09「決戦横浜第三埠頭」

 俺たちは横浜第三埠頭に着くと、ジリジリしながら指定された時間を待った。


 いかにもな犯罪の取り引きに使われそうな絶好のシチュエーションではある。


 用途不明の倉庫がずらーっと並んでいる。


 今日のような用事がなければ、まず一生近寄ることもないだろう。


 そんな未体験空間だ。


 ぜひ、現役JKとJDにも楽しんでいって欲しい。


 どこから、ボーっと汽笛が聞こえてきそうであり、ちゃぷちゃぷ夜の闇に揺れる波の影もいい感じだ。


 明るいうちはそれなりに人が活動しているのだろうが、こんな夜中では人の気配どころか猫の子一匹いなそうな雰囲気だ。


「けっこう冷えますね」


 エロイーズはいつものボンテージスタイルなので夜風が染みるせいか、倉庫の影に隠れていてもぶるぶる小刻みに震えていた。


 俺はダンディに上着を脱ぐと彼女の肩にそっとかけてやった。すぐさまエロイーズは目を潤ませて触れなば落ちんという風情である。あ、やべ。かなり寒いわ、ココ。


「トータくん、エロちゃん。お夜食買って来たよ」


 ちろるがとてとて小走りに駆け寄り、コンビニで購入した牛乳とあんぱんを得意げに手渡してくる。


 これでもう残金はゼロに近い。ますます追いつめられた感はあった。


「トータさんは、やっぱりアホの子だったんですね」


 はぁ、とこれ見よがしにエロイーズがため息を吐く。


 そうではない。張り込みに、牛乳とあんぱんはつきものなのだ。


 俺は、あんぱんをきっちり三等分にして、ちろるとエロイーズにも分けた。パックの牛乳も回し飲みだ。


「なんだか刑事ごっこみたいで楽しいね」


 こんな状況でも余裕をなくさないちろるがこそっと耳打ちしてくる。


「う。冷えて、なんかお腹が……」


 一方、腹出しファッション娘は牛乳との相性が悪く青い顔をしていた。


 我慢せい。


 ちなみにタクシーにはどうにも料金が払えなかったので、近くに待機してもらっている。


 これでマゼルを捕まえている犯人さんが素寒貧だったら、運転手さんに対してダイビング土下座も辞さない覚悟だ。


 だから時間通りきっちりこいよ。きてくれよ犯人っ。


「見て、トータくんっ。人影が」


 ちろるが抑えた声でいった。


 足音の聞こえた方向に目をやると、大きな黒い影がザッザッとリズミカルに地面を踏み抜いている。


 今日が月明かりのまぶしい夜でよかったと切に思う。


 そこには、俺がエロイーズたちとはじめて出会った住宅街で目にしたオークたちの姿があった。


 総勢四人。そのうちひとりは、なぜかベビーカーを押しており、なかには窮屈そうに身体を折り曲げて押し込められたマゼルが深くうつむいていた。


「トータくん。なんでベビーカーにマゼルちゃんが?」


 ちろるが困り顔で訊ねてくる。


 あー。なんとなくだが、今回の事件の構図がハッキリわかっちゃったかもしんない。


 視線を隣に向けるとエロイーズは鏡に囲まれたガマのように脂汗をダラダラ流している。


「なあ、エロイーズ。ちょっと、こっち向いてくれよ」


「え、あ。なんでしょうか。今、私、ちょっとお化粧崩れちゃったんで無理っていうか」


「特に聞かなかったんだけど、おまえ絶対心当たりあるよな。あの、オークさんたちに」


「……ずぇんずぇんないですよ。それにしても、酷いオークたちですね。マゼル待っててね。今、お母さんたちがなんとかしてあげるからねっ」


「おやおやおや、なにを知らんぷりですませようとしているのかな、このサキュバスちゃんは。ダメですよー。知ってることは正直にいわないと」


