08「過去に捕らわれし神々の黄昏」

「なぜここがわかったんだ……」


 俺は、のれんをくぐりながら、ひたりひたりと歩み寄るエロイーズに視線を合わせた。


「そんなの決まってるじゃないですか」

「決まってる?」

「私の魂は常にトータさんとともにあるんですよ」


 エロイーズはそういうと、手元にあった通信機器のようなものを、サッと背中に隠した。


 GPSかよっ!


 くそっ、いったいいつの間にそんなもん仕掛けたんだっ?


 俺はがさごそと身体中を調べるが、特にそういったものは見当たらない。


 ん? なぜ、今俺の腰のあたりを見たんだ……。


 不審に思い、ベルトを引き抜いてバックルを見る。


 すると、本当に小さな受信機のようなものがあった。


 エロイーズが頬に手を当てて、にい、とほくそ笑む。


 悪魔や、悪魔っ娘やで。こいつは。間違いじゃないんだけどさ。


「あたりまえでしょう? 少々知恵の回る妻ならば、夫の位置を衛星通信で随時把握することなど朝飯前、というか主婦の嗜みってやつ? みたいな?」


 なんで疑問形なんだよっ。


 マゼルはきょとんとしたまま、フォークに刺したハンバーグをかぶりつく寸前で止めた。


 くそっ、これから、どうするどうなるッ。主に俺の身の安全の保障は!


 エロイーズは誰かに許可を得たわけではなく無断で三ツ森医院を中央突破し、住居部分までやってきたらしい。


 ちらと見ると、彼女の背後にはダンディな三ツ森パパンが倒れ伏しているのが見えた。


 なにやったんだよ、おい。

 万事休すか。


 ……いや。ここからだ。


 サキュバスを騙して死中に活を求めよ――。

 俺がそう黙考していると、山が、動いた。


「ねえ、トータくん。その人誰かなぁ」

「はっ――かぁっ」


 ちろるの顔を見て、肺が詰まったような気がした。


 先ほどまでなごやかに談笑していたちろるの顔から笑みが潮のようにすうと引いていた。


 いつの間に背後を取られた?


 俺の肩にちろるの手の爪がガッキとかかり、その場から一歩も動けなくなる。その様子を目にしたエロイーズの端正な顔が、悪鬼のように歪んだ。


「逆に、聞きたいのですが。トータさん。その狸娘は、なんですか? クラスメイトですか? ただの、一山幾らの、有象無象の、それこそ取り換えの幾らでも利くお友だちですか?」


 いい加減失礼だなっ。すっげー敵意を感じる。


「えええと、そこのお姉さん。トータくんのお知り合い、かな? 無作法な訪問でも礼儀正しく応じるのが三ツ森家の家風だから、仕方なしにお相手しますけど。あたしは、三ツ森ちろるっていいます。トータくんの彼女ですよ。以後お見知りおきを」


 ちろるは俺の隣に立つと、ぺこりと一礼した。

 これに、エロイーズが黙っているわけもない。


「は――。これはこれはご丁寧に。私は、藤原エロイーズ。トータの妻でございます。今日は、なかなか帰りが遅かったので、心配して来ただけですので。さ、ほら、帰りますよ! あなた、マゼルッ!」


