第4話 ニューナンブM60
梅雨も明け、本格的な夏空に積乱雲が天へと一直線に伸びていく。じっとしていても額から汗が流れ落ちる。
相変わらず例の声は聞こえてくるものの、平松クリニックでもらった薬のおかげだろうか、少しは気分も楽なようだ。
もちろん、斎藤君から教わった呪文らしき言葉にも気が
「かんながら たまちはえませ」
最近では、気が付くとひとり口ずさんでいることさえある。
(それにしてもこの薬、なんていう苦さなんだ)
俺は黄土色の粉末を口に放り込むと、一気に大量の水で流し込んだ。後は目を
生姜とうこんを混ぜたような味と、お線香のような香りとが鼻に抜ける。
以前何かの罰ゲームで、『青汁』なるものを飲んだことがあったが、この薬に比べれば毎日でも飲みたいと思うほどである。
「漢方なのかなあ? それとも薬草かなあ?」
残り香をもう一度嗅ぎながら、俺は一言呟いた。
まあ、いずれにしても今
「拓斗、薬飲んだらコップ片付けなさいよ」
今日は日曜日、週に一日だけ母さんが家にいる日だ。
「時間大丈夫なの? 部活動に遅れるわよ」
「はい、はい」
俺はバッグにジャージを詰めながら、見るとは無しにテレビのニュースに眼を移す。
「そう言えばあなた、自転車にワイヤーキー付けたの? 最近は物騒だから、鍵付けないと盗まれちゃうわよ」
「はい、はい」
「『はい』は一回にしなさい!」
(まったく、これさえなければ最高の母親なんだけどなあ)
俺は心の中で舌打ちをする。
『ここで、只今届いたニュースです。今朝東京都渋谷区の路上で、パトカーで巡回中の警察官が男に向け発砲し、男はすぐに病院へ搬送されましたが、間もなく死亡が確認されたと言うことです』
「あらやだ、警察官が。ほんと物騒ねえ」
いつの間にか、母さんもテレビの音を拾っている。
『撃たれた男は指名手配中の殺人犯で、職務質問した警察官に向け刃物を振り回したため、発砲したものと思われます』
「でも犯人、殺しちゃったんでしょ」
「母さん、静かに!」
俺は画面に映し出された警察官の顔写真を、食い入るように見つめた。
『発砲した警察官は
(へえ、このお巡りさん三十八歳なんだ)
テレビのテロップには顔写真の他、年齢と所属警察署が映し出されている。
(それにしても、なんで最初に
『なおこの現場を近くで目撃していた通行人の話によりますと、樋口巡査部長は現場から逃走してはおらず、その場で蒸発するように姿が消えた。と話しています』
「優しそうな顔付きのお巡りさんなのに、何が起こるかわかんないわねえ。だから拓斗もちゃんと自転車の鍵を付けときなさいよ」
なるほど、母さんの落ちはそこに辿り着くわけか。
『視聴者の皆さん、おはようございます。7月26日、サンデーチャンネルの時間です。いやー朝から突然とんでもないニュースが飛び込んできましたが、解説の吉岡さん、こんなことってあるものなんですかねえ? 目の前で人間が消えていなくなるなんてことが・・・』
テレビでは、早くもこの事件に対する評論が始まったようだ。若手の司会者がゲストコメンテーターに話題を振る。
『いやあ、常識から考えてあり得ないことでしょ』
吉岡さんと呼ばれたこの解説者は、鼻を膨らませながら声をあげる。なんとも一般的常識を固定観念としてとらえるといったような感じのおじさんだ。
「そうよねえ、きっとどっかへ逃げたんだわ」
俺の家にもいる、もう一人の一般的常識人が
『しかし、目撃者が複数名いるという点はいかがでしょうか?』
司会者が食い下がる。
(このお巡りさん、ピストルを持ったまま蒸発したのかな?)
『『神隠し』だとでも言いたいんですか? だいいち、これだけ科学が発達した世の中で、『神隠し』だとか言うこと自体ナンセンスですよ』
『でもですよ、吉岡さん。現に一緒にいた警察官も、目の前で樋口巡査部長が消えてしまったと言っているんですよ。タイムスリップでもしなければとても説明が付かないと思うのですが・・・』
『君―っ、何がタイムスリップだ。この警察官も共犯だよ』
事件はいつの間にか、『警察官による発砲射殺事件』から『現役警察官失踪事件』へと話題が変わりつつある。
テレビスタジオ内の雰囲気も、殺人犯なんて撃たれて当然、それよりもピストルを持ったまま行方不明になった警察官の行方はどうなってるの?と言った具合だ。
(タイムスリップかあ・・・ だとしたらこのお巡りさん、いったいどの時代に行ってしまったんだろう?)
俺はもう一度画面に映し出されているその警察官の顔を見るとなしに眺めた。
「じゃあ母さん、部活に行って来るよー」
「夕食はカレーだからね。買い食いなんかして来るんじゃないわよ」
母さんはテレビの画面に向かって返事を返す。
俺は自転車のかごにバッグを押し込むと、いつもの坂道を、いつものようにと下って行く。
坂の上から見る街並みが、今日は少しだけ輝いて見える。
きっと夏の朝日が家々の屋根に反射しているせいだろう。自転車が進む方向へと、その光の塊もついてくる。
「今日は何だか良いことが起こりそうだなー」
ひとこと呟くと、俺は駅へと続く最後のカーブを右へと曲がって行った。
「拓斗―っ、今朝のニュース見たかよ」
貴史のひとことを皮切りに、話題はあの消えた警察官のこととなる。
「しかし何処に行っちゃったのかなあ? あのお巡りさん」
ライフル射撃用のジャケットを着けながら、文雄が尋ねる。
俺は射撃用のビームライフル銃を乾いたウエスで拭き取ると、それを射撃場所の台座へと置いた。
「ピストルもまだ見つかってないんだろう?」
俺の言葉に貴史が答える。
「ミネベア社製、ニューナンブM60回転式拳銃」
「何それ?」
文雄の問に、更に話を続ける。
「今の警察官は、おそらく2インチの後期型を使用しているだろうから、ピストルの全長は172mm、重量665gのものだろう。基本的に安全装置は無いらしいけど、引き金の後ろ側に『安全ゴム』を取り付ければ、撃つことはできないけどな」
「なんでお前そんなに詳しいんだよ」
「ライフル射撃部の次期部長候補としては、当然の知識だよ」
二人の会話に、俺はある疑問を持った。
「弾って、何発撃てるんだろう?」
しかし、これにも貴史が簡単に答える。
「装弾数は5発のはずだから、今回の事件で1発使ったとして、残りの弾は4発ということになるな」
(4発かあ・・・)
とその時、再び例の声が聞こえてきた。
俺は心の中で斎藤君から教わった呪文を唱えると、大きくひとつ肩で息を吸った。続いて今度は、少し口を
どうやら今日のはこれでお終いらしい。
再び俺の耳には、いつもの文雄の声が飛び込んでくる。
「それにしても、本物の拳銃撃ってみたいよな」
言いつつ、レーザーライフル銃の引き金を引いた。すると十数メート離れた的に、赤い表示が点滅する。
「文雄、集中力が足りないぞ」
貴史の言葉に、彼はニヤリと照れ笑いを浮かべた。
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