「いだっ、いだだだっ! 角、引っ張んないでくださいっ。そこは敏感なのぉ。らめぇ!」


「え、えーと。トータくん、エロちゃん。なにがどうなってるのかなぁ」


「だいたい、相手はなんでおまえのメアドを知ってるのかなぁ……。つーかさ、あれっておまえが金借りてた金融屋さんじゃないのか」


「……そ、そです」


「つまり、あいつらはおまえがいつまで経っても借金の返済に応じないから、実力行使に出た、ということで間違いないか?」


「たぶん、そ、そーかも」


「でもトータくん。あのオークさんたち。いくらエロちゃんが借りたお金返さないからって、ちっちゃなマゼルちゃんまで人質に取るなんて酷すぎだよ。変態小児性愛好者だよっ」


「そういう可能性も否定できない。だが、ちゃんと面倒は見るつもりだったんじゃないかな。だから、あのベビーカーを用意していたみたいだが。マゼルは金融屋さんの持っていた前情報をはるかに凌駕するほど成長し過ぎていたんだ。やつは、大きくなりすぎたんだよ」


 けど、薄々感づいていてなにもいわなかったって理由は――。


「は、はい。できれば、このままやつらを埠頭に沈めてなにもかもなかったことにして、清い身体のまま、トータさんと新しい人生をはじめようかなって」


 無言の意味が最低過ぎた!


「わかった。けど、そのためにもまず、俺たちの天使であるマゼルを助けなくちゃだな」


「そうですねっ。けど、分割払いを怒り心頭の彼らが呑んでくれるかどうか……」


 督促無視しまくってた割にはデカい態度だな。


「エロイーズ。すべて俺に任せてくれるか」


「トータさん。はい、私の身体はすべてトータさんに委ねます」


 なにを勘違いしたのかエロイーズがきらきらした目で視線を合わせてくる。


「じゃ、ちろる。そっちの脚持ってー」

「はーい」


「ちょ! ここは感動の抱擁シーンでしょうがっ。物語の分量的にもクライマックスの盛り上がりですよ? な、ちろる。離して、いい子だから。ね――」


「離さなくていいぞー。よーし、がっちり縛れたな。じゃ、俺が合図したら投げるんだ」


「ちょおおっ。なにしようとしてるんですかーっ!」


 俺は縄でぐるぐる巻きにしたエロイーズをほっぽっておくと、係留場に佇むオークたちの前に姿を現わした。


「待たせたな、オークさんたちよ。おまえが望んでいたものは用意した! マゼルは、きっちりかっきり返してもらうぜ!」


「えーと。その前にあなたはどなたさんで?」


 ぴっちぴちのスーツを着込んだオークのひとりがかなり常識的な質問をしてきた。


 やめろよ、この期に及んで。俺のノリが恥ずかしいだろ。


 ぴゅうっと口笛を吹くと、合図を聞いたちろるがミノムシ状態となったエロイーズを「とりゃー」とばかりにぶん投げた。


 エロイーズは「ぶみっ」などと豚さんのような悲鳴を上げて、コロコロ転がり、足元でぴたりと止まった。


 オークたちはあまりの状況の変化についていけないらしく、月明かりでもわかるくらい茫然とした表情をしていた。


 ふっ。決まったな――。


「さあ、こいつを煮るなり焼くなりして借財の一部に充ててもらおうかっ!」


「ちょ、ちょっと待ってくださいよっ! なんでこうなるのおーっ!」


「ちょっと、そこの学生くん。いいかな?」

「はい?」


「僕たち、オーク金融麹町店のものなんだけど。確かに、督促メールを多数送りつけたり、自宅のまわりをうろうろしたのは悪かったけど、本気で人を売り飛ばすかと……そういう気はないんだよ。今日は、実をいうと謝罪も兼ねているんだ」


