第5話 Wants
夢を見たんだ。無意味な程に幸せな夢を。
僕はリビングで母さんの後ろ姿を見る。
父さんは珈琲を飲みながら新聞を読む。
ニールはバスケットボールを指先で器用に回し、それを見せつけるようにして僕を見て笑う。
笑い合う事も、分かり合う事も無意味だと、そう理解をしている夢。
雪が降る町にすべての音がかき消される。
闇の根を切り離したいと、尖った想いを僅かな希望で、僕はもう一度目を閉じる。
*****
ウインセンターの町を出て、しばらく道なりに進む。車の中での会話は一切なく。何処に行くのかさえ分からずに、やり場のない思いを抱え、車はスピードを上げ進む。
車をモーテルに止め、ひとつの部屋を借りる。僕はウォッカをひとくち飲んでベッドに身体を投げ出す。天井がぐるぐる廻り、徐々に船酔いしていくような気持ち悪さに襲われる。うつ伏せでシーツを手繰り寄せ、力いっぱい掴む。
気怠い。全身が沈み落ちていく感じがする。そうして僕は気を失う。
まるで静脈麻酔を打った時の様に。十秒もたたずに落ちた。
真っ暗な、何も無い場所で僕は立っていた。気がつくと黒いスーツを着た老人が椅子に座り、静かに本を読む。その姿は遠いのか、近いのか分からない。遠近法がおかしくなっていた。
そして、老人は言う。
「もう、どうにもならんよ……」
僕は絶望の淵に立たされ、誰かの手が背中を押す。小刻みにスロウに。
恐怖はなく、ただ何かに解放された。その瞬間に僕の身体は温かくゆったりと何かに包まれた。
「シモン…… シモン……」
遠くから誰かの僕の名を呼ぶ声がする。優しくて安心出来る声。
そこでテレビの砂嵐が現れると映像が乱れ、ぷつんと消えてしまった。
全身に、びっしょり汗をかき飛び起きた。壁に掛けられた時計を見る。午後十五時をまわっていた。
周りを見渡す。知らない部屋。
ひとときの宿り木に過ぎない部屋。
ふと、人の気配に気が付き見ると、そこにはソファーに深く腰掛けたニールの後頭部が見えた。
靴を履いたままテーブルに脚を投げ出し、眠っているのか起きているのかさえ分からない。その横を静かに横切り『だらしがない』そう思ったが、僕は何も言わずに簡易されたウォーターサーバーの水をグラスに注ぎ、一気に飲む。
今朝の出来事は夢じゃない。
父さんが殺された。僕を庇って。
突然、苦味を喉の奥に感じ、トイレに駆け込み、胃の中のモノを吐き戻す。涙が溢れ、噎び泣く。声を殺し、自らの身体を締めつけ僕は泣いた。
「慣れろ…… そうして前に進め……」
ニールの声が低く、背後で聞こえた。
僕は、涙を気付かれたくなかった。
「ああ…… ニール起きたの? ちょっと寝る前に飲み過ぎたんだ。あっちに行ってて…… すぐ出るから……」
「……ああ」
ニールの声が足音と共に離れて、代わりにテレビの大きな音が聞こえてきた。
優しさが嫌になる瞬間だ。とても気を使われていると分かる瞬間。
顔を洗い、鏡にうつる自分の顔を殴りつけ、僕は気合いを入れた。
もう泣いたりしない、強くなりたいと。
部屋に出ると、ニールが何かのメモを読んでいた。
「父さんの財布に入ってた…… 電話番号と鍵だ」
「鍵? なにの?」
「たぶん…… 鞄だな。スーツケースか旅行鞄の類だ」
鍵を握り、ニールは電話をかける。その目は真剣で僕は黙って、メモとペンを用意した。何度目かのコールで。
『お待たせしました……』
と、とても丁寧な男性の声が受話器越しに聞こえた。
電話を終えると、ニールはメモを見せ、
「此処へ向かう」
そう言ってから、車の鍵を手に持ち僕を見た。
「一緒に行くか? それとも……」
「行く。僕も知りたいんだ。この先に何が待っていて何があるのか…… それから仇討ちを……」
僕を見るニールの目は鋭く、そして隙がない。きつく睨みつけた後に力を抜いて
『運転は俺がする』と、無邪気に子供みたいな顔で笑う。
車で走る事、三十分。高級街の南に位置する、ナインズという街のモーリスというカフェで待ち合わせをした。
約束の時間がきたというのに、店には、華やかな女性や、犬を連れた親子連れ、老夫婦がいるだけで、電話の男の様な人物は現れない。
もう店を出ようかと思った矢先に、
「あんた…… ニール・クインテットさん?」と、フードを深く被った少年が現れた。
ニールと僕は『え?』と同時に声を出し、彼を見た。
フードにウサギの垂れた耳が付いたモスグリーンの軍物コート。水色のチェックの膝下丈のバミューダパンツ。年期の入った茶色の編み上げブーツ。
フードから、うっすら見える目と口元で綺麗な顔立ちをしているのが分かった。
だが、本当に少年なのかも定かではない。