 勝手に藤原性を! と思っていると耳を思いきり掴まれた。ひぎぃ。


 エロイーズが、背後に業火を燃え立たせる不動明王のイメージを俺に強く焼きつけながら、未だハンバーグをもぐもぐしているマゼルを叱責した。


 てか、こえぇよ。


「え、ママ。でも、マゼル、まだハンバーグ食べてゆよ……」


 マゼルは、うぅと唸りながら未練気に食いかけのハンバーグをチラ見した。


「そんなの私があとでいくらでも作ってあげますからあっ。さあっ」


 カッとなったエロイーズがどしどし踏み込んでマゼルからフォークをとりあげた。


 ハンバーグのカケラが刺さったそれは、くるくると虚空に円を描き、かちゃりと床で音を鳴らす。


「いやっ、いたいっ。やだようっ」


「なにやってるんですか、あなたは! マゼルちゃんが怖がってるじゃないですかっ。いきなり出てきてなにっ? 帰ってくださいっ!」


 ちろるが真っ赤な顔をして吠える。相当に怖い。


 てか、女がここまで本能を剥き出しにするのを見るのは久しぶりだ。


 父が商売女に入れ揚げ藤原家崩壊直前となった日の母を思い出し、俺はトラウマに囚われた。     あわわ。


「帰りますよ。いわれなくても、トータさんとマゼルを連れてねっ。ほらっ、早くっ!」


「やだあっ」

「ママのいうことが聞けないのっ?」


 目の前では、マジでとんでもない修羅場が繰り広げられている。


 くそっ、どうなってんだ……!


