第28話 Blow up

 どうして、ぼくなんだろう?

 絵が上手いわけでもないし、歌が上手いわけでもない。それから、足が速いわけでもない。なんの取り柄もないって思っていたのに。これといって何の特徴もないぼくなのに……どうしてなの?

 

 ここにはたくさんの箱、たくさんの数字が壁にたくさん並んでいるよ。ここは、ぼくの居場所なの?


 いつも、みんなに気持ち悪いって言われてたのに。いつも、お前はいらない子だって嫌われていたのに。こんな気持ちの悪いぼくなら捨てちゃえばいいのにって……そんな風に思っていたのに。お兄ちゃんは会いに来てくれてたね、ぼくだからなの?


 誰でも、良かったの?


 お兄ちゃん、ぼくはお兄ちゃんと話がしたいんだ。ぼくの背中に羽根が生えていたら、お兄ちゃんにすぐに会いにいけるのに……



 *****



 大きな彫刻が施された立派な木製の扉。不安を感じさせる奇妙な連中。なのに、目を逸らすことの出来ない何かを感じたのも事実。なんで俺は、のこのことこんな場所まで着いてきてしまったのだろうか?

 あの垂れ耳フードを目深に被った少年が扉を軽快にノックすると、ゆっくりと気の擦り合わさる音を鳴らして扉が開く。

「おかえりなさいませ」と、綺麗な顔立ちの男性が頭を下げる。


「ガブりん! ただいま~!」

 彼はそう元気に声をかけると、男はとても柔らかな笑顔で微笑んだ。その後を満面の笑みで少女が入ると、次にどうぞと手を差し出された。俺の後にあのスーツの無精髭の男が入る。すると、どうだろう。男がジャケットの裾から小瓶をスッと出し、入口付近に中の液体を振りまき出した。

 

 なんだ? この儀式地味た行為は?

 俺は変な連中の隠家的な所に着いてきてしまった気がした。


「さてと…… アダムさん、そこに突っ立っていても仕方ないから、好きな所に座って楽にしてくれ」

 男はジャケットを脱ぎ、さっきの綺麗な顔立ちの男に当たり前のように渡す。袖のボタンを外し、ネクタイを片手で緩める。テキパキと書類を数枚出すと万年筆で何かを書き込んでいき、一瞬、俺の顔を見る。


「いきなりで悪いが本題に入る。探し物は…… いや、探し人は年齢はいくつで身体に何を隠し持ってる?」

「ちょっ…… 待ってください! 本当にいきなりなんですね!」

 さっきまでの空気の違い、男の的確な質問に俺は慌てる。それに身体に何を持ってるって? この男は何を言っているんだろうか?


「ニールはいつもそんな感じだよ! 気にしないでやって。マイペースってアレだから! とにかくお茶でも飲んで落ち着きましょうか! 本日は甘い香りのアールグレイを入れましたよ〜 英国王室の有名なお茶なんですよ~、薫りには不思議な効果がありますよ? リラックス効果もあって落ち着くはずだよ!」


「……え?」

「へ?」

「……キミは?」

 俺はお茶を運んできたニアの姿を見て、一瞬、誰か分からずにアダムは小首を傾げた。


「ガラスの国の王子さま! アルベルト・ニアとでも改めてご紹介しましょうか? アダム・チェイスさん!」

「たいへん良く出来た自己紹介だことね? ニア……」

「別に嘘は言ってないじゃないか!」

「だからって言い方ってものがあるでしょ! これだからアンタは…… そうじゃなくても見た目だけがガキで中身がオッサンなのよ? しっかりしてよ! デリカシーの欠片もあったもんじゃないわ!」

「デリカシーが無いのはどっちだよ…… だから、ボクは嘘はいってないって言ってるじゃない!」

「嘘を吐かなければ良いって問題じゃないのよ!」

 