「あんた…… ウィリアムさんの依頼人じゃないの?」
「……先程、電話をしたクインテットです」
「ああ、そう。じゃ、着いてきて」
「えーっと、僕たち車なんだけど……」
僕のその言葉で、機嫌を損ねたのか、不機嫌な口調でこう答えた。
「じゃ~ ボクを助手席に乗っけてよ。案内するからさ」
と、店を先に出ていく。
僕らは顔を見合わせ、慌てて店を後にした。
すたすたと足早に歩く少年に、
「あの、行き過ぎだよ、車はここだけど?」
そう声をかけると、少年は僕の顔をじろりと睨んだ。またもや、苛立ったのかと思うと、車のボンネットに優しく手をおいた。
「いい車だねえ〜 ヴィンテージでこれだけ大事にされてる綺麗な子、ひっさびさにみるよ。本当に大事にされてるね」
ニールはその言葉にフフンと鼻を鳴らし、
「ほお~ よくわかってんな〜 ボウズ~」
ニールは笑って、嬉しそうに彼の頭を撫でようと近付く。すると、少年はその腕を掴む。
「ちょっと。気安く触れないでよ!」
そう怒鳴って、腕を振り上げた時に深く被っていたフードがふわりと脱げた。
ニールは、彼の顔を見て驚いた顔をした。
深紅の瞳の希少種『ローズ・ゴールド』
その中でも、Sクラスの上物と言われる、
『ミッドナイト・イヴ』だった。
「悪かった…… わかったから、早くフード被ってくれ」
そう、気まずい顔をしてニールは謝った。
その時は僕は、何も知らなかったんだ。
レッドデータ・ブックすら見た事もなかったのだから『仕方が無い』と、後からニールは言った。
きっと、今の僕なら、ニールがたじろいだりするのを見ても、何ひとつ驚いたりはしないだろう。
「そこの角で車止めて……」
彼の言葉でニールは車を止めて下りる。
立派なビルとビルの間に煉瓦の建物。僕はとても嫌な雰囲気を身体に感じた。だが、そこに少年は踊るように躊躇なく入って行くと、僕らに手招きをした。声を出さずに『こっち』と言って奥に消えていく。まるで不思議の国のアリスのウサギに魅入られたようだった。
そんなことを思い、彼の後について建物に入ると、此処だけが空気が違うとはっきりと分かった。
冷たく重い空気。それなのに恐怖等は含まず。とても安心できる場所だった。長い廊下を黙って着いていく。緑のカーペットの引かれた階段があり、その先にある、木製の彫刻された重苦しい扉が悲鳴を上げるように開く。
「ただいま~ ウィリアムさん? 例の依頼人を連れてきたよ。ウィリアムさん、いないの?」
中には、アンティークの家具が綺麗に取り揃えてあり、完璧なまでの等間隔の並びで、置かれていた。
立派なビルが見える窓際で、煙草を吸う男が見えた。後ろ姿だというのに、その佇まいは恐ろしい程の静けさで、背筋にぞくりとする嫌な雰囲気を身体に受ける。僕たちはその男に声を掛けるのに躊躇った。
「ウィリアムさん。お客人を連れ来たよ~」
もう一度、彼が声をかけると、
「わかっていますよ…… ニア、落ち着いてください」
男はゆっくり振り向き、静かに椅子に座る。
「ようこそ、よくお越しくださいました。私がこの探偵事務所の所長ウィリアム・ロックです」
電話の奥に感じた声の主は、若く自分と変わらないくらいだと勝手に想像していたニールは、愕然とした顔をした。
五十代前半くらいだろうか? 渋さと大人の色気を兼ね備えた、良い男ってこういうのを言うんだろうなと、頭の中の言葉を思わずニールは口走っていた。
するとニアが吹き出し、ケタケタと笑い出す。
「良い男って…… ウィリアムさんは、案外抜けていますよ…… あのね? ここだけの話ね~ この間なんてねえ~」
本人が居るのにも関わらず、二人に自慢げに話し出すと後ろで咳払いが聞こえ、ニアがビクッとしてウィリアムの方をゆっくり振り返り見る。ニアはゾクゾクと身震いをして後頭部を掻き、ペコッと頭を下げた。
「あ~ ボク、お茶入れてきますねえ~」
と、彼は逃げてしまった。
「さて、どのようなご依頼でしょうか?」
煙草を灰皿の隅で丁寧に押し消し、長く綺麗な指先を重ねて組み、そこに顎を乗せる形で二人を見る。
その目は、獲物を狙う鳥のように鋭かった。
「父の知り合いだと思いまして……」
ニールは、あのメモを出し、説明をしようと言葉を選び、緊張で唾を飲み込み喉を鳴らした。
ウィリアムは、なるほど。と頷き、
「キミがニールくんだね? そして、後ろのキミがシモンくんだね」
そう言うとウィリアムは静かに笑った。
その笑う顔は、優しさなど一切含まない。
もう、どうにもなるものではないと、僕の本能が言い聞かせた。
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