平松クリニックにまだ診察代を払いに行ってなかったなあ。まさか、本当に五円だけというわけにもいかないだろう・・・)


 俺は家を出ると、病院までの道を歩き出した。

 すでに夕方の六時を回っているというのに、辺りはまだ十分に明るさを保っている。

 そのオレンジ色の空にへばり付くよう、東から西へと一筋の飛行機雲が真っ直ぐに伸びて行く。

 ちょうど病院のある通りへと、T字路の角を曲がったときである。西日を背にひとりの男が声を掛けてきた。


 「こんにちは、芹沢君」


 逆光で直ぐにはその男の顔を確認することができなかったが、俺にはその声の主がすぐに彼だと想像できた。

 そう、斎藤君である。


 「やあ、どうも・・・」

 もともと彼と話したのはあの時だけだったので、どう上手く返答して良いか分からない。でも、彼の声とその話し方は、俺の心の中にも鮮明に残っていた。

 「お久しぶりです。今日はどちらに行くのですか?」

 相変わらず、物腰の柔らかいしゃべり方をする。

 俺は少し右にずれて、彼の顔を逆光の帯の中から遠ざける。そこには、以前見た斎藤君の笑顔が待っていた。


 「平松クリニック」

 「平松クリニック?・・・」

 どうやら斎藤君は、まだ平松クリニックのことを知らないようだ。


 「何処か悪いのですか?」

 「頭の中身がね」

 ふざけて冗談を言う俺に、彼は真剣な眼差しを送ってきた。


 (うっ、こいつ真剣な顔をすると、けっこう怖そうなんだな)

 「うそうそ、この前頭が痛かったときに診てもらったんだよ。ついでに、例の声のことも聞こうと思ったんだけど、あの病院の先生じゃ駄目だったよ」

 彼はまだ真剣な顔を崩さない。

 「だから、俺が悪かったって」

 (なんだよこいつ、冗談も通じないのかよ)

 心の中ではそう思いつつも、俺は少しの後ろめたさも感じていた。


 「ついても面白くない冗談というものもあるんですよ」

 俺は再びギクリとした。

 (あの時と同じじゃないか)

 そう、俺が平松クリニックで感じたあの違和感である。

 あの時も、平松という医者は、俺の心の中をすべて言い当ててみせたのだ。俺はあることを試してみたくなった。


 「ところで斎藤君は、こんなところで何やってんの?」

 (斎藤君、実は俺に会いに来たんじゃないのかい?)


 しゃべると同時に、俺は心の中で別の言葉を念じてみた。

 彼はいつも通りの笑顔を作ると、ニタリと笑う。

 「今夜この先の公園で集会があるんですよ。そこに芹沢君を連れて行こうと思って・・・」

 (上手いな。言葉と心の問い掛けのどちらにも通じるような解答だ。では、もうひとつ)


 「悪いなあ、今夜は時間が取れそうも無いなあ」

 (斎藤君、どうして俺がその集会に行かなければならないのか、その理由を教えてよ)


 斎藤君は、ひとつうなづく。

 「まだ例の『声』聞こえるんでしょ? それを今夜で終わりにしようかと思って・・・」

 彼にしては、なんとも歯切れの悪い受け答えに少しの疑念を抱きつつも、やはり彼には俺の心の声がはっきりと聞こえているようだ。


 「俺の他に誰か来んの?」

 斎藤君は即答する。

 「うん、十人くらい集まります」

 「十人?」

 (いったいそこで何をやろうっていうのだろう・・・)

 きっとこの声も、彼には伝わっているはずだから、直ぐにその返答があるはずだ。

 案の定、彼の口は静かに動き始めた。


 「場所は紅葉坂もみじざか公園、みんなは夜七時に集まることになっています。今からここを出れば十分に間に合うはずです」

 まだ核心の部分を聞いてもいないものの、俺は次の質問をした。

 「みんなって誰?」

 「みんなは、みんなです。公園についたら紹介します」

 これ以上聞いてもあちがあきそうもない。


 「・・・で?」


 「皆さんにも聞こえるんですよ、芹沢君と同じように天の声が」

 「天の声?・・・」

 (俺の頭の中に聞こえてきたのは、『天の声』だというのか? だとしたら、ずいぶん物騒な神様じゃないか)

 「神ではありませんよ!」

 きっと彼も、俺をどうしてもそこに連れて行かなければならない理由があるのだろう。

 今では心を読めることを隠すどころか、彼の眼差しには危機感すら感じられる。

 「分かったよ」

 結局は彼に圧倒される形で、俺達はその道を病院とは逆の方向へと歩き始めた。



 二人が紅葉坂公園へと差し掛かったときである。表通りに面した方から俺を呼ぶ男の声が。


 「芹沢くん!」

 声の主は、あの平松クリニックの医院長先生だ。

 「やっぱりそうだった。高校2年生、特技の何もない芹沢君だったよね」

 (イヤなことを覚えているもんだな)

 なるほど今日は私服のせいか、病院で会ったときよりも幾分若く見えるようだ。


 「あのあと病院へは来てないようだけど、薬はちゃんと足りてるかい?」

 「すみません、お金は後で払いに行きますので・・・」

 俺は薬のことよりも、未払いの診察代の方が気になっていた。


 「ところで、今日はこんなところまでお友達と散歩かな?」

 先生は、斎藤君の方には目もくれずに尋ねる。

 「いえ、ちょっとそこの公園で集会があって」

 「えっ、何の集会?」

 俺は斎藤君の方を振り返る。俺が喋っても、上手く伝えられる自信が持てなかったからだ。

 ところが斎藤君は話を適当にごまかすどころか、事の経緯までをも丁寧に説明している。それでもときどき腕時計を見ては、時間が押し迫っているということを訴えることも忘れない。


 「なるほど、では私もその集会に参加してみようかな」

 「えっ!」

 驚く俺とは対照的に、斎藤君は至って涼しい顔をしている。はじめからこうなることを予想していたかのように。

 「医学的見地からすると、大変興味深い内容でもあるしね」

 先生はひとこと添えると、俺と斎藤君の後について歩き始めた。その影が二人の間に割って入るようにと長く伸びる。


 ドーンドン、ドーンドンと、何処かで打ち上げ花火の音が聞こえ来た。


 (そうか、そう言えば今日は、隣街の海岸で花火大会が開催される日だったな。俺も美咲みさきちゃん誘って行けば良かったな・・・)

 「彼女ですか?」

 「彼女かい?」

 ほとんど同時に振り向くふたり。


 「美咲ちゃんって、いとこの幼稚園児のことですよ」

 今度は俺がニコリと微笑む番になったようだ・・・

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