 唖然として何も言えなくなった俺をそっちのけで、二人は子猫が縄張り争いを激しくするように言い合いをしだした。


「また、おふたりはそのような言い争いをお客様の前で…… アダム様、申し訳ありません……」

「そうだよ…… ニアもティノも成長しないとダメだよ? お客様に謝らなきゃダメだよ? 」

 ガブリエルがお茶菓子を用意してテーブルに置くと、呆れた声を零し二人を見る。二人を憐れんだような目で見たまま、振り返りアダムに丁寧に頭を下げる。その後に続くように奥の部屋からガウンを羽織ったシモンが、ゆっくりとこちら側に歩み寄ってきた。


「シモン…… 今日は大丈夫なのか?」

「うん。今日はすごく気持ちが良いんだよ! ニール、まるで腫れ物に触れるように僕を扱わなくていいんだよ? 普通にしてほしい」

「そうか、ならいいんだ」

 薄命とはシモンの為にある言葉なのではないだろうか? 日に日に母の面影を強くしていくシモンの凄艶な姿に、ニールの口から溜息が漏れた。


「アダムさんでよろしいでしょうか? 僕はシモン・クインテットと言います。このウィリアム・ロック探偵事務所の者です。本題に入る前にひとつお聞きしてもよろしいでしょうか?」

「あ、アダム・チェイスです。……はい」

「それでは、アダムさん…… これは楽な案件ではありません。貴方がこれを認めてしまえば全てを背負うことになります。勿論、人はそれでも次第になれていく生き物です。僕から見た貴方は偽善で此処まで着いて来たとは思えないのですが……」

 シモンの、そのセリフには重みがあり、部屋の空気が冷たく凍るように張り詰める。アダムはシモンの背筋に冷たく感じる。消え入りそうな声と妖艶な瞳に吸い込まれそうだと息を飲みゆっくりと口を開く。


「あのう…… もしかして変な宗教とか? その、秘密結社とか? 此処はそういう場所なのですか?」

 冗談のつもりで言ったアダムの言葉に、みんなは、一斉にアダムの顔を見て時が止まったように黙ると吹き出し笑いだす。


「大体合ってるけど…… 大半はハズレね?」

「ティノ様、全然的外れです」

「アダム・チェイスさんって思ったよりも面白い人だね?」

 ティノが笑いをこらえ目に涙を溜め、お腹を抱えてソファーに座ったままでアダムを見て声を出す。その言葉にすかさず訂正するガブリエルはテーブルにタマゴサンドとカップケーキを運んでくる。直ぐにカップケーキに手を伸ばしてひとくち食べると、ニアはアダムに向かってしなやかに微笑んだ。


「……あ、そりゃどうも。それから、アダムでいいです……」

 多少だが、機嫌を損ねたアダムは仏頂面でそう答えた。


「ニア! お客様に失礼ですよ!」

「ウィリアムさん! おかえりなさい!」

 重い扉が開き風を巻き込むように、コートにハットを被ったウィリアムが出先から戻ってきたと同時にニアに注意をする。注意された事よりも、ウィリアムが帰った事に歓喜の声を上げるニアは悪びれもせずに嬉しそうに笑う。

 コートとハットをガブリエルに渡すその姿はまるで全てを見透かしているようにアダムの目を捉え、直ぐに優しく微笑んだ。グレイのツイードのダブルのスーツにウィングチップの靴は渋さを更に引き立てるようであった。薄らと笑う口元には何かを秘めているようでアダムは窓際に立つウィリアムをただ何も言わずに見ていた。


「やっぱり敵わない……まだまだ俺達じゃオッサンの代わりは出来ないな!」

「まだ、一緒にされては困ります」

 そう言うとウィリアムは優しく微笑んだ。アダムはウィリアムを見て呆然とした。この人が此処の所長? ウィリアム・ロックさん? なんだろうか、この佇まいに妙な雰囲気、不思議な魅力に迫る怖さ、アダムは溜息が漏れそうになるのを我慢した。


