12月8日のラヴソング―拝啓ジョン・レノン様―

馳月基矢

1 エスケープ

 思ってたとおり、弘樹は、かなり怒っていた。


[ようこ! 今、どこにいるんだよ!]


 通話ボタンを押した瞬間、怒鳴られた。あたしは、耳からケータイを浮かせる。


 音が割れて聞き取りづらいったら。声のボリューム、ケータイの処理能力を超えてる。弘樹の声はマイク機器と相性がよすぎるんだ。ヴォーカリストよりも通る声でコーラスするギタリスト。っていう、素で迷惑な存在。弘樹んとこのヴォーカリストも嘆いてたよ。いっそのこと、弘樹が自分で歌っちゃえばいいんだ。


 どこにいるんだ、と繰り返し怒鳴ってる弘樹。あたしは応えた。


「部屋にはいないよ」


[わかってるっ]


「あっそう。よくわかったね」


[当たり前だろ! おれ、今、ようこの部屋の玄関先にいるんだぞ]


「そーなの? 今日、バイトじゃないんだ?」


 弘樹はオフィス街のファーストフード店でバイトしている。平日は朝から夕方まで、がっつりシフト。至って勤勉で爽やかな模範的スタッフ。夜と休日は、パンクでファンクなバンドマンだけど。


[休み、もらってたんだよ。かなり前から。12月8日だけはっつって]


「へえ、初耳」


[ようこの誕生日だろ! たまには2人でゆっくり一緒に過ごそうと思ってたんだ! サプライズのつもりで準備してたんだぞ!]


「おー、弘樹がそんなこと言い出すとは。そのセリフ自体、すでにサプライズ」


[笑ってんじゃねえよっ! 今どこなんだよ!]


「12月8日の午前0時にメールしといたじゃん。あたしは今日、やりたいことがあるの」


[ようこ、おま……]


「じゃね」


 親指でサクッと通話終了。わからずやの甘ちゃんめ! と舌を出してやる。何回言えば理解すんの?


 今日は特別で大切な日なんだってば。


 夜中、高速バスの中で、日付が変わると同時に。あたしは弘樹にメールした。


   今日という日を

   December 8thらしく過ごすために

   ちょっとだけ旅に出てくる

   じゃーね


 さて問題。12月8日って何の日でしょう?


 即答できたら、立派なビートルマニアだ。


 1人の人間を語るとき。2つの日付のうち、どっちが、より大きな意味を持つんだろ? その人が生まれた日か、死んだ日か?


 少なくともジョン・レノンの場合は、死んだ日のほうだ。1980年12月8日、ジョン・レノンは死んだ。享年40歳。イカれたファンの凶弾に倒れた。


 あたしの誕生日は、まさにこの12月8日だ。ジョン・レノンが死んで十数年後の12月8日。


 自分の誕生日のころになると、いつもテレビに出てくる人。丸メガネで長髪の白人のオジサン。あたしが彼に気付いたのは、9歳になる年のことだった。


 そのオジサンはジョン・レノンという名で。12月8日に銃殺されたミュージシャン。そう教えてくれたのは、うちの洋楽かぶれの親父だった。


 ジョン・レノン。


 その名を知った瞬間の自分を、あたしはうまく表現できない。あたしは感じた。その名が力を持ってるってことを。ジョン・レノンって響きだけでも、途方もない“流れ”を持ってる。圧倒的に強引で、だけど安らかな“流れ”を。


 幼かったあたしは、あっさり“流れ”に呑まれた。その流れは、世間ではたぶん、運命とかいう名前で呼ばれる。


 親父は、9歳のあたしに、ビートルズのCDを買ってくれた。10歳の誕生日には、アコースティックギターを。あたしはそれ以来、ギターを抱かない日はない。あっという間に、親父よりギターがうまくなった。将来の夢はミュージシャン。ずっとずっと、そう言い続けてきた。


