第27話 再会と嘘のパレード
今、幸せ?
いっそ何か思えば楽になれるの?
雨は目の前の幸せをかき消していくの?
だったら降らなくていいのに。
ずっと、降らなくてもいいのに。
*****
無駄な馴れ合いは―――
一体ナニを孕み、ナニを産むというんだろう?
ずっと、そんな事思ってたよ。退屈だから。本当に。
俺が次にグランに会うのに、そんなに時間も日にちもかからなかった。
まさか、あの中庭で最初の撮影をする事になるとは思わなかった。監督は光に拘りを持つ映像が高評価を得て登り詰めたんだと自慢気に酒の席で語っていた。醜い世界に興味はないそうだ。どうせ、腹の中身はドロドロのおっさんの癖に! と、心の中で嘲笑った事は内緒だ。
撮影中に人影に紛れてグランがひょこひょこと顔を出すのが見えて、俺は笑いを堪えるのに大変だった。
黄色い声にそろそろ嫌気がさす午後。カメラの調整の為に皆が一斉に休憩に入ることになった。ひとつのシーンを撮るのに、まる三日かかることもあれば、数時間で撮り終える事もある。今回は前者だった事もありタイミングよく何度かグランに接触することが出来た。あの馬鹿マネージャーはCMだなんだと鬼の形相で電話ばかりしては、此処を出たり入ったりを繰り返していた。本当に騒がしい女だよ。感謝もしているにはしているんだが、やはり好きになれる気がしない。もう戻ってこなければいいのに。そう苦笑いを浮かべ珈琲を取りに行くかと悩んでいる時にグランは立ち入り禁止の札をムシして、こっそりと中庭に入ってきた。パジャマ姿の子供がひとり入って誰も気が付かなかったのだろうか? 子役だと勘違いでもしているのだろうか?
「ねえ、お兄ちゃん、撮影って大変?」
「楽ではない……かな?」
「へえ~ そうなんだ〜」
「興味なさそうだな……」
「……そうだね〜」
「……正直だな」
「だって、ぼくは、お兄ちゃんに会いに来ただけだもん」
「へえ~、ありがとう!」
「なにが?」
「なにがだろうね!」
絶妙なバランスの微妙な空気感。おかしなふたり。あべこべで、でこぼこで。歳も全く離れているのに、話題も共通点もないのに、それでも何かがおかしくて、二人は顔を見合わせてお腹を抱えて同時に笑いだした。他愛のない会話もどこか楽しくて時間を忘れるほどだった。
「お兄ちゃんは約束しなくても大丈夫な人だね!」
「……うん?」
「ううん! なんでもない! ぼく、もう行くね! 今日は検査があるんだ! 良くなってきてるって思うんだ!」
「そっか! 退院出来るといいな! じゃまたな!」
「うん! あ! お兄ちゃん! これ!」
グランは照れたように笑うとハンチングを目深にかぶりカーディガンのポケットに両手を突っ込みまるでスキップをするように一度跳ねた。去り際に大きな声を出し、何かを思い出すとポケットから、あのキャンディーを俺に向かって弧を描くように放り投げた。太陽の光に晒されたセロハンが吸収した光を輝かせ、むらさき色の螺旋状の模様が俺の掌に落ちた。礼を言おうと入口を見たが目に刺さる光が眩しくて手をかざした。次に入口付近を見た時にはグランの姿はもう見えなくなっていた。
カメラの調整と音声マイク、それに録音が上手くいかないと、急遽昼から休みになった。機材が一斉に調子悪くなるなんておかしな事があるもんだ! くらいに思った。本来なら嬉しいはずの何ヶ月ぶりかの休みに俺はどうしていいか分からなくなった。突然の休みに誘える友達も居ない、行きたいと思う場所もない。これといった予定を入れる事も出来ずに、家に帰るのも億劫で何処に行くわけでもなくタクシーに揺られながら流れる景色を眺めた。こんな時に脳裏に浮かぶのはグランの事だった。不思議な感じがする彼の笑顔に妙に惹きつけられる。
遠く離れていく街路樹と真っ青の空を見ていて不意に何かを思い出す。何かが深く染まっていく、虚しさの残る愛なんて馬鹿にしていられたのにグランに逢った事で何かが変わっていく。散らばった何かが集まっていくような、そんな感じに似ていた。
運転手に声をかけ、あるアンティーク雑貨屋店に行ってほしいと告げ、車内から流れる音楽とビルの隙間から見える青い空に流れる雲、それからそこに吸い込まれるような飛行機に自然と頬が緩み笑っていることに気がついた。
「ああ……俺、まだ笑えるんだ。そうか……よかった」
買い物を済ませ、タクシーを病院で止めてもらいロビーの前で降りる。今度は俺がグランを心から笑わせよう。そう思ってあの中庭を横切り受付でグランの病室の部屋番号を訪ねた。受付の女性が「その様な名前の方は入院されていません」と応えた。
「……え? そんなはずは! 小児科病棟に入院しているグラン・カウントさんですよ? もう半年以上も入院をされている患者さんですよ! ナマエ間違っていませんか! 十歳くらいの男の子で! もう一度確かめてください!」