「赤いふうせん~! ピンクのうさぎ~! 青い宇宙は黄色のおほしさま~! まあるいかんばん~トイストア~!」


「……」

 空気が読めないとはこういうことを言うのだろうか? 突然オットマンソファーに座ったままでニアが歌い出す。


「みどりのきょうりゅう~! むらさきのカップケーキはあまい味~! 不思議なおかしもお手の物~! まあるいかんば〜ん~! トイストア~!」

「……わざとですよね?」

「いや……ありゃ大真面目だな」

「ニアはあのCMが大好きなのよね?」

「そ! 大好き!」

「……そりゃどうも」

 照れくさいのと苛立ちが共存したかの微妙な表情でアダムは出されたお茶を手に取りゆっくりと飲む。その間にも彼は陽気に歌う。堪らなくなったアダムはニールに向かって問う。ニールは半笑いで肯定して、隣に座っていたティノがニアを半ば呆れ気味に言い放つとニアは、さも自慢げに指揮者のように両手を振る。これは何を言っても無駄だと察したアダムは感情のこもっていない礼を言った。


「で? ……その少年は昼まで病院に居たんだな?」

「ええ……」

「検査に行くって彼は言ってたの?」

「ええ……」

「受付の人も知らないって……それ、どういう事なのよ?」

 ニールはペンを廻し、突然話出しアダムはその声に身震いをして頷く。それを聞いていたティノが横から口を出し、不思議に思ったニアはウィリアムの机にそっとお茶を静かに置く。


「ウィリアムさん! 大きな病院だからってそんな事あるかな?」

「……催眠等の事も無いとは言えませんね? ですが、それだけとは思えません。人の所業だけではないような……」

「集団催眠……」

「安全な明日は無い病院……か」

「そんなひどい事って……依頼料なら俺はいくらでも払います!」

 アダムの零した言葉にニールが鋭い目つきになる。


「あんた、言葉の選び方を間違っちゃいないか?」

「……どういう意味ですか?」

「あんたが誰だって俺達には関係ないんだよ? だがな、簡単に言う言葉じゃない……って事だよ!」

「ニールはまたカッコつけちゃってさ」

「虐めたヤツは虐められたヤツよりも記憶が薄いんだよ? そういうヤツはな! 自分が正しいっていつでも思ってる。誰が悪いとか追及すんなよ? 誰にだって生きてる理由があるんだよ……肯定も否定も俺はしない。何が悪くて何が良いとかそんな事にも俺は興味はねえよ!」

「心の隙間……心の原因……ってことよ! アダムさん!」

「そういう事だ! それから虐めてるヤツの心に傷がないって決めつけるな? ……環境で人は変わる! 天使にでも悪魔にでも……人はなれるんだよ」

「ちょっと待ってニール! ……それって、グランくんは……親に売られたってことを言いたいの?」

「あくまでも仮の話だ。だけど、ニア、そんな事がないって言いきれるか?」

「ないね。それはどんな人にも言いきれたことじゃないもんね?」

「……それじゃ、アタシと一緒じゃない! どうしてなのよ! 親にとってこどもは宝物じゃないの? それって、それって……」

「ティノ! 落ち着けよ。それから、少しお前は黙ってろ!」

「ニール……そんな言い方しないでも……」

「これは仕事だ! 嫌ならオマエは、おりろ……」

 

 ティノが感情を顕にする一歩手前でニールが大声でその言葉を遮る。シモンは悲しみで胸が潰れそうな感情を拾いニールを止めようとする。それでもニールは言葉を止めずに続けた。


「ティーノ! ボク達は家族なんでしょ?」

「ごっこでも……アタシの家族はアンタ達よ!」

「……話が逸れる前にこれだけは言っておくぜ? アダムさん、いい加減な気持ちで手を出しちゃいけないんだよ? 居なくなった彼がどんな気持ちでアンタに手を差し伸べ掛けたのか? どんな思いで笑って話していたのかを……俺の言いたい事はそれだけだよ!」