 そして、あたしはギターを抱えたまま。今日、20歳になった。



***



 薄青色の冬晴れだ。駅前広場のデジタル時計によれば、現在09:15。


 ここは、あたしのお気に入りの町。東京から夜行バスで8時間。新幹線だと3時間。いや、新幹線なんてゼイタクなもの、乗らないけど。


 10ヶ月前だったと思う。鈍行列車で実家から東京に戻る途中、この町に出会った。この町のとんでもなくすてきなパブに出会った。


 駅の南口の道向かいに、ハンバーガー屋がある。ハンバーガー屋の裏の路地に、地下への階段がある。階段の入り口に、ユニオンジャックの看板がある。


 パブの名前は“ホワイトアルバム”。ビートルズファンなら、絶対、気になる名前。だって、“ホワイトアルバム”っていったら。1968年リリースのビートルズの2枚組ベスト版の通称だ。音楽界に足を踏み入れたきゃ絶対聴け、っていう超名盤。


 本日12月8日、ホワイトアルバムでライヴが開かれる。あたしはそれに出演する。これでもね、あたしは女ギタリスト。地下の音楽シーンでは人気上昇中なんだ。


 まあ何にせよ、まずは朝の腹ごしらえ。昼過ぎまで、時間つぶさなきゃいけないし。


 あたしはハンバーガー屋に入った。セットドリンクは野菜ジュース。ファーストフードって割と好き。食事はパパッとすませる主義だから。5分で食ベて、手を洗って、ハンドクリームを塗る。強すぎないローズの香り。香水は嫌い。でも、このローズは好き。


 あかぎれしない冬は久しぶりだ。子どものころから、毎年の冬はあかぎれだらけ。ギターを触るせいだと思う。10本の指は、赤と白の縞模様。こわばってカサカサの白と、冗談みたいにキラキラきれいな赤。


 あかぎれのでき始めの数日は、たまらなくかゆくて痛い。でも、慣れてしまえば、なんてことない。と思ってたんだけど。あかぎれしないに越したことはないんだな。


 弘樹のアドバイスはいつも正しい。よくできました、パチパチパチ。あたしのハンドクリームは、もともと弘樹の愛用品。あいつ、バイトで水を扱うから。11月の初め、弘樹はあたしに新品のを押しつけてきた。怒ったような顔のお小言付きで。


「ギタリストなら、手を大事にしろ」


 女なら、とは言わないあたりが、弘樹のうまいところだ。あたしが納得するセリフの吐き方を心得てる。そうそう。ジュースでいいから野菜を摂れってのも、弘樹のお小言だった。ビタミンは喉の粘膜の保護に欠かせないからって。


 生意気なやつ。年下のくせにえらそうな顔して。押し付けがましいアドバイスなんかして。でも、怒った表情とキツい口調が、作ってない弘樹の顔と声。バイト中の営業スマイルは、痛くて薄っぺらい仮面。あいつがあたしの前で無愛想なのは、あたしに惚れてるから。まじめに、一本気に、あたしのことだけ見てるから。


 弘樹は中卒だ。高校は中退。学歴はあたしと同じ。でも、おバカな公立高校に通ってたあたしとは違う。弘樹は頭がよくて、一流の進学校に籍を置いてたらしい。一年の終わりに辞めたって。進学校のナンセンスに拘束されるのが、受け入れられなくて。弘樹は、やること為すこと、いちいち理屈が通ってるから。


 それ以来、弘樹は家を出て、音楽鳴らしながらフリーターしてる。夢を持ってる。まっすぐ進んでる。あいつは18歳。あたしより若い。メジャーへの可能性が開けてる。あたしは20歳。ティーンじゃなくなって、売り出せる鮮度じゃなくなった。書類に嘘を書かない限り、オーディションは通らない。



***



 11時ちょっと前、メールが来た。


“やっほー☆”


 テンションの高い声が聞こえてきそうなタイトル。バイト先のイタメシ屋の店長からだ。


 あたしが働くイタメシ屋は、ちょいお高めのカフェレストラン。予約してもらえれば、本格的なのも出せる。あたしはレギュラースタッフだ。ほとんど毎日、昼から夜中まで店に出てる。