「ほへ?」


「実はだね。うちの若いもんが、ええと。エロイーズさんの担当の人間なんだけど、彼女があまりに返済を遅らせるものでノイローゼ気味になっていて。


 それで、様子がおかしいなと思って、僕ともうひとりで見張っていたら、このマゼルって子を勝手に事務所まで連れてきちゃったみたいなんだ。


 この子。マゼルちゃんさ。すごく人懐っこい子で帰れっていってもぜんぜん帰らないし。しまいには遊び疲れて寝てしまうし。エロイーズさんにはなんども電話かけたけど、出なくてさ。おうちのほうに行っても、誰もいないみたいでカギもかかってるし。それで、仕方なしに、最初にうちのアホが指定したこの埠頭で待つしかないかなって」


「でも、借金のほうは……」


「そりゃうちとしても返済してもらわなきゃ困るんだけど、彼女、まだ大学生だろ。二百万は確かに大金だけど、頑張って返せない金額じゃないだろ。うちとしても、若い人がこんなことで潰れていくっていうのも、企業理念に反するっていうか」


「じゃあ、あの警察署で張っていたのは?」


「ああ、あれかい? 彼女、なぜか知らないけど、うちの会社の代表メールに警察署を爆破して、自殺するとかそういったたぐいのものを山ほど送りつけてきて。うちの社長が、とりあえず若い学生さんになにかあっちゃならねえっていうんで、いろいろと相談に乗ってもらってたんだよ」


 エロイーズをジッと睨むと彼女は顔を背けてぼそりといった。


「だ、だってあのときは、たまたまちょっと精神が不安定な時期で」


 おい。おまえはどんだけ世間さまに迷惑かけてんだよ。


「でも、エロイーズさんもこんなしっかりした彼氏さんができたからもう大丈夫だね。お金を返していくのはあくまで彼女自身の問題だけどさ。できれば、君がこれからもエロイーズさんをプライベートで支えていってもらえると、返済が滞らなくて会社としてもうれしいかな。ははっ。あくまでただのおっさんの戯言だけどね」


 すっごくやさしいオジサンだった!


「で、要するに私は返済を待ってもらえるし、マゼルも返してもらえるんですね」


「そうみたいだねっ。よかったね、エロちゃん」


 ちろるがにぱっと笑ってばんざいのポーズを取った。


「――と、都合よく話が終わると思って?」


 なんとなくではあるが、とりあえず大団円で一応の区切りはつくかと思われたのだが。


 夜の闇を響き渡る、ねっとりとした妖艶な声に、俺は背筋がゾクゾクと震えるのを感じた。


 まん丸なお月さまをバックにして巨大な影が舞い降りてくる。


 月光を浴びてきらびやかに輝く銀色の髪がうねり、見覚えのある角を誇示しながらその女は大きな翼を羽ばたかせていた。


「あんたはあのときのモンスタークレーマー!」


 オークたちがその人物を見るなり動揺して叫んだ。


 女は俺たちの目の前へと華麗に着地すると、長々と広げていた翼をあれよあれよという具合にたちまち閉じる。


 どう見ても二十代後半くらいだろうか。こうして向かい合っているだけでも頭がくらくらするような、強烈な色香を身体中から発散させていた。


 もろに身体のラインが出る挑発的なボンテージファッション。エロイーズもその名に恥じぬワガママボディだったが、この女はそれに輪をかけて凄かった。


 胸も尻も大きいうえ、腰まわりは蜂のようにキュッとくびれている。


 海外の女性がスタイルを追求するあまり肋骨を手術で何本か抜いて、嘘みたいなくびれを作った画像を見たことがあるが、彼女のスタイルは限界まで絞ってあるがあくまで自然体そのものだった。


「久しぶりね、エロイーズちゃん」

「ママ……」


 ママだって?