「よく考えてから、もう一度ちゃんと依頼しろってニールは言いたいみたいね?」

「……報酬の問題じゃないんだよ? ガッカリさせないでよ! アダムさん! ボクもあのCMの歌が大好きだよ? だから……ね?」

 アダムは両手で顔を覆い隠し声を殺して涙を流す。自分のいい加減な正義は格好悪くて情けないものだったと。此処の人の心の強さも嫌というほどに心に響く。

「改めて依頼をします! グランを助けてください! 大切な人なんだ!」

 アダムは言葉を言い、ニール達に頭を深く深く下げる。そんなアダムを見たニールは、肩で息をつくと力を緩め一笑した。


 ーーーーー

 

 眩しい光に目が覚める。身体のあちこちが怠く力が入らない。ぼくは揺り籠のような椅子に座っていた。膝の上には薄いタオルケットが掛けられていた。辺りを見回して、見覚えがないと認識する。

 真っ白な壁。真っ白な床。ガラスの箱がたくさん並べられた部屋。黒いローブを羽織った男が手袋をゆっくりと丁寧に着ける姿が見えた。


「やあ、目が覚めたのかい? 501番」

「501ばん?」

「キミの事だよ? 501番! 頭は痛くないかい? 身体はどこかおかしくないかい?」

 その男の言葉にグランは首を横に振る。男は台に置かれた何もいない水槽に大きなグラスに入れられた金魚5匹を手に持ち哄笑する。男はグラスからそのまま水槽にゆっくりと金魚を移し替えると、勢いよく泳ぐ金魚にグランは素直に目を輝かせ反応をする。とても綺麗だと驚嘆した。


「お魚とってもかわいいね! おじさん!」

「そうですね……いきいきとしていて、とても美しい! 生命は儚いからこそ艷麗なのですよ! では、そのかわいい魚が死ぬ姿を見てキミはどう思うでしょうか?」

「……え?」


「ここに薬があります。 一滴でも垂らせば水槽の水は目には見えないもので穢れていきますよ? そして直ぐにイキモノが死んでしまう強い薬です」

「おじさん……なにを言っているの? 冗談だよね? やめてよ! そんなひどい事しないで! お願い! やめて! やめっ……ああああ……」

 グランの声も虚しく男は薬を数滴、水槽に垂らし入れる。赤い液体が水に落ち、赤い色が靄がかかったように浸透し、すぐに4匹の金魚は腹を上に浮かびだし、最後の1匹がもがき苦しみながらゆっくりと水面に上がった。


「キミの何かを与えれば……あっという間に生き返るんだ……分かるね? さあ、おとなしくして……」

「痛い! 離してよ! やめてったら! いやああああ!」

 男はグランの腕を掴み上げ腕をナイフで撫でると一筋の赤いラインが浮き上がる。ゆっくりとゆっくりとその赤い筋は幅を広くして白い肌を染めていく。


「キミに素敵な夢を見せてあげよう! キミにしかできない素敵な世界を創ろう! さあ、ショータイムだ」

 したたり落ちるグランの赤い体液は水槽に滴下し水の色を変える。だが、すぐに赤い液体は水に浸透し水は元の色に戻る。腹を見せ引っ繰り返っていた赤い金魚は尾鰭を激しく動かし水を跳ね上げ何も無かったように水槽の中を優雅に泳ぎだした。


「やはりキミは美しい! 『Donatella【ドナテッラ 】』キミは神からの授かったモノです。とても美しい贈り物だよ……」

 歓喜の声を上げ高笑いをする、黒いローブで覆い隠された男の後ろ姿は人の皮を被ったバケモノだと、グランは切れた腕を押さえつけ怯えた目で何も言わずに男を見上げるしかなかった。



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