 さっきまで、ほのぼの時空で過ごしてきたというのに。


 俺はあたりを見回して逃げ込む穴がないか懸命に探したが見つからなかった。


 マゼルがエロイーズに手を引っ張られながら涙目になっている。


 ごめん、ごめんな。でも、ここはひとつ勇気を出してと。


 やったろうじゃん。

 男になったろうじゃん。

 神よ、俺に立ち向かう勇気を。


「ぎろり」


 俺はエロイーズに睨まれ石像のように立ち尽くした。


「やめてっていってるでしょっ!」


 ちろるが、マゼルの腕を掴むエロイーズを手刀で切り離した。


「あたしたち、今の今まで楽しくお話してたのにっ。あなたのおかげでだいなしだよっ。なんで、そんなに空気が読めないのかなっ!」


 てっきり、俺はエロイーズが負けじといい返すと思ったが。


「え?」


 彼女は先ほどの剣幕はどこへやら。急におどおどした表情になって視線をさまよわせ出した。


「あ、あはは。私が空気が読めないって……なんで、あんたにそんなこといわれなきゃならないんですか。さ、マゼル。おいで……ママと帰るよ」


 エロイーズは虚ろな目で、よろばうように手を差し出すが、恐怖に囚われたマゼルはちろるの胸に飛び込むと、いやいやをした。


「な、んで――」

「これでも理由がわからないんですか?」


 エロイーズが追いつめられたように俺の顔を見た。


 自分では気づかなかったのだが、あまりのことに顔が強ばっていたのだろうか。


 エロイーズは傷ついたように顔を伏せると、くるりと反転してその場を駆け出した。


「なんなのよ……」

「悪い。あとで説明する」


 ハッキリいってあんな顔をしたあいつを放っておけるほど俺は胆が強くなかった。


 待って、と呼び止めるちろるを置き去りにして、あとを追って飛び出した。


「くっそ、あいつ、めっちゃ足が早いな!」


 電話をしてもまったく繋がる様子はない。


 スマホアプリのリダイヤルを使用して連続でかけっぱにする。


 でも、まだエロイーズがスマホの電源を落としていないということは。


 未だ、こちらと交渉する余地があるということだ。


 一度家に帰宅して、父にエロイーズが戻ってこなかったかを確認する。


 てか、パートの母より早上がりしてるんじゃないよ、もう。


 考えてみれば、俺はエロイーズが行きそうな場所なんてまるで知らないことに気づき愕然とした。


 ま、知り合ってそれほど長い間過ごしたわけでもないし、実際問題、男女の仲というわけではないので、仕方のないことかもしれない。


 俺は走るのをやめて立ち止まると、ガードレールの際に腰かけた。尖がっててケツが痛い。


 今なら理解できる。エロイーズは俺の想像の余地が及ばない場所には逃げ込まないだろう。


 なぜなら彼女は見つけて欲しがっているのだから。


 呼吸を整えて、スマホのリダイヤル機能を終了させると再び歩き出す。


 接点は、そこしかない。奇妙な確信があった。






 公園の薄暗い電灯に照らされながら、ブランコを漕いでいる姿を見つけたときはホッとした。


 きいこ、きいこ、と。


 胸を切なくさせるような錆びた金属音が断続的に鳴っている。


 相手がエロイーズとわかっていてもゾッとした。


 時刻は日付が変わる直前だった。基本的に婦女子が出歩いていいい時間帯ではない。


 俺は無言のままずかずかエロイーズに近づくと、揺れていた鎖を掴んで動きを止めた。


「探したぞ。まったく」

「――最初から、わかっていたんですよ」


 エロイーズはうつむいたまま諦めきった口調でいった。


「おまえ、なにを」


「なにもかもが、私のひとりよがりだっていうことに」


 もしかしてこいつは、ちろるがいったことにショックを受けているのか。


 そもそもが、人の家に勝手に上がり込んだ挙句、あれだけやりたい放題をしてのければ、どんな温厚な人間でもキレずにはいられないだろう。


「トータさんも、私のことさぞ鬱陶しい女だと思ってるのでしょうね」


「そんなことねーよ」


 ちょっとだけだ。そう思ったのが顔に出たのか、エロイーズは顔を両手で覆うと、これみよがしにわっと泣き出した。


「ふいぃんっ。私、トータさんのためにお夕食肉じゃがとぶりの照り焼き作って待ってたのにっ。ちょっとお出かけするっていうから、心配になって人工衛星〈導け〉を駆使して常に所在を明らかにしていたら、近場のコンビニに行かないので不審に思ってあとを見守っていたら、あんな女の家にしけこんで……あまつさえ、夕食をこれ見よがしにっ」


 かなり面倒な女だな、こいつ。


「嘘ついたのは悪かったよ、ごめん。でもな、おまえが勘繰るようなことはなにもない。ちろるは俺のクラスメイトで、おまえが失踪した日にマゼルの面倒を見てくれたりしたんだ。ばれればこうなるってことわかってたから、つい騙すような真似しちまって。反省してるよ」


「……問題はトータさんだけじゃありません。マゼルも私のことを否定しました。もう、私、これからどうすればいいかわからないです。マゼルもきっと私のこと、嫌いになっちゃったに決まってるんだ」