必死に訴えると受付の女性が怪訝な顔で俺を見る。どう見ても彼女は嘘をついている顔ではなかった。それに彼女が俺に嘘をつく意味が無いのだ。俺の剣幕に数人の受付の女性達がざわつき始め、周囲の人までがこちらを気にしだした。荷物のうす紅色の紙袋の紐を握りしめ俺は何かを感じて中庭まで走っていた。何かがおかしい。胸の奥がざわつく。とても嫌な感じがする。ジャケットのポケットに手を入れてあのキャンディーを確認する。手のひらには、あの螺旋状の模様のキャンディーが不器用に転がる。夕焼けをセロハンを妖しく照り返す。
「どうなってるんだよ? グラン……どこいっちまったんだよ?」
中庭は静けさでいつもと何ひとつ変わらない景色を見せた。楕円形の花壇のクリスマスローズがどこからか吹く風に揺れ、夕方の橙色の光がベンチの影を長く伸ばす。吐く息が白く立ち上っていく。空っぽの中庭に俺は立ち尽くすしかなかった。やり場のない思いのままで片手に握られた、うす紅色の紙袋を落としてしまう。中にはアンティークの蝶の図鑑が一冊と薄紙に包まれたミネラウス・モルフォの標本が入っていた。落とした弾みで全てをぶちまけ、標本のガラスが割れていた。まるで俺は大事な何かをなくしたみたいだった。色を失った俺の瞳の奥には、今はそこには居ない、あの昆虫図鑑を大事そうに抱えこむ無邪気な笑顔でほほえむグランとセロハンのキャンディーが陽炎のように揺れて映っていた。
「おにいさん…… どうかしたの? なにか探し物?」
背後から聞こえた高く澄んだその声に俺は慌てて振り返った。
「グラン?」
そこには俺が想像していたグランの姿はなく、スーツ姿の背の高い無精髭の男とカーキ色の妙な耳の付いたコートのフードを深くかぶった少年が立っていた。
「あ…… いや、なんでもないんです……」
慌てて何もなかったように振る舞うが小刻みに膝が震えていた。そんな事よりも一刻も早くグランを探したかった。病室をひとつひとつ回って、しらみつぶしにしてでもグランを探し出そうと思っていた。
「あんた…… 俳優のアダム・チェイスさんか?」
スーツ姿の男はぶっきらぼうに俺に声をかけてきた。
「まさか〜! 人違いでしょ? アダム・チェイスさんっていったらボクの好きなトイ・ストアのCMの俳優さんだよ! もっとカッコよかったでしょ~! ねえ? おにいさん?」
隣のフードを目深に被った少年は鼻先を擦りながら男の膝を軽く蹴り上げると、隣のスーツ姿の男は少年のフードの耳を掴んだ。そして、俺に同意を求めるように困った顔で笑った。
「俺、急いでいますから…… それじゃこれで……」
踵を返し、俺は本当に急いで中庭から出ていこうとする。
「ねえ、最後にひとつだけ質問いいかしら? 此処の病院のナマエ教えてくださる?」
さっきまで誰も居なかったはずの中庭のベンチに黒いワンピースの少女が座って俺に声をかけてきた。答える義務などないというのに少女のヘーゼルグリーンの瞳の色に逆らえないと心が悲鳴を上げて嘘をつくと危険だと大声で叫ぶ。
「たしか…… ブルー・コルトレーン…… えっと…… 国立病院ですよね?」
額に汗が流れ、俺は恐る恐るそう答えると彼女は美しい微笑をこちらに向けた。
「ですって…… どうするの? このまま、イケメンのこのお兄さん連れて帰って事情聴取? その後は何? 美味しいディナーと美味しい話で酒盛りでもするの?」
「どうしてティノはそうなるんだよ! 違うでしょ!」
「ティノ! オマエはオッサンに電話しろ! あとは帰って段取り通りに計画と洒落こみましょうかね?」
スーツ姿の男は不敵な笑みを浮かべる。そして俺にこう言うんだ。
「俺たちは、しがない探偵屋だよ! どんな探し物でも…… そして人でも? なんなりとご相談に応じましょう! ちょいと依頼料はそこら辺の事務所よりも高いけどな!」
軽く膝を曲げ頭を下げると、男は胸元から一枚の名刺を差し出した。その隙のない立ち振る舞いに寒気がしたのは言うまでもなかった。
「ウィリアム・ロック探偵事務所……貴方がウィリアム・ロックさん?」
名刺を見て俺はゆっくりと彼を見上げた。
「いいや、俺はその部下のニールだ! ニール・クインテットだよ……」
男が俺を見て、もうひとつのベンチにゆっくりと腰を下ろした。
「ありゃりゃりゃ! 部下って認めちゃったよ! へえ~それでいいんだ~! ま、そういうボクは助手なんだけどね〜 ……あ〜! ボクはニア! おにいさん、よーく覚えておいてねえ~」
男の少し後ろで花壇のクリスマスローズを指先で優しく触れ、そのすぐ真下に落ちていた鮮やかに青く光る蝶の羽根を一枚摘みあげる。
「ニールが言ってたとおりだねえ…… 此処の病院、すんごく匂うねえ~! 病院なんてのはナマエだけだね? 「貴方が手塩に掛けた大事な大事なお子様は不治の病にかかった!」なーんて言っておいて親や身内から小さな子を引き離して…… 良い感じに育て上げたらスグに売り捌いちゃうんだよ!それがアイツのセオリーって感じ……かな? こりゃ黙っていらんないでしょ?」
「そういう事だな……」
彼らの言葉に寒気を感じた。なにかおかしな事が起きると、嫌な前触れだと―――
身体が拒否反応を起こさずには居られなかった。
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