第6話 集いし十人の男達

 紅葉坂もみじざか公園には大きなコンクリート製の滑り台を挟むように、古いけやきの木が二本立っている。そのどちらもが樹齢何百年も経っているとかで、県の指定樹木のひとつに数えられているそうだ。

 その広く横に伸びた枝のせいだろうか、公園は夕日とネオンでまだ明るい街の通りとは一線を引いたかのように薄暗く感じられる。


 そんな中を、ひとりの男が立っている。

 男は別段挨拶を交わすわけでもなく、ゆっくりと近付いて来た。どうやら右足が悪いのだろうか、歩くたびに右肩がカクンと下がる。

 男は左肩から布のバッグをたすきにかけると、右の腰の前には草臥くたびれた手拭いを結んでいる。


 「ひでさん」

 斎藤君は男のことをそう呼んだ。男は公園にある時計を見上げる。

 「今の若い者は、時間にルーズなところが最大の欠点だな。約束の時間を三分過ぎても平気な顔でいる」


 この秀さんと呼ばれた男、現在の職業はホームレス。いつもはこの公園を常宿としているそうだ。

 実はこの秀さん、かつては大手商社のヤリ手営業マンだったとかで、人にだまされて仕事に穴を開けるまでは、ここから見える一番高いビルの最上階に勤務していたらしい。


 「ところで秀さん、他の皆さんは?」

 斎藤君の言葉に、彼は両手でそれぞれの方向を指さす。

 すると、暗がりの中から幾つもの人影が湧いて出てきた。

 (おいおい、いったいこの人達は何処に隠れていたんだよ)

 「隠れていたのでありませんよ。皆さん天の声に、そして今の世の中におびえている方達なんですよ」

 数えると、そこには七人の男達が立っていた。


 と突然、平松先生が声をあげる。

 「あれえ、あんた下地しもじのご隠居さんじゃない?」

 「その節はお世話になりました。お陰様で、今のところ、まだこうして生きております」

 答える爺さんは、すでに八十を越えようかという老人で、顔の半分以上をしみが覆っている。

 どう見ても、『天の声』というよりも『天からのお迎え』の方が先のようだ。


 「あなたにも『天の声』が聞こえるのですか?・・・」

 不意に俺の横からひとりの男が声を掛けてきた。

 見るとこの男、身なりだけはきちっとしている。白のワイシャツに麻のジャケット、首には瑪瑙るりのリボン帯まで巻いている。

 ところが如何せんこの男、影が薄いのだ。黙っていると、背景の暗さと同化して見えなくなってしまいそうなのである。

 彼は蚊の鳴くような声で、自分の名前を田辺進一たなべしんいちだと名乗った。

 現在の生活には取り敢えず満足しているそうだ。ただ死後の世界に異常なまでに憧れを抱く、いわゆる楽観的自殺願望者のひとりであるようだ。


 (何なんだ、いったいこいつらは? どんな集会だっていうんだよ・・・)

 「お若いのに、やはりあなたにも『天の声』が聞こえるのですか?」

 もう一度問われて、俺は思わず大きな声を張りあげた。


 「天の声だか何だか知らないけど、俺は世の中に怯えてなんか生きていませんよ!」


 皆が、一瞬言葉を失った・・・


 「あんた、かっこいいわねえ。ねえ、お歳はお幾つ?」

 またおかしなのが現れた。どっから見ても、誰が見てもさんだ。どうでも良いけど、赤いラメのドレスに黒い網タイツは止めてくれ。

 「あたしねえ、たんぽぽって言うのよ」

 もうある意味こんな人達ばかりだと、こっちの踏ん切りもつきそうだ。ムッとしている俺に、そのお姉さん、いやお兄さんがもう一言。


 「そんなに怒んないの。これからみんなでいいことするんだから」

 「いいこと?・・・」

 (うわっ、まともに顔を見るのもはばかられる)


 「いいことかどうかは分かりませんが、皆さんが悩んでいらっしゃる、『天の声』からは解放してさしあげますよ」

 斎藤君が自信ありげに皆を眺め回す。

 「それから芹沢君、こちらの方は・・・」

 「あっ、もういいよ」

 彼はけん玉を首から下げた青年を紹介しようとしたが、俺はあえてそれを遮った。大方残りの三人も、多かれ少なかれして知るべしであろうと思えたからだ。


 「ところで斎藤君、今日の集会って?・・・」

 俺の言葉に気を止めながらも、彼は辺りをきょろきょろと見回す。

 「遅いなあ、あと二人なんです。あと二人」

 (なるほど。と言うことは、俺と斎藤君を含めて参加者は十一人ってわけだ)


 「早くしないと、月が天に昇ってしまう」

 意味不明の独り言をいう斎藤君。

 とにかく、あと二人揃わなければ、今日の集会もたんぽぽさんが言っていた『いいこと』も始まらないわけだ。

 俺も見るとは無しに、公園の入り口の方へと目を移した。


 とそこに、一人の男が悠々と歩いてくるのが見える。

 パンチパーマにサングラス、黒の開襟シャツの胸元からは金色のネックレスが・・・ まさに絵に描いたようなヤクザである。

 彼はここへ来る前にどこかで一杯引っかけて来たのだろう、俺の前を通ったときプ~ンとアルコールの匂いが鼻を突いた。


 「よう諸君、待たせたのう」

 彼は悪びれもせず右手を挙げる。それでも、場の雰囲気を察知したのか、

 「斎藤の兄ちゃん、堪忍な」

 と、挙げた手を会わせていた。

 (へえ~、なんか憎めないところもあるもんだなあ。ところでこの人も『天の声』とやらに悩まされているんだろうか?)


 「横山さん、まだいつもの声は聞こえて来ますか?」

 斎藤君の問い掛けに、

 「おう、毎日や。特にシャブやってるときなんかはずっとやで」

 (まさか、たんぽぽさんが言っていた『いいこと』って、この事じゃないよな?)

 俺の心の囁きを、斎藤君はひと言笑って返す。

 「まさかでしょ!」


 それにしても、残りの一人がまだ来てないという。心なしか斎藤君にも落ち着きが見られない。

 「今日はもう来ないんじゃないですかね」

 田辺さんの言葉に、たんぽぽさんは不満そうだ。

 「やーよ、今日せっかくお店を休んでまで来たんだから。みんなでいいことするまであたし帰んないわよ」

 秀さんが続く。

 「おれはよ、毎日が日曜日みていなもんだから別にかまわないけど、学生さんは困るだろう?」

 秀さんの一言に、みんなが俺の方を振り向く。


 「・・・いえ、別に・・・」

 返事に困っていると、急に斎藤君が声を荒げる。

 「ダメです。今日でなければダメなんです」

 普段は物静かな彼のその言い方に、みんなも言葉を失った。たんぽぽさんですら、言いかけていた言葉を両手で押さえている。


 「時間が無いんだろ。だったら私がその十人目になろう」

 みんなの輪からは少し離れたところにいた、平松先生が声をあげた。

 「でも、平松先生」

 怪訝けげんそうな顔をする俺に、先生は淡々とした口調で話す。

 「だいいち、好きで付いて来たのは私の方だし、その『いいこと』って言うのも興味あるじゃないか」

 斎藤君に同意を求める先生に、彼も小さく頷く。


 「では皆さん、こちらへ」

 そう言うと、斎藤君を先頭に俺と平松先生を含めた十人が、それに従う形で歩き始めた。


 東の空に浮かんだ月に、何やら怪しげな薄雲がかかっている・・・

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