「そんなことはない」


「なんで、断言できるんですか。私はもう、誰にも好かれないダンゴ虫以下の存在なので、この公園を根城にして、コンクリートを齧りながらひとり寂しく生きていきますね」


 それは地域住民のみなさまに迷惑だからやめろ。


「――だいたい、好かれてもないやつをわざわざ追ってくる阿呆もいないだろう。な?」


「え」


 俺は振り返って、入り口の前で佇むふたり組に声をかけた。


 エロイーズがくしゃくしゃになった顔をそっと上げる。


「うゆ……」

「トータくん」


 そこには、気まずそうな顔をしたマゼルとちろるが所在なげに、こちらへと視線を投げかけていた。


「あの。あたし、さっきちょっといい過ぎたかなって。考えてみると、エロイーズさんのこともよく知らないのに、酷かったから。それで、謝ろうと。ね、マゼルちゃん」


 マゼルはちろるの背に隠れてぐずぐずしていた。


 俺はブランコ茫然と座っているエロイーズの背をぽんぽんとやさしく撫で、真っ直ぐ瞳を覗き込んだ。


「そんなことないっていっただろ」

「マゼル――」


 エロイーズは慌てて立ちあがると両手を広げて、だだっと走り出した。


「ママ、ママっ!」


 弾かれたようにマゼルが飛び出してゆく。


 うん、感動的なシーンだな。


 と思っていたのだが、マゼルのほうがエロイーズに比べてはるかに身長・体重とも育っているので、結果は歴然としていた。


 エロイーズは上手いことマゼルを抱き止めようとしたのが、簡単に押し潰されて地面に仰向けになり「ぷぎゅっ」と間抜けな声を上げた。


 どうなることかと思いきや、とりあえずなんとか丸く収まった。


「めでたしめでたし、とか思ってないよね?」


 いつの間にかちろるが背後を取って耳元でささやいた。


 俺はこのあとふたりをファミレスに連れ込み、男らしく申し開きをした。


 が、ご納得はいただけず、なぜか裏切者呼ばわりをされるハメに陥った。なぜだ。






「だから、愛を確かめ合ったふたりは、そろそろ婚約指輪の購入に踏み込む時期かと思うんですよ」


 あの争いがあった一か月後。


 俺は自室のベッドで寝転がりながら、耳元でまくしたてるエロイーズの繰り言を右から左へと聞き流していた。


 エロイーズの作った夕食を残らず腹のなかに収めたので、なんとなく目蓋が重い。


 初対面であれほど角を突き合わせたエロイーズとちろるであったが、今ではメアド交換をし、しょっちゅうロインをする仲になっているらしかった。


 本質的な相性自体はそれほど悪くなく、いっしょに買い物に行ったりお茶をしたりしてそれなりに友好を深めているらしく、俺としては無用な争いが生まれなければ願ったり叶ったりだ。