 エロイーズは胆を抜かれたような放心状態で銀髪の女性に見入っていた。


 いわれてみると、どことなく顔立ちに似通った部分があるような。


「あなたが、今のエロイーズちゃんの彼氏さんかしら? はじめまして、わたしはこの子のママのカテリーナよ。ふうん、エロイーズちゃん。なかなか面白い子を選んだみたいだけど。わたしたちサキュバスの正体を見て声ひとつあげないなんて、相当な胆力よ」


 いや、それは、ここ最近いろんなもん見過ぎたおかげで感覚が麻痺してるだけですってば。


「なんで、ママがここにっ」


「なんでって、冷たいわねぇ。理由、教えて欲しい? じゃ、特別に教えてあげちゃおっかなぁ。実はね、この新人金融屋さんにあのメール送らせたのはわたしの指示なの。ね」


「すべてはご主人さまのご意思の元に」

「んなっ?」


 今までしょげ返っていた新人くんが機械的な声で答えた。


「な、ふざけんな。おまえ、コンプライアンスが――」


「なんでそんな血迷った真似を」


「そんなの、わたしの指示に決まっているでしょう。ね?」


 オークの金融屋さんは新人くんに食ってかかるが、カテリーナに真正面から瞳を覗き込まれると、たちまち意思を失った亡霊のように全身を脱力させて白目になった。


「はーい、いい子ですねぇ。じゃ、お姉さんがお手々を叩いたら海に飛び込みましょうーね。さん、にい、いち、の。はいっ」



 カテリーナが手をぱちんと叩くと同時に、オークたちは自ら真っ黒な海へと飛び込んでゆく。


 つーか、カテリーナさん。

 あんた、エロイーズのママっていうのならば、もう相当にいい年なんだろうがそれで自分のことお姉さんっていっちゃうマインドって。


 そこまで考えて、ぎろりと睨まれた気がする。


 寒さ冷たさよりも、こんなきったない水に飛び込まされたことのほうが恐ろしいぞ。


「て、こういうわけ。エロイーズ。あなたもわかってるとおり、サキュバスの魅惑(チャーム)をもってすれば、こんなしがないサラリーマンなんか手玉に取るのは朝飯前なのよ。あなたも、そこの坊やに度々使っていたのでしょう? 効果はあまりなかったみたいだけど」


 今明かされるエロイーズの策謀っ。てか、はじめてサキュバスっぽい設定出たな。


「そうなのっ? やっぱりトータくんがエロちゃんを気になってたのはすべて、その魔法のせいなんだねっ!」


 勢いづいて拳を握りしめるちろる。なぜなのか。


「ママは勘違いしてますッ。今や、私とトータさんはそんなつっまんないちっぽけな力など必要としない深い愛情で絆されているのですっ。魅惑(チャーム)の効果が切れてすぐパパに逃げられたママとは違うもんっ!」


 おい、それ地雷ちゃうんかあああっ!


 ママさん、額の青筋ピクピクさせまくってますって。


「……ふ、ふふっ。あのちっちゃなエロイーズちゃんがママにいうようになったじゃないの。あなたは、ひとつだけ勘違いしているようだから教えてあげるわ。ママは捨てられたんじゃないっ! あんな男、こっちから捨ててやったのよ!」


 カテリーナママはエロイーズよりさらにおっきく張りのある爆乳を前に突き出すと、手を当てていい切った。


 というか、この人ちょっと涙ぐんでませんかねぇ。


「嘘よっ。ママ、何年もの間、パパの写真抱えて飲んだくれて泣いてばっかだったじゃない。家事はその間、私がしたんですからねっ」


「くっ。ようやく癒えかけた人の古傷に電ドル突っ込んでかき回すような真似を。こんな回りくどい真似をしてまであなたにプレッシャーをかけた意味がまだわからないの? いいかげん、大学なんてやめて帰ってきなさいっ」


「嫌よ! あんな田舎、就職先、役場と農協くらいしかないじゃないっ!」


「だから、帰ってきてママと会員制ぼったくりバーやろうっていってるんじゃないのっ! あの村には、若い女の子がいる競合店ないんだから。ママとふたりでさんざんあなたを馬鹿にしてきた男たちから骨の髄まで金を絞りってやろうっていう気概はないの?」