 あたし、ガラケーなんだよね。タフでレトロなもんのほうがカッコいいと思うから。店長からは、連絡のlineができなくて不便って言われるけど。関係ねーし。普通のメールで十分じゃん。


 メールを開封すると、デコメがチカチカしてた。“HAPPY BIRTHDAY”って。相変わらず、乙女趣味全開。独身イケメンの38歳の店長は、実はそっち系の人。


 あーあ。あたしの誕生日なんて、どーでもいいのに。こんなゴテゴテなデコメ作ってる暇あったら、仕事しなって。


 まあ、失礼にならないように、お礼を返信しておく。


 そっこーで返信の返信が来た。“ヒロキくんにタップリ祝ってもらってね~♪”と。


 やれやれ。だから、どーでもいいんだってば、そんなの。


 誕生日なんてさ、親が自分らで祝ってればいいじゃん。家族が増えたね記念日。こちとらその日の記憶なんかありませんっての。祝われても、嬉しさ実感できません。


 なんてことは、さすがに店長には言わないけど。


 あたしはスタッフとして店長に信頼されてる。この立ち位置は悪くない。先行き不透明なミュージシャン生活を、仕事中は忘れていられる。制服はメイドっぽくて、けっこうお気に入りだし。ナチュラルっぽく見えるドーリィなメイクを合わせてる。髪も引っ詰めて、レトロなおだんごにしてて。ゲームみたいに、お人形メイドを演じてる。騙されてるマダムなお客さん、多いんだよね。


 笑っちゃう。本性は、そんなんじゃねーっての。


 ほどいて背中に流した髪は、茶髪というには赤すぎる。赤系のブラウンを入れた。美容師が予想していたよりはるかに強く、赤が定着した。美容師は失敗だと嘆いてたけど、あたしはこの色が好き。スポットライトを浴びたら、本当に赤い。


 バイトのときには外すピアスも、オフのときには全部つける。左右で合計10個。ちなみに、耳ピだけ。へそにも、やってみたい。でも、弘樹がいやがる。耳ピだけでも、かなりいやがってる。仕方ないか。年寄りかってくらい、変にマジメなとこがあるし。まだ18なのに。


 弘樹はピアスを空けてない。もちろんタトゥーなんかしてない。髪すらいじってない。真っ黒なストレート。ライヴのときに、メンバーの趣味でスプレーされるけど。それも似合ってんだけど、絶対染めない。生まれたままの体をいじるのは、やりたくないんだって。歯医者で虫歯の親不知を抜くのはOKのくせに。


「うるせえな。こんなふうに生まれついたんだよ、おれは」


 吹っ切れることができてないって自覚、弘樹にもあるんだ。同情するよ。しんどい生き方だと思う。東京のド真ん中じゃ、0.1秒ごとに苛立ってんだ、きっと。


 だから、あいつはブルースロックにのめり込むんだ。理解できないものが多すぎて苦しいから。思うに任せないやるせなさを。土臭いサウンドに叩き込む。そうやって鳴らされるあいつのギターは、圧倒的に純粋。頭いいくせに、賢そうなことを全然やらない。バカっぽいくらいシンプル。あいつの音を聞いてると、無性に息が苦しくなる。胸を掻きむしりたくなる。あいつは本物だと思う。


 ……って、なんだかなー。


 気付いてみたら、つらつらつらつら、弘樹のことばっか。


 でも今回は、あいつもさすがにプッツンかな。あそこまで怒鳴られると思ってなかった。自分の誕生日すっぽかしただけじゃん。弘樹の誕生日は、ちゃんと祝ってやったじゃん。弘樹んとこのバンドメンバーと一緒に。あたし、他人の記念日は大事にするから。自分の誕生日はどーでもいいけど。


 このまま音信不通、とかね。いや、ありえないか。あいつのマジメさでは。音信不通にするならするで、そう宣言してくるはずだ。ガキのケンカの絶交宣言みたいに。

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