 ちろる曰く「素晴らしい好敵手」だそうな。


 なんでも狩場を「学校」と「自宅」で棲み分けし、彼女たちだけにしかわからない協定を結び、正々堂々戦うことに決めたらしい。それを俺に聞かせるのはどうかと思うのだが。


「って、聞いてますトータさん?」

「ああ、聞いてる聞いてる。また、今度な」

「ぜんっぜん聞いてないじゃないですか、もおお」


 ばふっ枕が顔面に投げつけられる。


 昼間、俺が学校に行っている間、しっかりお日さまに当てて干してくれているのでとってもふかふかだ。その点にはいつも感謝している。


 元々俺は男にしては綺麗好きなのでこまめに部屋は掃除しているほうだが、女の眼から見れば粗があちこちに見えるらしい。


 日々、エロイーズの手によってエントロピーは減少されているので、特に不満はない。


 が、この娘は妙な雑貨や小物類が好きらしく、部屋のなかが日に日にそういった主の覚えのないもので浸食されつつあるのは脅威でもあった。


「マゼル。ダメですよ、テレビをそんな近くで見ちゃ」


「うん……」


「だーかーら、離れなさいってば。こらっ」


「うううっ。ママ、じゃましないでっ。いいとこなんだからー」


「きーけーよ、このっ!」

「うにぃいいっ」


 俺ひとりのときは、もっぱら大人のラブシーンをひたすら投影し続ける機械だったものが、今では好奇心の強いマゼルに占領されつつある。


 だいたい、夕飯がすむと俺とマゼルはとっとと部屋に引き上げまったりしている。


 そして、片づけを終えたエロイーズが部屋に戻ってきて、茶を飲んだり菓子をつまんだりするという流れができあがっていた。


 マゼルは俺が学校から戻ればとにかくまとわりつきたがるので、なかなか自由になる時間もあまりない。


「じゃ、トータさん。私、マゼルお風呂に入れちゃいますんで。お先いただきますね」


「おう」

「トータもいっしょに入ればいいのに」


 それはちょっとできない相談だ。なにせ股間の暴れん坊が黙っちゃいないからなっ。


 マゼルはパッと見、二十前後まで育ち切っているが、精神的に幼くまだ髪や身体が上手く洗えないので、エロイーズがいっしょに入って洗っているという状況だ。


 考えれば、身体はグラビアモデル並みにぱっつんぱっつんでも、やることなすこと漏れがあるのは、精神的に一歳そこそこの赤ちゃんだからだ。


「トータさん」

「なんだ?」

「乱入してきても構いませんよ」


 だからしませんて。


 エロイーズは扉を閉めながらウインクと投げキッスをして去っていった。


 当然、マゼルも真似をするが、ママ的存在よりも決まっているところが少し怖い。魔性の女どもめ。


 ぶっちゃけていうと、俺たちは同室で過ごしているが寝床は分けている。


 ベッドはエロイーズとマゼルが使い、俺は床だ。


 自分でも、こうまでよく我慢できていると思う。

 要するに、まだエロイーズに手を出して自分の人生を決めてしまう決断がくだせないだけなのであるが、これはなかなかに難問だった。


 常にマゼルたちといっしょにいるせいか、ひとりの時間もめっきり減った。


 といっても、特になにかやるべきこともないのだが。


 優等生ならば、こういう時間に予習復習をやるべきなのだろうが、幸いにも俺はこう見えて成績上位者であり、入学してから三年間一度もクラスの上位から落ちたことがないのでしゃかりきになって教科書にかじりつくこともない。


 たまにはネットサーフィンでも楽しもうかと思うのだが、エロイーズのやつが俺の検索履歴を毎日洗っている素振りがあるので、そう気軽に己の性癖をぶち撒けるような行為もしづらいので、エロ関係でお世話になるのはもっぱらスマホだった。


