第3話

 病室に足を踏み入れたわたしを出迎えてくれたのは、いつもの若菜ちゃんだった。さっきの会話をしていた女性と同一人物であることが、とても信じられないほどに。

 彼女は、異常なほどあっけらかんとした様子だった。

「わざわざ来てくれてありがとうねぇ」

「んーん、気にしないで」

 病室にあった小さな花瓶に水を入れ、お見舞いに持ってきた花を挿しながら答える。

 ちなみにお見舞いに花を持っていくにはルールがあるらしく、青や白色、椿など縁起の悪い色や種類のものはNGだとか、赤い花は血を連想させるからダメだとか、百合などの香りが強いものもダメだとか……とにかく、かなり細かく定められているようだ。

 ネットで調べ、散々悩んだ結果持ってきたのは、夏の風物詩であるひまわりの小ぶりなもの。病室が明るくなりそうだし、若菜ちゃんのイメージにもぴったりだし、これこそまさにうってつけ……じゃないかと、個人的には思っている。本当にいいのか、と言われたら正直あんまり自信はないけれど。

 綺麗に飾り終えると、若菜ちゃんがいるベッドの傍らにある丸椅子に腰かけた。お尻がまだじんわりと暖かい。きっとさっきまで、兄はここに座っていたのだろう。

「ひまわりか、可愛いね。部屋が明るくなりそうやし、何か元気づけられるわ」

 わたしが挿した花瓶の花を見やりながら、若菜ちゃんは嬉しそうに目を細めた。そのまま、独り言のようにスラスラと、淀みなく言葉を並べ立てる。

「花火、行けへんかったなぁ……。こないだ来てくれたお父さんに写真見してもうたんやけど、写真でも綺麗やったわ。本物は、もっと綺麗やったろうね。……まぁ、毎年見てんねんけどさ」

「うん。今年も、綺麗に上がっていたよ」

「左様か。……そういえばこないだな、おばあちゃんが、家行けへんかった私のためにわざわざビーフン作って病室まで持ってきてくれたんよ。ホンマに、美味しかった……やっぱり、おばあちゃんの作るビーフンは格別やわ。あれを食べたら、もう他のは食べれへんぐらい。凛も、そう思うやろ?」

「そうだね……」

 若菜ちゃんがほとんど一人で喋り続けるのに、わたしはどこか上の空で相槌を打っていた。

 しばらく経つと、彼女はさすがに喋り疲れたのか、唐突に口を閉ざした。それを見計らい、わたしは恐る恐る口を開く。

「若菜ちゃん、もう大丈夫なの?」

「大丈夫や、元気やで。今んとこ、どこにも異常はないし。ただ、外にはまだ出して貰えへんけどな」

 わたしの緊張などまるで気にも留めていないかのように、あはは、と能天気に笑いながら若菜ちゃんは答える。

 病気や怪我などで入院したとか、そういうことではないらしいことはわかった。だけどわたしは、兄と若菜ちゃんが話していた時に出てきた『薬の分量』とか『手首の傷』などという物騒な言葉や、先程若菜ちゃんが発した『外に出して貰えない』というセリフが妙に気にかかった。

 そして、ここが大部屋でなく何故か個室であるということも。

 これだけの情報じゃ……どうしても、繋がらない。一体どこに正解があるのか、皆目見当がつかない。

 次々と湧き起こる疑問を、そのまま口に出した。

「えっと……何で、入院することになったの?」

 そのとき若菜ちゃんは、一瞬だけ能面のような無表情になった。が、すぐにふわりと表情を作り替える。彼女はぞっとするほど、優しげな微笑みを浮かべた。

 そして存外、あっさり答えてくれたのだ。

「死のうとしたんよ」

 思考が、止まった。

「……え?」

 何を言われたのか、にわかには信じられなかった。さっきの話を聞いていたから、ある程度は覚悟していたはずなのに。

 実際に彼女の口から聞くそれは、まるで現実味を帯びていない。

 それでも、若菜ちゃんは世間話でもしているかのような口調で続けた。

「最近眠れへんくてさ。睡眠薬買って使ってたんやけど、こないだそれを……家にある分だけ一気に、飲んでみた」

 声が、出なかった。

 きっとわたしは今、相当間抜けな顔をしていることだろう。

 そんなわたしを見て、若菜ちゃんがフッ、と笑う。

「大丈夫や。ただ単に、心が不安定やっただけ。どうせどれだけ睡眠薬飲んでも、リスカやっても……死ねへんねん」

 そう言って、おもむろに差し出された左手。いつもしていたリストバンドに代わり、何重にも巻かれていた白い包帯を、若菜ちゃんは惜しげもなく取り去った。

 むき出しにされていく、細く、だけど健康的な腕。そこには血の乾いたような色をした赤黒い傷が無数にちりばめられていた。まだ治りきっていないらしい、新しい傷もあるから、もしかしたら睡眠薬を飲んだ後にまた切ったのかもしれない。

 何度も切りつけたせいなのか、手首付近のひときわ大きく深そうな傷が小さなケロイドを作っている。それが妙に生々しくて、わたしは思わず、顔をしかめてしまった。

 そしてその原因を表す言葉を若菜ちゃんの口から直接聞いて、わたしは背筋がゾッとした。そして同時に、若菜ちゃんの何もかもを諦めたようなセリフに、思わずカッとなった。

「そっ、そういう問題じゃないでしょ!」

 ここが病院だということも忘れて、力任せに声を荒げる。

「何で……どうしてそんなことしたの!? そんな自分の命を粗末にするようなこと……っ!! 何で、そんなに簡単に……!!」

「聞きたい?」

 若菜ちゃんの淡々とした冷たい声が、わたしを止めた。わたしはひくり、と喉を鳴らしたあと、小さく……けれどそれと分かるように、しっかりとうなずいてみせた。

「そう」

 若菜ちゃんはおもむろにわたしから目を背け、病室の窓を見つめた。

 そして、関西弁のすっかり抜けた口調で、感情も込めず話し出した。

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