第6話 アルベルト・ニア
凍えていた心をこの手で暖めようと、何度も何度も触れてみたけれど、花は咲かずして、蕾のままで枯れてしまった。
かけた言葉は何色だったのだろうか。
季節は変わっていく。 目を閉じて、消えゆく音を黙って聞いていたんだ。
そう、何も言わずに、幸せも知らずに……
*****
この部屋の空間は変だ。
天井の高さも奥行きも何もかも。
まるで床が波打つように、揺れているように感じる。これは地震なのか?
はたまた眩暈を起こして、自らが揺れてるのか。
どちらにしても、あまり気分の良いものではなかった。
僕たちは、ウィリアムの静かなる微笑に動けなくなっていた。なんていう威圧感だろう。全てを見透かされてる。そう思わずにはいられなかった。
背中にじんわりと汗が滲む。首筋には引き攣るような緊張感。
何分かの重い沈黙。気がどうにかなってしまいそうだった。
その重い緊張は、いとも簡単に崩れ去る。
ある言葉が僕らの耳に聞こえてくる。
「あの〜 珈琲と紅茶どちらが良いですかあ? ちなみにボクの本日のオススメはハーブティーですよ」
壁の向こうからニアの素っ頓狂な、なんとも間の抜けた感じの声に張り詰めた空気が若干だが緩くなってしまった気がした。
だが、額から流れる汗が首筋に到達し、ニールは居心地の悪い空気に溜め息を漏らした。
「ああ、おかまいなく……」
やっとの思いで声を絞り出し、ニールは壁の向こうに愛想笑いをした。
「そう邪険にしないで、お茶くらい飲んで行っては如何ですか」
いつの間にかソファーに腰掛け自らの頬を触るような形で腕を組み、僕達を『逃がしはしません』と言った眼で見つめてくる。
「うちの助手は、お茶を淹れるのだけは上手なんですよ」
「もう〜だけえ? だけはないでしょ! だけは~」
そう言ってお茶を運んできたニアの姿は、さっきの姿とは打って変わっていた。
雪のように白い肌。ルビーを埋め込んだ様な透明感のある大きな紅い瞳。その瞳を強調させるかのようなショートボブのストレートのダーク・ブロンドの髪に、ちょこんと乗せるグレーのハンチング。綺麗なスカイブルーのボタンダウンのYシャツに薄いグレイのベストを羽織る。モノクロ千鳥格子のショート丈パンツ。そして、白い靴下に黒のローファーの革靴。
彼の姿は別人にしか見えないほどに上品さがとても際立った。
ティーポットにカップ&ソーサーをカチャカチャ鳴らし、少し乱雑にテーブルにそれでいて器用に並べ、さも楽しそうに鼻歌を唄う。
そうして、少し高い位置からテーブルにしずくが飛び跳ねる事もなく、お茶を注ぎ入れた。
「本日のお茶はとっておきのブレンドハーブティーをご用意しましたよ~ お茶の時間には、ちょーっと遅いですがね~ ホントは3時にティータイムなんですよ~? 知ってました~? お茶は3時って決まりなんですよ~」
自慢気な顔でマジックの様に手を開き、何処からか小さなカップ&ソーサーを取り出す。
残りのお茶を注ぐ。湯気と共に甘く、そして優雅な香りに目を閉じ。
「はあ~ ボクの淹れるブレンドハーブティーはセカイイチ~ さあさあ~ ミナサマもどうぞ召しあがれ~」
片手をくるくると回して丁寧にお辞儀をし、まるで陽気に歌い踊るようにオットマン・ソファーにポンと腰を下ろし天使のように微笑んだ。
ウィリアムは何も言わずに、ひととおりのニアの行動を見て微笑み返すと。
「私としては褒めてあげたいのですが、作法が十点です。ですが、この優雅な香りに免じて三十点にしましょう」
と、ソーサーを手に取り、カップを上品に手にして薫りを楽しむ。
「あなた方も…… さあ どうぞ 」と、僕らにお茶を勧めた。
ずっと黙っていた僕は、漸く肩の力を抜き、勧められた席に座りお茶を嗜めた。
光沢のある革張りの上品なデザインのソファー。飴色の木製のテーブルに美しいカップ&ソーサー。
どこをどう見たって、完璧過ぎる部屋を見渡して、ニールはとても疲れた顔で、とうとうソファーに腰を降ろし『いただきます』と小声でつぶやく。ゆっくりとお茶を飲んだ。
心の底から落ち着く薫り。ニアを見て、関心したかのように、ニールは笑みを浮かべた。
「ほら。良い香りでしょ~ 美味しいでしょ? これがボクの腕です。ボクってすごいでしょ~ボクマジックですよ〜 特別ですからね」
鼻をクイッと指で上げ自慢げに笑った。どうもニアが関わると調子が狂うのか、いい意味でも悪い意味でも緊張の糸は緩む。
お茶を飲み終えた僕は、ウィリアムをちらりと見てから息を整えた。
「あの…… どういう事かを説明して頂けないでしょうか? 僕らの名前を何故、知っているのか? 貴方は、父の知り合いなのでしょうか?」
それを聞いてから、ウィリアムはゆっくり頷きカップをソーサーに置くとスッと僕の目を見つめた。
「……そうですね、先程は失礼をしました。君達を見ていると、どうしてか少々悪戯がしたくなったものでしてね」
今度は優しく、ゆったりとウィリアムは喋り出した。
「シモンくん、ご名答です。私と君達のお父様は君がいう通り、知り合いだったのですよ。と言っても「依頼主」と「情報屋」兼「掃除屋」というだけの関係ですけどね……」