 みみっちい復讐だった。


「だからヤダっていっているでしょうっ。それに、私がイジメられたのはママがこんなボンテージファッションを無理やり着させて周りからハブらせるように仕向けたからじゃないのっ。毎日、毎日同じクラスの男子からいやらしい目でジロジロ見られ、挙句ヤリマンだサセ子ちゃんだいわれ続けて。そんな暗い青春を送った私の悲しみなんかママにはわからないでしょうっ!」


「エロイーズ……」


「それに、私はトータさんという最愛の伴侶を見つけたんですよ。ママとは違って、私はこの人とあったかい家庭を作るんです。もう、放っておいてください」


「そんな……ママ許しませんよっ! 長い間孤閨を守ってきたママの気持ちも知らずに、ひとりでしあわせになるなんて。絶対に……許さない」


 ものすごい妬みの塊だった。


「べーっだ」


「ふ、ふふふ。ママが意味もなくこの場所を指定したかと思っているのかしら。ホント、ホントかわいいエロイーズちゃんね」


 カテリーナママは肩を落としたまま、暗い笑い声を喉の奥で押し殺している。


 マズい、これはまだ、なにか奥の手を隠しているやも知れんけんね。


「逃がさない。うんっていうまであなたを逃がしたりしない。あなたが、このエルフを呼び出せたとすれば、わたしも当然同じ召喚能力を有していると思わなかったのかしら」


「ま、さか――」


「いでませいっ。クラーケン! 我が情念の昏い炎を見よっ!」


 この人とんでもないこといっちゃっているよ。俺がそう思ったのも束の間だった。


 カテリーナは背後の海にサッと手を伸ばして、聞き取れない速さで外国語のような呪文を唱えはじめた。


「まずっ。高速詠唱? トータさんっ、離れて!」


 え、なに? なにがはじまるの。ここにきて、そんな深刻な展開はやめてね――。


 エロイーズの声に反応する前に、海がごぼごぼと、不快な音で鳴きはじめた。


 潮と澱んだ水の濁った強烈な臭気があたりに満ちたと思うと、俺の身体は背後から伸びてきた巨大ななにかに掴まれ、ぐいと宙に巻き上げられた。


 ひ、ひえっ。

 声もほとんど出なかった。


「トータさんっ」

「トータくんっ」


 エロイーズとちろるの引きつった俺の名を呼ぶ声が、たちまち遠ざかってゆく。


 ぐ。苦しい。


 ギリギリと、太い触手のようなものが胴に巻きついている。


 顔を無理やり捻じ曲げ、それを目にしたとき、こう腹のなかで叫んだね。


 たまげたな、と。


 イカ。


 それは、向かいの倉庫の屋根を軽々と超えるほど大きさを持つイカの化け物だった。


「召喚獣クラーケン! さあ、エロイーズちゃん。おとなしくママと故郷へ帰るというのならば、この少年は逃がしてあげてもよくって――きゃあああっ! なにこれえっ?」


 年には似合わない黄色い悲鳴が夜の倉庫街に響き渡った。


 見ればカテリーナママはあっさりとクラーケンの触手――いやこの場合触腕か、に巻き取られる淫靡な光景を醸し出していた。


 端的にいうとエロイ。


 クラーケンの触腕がしゅるしゅるとカテリーナママの身体へ縦横無尽に絡みつき、ちょっと目を背けがたいシーンを出血大サービスで作り上げていたのだ。


「あっ……んんっ……ダメっ……ダメってば、んんっ……んうっ……ダメェ。らめぇーん」


 身体の熱を持て余している熟女ママはねろねろと動く触腕に肉を貪られながらとんでもない格好を晒している。


「って俺もえじきかよ!」


 関係ないと傍観を決め込んでいた俺をイカが襲う。


 俺自身も触腕の締めつけが厳しいが、ほとんど超人的な力を発揮させなんとか首だけ向け、アダルティなシーンを目に焼きつけるため苦慮した。