 ビバ、スマホ。俺ほどスマホを活用している男もなかなかいないだろうと思う。


 スマホ手放したらたぶん死んじゃうもんね。


 仰向けになったまま無我の境地でスマホを弄んでいると、階下から地響きが聞こえてきた。


「トータ、あたまふいてっ!」

「んげっ!」


 がちゃりこ、と無造作に扉が開かれ生まれたまんまの姿の金髪美女が飛び込んできた。


 マゼルである。


「お、おまえなっ。なに考えてんだよっ!」

「どーんっ」

「うおおおおっと!」


 マゼルは風呂から上がった状態でベッドの上にいた俺へとダイブを決め込んだ。


 正直、ばっちりくっきり見えた。


 たわわに実った胸とシークレットゾーンに心臓が止まりそうになる。


 ふえぇ。この分じゃ廊下もびちょ濡れだよう。


 今まで動画に興奮していた自分が幼稚に思えるほど、リアルの視覚効果は絶大なものだ。


「ダメじゃないかぁ。ちゃんと脱衣所で拭いてこないとぉ」


「んーん」


 マゼルはなにがうれしいのか笑顔で鼻先を俺の胸のなかにぐりぐり押しつけてくる。


 ふひひ。困るなぁ、こういうことは。倫理的にいかんよ。


「こらっ、マゼル。逃げちゃダメでしょ、もおっ」


 ニヤニヤしながらここぞとばかりにマゼルの乳房を網膜に焼きつけていると、エロイーズが続いて入ってきた。


 彼女はしっかりバスタオルを身体に巻いているので確信的な部分を見ることはできない。


 俺はキッとした顔でマゼルを指差すと「困るなぁキミ」とマゼルを指差した。これで誤魔化せたかな。


「すみません、トータさん。マゼルが、勝手に逃げ出して」


「やーっ。ゴーっていうのやなのっ!」


 前から知っていたがマゼルはドライヤーがあまり好きくない子なのだ。


 ロリ形態の時分、俺もこの子を風呂に入れていたので知っているが、エルフは機械的な風を嫌う傾向がある。


 以前ならバスタオルで丁寧に拭いておけばよかったが、今は大人形態なので量が量だ。


 必然的に文明の利器を使用することはさけられないのだが、合う合わないというものはある。


 そうこうしているうちにエロイーズがはだかんぼのマゼルへと予備のバスタオルを手早く巻きつける。手練の技だ。


「なんですか? ちょっと、そんなにジロジロ見ないでくださいよ。恥ずかしい」


 にしても風呂上がりの女性ってなんともいえず色っぽいよね。


 俺は髪をアップにしているエロイーズを正面からガン見した。


 視線を感じた彼女は頬を染めて視線を逸らす。

 これで角さえなければ完璧なんだがなぁ。

 角が見えるんだよなぁ。かなりご立派なやつが。


 最近は慣れてきてなんとも思わなくなってきたけど、これは世間的に問題ないのだろうか。


 とか、くだらないことを考えていると。


 どこからかぴろりーんとメールの着信音が聞こえてきた。


 無論、俺のものではない。サキュバスさまのものですよ。


「あ、すみません。ちょっと……」


 エロイーズが机の上に置いてあるスマホをいじり出した。彼女にもプライベートはあるのでなんとなく目を逸らすと「えへへ」とマゼルが視線を合わせてくる。なんかなごむな。


 ぽすっとクッションが弾む小さな音がした。


 見れば、メールを確認していたエロイーズが蒼白な表情で立ち尽くしていた。


 彼女が手にしたスマホを落とした音だった。


「どうした。夫がオオアリクイに殺された未亡人から依頼のメールでもきたのか?」


「い、いえ。ただのスパムですよ。あ、あはは。お気になさらず」


 どうしたことだろうか。


 彼女はおかしなスパムメールがくれば、逆に笑いの種として俺に提供する諧謔の持ち主だったのであるが、今回は若干趣が違うような気がする。


「エロイーズ。なんか困ったことがあれば相談しろよ。俺やマゼルがついてるからな」


「本当に、なんでもないんですから。私、マゼル着替えさせなければならいので、戻ります」


 あらあらサキュバスちゃん。そんなことで俺の追及をごまかせるとでもお思い?


「ちょっ、待てよ――」


 マゼルの手を引いて部屋を出るエロイーズをキムタクばりに引き留めようと手を伸ばした。


「だから、ホントになにも」


 彼女がくるりと振り向くとは想定していなかったので、伸ばした手がバスタオルをもろのむんずと引っかかる形となった。


 はらり


 と。偶然が重なって、エロイーズの身体からバスタオルがほどけたのはわざとではない。


「あ、あ、あ……」


 人間、心の底からびっくりすると声も出なくなるものだ。


 マゼルはともかく、エロイーズは純粋的な意味で同年代の女の子だ。


 そういった意味では、年頃の生の女性の裸体を拝むのはこれがはじめてだった。


 いつもの身体のラインが出る服装から妄想していたものと、実際はやはり違った。


 身体の動きは硬直しているが、そこは悲しいかな男のサガ。


 はい、上から下までばっちり見ちゃいました。

 なんというか、凄かったです。


「ロケット、おっぱい……」


 俺は、ぱしんと顔を平手打ちにされ、その場に尻もちをついた。


 その日エロイーズは母さんの部屋で寝ることになり、翌日母に夫婦仲を心配された。


 なんでこうなるんですかねぇ。






 それから数日間は取り立ててなんの波風も起きない日々が続いた。


 ちろると我が家のサキュバスさんも表向きは小康状態を保っている。 


 特におかしな事件も起きなければ相変わらずマゼルも元気で明るく病気ひとつしない。


「ほっ、よっ、はっ」

「おおー。凄いねぇ」


 その日俺は放課後、クラスに残ってちろるとフラフープに興じていた。


 なぜ、こんなものが教室に置いてあったのか、そもそも誰が持ってきたのかさえ不明であるが、金がない学生は案外つまらないことに熱中するものなのだ。


 部活をやっていない暇人たちが、俺のエロチックな腰遣いに称賛の拍手を送っていると、音を立てて教室の扉が開き、この場にいるべきではない存在が現れた。


「トータさんっ。大変です!」


 その人物が現れた途端、教室に残っていた男子生徒たちの空気が一変するのを肌で感じた。


 主にエロシフトに。

 ご存じサキュバスのエロイーズさんだ。


 最近では、日和ったのかおとなしめの服装だったのが、今日に限って臨戦態勢の女王さまもかくやのボンテージファッションだ。こいつは強烈だね。


「なんだよ……」

「おい、マジでゲリラ撮影か……」

「もしかして見学できるのか?」


 ピンク的なものに理性を浸食された数名の男子が、もしやこの教室でAVの撮影がはじまるのかと期待し出している。


 エロ動画に囚われすぎだろ、おい。


 てか、その格好でよく通報されなかったな!


