第26話 Glare

 アナタは夢を見ることが出来るかい?

 そう、それは幸せな事だ。


 もしも夢が見られないと仰るならば、ワタシが幸せな夢を見せてあげよう。

 

 世界にひとつの、それはそれは素敵なアナタだけの幸せな夢を。



 *****


 俺の前に居る少年は家族と離れて小児病棟にもう半年近く入院しているそうだ。病名も分からない、治るかも分からない。と、彼は笑って言う。

 どうして笑っていられるのだろうか? 俺には分からなかった。冬の照らし続ける太陽の光が彼を輝かせる。神々しいという言葉がぴったりハマって嫌になるくらいだった。


「……どうして、お兄ちゃんが寂しい顔をするの? 」

「そうだよな…… お兄ちゃん変だよな!」

 彼の言葉に俺は一瞬、動けなくなって押し黙ってしまう。彼のとても不思議そうに俺を見る表情で、慌てて返事をして不器用に笑って返した。


 温室のように暖かな中庭も少し陽が落ちると、さすがに真冬の寒さが身に染みる。俺は両手で自分の肩から腕を撫で擦り身震いをする。彼は思い出したようにカーディガンのポケットからひとつのキャンディーを取り出して俺の目の前に差し出した。キャンディーのセロハンが夕焼けの色を吸い込む、その夕焼け色が包まれたキャンディーを指先でそっと受け取るとセロハンを丁寧に剥がす。

 ガラス玉かと勘違いする程の綺麗な透明の玉にグリーンの螺旋を描くような模様が見える。キャンディーを口に含むと甘いなかに少し酸味が口に広がり、グリーンアップルの香りが鼻に抜けていった。懐かしくて子供の頃に食べた事がある味…… そうか! 子供の頃によく通っていた近所のマーケットのレジの横に刺してあるロリポップキャンディーの味だ! 油断して思い出すとニヤけそうになって、一度ゆるみかけた頬を力を入れ元に戻して、彼にお礼を言った。


「いいでしょ! 美味しいでしょ! それに綺麗でしょ? 夜の明るい月にかざすと、もっと綺麗なんだよ! お兄ちゃん、ほら見て! もう月が出てる!」

 空を仰ぎ見るとまだ少し明るい中に白い月が出ていた。そんな俺を見て、優しく目を一度伏せると長い睫毛が涙を弾く。どうしたのだろうか? 彼は何かを感じたのだろうか? だが、敢えてそこは聞かなかった。いや、聞けなかった。


 天を仰ぎ見る彼の目は汚れを知らないと、媚びることを知らないと、汚く染まった俺に訴えかけてくる。面食らったよ。俺とは違うんだって――


 マネージャーが「帰るわよ!」と、スマートフォンにメッセージを送ってきた。もう少しだけ、彼と不思議な時間を過したいと思ったのに、後髪を惹かれながら彼に「楽しかったよ! もう、行かなきゃ……」そう伝えると彼は少し寂しそうな目をしたかと思うと、


「ぼくは……グラン! グラン・カウント! お兄ちゃん、また会える?」

「えーっと…… 俺のナマエは……」

「アダムさんだよね? アダム・チェイスさんでしょう?」

「なんだ……知ってたのか!」

「トイ・ストアのCMに出てるもん! テレビでよく観るよ! だから知ってる!」

「ははは! 恥ずかしいな~、よし! 約束する! 絶対また会いに来るよ!」

 

 俺はグランの前で屈み、同じ目の高さに合わせ握手をする形で手を出した。すると、グランは笑ってその手に、もうひとつキャンディーを乗せた。


「ぼくは約束はしないよ? だから握手もしない! けど、もうひとつキャンディーあげるね! じゃーね! お兄ちゃん!」

 アダムは踵を返すと中庭からゆっくりと出ていってしまった。


「おかしなガキだな……」

 手に握ったキャンディーを見ると、同じセロハンに包まれた今度は赤い螺旋が捩れたモノだった。それを上着のポケットに押し込むと寒さで身体を震わせ、首を竦めコートのフードを目深にかぶり俺も中庭を後にした。


 

 無数の蝶の羽根が、まるで枯れ葉が風に乗って舞うように上がり羽ばたく。死んでいた筈の蝶の羽根たちは儚く踊るように舞い上がる。この月の灯りで鱗粉を煌めかせながら、螺旋状に天窓に向かって吸い込まれ消えていく。それは浄化という言葉がぴったりだった。

 

 

 空はゆっくりと陽を落とし、月が代わりに空に上がると、いやに明るく天窓を通して中庭が妖しく光った。



 *****


 俺は、また無駄なつまらない嘘を重ねていく――


 絡み合いはしたとして、そこに何が残るって? 空っぽだろ、そんなもの。



「ねえ? アダム…… 次、いつ逢えるの?」

「時間が出来たら、また連絡するよ……」

「アダムったら、とっとと帰れ! って顔ね…… 本当にイヤな男」

「……」

「でも、そういうところも好きよ?」


 

 軽薄そうな赤を纏った唇で女は嗤って云う。全てを分かったように見透かしたように俺を見下す。

 ベッドで横になる俺は体勢を変え壁に向き合い、わざと女に背を向けた。シーツと身体の擦れる音がやけに耳に残る。そんな絡み合いは、身体と心には何ひとつ思い出として残さない。


 俺は、この女は正直苦手だった。好きにはなれなかった。都合のいい時にお互いを呼びつけ合い、幾度とペースを合わせることなく空回りを続ける、まるで俺たちはパブロフの犬だ。エサを目の前にチラつかすと涎を垂らして貪り喰うんだ。焦りを纏った醜いバケモノだと思ったよ。見た目の美しさだけは群を抜いてるっていうのにな――


 人は見た目じゃないんだと、嫌という程に思い知らせる女。


 盛り上がりも合ったもんじゃない。

 無駄なダンスを踊り狂う人形みたいだ。踊る気もないのに俺は幾度となく踊り続ける。狂ったように。辱めもなく、何かが心に燻しこびりついていく。


 嫌気と吐き気が入り混じる。

 別に人が嫌いな訳じゃない。


 ただ今は眠らせ欲しいんだ。

 棘の刺さった汚れた心を今は忘れていたい…… 純粋に上質の眠りを欲するんだ。


 ただ―― それだけなんだ。



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