 てか、ママさん、あきらかに最後のほうイカ野郎を受け入れてるよね。


 なんかドキドキしてきたぞ。


 下を見ると、ちろるとエロイーズがあわあわしながら走り回っている。


 すまん。俺には、なにかここぞという場で発揮できる力はないのでなにもできん。


 だったら、ママさんの勇姿を最後まで見届けないとなッ。


「こらーっ。トータさん、なに人の母親の凌辱シーンで興奮してるんですかっ」


「そうだよっ。そういうのは、あたしたちの出番なのにっ。悔しいっ」


 ふたりは俺がママさんのほうを見ているのに気づくと、すかさず投石をはじめた。


 いだっ。いたたっ。意外とコントロールいいからビシバシ当たるぞ。痛い。


「おい、マジでどうにもできないからっ。とにかくおまえらは――そうだ! エロイーズ、マゼルを起こせっ。あいつなら、いつかみたいに謎のエルフ魔術でなんとかこの状況を打破できるやもしれないっ」


「え、うんっ。わっかりましたー。マゼルっ、マゼルッ。パパさんのピンチですよ!」


「マゼルちゃんっ。トータくんの危機ですっ。起きてってば!」


 ふたりがベビーカーで足を投げ出して寝ているマゼルを揺すっているのが見えた。


 てか、どうやって入ってんだよ、あの大きさで。あ、マゼルが転がり落ちた。


「ううん、むにゅう。なあに? マゼル、ねむいのー」


「マゼルっ。そういう状態じゃないよ! トータさんが、トータさんがっ!」


「え、トータ……!」


 完全に覚醒したマゼルは裸足のまま地上に立つと、クラーケンに囚われている俺を見て目の色を変えた。この距離でもわかる。彼女の瞳は月の光を受けて爛々と輝いているのだ。


「このままじゃ、トータくんがっ……! お願い、マゼルちゃんッ!」


「うん。わたし……トータをたすける……トータ、いじめるやつゆるさない」


 ――空気が完全に変わったのがわかった。


 マゼルは、しっかと両足を開くと片手を無造作に上げて、詠唱をはじめた。


 声だけ聴けば、うっとりするような美声だ。


 やはり、呪文の詠唱は聞いたことのない言語であったが、マゼルの声に反応するようにして、虚空に次々と真っ赤なマジックサークルが生み出されていく。


 色は赤。


 マゼルを敵と認めたのか、クラーケンは、お遊びではない速度で触腕を打ち下ろす。


 あっ、と思ったときには、サークルから真っ赤な火球が次々と生み出され、大気を割って触腕に襲いかかる。


 ぼうん


 と。轟音とともに赤い火の玉が、真っ赤に咲いた。


 同時に、クラーケンの触腕はバラバラと千切れ飛び、なんともいえない絶叫だけが長く尾を引いて伸びる。


 さすがに、目の前のエルフと地上でやり合うのはまずいと感じたのだろうか。


 クラーケンは俺たちを捕らえ込んだまま、海中に引きずり込もうとその巨体を沈めかかる。


 万事休すか――!

 だがそれは俺の杞憂に過ぎなかった。


「にがさない――フレイムジャベリン」


 その声が冷徹過ぎて。マゼルの発したものだとは、一瞬わからなかった。


 宙へと無数に構成されたマジックサークル。


 そこから、紅蓮に満ちた炎の槍が、シュシュッと火花を大気に撒いてクラーケンの身体をところかまわず貫いて、真っ赤に灼いた。


 じじじと焼けていくイカの身体は香ばしくて。


 海中に落下するまで俺は、夏の縁日で食ったそれを思い返し記憶のなかで反芻していた。

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