 駆け寄ってくるエロイーズの表情は緊張感と恐れで凝り固まっていた。


 こりゃ、冗談言ってる場合じゃないな。


「エロちゃん。どうしたのかな?」


 すでに仲よしになっているちろるもことの深刻さを感じ取ったのか、声を落とした。


「これを見てください」


 俺は足元にフラフープの輪っかを落とすと、差し出されたスマホのメールを確認した。


 ――エルフは預かった。返して欲しければ、今夜の十二時までに二百万を用意して横浜第三埠頭にまで来られたし。なお、司法機関に動きが見られた場合、こちらもそれ相応の覚悟がある。おまえをよく知るOたちより。


「脅迫状――!」


 ちろるが「ひっ」と口元を手で覆って声を噛み殺した。


 俺はあまりのことの大きさにギリギリと奥歯を噛みしめ、憤りのあまりスマホを床にぶん投げようとしたが、怖い顔のエロイーズに制止された。


 うん、先週機種替えしたばっかだもんね。


「エロイーズ。これがおまえあてに届いたっていうことは」


「少なくとも、私をよく知る者の犯行ですね」


「なにか、心当たりはないのかっ。そもそも、二百万なんて大金俺たちじゃどうにもならねーぞ。おい、今、いくらある?」


「え、えっとですね」


 エロイーズがブランドバックからバカでかい財布をもたもたと取り出す。


「あたしもちろるちゃんのためにカンパするよ!」


 ちろるが口をへの字にして拳をぐっと頭上に突き出す。頼りになる女だぜ。


「おうっ、ちろる。ありがとな。俺も有り金はたいてマゼルを救出するぜ!」


 俺たちは、いっせーのせっ、で財布の中身を机の上に撒いた。


 ――三人合わせて二百四十七円。


 微妙にジャンプも買えそうにないお値段だった。


「くっそ。みんな、結構浪費家なんだな。将来が思いやられる……」


「てか、トータさんは一円玉二枚しか出してないじゃないですかっ!」


「ごめんねぇ、トータくん。今月お小遣い使い過ぎちゃったよ」


「私はさっきお夕飯の食材代金、お義母さまに立て替えたからたまたまないだけですってば!」


 しかし、要求された金額が二百万なのに対して、こちらの手持ちは二百四十七円か。


 少々心細いぜ。


「いえ、これって心細いってレベルじゃないですよね?」


「トータくん。とにかくこれだけ持って行って交渉してみようよ。犯人さん、分割に応じてくれるかもしれないよ。とにかく支払うって意思を見せるのが重要なんじゃないかな」


 うむ。冷静に考えるとちろるのいうことが正しいかもしれない。


 足りない金額は愛と勇気と情熱でカバーするしかない。


「エロイーズ、ちろる。行くぞ。俺たちの手で捕らわれたマゼル姫を助け出すんだ!」


「はいっ」

「うんっ」


 俺はスマホでタクシーを校門に呼びつけると、指定された場所を告げた。


「運転手さん。横浜第三埠頭までやってくれ!」


 運転手は一瞬、鳩が出合い頭に機銃掃射されたような顔つきになったがそこはプロ。


 感情を消して、わかりましだとだけ答えてくれた。


 無茶振りしててなんだが、すげぇな!


 そして、ドアを閉め、車が動き出したところで気づく。


 現在の持ち金も横浜までのタクシー代にまったく足りないという事実に。


 うん。

 足らない分は犯人さんに借りるとしよう。

 運命共同体だもんね!


 だから。


 頼むから埠頭にいてください犯人さんたち。

 俺は、赤茶けた夕焼けを見ながら神に祈った。









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