そう言ってもう一度お茶を飲むと、心から笑った様だった。
「それはそれは彼は手際の良い人だったんですよ。 ヴァインの剣術は本当に美しく尊敬するほどに見事なものでした」
「そして。この可愛い可愛いボクが~ ウィリアムさんの助手ってワケさ」
やけに得意気に。少し生意気に。ニアは会話に乱入して、にやりと不敵な笑みを浮かべ、突然ニールを指差す。
「そっちのあんた。さっきのアレでもう気がついたんだろ? ボクがローズ・ゴールドだってことに…… ボクが特別ってことに……」
ヒヒヒっと悪戯に笑い、オットマン・ソファーに仁王立ちで立ち上がる。真っ赤な瞳を輝かせてから腰に軽く片手を置く。ズイっと顔を突き出して、今度は僕だけを見下ろし、口元だけをぐにゃりと歪ませた。
そして、耳元で囁く様に、
「ボクらは仲間だよ? ……Sランクで希少種のおにい~ちゃん!」
僕の背筋がざわざわと泡立つ感覚を知ったのは、彼に会ってからだ。
僕たちと何ひとつ変わらない。人の姿をした見た目。妙に落ち着いた佇まい。
何かが僕たちとは違う、離れた者。未知の能力を持つ「ローズ・ゴールド」
僕は、素直に彼には敵わないと感じた。
ただ、ニールは僕の考えとは、全く違っていたみたいだけど。
「ははははは~ 知ったような口調でお喋りになるようだねえ〜 ミッドナイト・イヴさんよ? ……さっきからこっちが黙って聞いてりゃ、ベラベラベラベラ」
眉間に深くシワを寄せ、苛立ちを隠せない。そんなニールを僕は初めて見たんだ。
ただ、ニールの酷い喋り方には呆れた。
「ああん? それが一体全体なんだっていうのさ? 偉そうにしちゃってさ」
彼もニールに負けずと劣らず口がとても悪かった。ふたりの相性は、かなり良くないみたいで睨み合ったまま。まるで年の離れた兄弟喧嘩をしているようだった。
僕は大きく溜息をつき、少し呆れた顔でふたりを見た。すると。
「オマエ、いったいなんなんだよ。さっきからジブンは良い子ちゃん気取っちゃってさ。気に入らない。オマエみたいな優等生気取りがボクはイチバンっっ気に入らない」
ニアはイラついたまま、僕を力いっぱい指差した。
「へ? えーっと……あ、はい?」
僕は突発的に変な返事を彼にしてしまった。
「てめえ、相手はこの俺だろうが。シモンに勝手に飛び火してんじゃねえ」
ニールは、いつ暴れてもおかしくない程に怒り出した。
「……ニール」
僕は情けないやら可笑しいやらで、色んな感情が交差して、上手く言葉にならなかった。
「ニア、お客様だって事を忘れてはイケナイでしょう? ……ニールくんもニールくんですね。いい大人が何を子供相手にムキになって……」
ウィリアムの冷静な声は、二人の苛立った温度を急激に下げた。正直、僕はホッとして苦笑いをする。
「ニールくんは、この状況をきっちりと把握し、シモンくんはまだ経験は浅いようですね」
ウィリアムは少し黙って考えると。
「ニア、パーテーションを移動させてくれますか? シモンくんとニールくんを『彼女』に見せてあげてください」
そう言うとウィリアムは「私は席を少し外させていただきますよ」と、隣の部屋ヘ入ってしまう。
「ウィリアムさん、どうして……」
ぽつりと小声を出したと思うと、しょんぼりしたニアが僕たちを上目遣いでチラリと見てくる。とても何かを言いたげだった。
「ナニを見ても騒がないって約束してくれる? ナニかを知ったとして、誰にも言わないって約束してくれる? お願いだよ。それだけ約束してほしいんだ……」
彼の初めて真剣な眼差しで丁寧に頭を下げ、懇願する姿に僕たちは約束をすると誓った。その言葉を聞いて少し安心したかのように、ニアは僕たちを奥の部屋へと案内してくれた。重々しい木製の扉を開け、部屋に入った途端に隣の部屋とは段違いの気温の変化に僕は尻込みする。この部屋は時間が止まったままなのか? 時計は六時五分で動かない。カーテンで明かりを閉ざし、閉鎖された様な重い空気。薄明かりの足場を照らすだけの間接照明。小さなテーブルに黒塗りのロッキングチェア。数冊しか並べられていない本棚。
孤独な空間は、息苦しく寂しさを含み、此処はさっきの華やかな部屋とは全くといっていいほど違った。
巨大なパーテーションに覆われた奥には何かが居ると否応にも身体が痺れる様に震えた。それから水音と水の匂いが微かにする。大きな木枠に籐を丁寧に編み込んだ大きく立派なパーテーションを静かにゆっくりと折り畳んでいく。
途中、何度も手伝おうか? と尋ねるが、ニアは首を数回無言で横に振り「自分でやる」と聞かなかった。それでもニールは彼を見兼ねて手伝った。
やっとの思いで取り除き、ホッとしたのも束の間。目を見張るほどの大きな水槽がそこにはあった。迫力と恐怖は共存する。異常な空気は、この所為だったのかと僕は思った。
青白く薄く濁った水の中に眠る女性が見え、僕たちは息を飲んだ。
その姿は美麗に輝き、見事な程の圧倒的な存在感を放つ。空想上のイキモノ。
マーメイドだった。
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